あなたを確かめる方法

池袋駅から徒歩5分にある珈琲自慢の喫茶店。
そこが彼と私の集合場所。

カロンコロンと今時珍しいベルを鳴らしながら、店内に入る。
辺りを見渡し、すぐに艶のある黒髪の彼が見つかる。
「お待たせ」
笑顔で彼の向かいに座るといつもと変わらないほほえみと声色で「待ってないよ」と言う。でも彼のコーヒーカップはシミだけ残して空。
いつもそうだ。彼は早めに着きすぎる。
でも珈琲と一人の時間が好きな彼はその空間を楽しんでいるので、
確かに私を「待って」はいなかったのかもしれない。

私はアールグレイのストレートを注文する。
彼は「ブルーマウンテンください」と言う。私はそれを聞いて嬉しくなる。
今日は相当ご機嫌なようだ。

感情の起伏が激しい私とは正反対に彼は何を考えているか本当にわからない。
いつも凪のように揺れることがない。
表情も話し方もしぐさも、前回会った時と、いや前々回会った時も前々々回会った時とも
・・・とにかくいつも同じなのだ。
嬉しいのか、楽しいのか、怒っているのか、それどころか「本当に私のこと好きなの?」と不安になるくらい。彼の気持ちはわかりずらい。「外見上」は。

でも私は発見したのだ。
彼は機嫌がいいとブルーマウンテンを頼む。
不機嫌な時はキリマンジェロ。
普通の時はマンデリン。
まぁその他にも細かく珈琲の種類ごとに異なったニュアンスを表すのだが
どちらにしても今日はブルーマウンテンだから彼は「機嫌がいい」ということ。
きっと何かいいことがあったに違いない。
それを私に話してくれるかくれないかはさて置き、彼にいい事があったのなら
それだけで私もハッピーだ。

彼と出会ったのは今から1年前。
当時の私は彼氏に振られて身も心もボロボロだった。
合コンに行っても気がそぞろで楽しめないし、お酒を飲むとくだを巻き二日酔。友人や後輩を捕まえては失恋話を永遠と語り、アドバイスをもらうと「でも」「あなたにはわからない」とタチが悪い。明けても暮れても振られた彼氏のことばかり考えて、本当にどうしようもなかった。

ある休日、気を紛らわせるために池袋をぶらつき、本屋に入った。
女性雑誌を立ち読みし終わり、はぁとため息をついて店内を見渡す。
店内の女性を見ては「あの人は結婚してるのかな・・・」「彼氏がいるのかな・・・」とどうでもいい事を考え、心を曇らせた。
女性雑誌の隣には女性タレント達の書籍コーナー、その隣はアイドルの写真集コーナー、その隣にはやけにピンクやハートのパッケージが多い女性向けの自己啓発本コーナーがある。
「彼をとりこにする方法」「いい女は朝が早い」「女の本音」、どちらかと言うとこういう類の本を馬鹿にしがちな私だがつい「元彼の気持ちを取り戻す!」というタイトルが目に付き、こそこそと周りを気にしながら思わず本を手に取ってしまった。今思い出しても恥ずかしい。
しかし私はプライドだけは高い女なので「いやいや」とその本を戻し、すこし悩んで一個上の段に陳列してある「元カレを忘れるために」という本を手に取る。

結局10分間くらい2つのタイトルの間を手がさまよい、私は一つの本を抱えてレジに向かった。
たかが本・・・いつもの私だったらそう嘲笑うが、完全に失恋の悲しみに溺れていたため藁にすがってしまったのだ。

「カバーはおつけ『カバーつけてください!』
「かしこまりました」

会計を終えると、罪悪感と達成感が混じりなんとも言えない気持ちになった。
この本が参考になるかならないかは別にして、とりあえずぽっかり隙間が空いてしまった時間を「本を読む」という作業が埋めてくれそうな気がした。
よしと振り向き歩き出そうとすると、後ろから直進していた歩行者とぶつかってしまった。相手は少しよろめいて手荷物を落としただけだったようだが、私は振り向いた遠心力をそのまま反動にして盛大に崩れ落ちた。
すいません、と言いながら自らのバッグと先ほど購入した本をかき集める。相手の落とした手荷物に目をやると、どうやら同じ本屋から出てきたようだ。
薄茶糸のビニールの中に本が入っている。私はそれを拾うと、相手に手渡しもう一度「すいませんでした」と言う。
立ち上がって初めて相手の顔を見ると、彼は小柄な男性で、ジーパンに黒のセーター、チェックのシャツの襟を出したいかにもな文学青年だった。

彼は優しく「いいえ、こちらこそ」と言い、頭を下げその場を去っていった。
その瞬間ふわっとコーヒーの苦くて香ばしい香りが鼻をくすぐった。
反射的に職場で仕事もしないでコーヒーばかり飲んでいる上司の顔がよぎってしまい、明日は仕事かとゾッとした。
彼はもう人込みの中で小さな姿になっていたが、なんとなく気まずいのでしっかり距離を保ちながら進んだ。信号待ちにひっかかると、彼の姿は見えなくなった。
手からぶらさげている本に目をやると、カバーがついてない。
ぎょっとして手に取ると、私でも知っている有名な作家のハードカバー本だった・・・
ということは彼が持っていったのは私の・・・。

信号が青になる前に駆け足で飛び出し、群衆をかき分け彼の姿を探す。
駅に入られたら終わりだ。駅前をキョロキョロしていると横断歩道を渡る彼が見える。
大通りから外れた薄暗い路地に入ったところで彼に追いつく。
「すいません!!」
私、この人に何回すいませんって言うんだろう、そんなことを思いつつ叫ぶ。
振り向いた彼に続けて言う。
「それ、逆になってて、それ私ので」息を切らせて話すまとまりのない言葉の羅列。
「あぁ」彼はびっくりもしなければ笑いもせず、
「気づきませんでした。お返しします。」と優しくビニール袋を差し出す。
気付かなかったということは、私が何の本を買ったかしらないということ、
見られてないんだ!
「よかった~~~~~」つい安堵の声が漏れてしまう。
それを聞いて彼がさらに優しく言った。
「そんなに大切な本なんですね」
「え、いや・・・」
「本が好きなんですね」
「ま、あ・・・」
「僕もです。それは誰の作品でしょうか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
どうしよう。答えなくてもいいよね。
でもこの人、すごい良い人なのに、なんか答えないで帰ったら感じ悪くない?
「誰のとかじゃなくて」
間。
なんか辛くなってきた。私は本屋に入ってからというもの、ずっとハラハラしている。
疲れた。もういいや。
「これです」
カバーをはずして彼の目の前に突きつける。
『元カレを忘れるために』
自分でもなんかおかしくなってしまってへら~と顔が崩れて笑顔になる。
彼はタイトルをみた後、私の笑顔と見比べて、かすれた短い笑い声出した。
その声を聞いて、人に笑われたことで、私の心がパッと軽くなった。

不思議だ。
私は私の心の傷に夢中だったけど、たかが長い人生の小話程度のもの。
よくある、たかが失恋。急にそう思えた。
すごいぞ。『元カレを忘れるために』!
「色々大変でしたね。ここでお茶でも飲みませんか」
「色々」とは、彼にぶつかってこけてここまで走ってきたことを言ってるのか。
それとも失恋のことを言ってるのか。

気が付けば立ち話しているのは珈琲店の前だった。
認識したとたんに珈琲のいい匂いがしてくる。

その時も彼は今日と同じブルーマウンテンを飲んでいた。

1年経ち、恋人になった今もこの珈琲店に私たちはいる。

仕事の話、彼の読んだ本の話、私の友人の話、デートの計画、
今日もいつものようにとりとめのない話をし日が暮れる。

二人連なって駅に向かう。
彼と私は乗る路線が違うので彼が私が乗る線まで送ってくれる。
そしてさっと、去り際におでこに素早くキスをする。
珈琲のにおい。彼のにおい。

大切にそのにおいを抱きしめながら電車に乗る。

「ごめん、今日会えなくなったんだ」彼は申し訳なさそうにスマホの向こう側で言う。
電話の声を聞くと、珈琲のにおいが鮮明に思い出され鼻腔が反応する。
仕方ないね、そう言ってお互い体調を気遣い合う言葉を投げかけ合い、電話を切った。
彼は仕事場で主任になったらしく会議に出張に忙しいらしい。
私は私とて暇なわけではなく、年末にかけてどんどん残業が増えている。
珈琲店でゆっくりする時間はもちろん、デートや連絡を取る回数も徐々に減っていた。

久しぶりに彼に会うと、いつもの変わらない表情の中にどこか疲れが見えた。
「モカを」
「・・・・・。」
「どうしたの?」
珍しいなと思って、と笑顔を作ってはみたが動揺している。
「うん、人に勧められて」
彼の優しい声の中に、なにか冷たさを感じた。
・・・・あぁ、そっか。
これが彼との最後の思い出になった。

珈琲のにおいを嗅ぐ度にため息がでたが、仕事が忙しかったからか前回のようなご乱心ぶりを見せることはなく(この時『元カレを忘れるために』は読まなかった)、淡々と静かな日々が続いていった。

私はその後、支店からの派遣で来た年下の男性と付き合った。
珈琲が飲めない。子供の味覚、いや味覚だけでなく子供の感覚をそのまま持ち合わせて大人になったような人だ。
いつかだったか喫茶店で、なぜ珈琲を飲まないのにそんなに詳しいのだと言われたことがある。
笑ってごまかしたが、私の中には珈琲のにおいとともに彼の記憶が色濃く残っていることを認識した。

私はその男性からプロポーズされ、婚約した。
入籍は6ヶ月後、結婚式は8ヶ月後。これから家族同士の顔合わせや式場選びで忙しくなるだろう。
若干の不安と焦燥感とともに、幸せなせわしなさに胸を高鳴らせる。
左手の指輪を愛おしくさすりながら、待ち合わせ場所に向かう。

幸せな休日。平日はスーツ姿の会社員でまみれる街を家族連れやカップルが華やかに蘇らせる。

足元を小さな女の子が通り抜けた。まだまだ不安定な足取りだ。
「ちょっと!」女性の声、お母さんだろう。
その後お母さんが女の子を追いかけて、私の横を走り抜ける。

男性の笑い声、どこかで聞いたような短い乾いた笑い声が目の前で聞こえる。
そのまますれ違い、すれ違い際にはっきりと珈琲のにおい。
香しくて忘れられない、ちょっぴり苦い珈琲のにおい。

思わず立ちどまる。彼も立ち止まっているだろうか。
こっちを見ているだろうか。
私はよしと振り向かずにそのまま早足で歩き出す。
彼とは反対方向へ向かって。

待ち合わせ場所と幸せな未来へ向かって。

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