こっちのCAFEはあーまいぞー

コーヒー豆をひく香りが漂ってくる。こんなに濃厚で味わい深い香りなのだから、きっと豆をひいているんだろう、と想像してしまう。
CAFEから漂ってくる香ばしい素敵な空気は、そのお店の周りをスローな時間に包んでいるようだった。
テラス部分に設えられた籐椅子や日よけの大きなパラソルに、ミモザとオリーブがまばらになった太陽の影を振りかけている。
軒につるされたステンドグラスのモチーフを通して、柔らかい色彩がテーブルにうつされているのを見ると、ここが街の中にある事も忘れそうになる。
如月街にあるCAFEデジャブにはまだ入ったことは無い。
何時だって忙しいし、CAFEでゆっくり時間を過ごそうなんて贅沢はしたことがない。
もっとチェーン店の方が安いコーヒーが飲めるから、疲れた時には安いコーヒーショップで休憩するようにしているのだ。
コーヒーなんてどこも同じ。でも、カフェデジャブからは本当に良い香りが漂っている。
美咲はこの日も、仕事の昼休みに、街のバーゲンセールを見て歩いている途中だった。
夏はいい。お店中の物がセールとして売りだされて、街の活気もかなり上がって来る。平日の、値下げ札が付けられて、まだどんなお客の目にも触れたことのない商品が震えながら待っている。休日のセールで人がごった返す前に、一番乗りでショッピングを楽しめるのだ。
おしゃれして出勤し、仕事の合間にもセレクトショップの新作をチェックして、毎日デジャブの前を通って会社に戻る。
職場の会計事務所は、同世代のメンバーが多くて、みんな資格を取ろうと頑張っている。美咲は事務員として、資格を取るつもりはないから、先生の玉子たちとは待遇も違えば、給料も違う。それだけではなく、雰囲気まで違うのだ。先生の玉子たちは何と言うか、もっと真面目な、というか、強い意志を持っているように見える。意地でも会計士になる、というような、試験のために常に最善を尽くしている、という空気が流れているのだ。
出来る人は羨ましくもある。けれども美咲には真似することはできないし、真似しようとしないところが自分の良い所だと思っている。

 
この日は、昼休みに靴のショップで素晴らしいサンダルを見つけた。華奢なゴールドの革のサンダルは細い9センチのヒールがつていて、ダイヤの飾りがちりばめられている、なんともゴージャスなデザインだった。お店の方に、23センチのサイズをお願いして、足にはめてみると、ぴったりとした履き心地だった。価格も、三万五千円だったサンダルが、二万二千円になっている。ちょっと高いけれども、買える金額になっている。セールは嬉しい。

 

仕事の帰りにもう一度来て購入するからと、取り置きをお願いして、会社に戻ることにした。昼休みは短いのだ。
新しくて良い品物を見つけた時にはとっても嬉しいい。気分がかるくなって、天に昇っていく湯気のような気持になる。オフィスに戻る時に、オフィスの横にあるデジャブのテラスで、テーブルを拭いている男性を見つけた。がっしりとした体格で、腰をかがめてテーブルを丁寧に拭いている。美咲からは横顔が丁度見える位置にあったけれど、見たことがない人だった。そうだ。デジャブの人をまだ一人も見た事は無かったのだ。サンダルのことで気分が高揚していたからか、デジャブのマスターの輪郭も滲んで、大天使ガブリエルの様に見えた。天使の輪は頭だけだけれども、日差しが滲んで、デジャブのマスターの体が天使の輪に囲まれているように見えた。
デジャブのマスターが大天使ガブリエルで有ったとしても、昼休みが終わろうとしている。天使を無視して、オフィスに駆け込んでエレベーターに飛び乗った。事務所の同僚たちは、昼休みに買い物に出かけたりなんてしないタイプの人たちだ。
珍しく、同僚の早苗さんから「ちょっと隣のCAFEに行って見ない?」という声がかかった。今夜六時頃、CAFEにちょっと寄ってみたいと言うのだ。
「いいですよ。」と美咲はにっこりと微笑んだ。誘われるのも意外だけれど悪くない。デジャブには行った事がなかったし、今日見たマスターの天使姿が頭に残っていた。
夕方になってもこの季節は何時までも明るい。
仕事が終わる時間は五時半だ。六時頃に早苗さんと一緒にオフィスを出て、エレベーターに乗った。
「前から行きたかったのだけれど、独りじゃ行きにくくって。」早苗さんはエレベーターの中で呟いた。
「私も行った事がないんです。」美咲も優しく微笑んだ。早苗さんは、リクルートスーツのような衣装を着ている。ずっと毎日そうなのだ。でも肌は美しいし、真っ直ぐな長い髪もサラサラとしていてツヤがある。美咲の長くてカールした髪とはまた違った緊張感が早苗さんからはいつも漂っている。
エレベータで一階に降りて、ビルのエントランスを出ると、隣のCAFEデジャブが目前にある。未だ夕暮れ前だからか、テラス席には日差しが残っている。ステンドグラスのモチーフが風に揺れて、蝉の声が盛んに聞こえている。外の籐椅子は夏の日差しを受けて触れると熱くて、ガラス越しの店内が涼しそうに見えていた。
入口の木の扉を開くとカラリとベルのなる音がお店に響いた。冷房の効いた店内には、小さいテーブルと椅子が三組あるだけだった。
こじんまりしている印象で、真鍮の置物やライトがあちこちに飾られている。
カウンターの奥には今日の昼に見た大天使ガブリエルが立って居た。彼の周りは電気がついていなくても、ほんのり明るいように見える。それは、金色の髪のせいかもしれないし、背が高いから、かもしれないし、色が白いからかもしれなかった。
「いらっしゃい。」と予想よりも低い声が響いて美咲は胸がドキドキするのを感じた。オフィスではめったにないドキドキ感が今している。隣を見ると、早苗さんの白い頬もちょっと赤くなっているように見えた。美咲はお化粧も完璧に施している。まつ毛だって、完璧な仕上がりだ。常にお手本はオードリーヘップバーンだ。それに比べて、早苗さんはお化粧も薄い。しかし、お化粧が薄いけれども肌が綺麗だという事が透けて見える所が、美咲には出来ない芸当だった。真夏でもリクルートスーツだし、美咲のあでやかなワンピースとは随分雰囲気も違う。
テラスと仕切られたガラス戸の横にある籐椅子に座ると、メニューがあった。
フレーバーCAFE、スイーツCAFE、ブレンド、と三種類のCAFEが書かれている。
「フレーバーCAFEとスイーツCAFEってどんなのですか?」テーブルの前にたった大天使ガブリエルに美咲は聞いてみた。
「フレーバーCAFEは、貴方にあったフレーバーを用意します。スシーツCAFEも、貴方の好みの甘いCAFEを用意します。」大天使ガブリエルは丁寧に言った。姿は天使でも声はとても低くて良く響く。悪魔の声ならば、こんな風に低くて、心を震わせるような快感を与えるのかもしれない。
「フレーバーCAFEにしようかな。」美咲が言った。
「私もそうします。」早苗さんも頷いて注文をお願いした。
すると、大天使ガブリエルは美咲の顔をじっと見つめた。しばらくして、今度は早苗さんの顔をじっと見つめた。そして、「暫くお待ちください。」と納得したようにカウンターの中に歩いて行った。
「何だかドキドキするね。」美咲が言うと、早苗さんも頬を赤らめて頷いている。
カウンターの奥から陶器の触れ合う音が聞こえて、香ばしい空気が溢れてきた。続いて、甘い香りやなんだか嗅いだことのないスパイスの香りも漂ってきた。
「なんだろうね。」「どんなCAFEかしら。」と話す内に、日は暮れ初めてお店の中に仄明るい電燈が灯った。
CAFEを乗せたトレーを運んできた大天使ガブリエルは、電燈の影のせいで、背中に大きな翼があるように見えた。やっぱり髪の色が金色だからか、輪郭が光っているように見える。
「どうぞ。」美咲と早苗さんの前に、フレーバーCAFEを置いて、大天使ガブリエルはテーブルの横に立って居た。
「ありがとう。」美咲はカップを手に取って、先ずは香りを確かめてみた。シナモンの香りと甘い匂いが混じっている。「シナモンCAFE?」と呟いて一口含んでみると、花の香りがした。「クチナシ?」呟いて横を見ると、大天使が頷いている。
早苗さんも、カップをてにとってあっと声を上げた。
「ココナッツ?」と呟いて大天使を見上げると、彼は笑顔で頷いている。
「好みを当てるのが僕の趣味ですから。」大天使ガブリエルは言うと、カウンターの奥へ去って行った。
目がまわる。大好きなスパイスや花の香りがするだけではない。頭の中を映像が流れて行く。クチナシの花の元で語り合っている美咲と大天使ガブリエル。スパイスやシナモンの香りがするベッドに横になっている、美咲と大天使ガブリエル。
「ヤバくない?」早苗さんに声を掛けると、彼女も「駄目ですね。」と頷いた。彼女は目を泳がせてドギマギしているように見える。
CAFEを出る頃にはとっぷりと日が暮れて、外には星が出ていた。お支払いしようとした時には、カウンターに、一杯700円というメモがあるだけで大天使ガブリエルの姿はなかった。
美咲と早苗さんは、カウンターに七百円ずつ硬貨を置いて外へ出た。
藍色の空に黄色い星とCAFE、ゴッホの作品みたいだ。
その日は家に帰って眠る時も、心臓がドキドキしていた。低い声が耳に着く。デジャブのマスターは大天使ガブリエルなんかじゃないかもしれない。
天使があんなに低くて甘い声を持っているとは思えないのだ。
目を閉じると、フレーバーCAFEを口にした時の映像が鮮やかに浮かんでくる。大天使ガブリエルの存在が感じられて心臓はドキドキしたままだし、眠る事も出来ない。
これは恋かもしれない、と波打つ心臓を押さえて美咲はため息をついた。でも、早苗さんも同じように感じているのかもしれないと思うと残念に思う。
独りで行けばよかった、とも思ったけれど、やり直すことはできない。
明日は新しサンダルを履いてデジャブへ行こう。会社へ行く前にデジャブへ行くのも悪くない、美咲は長い溜息をついて夜が明けてむらさきになりつつある空を眺めた。

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