コーヒーがある風景に恋をする

* コーヒーと私 *
コーヒーは気付けば私のすぐそばにいつもあった。
私とコーヒーの間には出会いきっかけなどない。平日、朝目が覚めて二階の自室からリビングへ降りると、母が父が会社に持っていく為にインスタントのコーヒーを水筒に入れていて、その独特の香りは幼い頃から私にとって”朝のにおい”だったように思う。休日には父が自分でペーパードリップのコーヒーを入れて、テレビを見ながらのんびり飲んでいて、流しには出がらしのコーヒーが置いてある。そんな記憶がある。

私自身はというと幼い頃からコーヒーを飲む習慣がなく、むしろどちらかと言えば紅茶の方が好きで、今でもレストランでは食後にコーヒーではなく紅茶を頼んでしまう程、コーヒーを身近に感じながらも遠い存在だった。よくよく考えれば我が家でコーヒーを飲んでいるのは父だけだったように思う。そんな家庭で育った私にとってコーヒーは飲み物というより風景の一部でしかなかったのだ。

 

そんなコーヒーを今では私も飲み物として自宅やカフェで楽しむようになった。
そこには明確なきっかけがある。今思い返せばそう思うのだ。あの時のあの瞬間の彼とコーヒーとの出会いが今の私とコーヒーの関係を作っていると。私にとってコーヒーは恋と隣り合わせだった。

* 缶コーヒーと無口 *
ガタンッ!

私の前に立っていた背の高い彼は腰を折って自動販売機の取り出し口に手を伸ばした。彼が手に持っていたのは黒い小さな無糖の缶コーヒーだった。

私の通っていた高校には校内の数カ所に80円均一の自動販売機があった。昼休みになると教室から溢れ出すように生徒が購買に走り、戦利品を抱えて自動販売機で飲み物を買う。そんな景色が日常だった。
ある秋の日の昼、早々にお弁当を食べきった私は友人と一緒に渡り廊下の近くにある自動販売機に飲み物を買いに行った。外の風は冷たくなり始め自動販売機にはホットのドリンクが並ぶようになる。そんな季節だ。到着して見るとそこには数人の男の子がいて、隣のクラスの野球部の男の子達のグループだとすぐにわかった。クラス数が多い為、接点のない人が多い高校時代は、同学年であっても会話したことのない人はたくさんいて、そこに並んでいる彼らとも、無論、会話したことはなかった。
しかしその瞬間に私は凄くドキドキしていた。何故かって、その中に私が一方的に思いを寄せていた彼がいたから。私のすぐ前に並んでいる彼は遠くで見るより背が高くて細くてでも背中が大きい。一緒にいる仲間達と違って言葉数が少なくクールで、たまにこぼす笑顔がたまらなく格好良くて、ほとんど名前しか知らない彼の後ろ姿に、私は胸を高鳴らせていた。

「ラッキーじゃん!」

私の後ろに並んでいた友人が小声で言う。

「ちょっ!、、う、うるさいよっ。」

私の気持ちを知っている友人は面白がって後ろから私の背中を突っついて茶化してくるが、当の自分は気が気ではない。確かにラッキーな展開。そう思う一方で接点がなさすぎる私と彼の間には会話が生まれるはずもなく、私はただドキドキと高鳴る胸の鼓動が聞こえやしないかと、ソワソワするのに必死だった。
そんな彼が自動販売機の一番上の段の右端のボタンを押す。彼の手には私にはあまり馴染みのない無糖の缶コーヒーがあった。

「お前、なんでコーヒーだよ!おっさんくさっ!!」
「そう?結構うまいよ。」

そんなやりとりを残して彼らは去っていく。なんでコーヒー?私も内心そう思った。しかし、高校生が飲むような炭酸飲料やジュース、スポーツドリンクが並ぶ自動販売機の中から、無糖の缶コーヒーを選ぶ彼は、その瞬間私の中で更に特別になった気がした。「かっこいい!」無口でクールな彼に黒い缶コーヒーの缶は驚く程似合っているように私は思った。

「無糖のコーヒーとか変わってるよねー。」
「、、、うん、でも、かっこいい!!」
「話しかければよかったじゃん!」
「それは無理。」

その日の部活の帰り。私は再びその自動販売機に立ち寄り、生まれて初めて無糖のブラックコーヒーを買った。暗闇にぼんやりと光る自販機の明かりの前でかたいプルタブを開け、一口飲んでみる。「まずっ!」私はつい独り言を漏らしてしまい、誰かに聞こえてはいまいかとあたりを挙動不審にキョロキョロ見渡す。初めて飲んだ無糖の缶コーヒーは、強い苦味と酸味、それにアルミの味がしたように思う。正直その当時の私には良さが全然わからなくて、この苦いだけの飲み物を「結構うまいよ。」と言ってしまう彼はやっぱりそこらへんの男子高校生とは一味違う、落ち着いた大人の魅力があるように思い、私も彼と同じようにコーヒーの良さがわかる人になりたいと思った。コーヒーをちびちびと飲みながら帰る帰り道は、いつもより少し胸が踊ったのを今でも覚えている。

* コーヒーと文庫本 *
高校時代のそんなコーヒーに纏わる恋の思い出は、私とコーヒーの距離を一気に縮めた。無口な彼が好きだったコーヒーをその後も冬の間に何回か飲み、やっぱり好きになれなかったけど、事あるごとにコーヒーに目がいくようになっていた。好きな人の好きなものを好きになりたい。そんな単純な恋心こそが、私がコーヒーを飲むきっかけでだった。

その後、大学生になった私の生活にはやはりコーヒーがあった。立ち寄りやすいチェーンのコーヒー店やカフェの増加も手伝って、友人とランチの後にカフェに立ち寄ったり、一人でカフェで休憩をしたり。恋愛に関係なく私はコーヒーを自ら飲むようになっていた。それでもやはり自宅ではコーヒーを飲む事がなくて、どちらかと言えばカフェは私にとって特別な空間で、その当時はオシャレな空間で飲むコーヒーにハマったいたように思う。

ある日の休日、私は好きなアーティストのライブに参戦する為、東京に来ていた。来る度に目まぐるしく移り変わる東京の景色は、田舎に住む私にとっては、とても刺激的でとびきりオシャレな場所であった為、そこにいる自分もなんだかオシャレになった気分になれる。その感覚はカフェでコーヒーを飲む事とどこか似ているような気がした。
ごった返す昼下がりの表参道を裏道にそれ、私はテラス席のあるオシャレなカフェを見つけた。テラスでは、モデルのようにスタイルのいい外国人の女性が二人、犬を連れて談笑していたり、オシャレなスーツに身を包んだおじいさんがカップを傾けていたりと、田舎にはない表参道ならではのオシャレな空気が漂っていた。
その中で私の目に飛び込んで来たのは、テラス席のはじで一人で読書をしている男性だった。シンプルなグレーのトップスに、タイトな黒いパンツを合わせ、ドクターマーチンの革靴を履きこなす。髪はサラリと切りそろえられた金髪で、ヘアサロンの店員のようなシンプルながらも垢抜けた男性だった。一見派手そうな彼は、右手に持った文庫本に視線を落とし、時折白いカップに入ったコーヒーに口をつける。くたびれたちくま文庫の表紙。そんな彼の独特な存在感に私はあっという間に魅了されてしまい、即座に入店を決意した。

店内は昼過ぎという事もあり、食後のコーヒーを求めた客で賑わい始めていた。愛想の良い店員にカフェラテを注文した私は、数分後にカウンターで受け取り、テラス席の彼が見える店内のカウンター席に腰掛ける。金髪の青年と、コーヒーと文庫本。一見ミスマッチな組み合わせをやりこなす彼の醸し出す雰囲気は、オシャレな都会そのものだった。私はここへ来る前に購入していた文庫本の存在を思い出し、カバンから取り出した。コーヒーを飲みながら読書。なんてオシャレなんだろう。私はイヤフォンを耳に当て、思いつく限りオシャレであろう『マルーン5』を邪魔にならない音量で流しながら、彼のいる景色の中で同じようにコーヒーと読書を楽しんだ。

コーヒーには何かを魅力的にする力がある。その頃私はそう考えていた。コーヒーと音楽。コーヒーと読書。コーヒーと男の人。コーヒーは生活と景色を彩る。私の中でコーヒーをそういうアイテムに位置付けたのは、やはり高校時代の無糖コーヒーの彼だったのかもしれない。
父が飲んでいるだけであったはずのコーヒーは、いつの間にかなくてはならない存在になりつつあった。

* 朝食にコーヒーを *
「コーヒー飲む?」
「うん。」
「牛乳入れる?」
「うん。」

私はカウンターの上に置いてあるコーヒーマシンのボタンを押した。コーヒー文化は時代の流れと共に発達し、自宅に居ながらにして美味しいコーヒーを飲めるようにななった。以前はインスタントやペーパードリップが一般家庭では定番だったが、今ではインスタントコーヒーがそのまま使えるコーヒーマシンの登場により、コーヒー豆を買わなくても美味しいコーヒーを楽しめる。前の職場からの送別の品にこのコーヒーマシンをもらってからというもの、家でも毎朝コーヒーを飲むのが日常になっていた。

マグカップに入った出来立てのエスプレッソに牛乳を注ぐと、茶色の泡と白い牛乳がマーブル模様に混ざり合い、混ぜると渦を巻いてやがて一つの色になる。私はそれをぼーっと眺めながらスプーンを回す休日の朝がとても好きだ。

主人と一緒にいつもより遅く起きて、カーテンを開け、窓越しのぼやけた日差しを浴びながらコーヒーを一杯飲み今日の予定を話す。とりあえず洗濯するかとか、午後から買い物に行くかとか、あの映画を見に行くかとか、そんな朝のなんでもない時間がとても心地よいのだ。

一年前に結婚した今の主人は私よりずっとコーヒーが好きで、幼い頃からコーヒーを飲んで育ったそうだ。彼との出会いのおかげで、今までコーヒーは生活と景色を彩るアイテムでしかなかったが、今では自分の好きなコーヒーの味がわかるようになった。

「この前行ったパン屋のサンドウィッチお昼に買いに行かない?」
「いいね。じゃあ、近くにあるあそこのカフェのコーヒーもテイクアウトしようよ。」
「あ、いいね。それ。」
「あそこの酸味があまりなくて好き。」
「そうだね。」

そんな他愛のない会話で、二人の休日の過ごし方が決まって行く。
コーヒーが香る朝。
あ、これって小学生の時の朝の匂いと一緒。
ふと私はそう思うのである。
あの頃、景色の一部でしかなかったコーヒーが、今、私と彼と一緒に景色になっている。

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