コーヒーの香りの彼

学生時代の友達が久々に帰郷したので会うことになりました。
互いの家が私の会社を挟んだ位置にあったので
その日は会社の近くで食事をして楽しい時間を過ごしました。
いつもより3時間ほど遅い人の少ない電車に乗っていると、
どこからともなくコーヒーの香りがしてきます。
会社員も多い路線なのでコーヒーの香りは特に珍しくないのですが座席も空いているような状態なのにとてもいい香りがしてくるので誰か電車の中でコーヒーを飲んでいるのか?!とつい見回してしまいました。
でも皆静かに座っているだけで特に香りの元は見つけられず電車を降りました。

それからしばらくして、私の部署にしては珍しく長い残業がありました。
電車の座席に座り、疲れたなー夕食はコンビニで買うかなーなんて考えていると
私の隣…とは言っても2人分ほどの距離を置いた場所に座る人の気配を感じました。
それと同時に、ほわっと柔らかくコーヒーの香りが…。
そこで先日の事を思い出したんです。
友達と会った帰りの電車でしていたコーヒーのとてもいい香り。
そう、丁度今乗っているのもあの日と同じくらいの時間の電車です。
もしかして、あの時の香りもこの人が?
横目で見てみると、水色のシャツを着てメガネをかけた細身の男性がとても疲れたように頭を垂れています。
落ち着くコーヒーの香りと対照的に電車の動きに合わせて力なく揺れる姿がなんだか印象的。
思わず見入りそうになったところで、ふと我に返り慌てて目をそらしました。
見知らぬ人を見つめていては変な目で見られてしまいますから…。

翌日からもなんとなくあの男性のことが気になりました。
会社員っぽくはなかったけど何をしている人なんだろう?
すごく心地いい香りだったな~。いつもあの電車に乗ってるのかな?
その想いは日に日に強まっていきました。
一週間後、私はもう一度あの電車に乗ってみました。
彼がいる保証なんてないし、彼がいたとしてもどうするわけでもないのに試したくなったんです。
自分でもバカだなーなんて思いながらも時間を潰し、
同じ曜日の同じ時間、同じ車両に乗ればもしかしたら?と期待していたのです。

相変わらず座席がまばらに埋まっているような人の少ない車内を見渡せるように端の席に座りました。
彼が乗ってきた駅は多分私の会社がある駅から2~3個隣だったはず。
1つ駅を超え、ドキドキしながら開くドアを見つめました。
怪しまれないように気をつけながら、ばらばらと出入りする人達をチェック。
…いない。
電車がまた動き出し次の駅へ。
どうせ会えない。もともとダメ元だったんだから期待しすぎるんじゃない私!
高鳴る気持ちにわざとらしくブレーキをかけます。
降りていく人、乗り込んでくる人、閉まるドア。
…コーヒーの香りはしませんでした。
ほらね!やっぱり!何やってんだよ私!ばかだなぁー。
最初からわかっていたんだからがっかりすんなよ!そんな都合よくはいかないよー!
頭の中でぐるぐると独り言を言いながら使い慣れた駅で降りました。
が、未練がましくもう一度自分が乗っていた車両を振り返ります。
端から端まで軽く視線を走らせてみてもやっぱり彼らしい人は乗っていない。
そりゃそうだよねー…
走り出した電車を見送ろうとすると、あっ?!
一瞬、隣の車両に彼が乗っていたような気が…。
気のせい?いやでも多分。いやいやだってそんな…。
耳が痛くなる程心臓がドキドキしていました。

あれは彼だったのか?それとも目の錯覚か?
翌日も同じ電車に乗りました。
今度は曜日が違うから彼は乗ってくる確立はもっと下がったはずだ、期待しちゃいけない。
そもそも昨日彼を見た気がしたのも気のせいかもしれないんだから…。
はやる気持ちを抑え、期待しないようにがっかりしないように自分に言い聞かせる。
1駅、2駅…。
車両内に彼はいない。隣の車両を覗き込んでも見当たらない。
端から端まで歩いてみようか?
そわそわと落ち着きをなくしていましたが、その時の私には人目を気にする余裕もありませんでした。
3駅目に停まるための減速が始まります。
乗ってくるかな?隣に座ったらどうしよう?この格好おかしくないかな?化粧大丈夫かな?
手櫛で髪をさっと整えます。
ホームの人影に目を凝らしながら彼を探すも見つけられない。
彼が乗ってこなかったらどうしよう?!
膨らみすぎた期待が怖くなり、ドアが開いた瞬間私は顔を下に向け目を瞑りました。
彼がいてもいなくても自分はどうしたらいいんだろう?
今更すぎる疑問がわいてきて目を開けることができません。
変な緊張で体がこわばり汗がにじみ出てきます。
怖い、どうしよう、なんでこんな事になってるの?
胃と心臓がきゅーっとなって気持ち悪い。
電車が動き出してしばらく…と言っても多分ほんの数秒後、ふんわりとあの香りを感じました。
がばっと顔を上げてみると、ドアを挟んだ向こう側の座席に彼が!
静かにスマホを弄っている横顔が見えます。
いた!会えた!
こみ上げる感情を抑えようと深呼吸をしたら胸いっぱいにあのコーヒーの香りが広がる。
すーっと嫌な気分は抜け落ち、心地よいドキドキに揺られて私は電車を降りました。

多分顔が赤くなっていたと思います。
ただそこに彼がいるというだけで頬が緩んでしまいそうでした。
あの香りが本当に心地よくて、父に抱かれているような安心感を感じました。
また会いたい。何をしたいとかではなく、もっと彼の顔を見てあのコーヒーの香りに包まれたい。

あれから出来る限り同じ時間の電車で帰るようになりました。
彼は私の会社から3駅隣の駅から、2つの車両のどちらかに乗るみたい。
だいたいの時は目を閉じて電車の揺れに身を任せているかスマホを触っています。
何度か本を読んでいるのを見かけたのですが文庫本ではなさそう。
火曜日はいない。お休みなのかな?
服装はシンプルな物が多くて意外と可愛い靴下を履いている。
毎日小さな発見をしては嬉しくなり、どんどん彼に惹かれていきました。
近くに座れた時は緊張してつい姿勢を正してしまうけど、
やっぱり彼から漂ってくるコーヒーの香りで一日の疲れが癒されるように感じます。

知り合うきっかけもないまま二ヶ月程たった日曜日、好奇心が沸きました。
その日は天気もよく特に用事もなかったので、なんとなく彼がいつも使っている駅の周辺を歩いてみる事にしたんです。
ちょっとだけでも彼を知ることが出来る気がして…。
彼がどんなところにいるのかなーとネットの地図を見た事はありますが、いつも通過するだけで実際に歩いたことはない町。
駅を出ると小さなロータリーの先に少し古びた商店街が続いていました。
地図で見た感じだと駅の反対側は町工場があるような場所なので、とりあえず賑やかで人も多そうな商店街を歩いてみることに。
小さな子供を連れた家族連れや手押し車でゆっくりと歩くおばあさんがいて、
駄菓子屋さんでは子供が買い物をしているのが見えます。
お肉屋さんにはコロッケ揚げますという張り紙がしてあったりと、どこか懐かしく暖かな様子が私の中にある彼のイメージにぴったりです。
彼もこの道を歩いたんだろうなー、このお店で買い物した事があるのかなー?なんて考えながら
ゆっくりと寄り道しながら商店街の端まで行きました。
その先は住宅街のようなので、商店街の周辺を散策しながら戻る事に。
小学校や公園、綺麗な花壇のお家、可愛いわんちゃん、小さなお地蔵様などの穏やかな町並みを通り
やがて線路脇に出たので、そのまま線路沿いに歩いて駅へ向かうことにしました。

駅の手前で小さな喫茶店を見つけました。
緑を基調とした爽やかな店構えからコーヒーの香りが漂ってきます。
私は彼の過ごす町でコーヒーを飲んでみたくなり、そのドアを開けました。
テーブル席は3つのうち2つが空いていて、カウンターでは可愛らしい女性店員さんが母親ほどの年齢のお客さん2人とおしゃべりをしています。
その女性はどこに座ろうか悩む私によかったらとカウンターを勧めてくれました。
静かな音楽の中でサイフォンから聞こえるコポコポという水音がとてもマッチしていて、コロコロと笑う女性店員さんの柔らかい声も素敵でとても居心地がいい…。
カフェラテを頼むと女性は店の奥へ声をかけました。
呼びかけに応じたお店へ出てきたその人は私を見て思わず声を上げました。
よく電車で一緒になりますよね?と微笑む彼に答える私はきっとすごい顔をしていたはずです。
思いがけない出会いの上、彼が私の事を覚えてくれていたんですから。

彼が入れてくれたカフェラテには可愛らしいウサギの絵が書かれていました。
凄い偶然ですねーと笑いかけてくれるのですが、その顔を真っ直ぐ見ることなんて出来ません。
ほんとにビックリですねーなんて当たり障りのない返事をしながら、許可を貰って可愛らしいウサギのカフェラテを写真に撮らせてもらっちゃいました。
サービスにとお店の手焼きクッキーを頂き、
おばさん2人も話しかけてくれて楽しいコーヒーブレイクを過ごす事ができて
毎日でもここに通う!と私はすっかり舞い上がっていました。
カフェラテを全て飲み干してしまい、そろそろ帰らないと迷惑かな?もう少しいいかな?なんて思っているとおばさんからこのお店はもうすぐ閉店してしまうと聞かされました。
どうして?!じゃぁ彼はどこに行ってしまうの??
慌てて尋ねると、結婚を期に別の町に自宅兼店舗を準備していてやっと開店準備が整ったとの事でした。
更に恥ずかしそうに彼は続けました。
新しいお店では奥さんの手焼きケーキも出せるのでぜひ食べに来て下さいと…。
その時はサービスしますねと奥さんもコロコロ可愛らしい笑顔で続けました。

 

勝手に片思いして勝手にこの町に来て勝手に失恋してばかみたいです。
指輪をしていれば既婚者だとわかったのに!と彼を責める気持ちまで出てくる程ショックで、
しばらくは落ち込んで何もする気が起きずあの電車に乗ることもなくなりました。
でも、お店で会わなければ彼は突然私の前からいなくなっていたんですよね…。
何も知らずに電車で彼を探し続ける事になっていたら私はどうしていたのでしょうか?
飲食店で働いていれば指輪をつけない人もいると聞きますし彼を恨むのはおかしいとわかっています。
もし…あの日のあとも電車で彼と会っていれば…友達くらいにはなれたのでしょうか?
彼から感じたコーヒーの落ち着く香り。
彼と奥さんが作る居心地の良いお店。
随分と時間が経ってしまいましたが、彼はまだ私を覚えてくれているかな?
今度は純粋なお客さんとして、
彼が入れた美味しいコーヒーと奥さんが焼くケーキを頂きに行ってみようかな…?”

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