コーヒー断ちの結末

私がコーヒーを飲み始めたのはいつだっただろう。たまには飲んでいたけれど、日常的に飲むようになったのは、高校3年だったと思う。
大学受験のために勉強をしていたので、眠気・疲れに負けないようにと毎日栄養ドリンクを飲むようになっていた。思い込みが激しい私は、栄養ドリンクがあると勉強がはかどるという次元を超えて、栄養ドリンクがなければ勉強ができないほどになっていた。
母は欠かさず栄養ドリンクを買ってきて冷やしておいてくれたが、ついには1日に複数本飲むようになった娘を見て、さすがに心配になったようで、栄養ドリンクは1日1本にしたら?あとはコーヒーを飲んだら?と勧めてきた。
夜更かしと言えばコーヒーか、と納得した私はコーヒーを飲み始め、すっかりはまることになった。栄養ドリンクはよほど疲れた時の最後の砦となり、日常的にコーヒーを飲むようになった。
コーヒーのお陰かはわからないが、無事に希望の大学に合格し、晴れて大学生になった。勉強とバイトとサークルに明け暮れて、不規則な生活の中で相変わらず私はコーヒーを飲み続けていた。
あの頃、楽しいサークルと言えばテニスサークルで、可愛い女の子たちはみんなテニスサークルに所属して、たまにテニスをして、飲み会と合宿を楽しみにしているようだった。
地味な私はそんな華やかなサークルに入る勇気はなく、地味なサークルナンバーワンと噂の歴史のサークルに入った。今なら「歴女」なんていう言葉もあるが、当時はただただ真面目な子が所属する地味なサークルだった。そこで私は人生初めての一目ぼれをした。
サークルの自己紹介に立った1つ上の先輩は、他の人と少し雰囲気が違っていた。歴史好きで真面目なのは間違いないけれど、なんだかゆるい雰囲気を持っていて、私は先輩が気になって仕方がなかった。
地味なサークルながらも飲み会はあって、ある時私は先輩の隣の席になった。隣の先輩が気になりながらも、私は緊張しすぎて、何をしゃべったらいいかわからず、困っていた。

 

まだ未成年の私は、居酒屋でもやっぱりコーヒーを飲んでいた。

先輩は「居酒屋でコーヒー飲んでるなんて、よっぽどすきなんだね。未成年でも普通ウーロン茶とかっじゃない?」と唐揚げをほおばりながら笑っていった。
「受験の時に飲み始めたら癖になっちゃって。一日中、コーヒーばっかり飲んでるんです。」そんな風に答えたように思う。
「コーヒーばっかり?変わってるね~」

そんな会話から、すっかり緊張もなくなり、それ以来仲良く話せるようになった。今思えば、先輩と仲良くなれたのはコーヒーのお陰だったのかもしれない。サークルにはたまり場があって、私は先輩に会いたくて、暇さえあれば、たまり場に通っていた。先輩は留学の準備をしていて、忙しく会えるときは稀だったが、その分会えた時は嬉しかった。「おまえコーヒーないんじゃないの?干からびるぞ。買ってきてやるよ」と缶コーヒーを買ってきてくれることもあり、一人浮かれていた。

先輩から彼女の話を聞くまでは。

ある日、別の先輩に「おまえ彼氏いるの?」と聞かれたので、先輩に聞こえるように少し大きな声で「いません!」と答えた。するとその別の先輩は、私の好きな先輩に向かって「お前、遠恋なんかやめてさ、こいつにすればいいのに。仲いいじゃん」と言った。
「何言ってんだよ、ごめんね」と先輩は謝ってくれた。
そこから先は何を話したか覚えていない。
大好きなコーヒーを飲んでいたのかすら覚えていない。

 

その後、先輩は高校の時から付き合っている彼女がいると他の部員が噂しているのを聞いた。先輩から告白したこと、今は遠距離だということなどを話していた。
予想していなかったわけじゃない。彼女くらいいるかも、と想像してみたことはある。でも、現実に聞くショックは予想以上だった。
彼女は先輩の地元で就職していると聞いた。だから、先輩がが地元に帰る長期の休み明けに会うときが一番つらかった。周りの人達が下ネタまじりで、先輩と彼女について冷やかす発言をするからだ。

 

そして、見たくもない彼女の写真を見てしまったのは、好きになってから2年ほどたったころだった。
先輩と2ショットで写る彼女は、テニスサークルに入っても人気が出るだろうなと思う華やかな女の子だった。
自分とは似ても似つかない、女の子だった。

先輩を好きだということは、同じサークルの女友だち1人にだけ話していた。彼女の写真を見てしまった日は友だちの家に泊めてもらって、泣きながら、いかに彼女が可愛いくて、先輩とお似合いかを力説して友達にあきれられた。
いつもコーヒーを飲まない友だちは私のために、慣れない手つきでコーヒーを何回も入れてくれた。

 

ただのサークル後輩のまま、私は卒業しようとしていた。先輩は大学院に進んでいたから、私の方が先に社会人になることになった。就職先は希望とはかけ離れていたけれど、私は就職難の時代に都内で正社員としてOLになれることにある程度満足していた。
「お前、コーヒーの会社入るのかと思った」なんていう先輩の冗談を聞くことすらできなくなってしまうんだ、ととても寂しかった。
就職したら忘れられるかな、忘れなくちゃと頭では分かっているのに、卒業しても先輩に会えるように、他の先輩や同級生に必死で「飲み会やって下さいね」と声をかける自分が本当にみじめだった。

 

卒業に合わせて、サークルの飲み会が開かれた。そこで先輩は国家公務員の試験を受けると話してくれた。とても頭のいい先輩だけれど、合格は難しいだろうと言っていた。

そこで私はひとりでバカバカしい願掛けをすることを決めた。

先輩が無事試験に受かって就職するまで、コーヒーは飲まない、と。
私は就職して、OLになった。会社ではコーヒーは苦手なんです、と嘘を言って日本茶や紅茶を飲んでいた。コーヒー断ちを始めたころは辛くて、コーヒーを飲んでいる夢ばかり見ていた。
それでも、先輩の為だから、と言い聞かせて頑張った。

 

先輩のことが好きだと知っている友人にはすぐにバレた。「先輩の為にコーヒー断ちしてるんでしょ」と。「バカバカしいからやめな、彼女いるんだよ」とも。
友人の言うことは本当にもっともで、「ほんと私はバカだよね」というしかなかった。コーヒーの苦手な彼女が、ハーブティをいろいろ進めてくれたのが嬉しかった。

 

コーヒー断ちをしていた1年間の間で一度だけ、コーヒーを飲んでしまったことがある。
上司と一緒に得意先に行くことになった。新入社員なので単なる荷物持ちだが、得意先では私にもコーヒーを入れてくれた。
(どうしよう・・・なんとか飲まない方法はないか)と考えたけれど、何も思い浮かばない。得意先で出されたものに手を付けないのは失礼なのではないか。
仕方なく、私は泣きたい気持ちでコーヒーを飲んだ。
大好きなコーヒー。久しぶりのコーヒーだけれど、美味しいとは思えなかった。
(今日のコーヒーのせいで先輩が試験に落ちたらどうしよう)と考えてしまうのがやめられなかった。バカバカしいと分かっているのに。

 

その1年の間で先輩にあえたのはたったの2回。やっぱりサークルの飲み会だった。
積極的に隣に行くこともできず、少し離れた席から、「勉強してるってば」という声が聞こえるだけで幸せだった。
私はコーヒーを飲んでいないことが先輩にバレないように、「最近お酒が飲めるようになったんだ」と大きめの声で言いながら、ビールを飲んでいた。
願掛けは先輩にバレちゃいけない。くだらない使命感に燃えていた。

 

得意先での1杯以外、コーヒーを飲むことなく、時間は流れて、「先輩の就職決定祝いやるよ」というサークル仲間からのメールを受け取る事が出来た。
私は泣きながら友人に電話をし、「先輩受かったって、先輩受かったって」と何度も繰り返し、やっぱり呆れられた。

 

先輩の就職祝いという名の飲み会の席で、こっそり一人でコーヒーを飲もうと決めていた。チェーン店の居酒屋にコーヒーがあるか事前に調べてしまうほど、なぜかその「儀式」にこだわっていた。

飲み会の終盤、トイレに向かう途中で一人でアイスコーヒーを注文し
こっそり受け取ると、心の中で(先輩、おめでとう)と言いながら、久しぶりのコーヒーを飲んだ。居酒屋のコーヒーだけれど、とてもとても美味しかった。
一人謎の儀式に没頭する私の隣に先輩が座った。
先輩の第一声に私は頭が真っ白になった。
「おれのためにコーヒー断ちしてくれてたんでしょ。ありがとう。お陰で合格したよ」
「す、すいません、気持ち悪いことして」
まず思ったことはこれだった。
先輩、彼女いるのに。
絶対気持ち悪いと思われた。嫌われる。

「なんで?嬉しかったよ。〇〇ちゃんがこの前の飲み会で教えてくれたんだ」
と先輩は友人を指さして言った。
彼女は舌を出して手を合わせ、(ごめん)とパクパク口を動かしていた。
「俺ら先に帰るわ」
と先輩は私の手を引いて、すたすたと歩きだした。

「え、なになに二人でどっか行くわけ!?」「なんだよ、なんだよー」と冷やかす仲間の中に「今日はおごるよー」という友人の声がした。
近くの公園のベンチに並んで座った。なぜか先輩は何も話さない。
何を話したらいいかわからず、もう何度も言ったのに「就職おめでとうございます」しか言えなかった。
すると、先輩は私が想像もしていなかったことを言った。
「ありがとう。これからもよろしくね。よかったら付き合ってください」

と。
それから、地元の彼女とは就職試験の勉強中に別れていたことを聞いた。
そして、友人から私のコーヒー断ちのことを聞いて、就職が決まったら、付き合ってほしいと言おうと決めて頑張ったことも。

夢のような告白から、もう10年以上が経ちました。
今では、先輩と結婚し、子供も生まれました。
結婚式では、友人が代表でスピーチをし、「普通、付き合ってもいないのに就職の願掛けでコーヒー断ちなんてします?ちょっと気持ち悪いですよね」と話し、笑いを取っていました。

先輩改め主人から「ママ、そのコーヒー、今日何杯目??」と呆れられる、幸せな毎日を過ごしています。

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