コーヒー農園のひーちゃん

【ボクはまたブラジルに行きたいです。】

浩介は小学4年生の時に夏休みの宿題として書いた作文を見つけた。
そこには右に左に揺れるお世辞にも綺麗とは言えない文字でブラジルの思い出が綴られていた。
懐かしくも恥ずかしくもあるその原稿用紙には今の浩介を形作るきっかけが詰まっていた。

時は今から約20年前。
浩介の父の従兄が仕事の関係で2年間程ブラジルに住むこととなった。
そこで浩介一家は初の海外旅行として夏休みを使い遊びに行くことにしたのである。

【ブラジルのおじさんの家のまわりをたんけんしていてブラジル人のひーちゃんと友達になりました。】

ひーちゃんというのは浩介が付けたあだ名であった。
現地の言葉などわからない浩介には彼女の名前を上手く発音できなかったので
そこがコーヒー農園であった事と彼女の肌が綺麗な褐色でコーヒーのようだということ、
それに自分が“こーちゃん”と呼ばれていた事を合わせてそのあだ名をつけた。
二人合わせればコーヒーだ!
小学生らしい短絡的で可愛らしいあだ名であった。

 

ずっとひーちゃんと呼んでいたので浩介はブラジル滞在中最後まで彼女の名前を覚えることはなかった。
が、二人の波長があったのか毎日一緒に農園内を駆け回っていたのだ。
言葉は通じないがそこには確かに友情が育まれていた。

ひーちゃんの年齢はわからないがおそらく浩介の2~3歳上というところだろう。
美人が多いといわれるブラジルらしく、子供らしくも整った顔立ちをしていた。
大きな口を開けて白い歯を見せ笑う顔がとても愛らしく、
まるで子犬のように木々の間を走り回っていた。
浩介は初めて会う黒い肌の少女にすぐ心を開き始めた。それは彼女の懐っこさがなせる業だったのかもしれない。

日本とブラジルでは地球を挟んで反対側に位置しているため、二人が出合った8月のブラジルは冬の終わり頃。
暖かい地域とは言ってもまだ肌寒くもあった。
そして丁度コーヒー収穫の終盤時期でもある。
大人たちが長袖を着てコーヒーの木からその実を収穫する周りを
二人は汗が噴出すほどに走り回りじゃれあっていたのだ。
その時の浩介は家族と観光に行くよりもひーちゃんと走り回るほうが何倍も楽しく感じていた。

【コーヒーはさくらんぼのような丸い実の中にあるタネなんです】

コーヒー豆を見たこともなかった当時の浩介にとってひーちゃんのコーヒー農園は興味深いものでいっぱいだった。
家族で営んでいる小さな農園での収穫は手作業で行われていた。
大規模な農園だと機械を使っての収穫となるのだが、勾配の激しい土地や狭い農園では手作業で行われるのだ。
機械で大量に収穫するのとは違い、熟した実を手で摘み取っていくため質のよい豆が取れる。
そして熟したコーヒーの実は赤く丸く、膨らんだその姿は小ぶりなアメリカンチェリーのようでもあった。
ひーちゃんの父親に促されて口にしたその実はとても甘く、コーヒーの苦味からは想像できない味である。
浩介はコーヒーの実をいたく気に入り、日本に帰ってからも両親にねだった程だ。

 

そんな楽しい日々はあっという間に過ぎていった。
日本へ帰る日も浩介は時間ぎりぎりまでひーちゃんの隣にいた。
「まだひーちゃんと一緒にいたい、まだ帰りたくない」と静かに泣く浩介に何かを感じ取ったのか、ひーちゃんはただ静かに浩介の手を握っていた。
言葉が通じないので電話で話す事も出来ない。だから手紙を書くと約束した。
ひーちゃんに通じていたのかはわからないが、必ず会いに来る。一人でだって来るからまた一緒に遊ぼう!また一緒にコーヒーの実を食べよう!と約束をした。

帰国後浩介は親に教えてもらいつつどたどしい字でひーちゃんの本名を書いた。
とはいえ両親だって現地の言葉はわからないため、代筆することはできない。
帰国前に教えてもらった宛先を封筒に書く事しか出来なかった。
それでも浩介はひーちゃんの顔や日本での出来事をイラストで描き、調べた単語を添えて手紙を送った。
手紙は片道一週間ほどかかって届くため、返事が来るのは投函してから半月以上後だ。
場合によってはもっと日数かかかったので、2ヶ月に2~3通のペースでのやり取りとなった。
そんな二人の文通は新しい春を迎えても続いていた。
ひーちゃんからの手紙は浩介にとっての宝物だった。
何通も送り、何通も届く。遠く離れ別の日常を送りながらも二人の友情は続いたのだ。

【来年の夏休みもボクはひーちゃんに会いに行きます。】

一つ歳をとった浩介は夏休みを心待ちにしていた。
ひーちゃんはどれくらい身長が伸びただろうか?
自分があまり伸びなかったのでひーちゃんだけがうんと大きくなっていたら嫌だな…
なんて考えながら、再びあのコーヒー農園を二人で駆け回る日を夢見ていた。
両親も8月になればまた行こうと予定を立てていたため、浩介の心はすでにブラジルの地へと向かっていたのだ。

 

しかし、夏休みに入った頃母親の体調が優れず検査入院をする事に。
検査結果は命に関わるような悪いものではなかったが、経過を見なければいけない母を置いていくわけにもいかず遠く離れたブラジルへ行く事はできなくなった。
ひーちゃんに会える日を指折り数えていた浩介であったが、子供ながらに我侭を言う事もできず諦める他なかった。

やがて父の従兄のブラジル滞在も終わりの時を迎える。
その後、浩介がいくら望もうと家族でブラジルへ行く事はなかった。
ひーちゃんとの文通は徐々に頻度を落としながらも中学に入学するまで続いたが、
中学に入れば新しい環境で新しい友人に囲まれ勉強も部活も格段に忙しくなり、気付けば送る事も届く事もなくなっていた。
浩介の中であのコーヒー農園で過ごした短い日々は過去の思い出へと変わっていったのだ。

 

やがて成長した浩介は高校卒業後の進路で悩んでいた。
なんとなく外国での仕事に興味はあったが、特にやりたい事があるわけでもなく進学か就職かも決めかねている。
周りの友人は次々に目指すべき進路を決め、目標に向かい取り組み始めていて焦りだけが募っていった。

休日に気心の知れた友達と“気晴らし”という言い訳で遊びにでかけるも話しは自然と将来についてが多くなってしまう。
どこかで休みながら話そうかとなり、浩介はそこから見えるこじんまりとした喫茶店を指差した。
「またか~?俺今金欠なんだよー。」
友人の一人がわざとらしいため息をつきながら笑う。
高校生のお小遣いではファミレスやファストフード、時には自販機やコンビニで飲み物を買って公園に座り込むのが定番だが浩介はいつも喫茶店へ行こうとするのだ。
それも全国チェーンの手軽なお店ではなく、本格的なコーヒーが飲める個人経営の喫茶店を好んだ。
友人達も懐が許す限りそんな浩介に付き合ってくれた。
「お前ってほんっとコーヒー好きだよな。」
幸せそうにカップを傾ける浩介をまじまじと見て友人が言う。
「だって、うまいじゃん。店によって味も違って面白いしさ。」
そう返しながらも浩介は自分のコーヒー好きを改めて考えた。
いつからこんなにコーヒーを飲むようになったのか?
どうしてこんなにコーヒーが好きなのか?
なぜ小遣いを切り詰めてまで喫茶店でコーヒーを飲むのか?
その先には愛らしい女の子の笑顔があった。

 

もう一度会いたかったけれど、叶うことなく離れてしまった遠い国の女の子。
はっきりと顔を思い出すことも出来なくなってしまったけれど、心の片隅に今も彼女がいるのだ。
日本ではなく海外で働きたいという思いも、紐解いてみればブラジルへ行きたいという気持ちからきているらしい。
それに気付いた瞬間、もう一つわかったことがあった。
幼かった浩介が抱いた淡い恋心。
言葉も通じない異国の少女が浩介の初恋の相手だった。
自覚したと同時に自分の未来が見えた気がした。いつかブラジルへ行く。コーヒーに関わる仕事がしたい。

―そして現在。
浩介はコーヒー豆の輸入を行っている貿易商社に勤務している。
なんとなく力を入れていた英語を本格的に勉強すると共にブラジルの公用語であるポルトガル語を学び、貿易実務検定も取得した。
人との交流をスムーズに行えるよう大学時代から様々なサークルやボランティアにも参加し、交渉術を学べればとアルバイト先は法律関係の事務所を中心に選んだ。
もちろんセミナーなどへも積極的に参加した。
進む道を決めてからの浩介は実に意欲的で周囲の人間が驚くほど真っ直ぐであった。

浩介は入社以来の努力が実り、念願叶って希望の部署へと移動した。
そしていよいよブラジルへの出張が決まったのだ。
持って行く荷物を鞄に詰め終え、ついでにと空いた時間で部屋を掃除しはじめた。
国内の出張は何度も経験しているが国外へ行くのは初めての事。
先輩と一緒だとはいえ緊張しないと言えば嘘になる。
出発を翌日に控え、期待と不安が入り混じり何かしていないと落ち着かないのだ。
そうして押入れの中を整理していて一枚の紙を発見する。

【また一緒に遊ぼうね、まっててねって約束をしました。】

約20年前に書いた拙い作文。
黄ばんだ原稿用紙の中に書かれている気持ちは今もなお浩介の胸の中にある。
彼女は今どうしているだろう?
あの可愛らしい笑顔は今もブラジルの陽を浴びて輝いているだろうか?
自分の事などもう忘れてしまっているだろうか?
今回のブラジル出張ではひーちゃんの農園へ行く時間はないし、そもそも住所なんて覚えていない。
「あの手紙ってどこにあるんだろう?」
急に訪ねるほど不躾でもない。
まずは手紙を出してみよう。今度はポルトガル語でひーちゃんにもわかる言葉で。
どうせこれからブラジルへは何度も行くことになるんだから。
「かーさん!あのさー、昔俺が文通してた・・・」
何年もの時を経て、会いたいと言われたら彼女は驚くだろうか?
それでも、もう一度会ってあの時の時の約束を果したい。

【ボクはまたひーちゃんと一緒にコーヒーの実を食べます。】

幼い日のたった一夏の出会いが浩介の人生を決めた。
甘い実を頬張った初恋は深みのあるコーヒーの香りとなり、筆を走らせる浩介の手元に今も置かれている。
『ひーちゃん、あの日の事を覚えていますか?』”

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