タンブラーが引き合わせた恋

私はコーヒーが大好きだ。特に朝のコーヒーは格別だ。コーヒーを飲まないと一日が始まらない。
私は埼玉にある実家から都内にある勤務先まで電車通勤をしていた。
大学を卒業して初めて朝の通勤電車に乗ったときの衝撃は忘れられない。
ぎゅうぎゅうに押し込められて身動きも出来ないし、痴漢かなと思う人もたくさんいた。


都内で一人暮らしをする勇気もなかった私は、早起きして空いている電車に乗って通勤をしていた。
起きたら着替えてお化粧をして「いってきます。」、すぐに駅まで走る毎日でした。
家でゆっくりコーヒーを飲む時間はありませんでした。

 

勤務先の近くにコーヒーショップがあった。
朝の8時前には着いてしまうので、このコーヒーショップでゆっくりするのが日課となった。
この時間は私にとってなくてはならない時間だった。
仕事へとスイッチする時間、自分のことを考える時間、今日の仕事内容を確認する時間。
コーヒーの匂いに包まれながら過ごす時間は格別だった。

 

大学を卒業して就職した会社はいろいろあって退職した。
再就職をしないといけないとはわかっていたけど、少し休みたかった。
すぐ就職が決まるとは思えないし、ゆっくりじっくり自分に合う会社を探したかった。
まず自分が何がしたいのかわからなくなっていた。
次の会社までの繋ぎとしてバイトをしようと思った。
バイトするならコーヒーショップと決めていた。大好きなコーヒーに包まれたかった。
コーヒーの種類も覚えられるし、味も全て覚えたいと思っていた。
そしてなぜか落ち着く空間というか、落ち着く空気があった。

 

コーヒーショップのバイトは覚えることがたくさんあった。
それでも好きなことだったので苦にはならなかった。
勤務は朝早くからお昼すぎまでの時間帯を希望した。
やっぱり混んでる通勤電車には乗りたくなかった。
通勤で混雑する前に電車に乗りたかったからだ。
朝の時間帯は会社へ出勤前のお客さんがコーヒーショップにたくさん来る時間帯だった。
コーヒーをテイクアウトするお客さんはとても急いでいて素早い対応を求められた。
私が会社員だったころのように朝からのんびりと自分の時間を楽しんでいる常連客もたくさんいた。

 

「いらっしゃいませ。今日は少し早いですね。」とカウンター越しにお客さんとちょっとした会話が出来るくらいに慣れた頃だった。
「よかったら、今度一緒に夕飯でもどうかな?」と常連客から食事の誘いを受けた。
彼は私より10歳以上も年上で毎日ホットコーヒーを飲みながら新聞を読んだり仕事の書類を読んだりしている会社員だった。
ちょっとおじさんって思ってて、全く意識していない相手だったのでちょっとびっくりした。
「夕飯か。どうしよう。」と一瞬躊躇したが、私はおいしいものをご馳走してもらおうという軽い気持ちでOKした。

 

土曜日の午後に駅で待ち合わせをしたら、彼は車で現れた。
「似合うかなと思って。」といきなり花束をプレゼントしてくれた。なんか素敵だなと思った。
そして、郊外へドライブをしてイタリアンレストランで食事をした。
コースを予約してくれていた。前菜、パスタ、メイン、デザート、コーヒーと全ておいしかった。
今日の食後のコーヒーも彼はホットコーヒーだった。
「いつもホットコーヒーだね。」と聞くと、「僕はホットコーヒーしか飲まないホット派。」
「私も一緒。ホットコーヒーしか飲まないホット派。」と言うと彼は笑っていた。
彼はコーヒーショップ近くの建築関係の会社で仕事をしていて、私がバイトをする前からの常連だと話してくれた。
すごい年上と思っていたけど、話をしていると年の差は感じなくなっていた。
食事の後に海沿いを散歩したときにはすっかり恋に落ちていた。
この日から交際がスタートした。

 

交際がスタートしてからのコーヒーショップの仕事は大変だった。すっかり好きになっていた私は、彼が入って来ただけで顔が真っ赤。
顔が赤くなりすぎてどこかに逃げ出したい気持ちだった。
周りのバイトの人もすぐわかるくらいで、仕事にならない日々が続いた。
それでも毎朝、彼と会えるのがとても幸せだった。
朝の30分だけでも同じ空間にいることができたから。

 

翌週の土曜日は彼は接待ゴルフだったので、2回目のデートは日曜日に映画を観にいった。
彼と会う時間まで何度もトイレへ行って化粧を直した。
待ち合わせ場所で彼を見ただけで、顔が真っ赤になって、しばらくまともに話せなかった。
まずは映画で良かったと思った。
私は花束のお礼に彼にプレゼントをしようと思った。
コーヒーのタンブラーを選んだ。大人な彼にはステンレスのシンプルなタンブラーが似合う。
映画の後に彼にタンブラーをプレゼントをしたら、「これかっこいいね。ありがとう。」と言って喜んでくれた。
実は彼には内緒で私もお揃いのタンブラーを買っていた。なんか恥ずかしくてお揃いだなんて言えなかった。

 

私は彼を「けんさん」と呼ぶことにした。彼は「ふーちゃん」と呼んでくれた。
彼は三軒茶屋で一人暮らしをしていた。彼のアパートで週末を過ごすことも多くなった。
デートを重ねていくと彼が結婚を意識しているのが何となくわかった。
彼のことは好きだったけど、私はまだ結婚をする気になれずにいた。
同い年の友達が結婚しているのを見て「なんでだろう?」と不思議だった。
海外へももっと行ってみたいし、習い事もしてみたいし、まだまだやりたいことがたくさんあった。
この頃からけんさんと気持ちがすれ違ってきたのかもしれない。

 

私はバイトをしながら、少しづつコーヒーの奥深さに惹かれていった。
高校のころから英語が好きだったので、コーヒーなど海外のものを扱う輸入食品の仕事に興味がでてきた。
バイトの帰りにハローワークへ行って会社探しをするのが日課となっていた。
英語の勉強も再開した。TOEICを何度受けても650点しか取ることができなかったのであきらめていたけどもう一度勉強をしてみようと思った。
そして、コーヒー、ナッツ、クッキーの輸入食品を主に扱う貿易商社に応募をし面接試験を受けた。
なんと初めて受けた会社で採用となった。
「けんさん、私ね受かったよ。」と電話をしたら、彼は「すごい。良かったね。けど毎朝コーヒーショップで会えなくなるのは寂しいな。」と言っていた。
私も同じ気持ちだったけど、何も言えなかった。

 

私はコーヒーショップを辞めて、貿易商社に就職をした。
私は新しい会社に慣れるように頑張った。覚えることが多いし、わからないことばかりで、私は心に余裕がなくなっていた。
同じ頃、彼も部署が変わりお互いに忙しくなり、だんだん会う機会が減り結局別れてしまった。
彼のことは好きだったけど、私は結婚に興味がないし、一緒にいても申し訳ないなと思っていたから良い機会だった。

新しい会社の近くにもコーヒーショップがあった。
朝8時に着いて、コーヒーショップでゆっくりするのがまた日課となった。
やっぱりこの時間は私にとってなくてはならない時間だった。
今日の仕事内容を確認する貴重な時間。
コーヒーの匂いに包まれながら過ごす時間は格別でした。
けれど、スーツ姿の会社員が入ってくると、ふと見てしまう自分がいた。彼の面影を追っていた。
電話してみようか、メールしてみようかと何度も思ったけど勇気がなかった。
彼とお揃いのタンブラーはお守りのようにいつも私と一緒にいた。

 

貿易の仕事はとっても充実していた。すっかり仕事にも慣れ、英語を使って取引先とメールすることにも慣れた。
仕事仲間とも仲良くなり、長い休みの度に海外旅行へ行った。
スーパーマーケット巡りをしたいという共通の趣味があったから楽しかった。遊びに行っても仕事の視察のような旅行ばかりだったけど。
アメリカ、フランス、イギリスと何カ国も旅をした。

 

そんな充実していた時だった。以前働いていたコーヒーショップで休みの日に友人と待ち合わせをした。
バイトを辞めてから行くのは初めてだった。店長もバイトもすっかり変わっていて知っている人は誰もいなかった。
店内は変わらずで「わあ。あの時のままだ。」とうれしくなった。
インテリアも椅子もテーブルもあの時のままだった。
待ち合わせの時間より早めに行って、思い出のタンブラーと一緒に自分の時間を楽しんでいたそんな時だった。
偶然再会してしまった。
タンブラーを持って席を探しているけんさんに。

 

時間が止まった。
何秒見つめ合っていたのかわからないくらい。
「ふーちゃん、久しぶり。元気だった?」と彼が言った。
「貿易の仕事はどう?」と。
私は「うん。」しか言えなくまだ何が起こったか理解できないでいた。
「今日はどうしたの?待ち合わせ?」と彼が言った。「うん。友達と。けんさんは?」
「今日は休日出勤。部署変わってから忙しくてね。あれ。そのタンブラー僕と同じ?」
「うん。実はお揃いで買ってて、、、。けんさんもまだ使ってるんだね。そのタンブラー。」
「うん。まだ忘れられなくてね。」
「えっ。本当?」と私は聞き返した。
「本当。」
「私も。」と私は答えた。
「僕、夕方6時には仕事が終わるからその頃会えないかな?」
「うん。じゃ夕方6時にここで待ってるね。」と約束をした。

 

彼と再会して一緒に食事をしながら話していると、2年も会ってないなんて感じなかった。
けんさんはあの頃とぜんぜん変わってなかった。とても楽しかった。
私たちはお互いにまだ気持ちが残っているのを確認した。
「ずっと気になってた。ずっと好きだった。」と私も勇気をだして伝えた。
彼のスーツは変わらずコーヒーの匂いがした。
私の大好きな匂いだ。

 

私にはもう迷いはなかった。彼とまた離れたくなかった。
私たちは再会してすぐに結婚を決め、デートの度に結婚式場巡りをした。
お互いの両親に結婚の挨拶もした。
結婚式場はなかなか決められなかったけど、引き出物はもう決まっていた。
「ステンレスのタンブラー」だ。
私たちをまた引き合わせてくれた幸運のタンブラーだ。

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