チャラ男とアイスコーヒー

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私は新宿歌舞伎町のカフェでバイトをしている22歳のフリーター。名前は桃花。
可愛い名前だけど、私は可愛くない。髪は地毛の黒、後ろで長い髪を一つに束ねている。眼鏡をかけている地味女子。少しコミュ障的な所があって、人と話すのが苦手、カフェで働き始めたのは、この内気な性格を直して、彼氏を作ろうと思ったから。
なぜ歌舞伎町を選んだかって? なんか楽しそうだったから。歌舞伎町ってちょっと危険で猥雑な感じがいいと思ったから。オシャレな代官山や原宿のカフェは、自分みたいな喪女は無理。オシャレ人間たちに気後れして、さらに自己嫌悪に陥ってし舞うのがオチ。
自分では「カフェでバイト」なんてカッコいいこと言っているけど、日本中どこにでもあるチェーン店。正直言ってしまうと、バイトの面接に10回以上行ったけど、そこしか雇ってもらえなかったから。
接客はマニュアル化されている。制服は既定のもの。

 

バイトはフリーターや学生ばかり。バイトはコーヒーはいくらでも無料で飲んでいいと店長から言われている。コーヒーなんてせいぜい1日3杯が限度。正直、値段が値段なので、すごく美味しいコーヒーとは言えなかった。豆をまとめてガーッとでかい機械でひいて、朝一でアイスコーヒー用のすごく濃いコーヒーをジャグいっぱいに淹れる。コーヒーを淹れるというより、機械的業務だった。自分はコーヒーは、どちらかというとあまり飲まない方だった。
仕事内容はつまらないけど、お客さんを見ていて飽きない。歌舞伎町という土地柄、水商売のお客さん、外国人、変わったお客さん、色々なお客さんが来る。実は、私の趣味の一つは人間観察。
開店は朝の6時。開店早々のお客さんはホストクラブのホストさんグループ。4、5人の団体で来て、コーヒーとパンを買って、店内で食べる。とにかくうるさい。リーダー格の背の高いホストさんはひっきりなしに喋っている。「歌舞伎町で生き残るのはやっぱり金だ」とか「歌舞伎町のルール」とかヤンキー漫画みたいなことしゃべくりまくっている。地方から上京してきたんだろうな。少し訛りがある。ホストさんのオーダーを取る時、私は「は、はい」とおどおどしてしまう。大勢で来るから、注文の品数が多くなるからレジ打ったり、コーヒーやパンの用意をする人にオーダーを伝えるのが大変なのだ。そんな、とろい私にもホストさんは優しい。

 

「がんばってや」と大阪弁で励ましてくれたイケメンのホストさんもいた。ドキッとしたけど、ホストさんには恋はしなかった。
迷惑なお客さんは、何時間も居座る人。それも常連。無職のおじさん。いつも同じ作業着で来る。ぜったいこの人、仕事してない。安いアイスコーヒー1杯で2時間以上も居座る。先輩がその人のグラスを片付けようとすると、まだ飲みかけと言って拒否する。溶けた氷で薄まったコーヒーが少し残っているだけなのに。
あと、オバサンも迷惑だ。列に割り込んだり、オーダーしている途中で気が変わって「やっぱりそれやめて、こっちにするわ」、なかなか注文が決まらない。他のお客さんのサンドイッチを勝手に自分のだと思って間違って、持って帰ったときは、さすがにイラっとした。
このカフェでバイトしているのは、大学生やフリーターばかりだ。彼氏ができるような職場の雰囲気ではない。
お店に来るサラリーマンの人たちも疲れている人が多い。営業の外回りの途中の休憩なのか、ぐったりしながらコーヒー飲んでいる人を見ても、全然ときめかない。
たまにお店にくる水商売の女の人たちを観察する。水商売のおねえさんたちは、閉店前の9時ごろ来る。出勤前なのかどうかはわからない。おねえさんたちのメイクや服は派手だけど、よく見てみると超絶美人はいない。女の人って、髪型やメイクで女を盛れるんだなと思う。自分もメイクしたら、もてるだろうか。自信がつくだろうか。このカフェでバイトしている限り、派手なネイルや髪型はできない。規則でダメなのだ。
私もまだ22歳。もっとおしゃれして、女磨いて、恋愛してみたい。生まれてこのかた彼氏ができたことはない。高校の時、好きな男子もいたけど、告白なんてできなかった。どうせ自分なんて無理って思っていた。
お水のお姉さんたちは、恋愛のプロなんだろうな。そうじゃないと常連のお客さんをゲットできない。自分ももっとトークができて、明るい性格だったらいいな……そんなことをバイトしてながら考えていた。
ある日、バイトの帰り、歌舞伎町の大通りを歩いているとスカウトマンに声をかけられた。
「よく、ここ通るよね」金髪に髪を染めたチャラい感じの男の人だった。そういえば、ここの通りで女の子によく声かけて、無視されている人だ。歌舞伎町の路上のスカウトマンは、風俗関係のスカウトだって、私でも知っている。
「は、はい」なんか変な人に声かけられちゃったな。スカウトかな。あわわわ。
「どこのお店で働いているの?」にっこり。
「ああああ」言葉がとっさに出ない。
「そっか。あ、スカウトじゃないから緊張しないで。どこで働いているのかな〜いつも疑問に思っていたから」
チャラチャラしてウザい。黒いスーツに、花柄のネクタイ。うわっ派手。
「どういう意味ですか?」ムカッと来た。
「水商売ぽくないし、地味っていうか、なにやってんだろうと思って」ニヤニヤして私の顔を覗き込む。
つまり! やけに地味な私は、歌舞伎町で浮きまくっていたということだ。
「名前なんていうのかな?」営業スマイルを浮かべてスカウトマンは聞いてきた。
「水谷桃花」つっけんどんに答えてやった。名前だけは可愛いので自信があった。

 

その日から、その人は私を見かけるたびに「よっ! 桃花ちゃん、元気?」とか「お疲れさまでーす」とか声をかけてくれるようになった。
私をスカウトする気はないようだ。名刺もくれない。ただ名前だけは教えてくれた。
鈴木まさしという名前。本名かどうか知らないけど、まさしさんは、29歳で、福岡から上京してきた。東京に来た理由は教えてくれなかった。
ある日、まさしさんが私がバイトしているカフェにやってきた。私は、洗い場でグラスやお皿を洗っていた。
カウンター越しに「桃花ちゃん!」と声をかけてきた。
レジで注文取っていたフジオカがぎょっとして、私とまさしさんを交互に見た。

テーブルを拭きにホールに出ると、まさしさんが手招きする。
「遊びにきたよ!」とにっこりするまさしさん。
まさしさんと、立ち話していると、フジオカに怒られた。仕事さぼってないで、テーブル拭けと。
その日から、ちょくちょく、まさしさんが店に来るようになった。
見るからに派手なまさしさんと地味な私。バイトの人たちの間で噂になった。
嫌な噂の方が多かった。
スカウトマンと付き合っているとか、深夜は水商売の店で働いているとか、ヤバイとかどうでもいいことばかり。
まさしさんに会えることが楽しかったから、バイト仲間の悪意のある噂話なんてどうでもよかった。
まさしさんは、アイスコーヒーしか頼まなかった。外でスカウトしていると暑くて、のどが渇くからアイスコーヒーばかり注文するのかと思っていた。ある日、まさしさんが言った。「福岡で、ブルーマウンテンの美味しいカフェがあるんだよね。桃花ちゃんと行きたいなあ〜」
ブルーマウンテン? なにそれ? 自分は自称カフェ勤めだけど、コーヒーに関しては何も知らない。恋も何も知らなかった。
クリスマスの前、まさしさんが言った。
「俺、福岡に明日帰る。福岡で仕事探す」
「え?」あまりにも突然なことで、注文のコーヒーを落としそうになった。
「やっぱ東京は好きになれないし、このまま歌舞伎町でだらだら働いていてもしょうがないから」
そんな……。せっかく仲良くなれたのに。
「桃花ちゃんが淹れてくれるコーヒーも飲めなくなるなあ」まさしさんがつぶやいた。
寂しい気持ちとともに胸がどきどきする。
私、まさしさんのこと好きなのかもしれない。その時、気が付いた。
でも、告白する勇気もなかったし、もう遅かった。
次の日から、まさしさんがお店に来なくなった。まさしさんは、もう歌舞伎町にいない。働く気力が失せた。バイトもつまらなくなった。
正直、お客さんが、このカフェに来る理由は、値段が安い、コーヒーの提供時間が速いということだけだと思う。手軽に飲んでさっさと仕事に出かけるとか、立地条件とかそんな理由。こういうお店も忙しい人のニーズに合ってるから、お客さんがたくさん来る。そんなの最初から分かってたけど。
まさしさんが店に来てくれた理由ってなんだったんだろう。安いからって理由だけじゃないんだろうな。
まさしさんにメールした。「どうして、うちの店によくコーヒー飲みに来てくれたんですか?」
3日後、まさしさんから返信が来た。
「お店に通った理由? えーと、桃花ちゃんが好きだったからだよ。歌舞伎町は俺みたいなチャラ男がいっぱいいるから、他の所できちんとした仕事探せ! 俺からのアドバイス。 まさしより」
なにそれ……だったら、告白しておけばよかった。でも、「好き」ってただの営業文句とかかもしれない。まさしさんは、チャラ男だったけど、根は真面目だったよね。
まさしさんに言われた通り、カフェのバイトは辞めた。
正規の仕事を探すため就活を始めた。目標は、きちんと就職して、お金を貯めて、まさしさんに会いに福岡に旅行に行くこと。福岡で、美味しいコーヒーを2人で飲むこと。そういえば、うちの店、カップルとか恋人同士で来ている人たちは滅多に見かけなかった。お一人様が仕事のグループが多かった。

 

つまらなかった毎日がまさるさんのおかげで夢と目標を持てるようになった。
単に一人で舞い上っているだけかもしれないって冷めた目で自分をみることもある。あまり好きじゃなかったアイスコーヒーも最近好きになってきた。就活の途中でコーヒー店によることが多くなった。アイスコーヒーを飲むと、まさしさんのことを思い出す。面接落ちるのはきついけど、アイスコーヒーで元気がでてくる。
チェーンのコーヒー店も、そんなに悪いもんじゃないと最近思えるようになってきた。

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