バッハとコーヒーの関係とは?

J.S.バッハといえば、楽器が持つ限りない可能性を引きだした、ドイツの巨匠で偉大な作曲家でもあります。
そんなバッハとコーヒーにはどのような関係があるのでしょうか。
バッハは、音楽を神に捧げるだけでなく、演奏の場を「教会」から「コーヒーハウス」にまで広げた人物でもあります。

ドイツのライプツィヒの街にあった「ツィンマーマン・コーヒーハウス」という名の店で、1729~1737年、1739~1741年の間、
毎週金曜日の夜にライプツィヒ大学の学生を率いて「コレギウム・ムジクム」という演奏団体の指揮をしていました。
当時は、教会や王侯貴族の館等に演奏の場が限られていた為、コーヒーハウスで開催されるバッハの演奏会は、一般の人たちにとって貴重な音楽鑑賞の場であったと考えられます。

当時のコーヒー事情は現在とは全く異なるものでした。ロンドンのコーヒーハウスは女人禁制となっており、バッハが生きていた時代のドイツでも「女性はコーヒーを飲むべきではない」とされていました。
そんな風潮に反発する女性の声を代弁したのがピカンダーという詩人でした。
「おしゃべりをやめて、お静かに」(1732年頃)という、当時のコーヒー事情を風刺して書かれた作品は、
娘のコーヒー好きをなんとかやめさせようとする古風な父親の奮闘ぶりが詠われたコミカルなやり取りの内容になっています。
1734年頃、バッハがこの作品に曲をつけて、今では「コーヒーカンタータ」と呼ばれています。
バッハは、1750年に亡くなりましたが、その遺産リストの中には、楽器や楽譜と並んで、5つのコーヒーポットとカップ類が含まれていました。
楽器の個性を深くみつめたように、コーヒーの味わいもききわけていたのかもしれませんね。

ドイツは、ザクセンとプロイセンとの「7年戦争」を経た後、更に他国と異なる独自のコーヒー事情を歩んでいくことになります。
7年戦争が終結した1736年、ザクセンはプロイセンの手に落ちます。プロシア(現在のドイツ)フリードリッヒ大王の統治下となり、
大王は、戦禍で荒廃した領土を復興させる為の外貨を稼ぐ手段として経済政策を推進したものの、コーヒー生豆を購入する為に外貨が、国外へ流出することに悩まされていました。

コーヒーの消費を減らす為にとられた策が、コーヒーを「贅沢品」とし、医者にコーヒーは身体に悪いと言わせたり、女性にとって
コーヒーは良くないと吹聴したりすることでした。
裕福な階層の人々は自らの富みを誇る手段として、値の張るコーヒーカップや銀器を手に入れることに専念したそうです。
そんな裕福な人々でも贅沢品であるコーヒーは思うように飲むことが出来ずに、薄める為にお湯で割って飲むスタイルが主流になっていきました。
色の薄いコーヒーを注ぐ為、カップの底に絵柄をつけたマイセンのカップが流行るようになり、そんなコーヒーを、
「小花コーヒー(Blumchenkaffee)」と呼び、特権階級の人々は楽しみました。

そんなことがあっても、コーヒー消費量は増加していき、ドイツは植民地を持っていなかった為、一方的な通貨の海外流出へとつながり、国益を悪化させる一方となりました。
フリードリッヒ大王は1777年9月13日に「コーヒー禁止令」を布告し、1781年には「王室以外でのコーヒーの焙煎を禁止」とし、コーヒーは貴族や司祭、将官といった上流社会のみが独占するものになってしまいました。

それでも、コーヒーを愛してやまない民衆の中には許されないとわかっていても、こっそりとコーヒーの焙煎を行う者がいて、不法な焙煎を取り締まる役人まで現れることになりました。
コーヒーの消費を抑えようとする政策の中で、成長を遂げていったのが「代用コーヒー産業」です。
コーヒーに代わる飲み物として登場した「チコリ・コーヒー」に需要が増加し、その代用コーヒーの原料は、
麦芽、大麦、ライ麦、サトウキビ、いちじく、南京豆、大豆、ドングリ、更には海草にまで及びました。
この禁止令は、20年余り続いたと言われます。それでも、コーヒーを飲みたいという人々の心まで取り締まることは出来ませんでした。

オランダは、1699年にインドネシアのジャワでコーヒー栽培を他国に先駆けて始めました。ヨーロッパの近隣諸国が植民地でコーヒー事業を成功させていく中、ドイツがコーヒープランテーション事業に着手したのは、東アフリカに植民地を得た1884年以降のことです。

コーヒー禁止令の中、人に見つからないように飲むコーヒーは、どんな味だったのでしょうか。
禁止されている中でも「コーヒーを飲みたい」という願望、そんな人たちが考えだしたコーヒーカップや代用コーヒー等を通して、
人とコーヒーとの繋がりは単純なものではないことを知ることが出来たと思います。
今の世の中では、何の不自由もなくいつでも好きな時に好きなだけ、コーヒーを飲むことが出来るようになりました。
禁止されていた時代もあったのだということを噛みめました。

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