ビター&スイート

それは、高1の冬のことだった。それまではコーヒーとは無縁で存在さえ考えたこともなかった。

 

飲み物と言えば紅茶、それもアイスティー。ダージリン、アールグレー、アッサム・・
友達といつもカフェに行ってはガムシロをたっぷり入れて、ストローで下に溜まっている液体を氷がガチャガチャ音がするほどかき混ぜて飲んでいた。

 

冬の苗場スキー場。
いつもの女の子仲間と苗場ビラに宿泊。私は上手でないので、数名とがっちりワンデーレッスンを取ることにした。毎年決まってそのゲレンデで滑っている友達に大学生のインストラクターを紹介された。

 
「飲み物はコーヒーでいい?」と聞かれ答える間もなく注文され、真っ白なテーブルの上に熱々のホットコーヒーが運ばれてきた。
湯気がふわっとたった真っ白なカップに真っ黒なものと、ほろ苦い香り。
覗きこんでみたものの、すぐに飲もうとは思えなかった。

 
自己紹介や色々説明を受けながら、彼はすっとした顔でコーヒーをすする。特に表情もかえることもなく一口、また一口と・・
いつものようにはしゃぐこともなく、ひたすら彼がコーヒーに口をつける口元を見ていた。
「ねぇ、聞いてるの?飲んでないけど嫌いだった?」と言われてハッと我に返る私。
「あぁ・・別に」と答え、ちょっとだけカップに口をつけてみるものの・・苦い・・ほんの少しだけ口にしてみただけでもダメと
心の中ではそう呟いていた。

 

その夜、彼のコーヒーを飲む表情や仕草が忘れなくなったいた。
とても綺麗だった。
そして、今まで出会ったことのなかった大人の色気感じていたんだと思う。
もう、スキーが上手になることや友達のことはどうでもよくなっていた。

 

まるまる3日間、午前と午後彼からスキーのレッスンを受けた。
今まで感じた事のない気持ちと休憩時間に彼がすするブラックコーヒーにどうにか折り合いをつけようとしている自分がいた。
両方ともに慣れていない、どう太刀打ちしていいかわからない大人な空間。
それでもどうにかコーヒーは苦手だと知られたくなくて必死に平静を装うけれど、とっくにバレていて・・
そして、彼を好きな気持ちも・・

そして別れの日。

 
最後までコーヒーは苦手だったんだねと言われなかった。
へんに子供扱いをすることもなかった。
私は好きな気持ちをどうにか伝える自信も余裕もなかった。ただ、彼を近くでずっと見続けていたかった。
そんな思いを抱えて過ごしていたから泣きそうになった・・
でも、無理矢理笑顔を作った。

 

最後に「そう言えば、紅茶もたまに飲むんだよね。嫌いじゃないんだ」って言って私の頭をポンポンと優しく叩き、彼が都内で使っていた有効期限が切れたばかりの定期券を私に手渡した。

 

コーヒーが苦手なことも、彼が好きだったこともやっぱりバレてたんだ。そして、いつも使っていた定期券を記念にくれたんだ・・そう思ったら我慢していた涙が頬をつたっていった。

 

バレないように下を向いて、振り向くことなく手だけ振って、皆との待ち合わせまで歩く・・
それが私の精一杯の別れだった。今の私じゃ、つりあう訳もない・・
ほろ苦いコーヒーと大人な男性を知ったあの頃。

 

それから数年が経ち、学生としてワシントン州のシアトルにいた。
日本で今ではポピュラーになっているスターパックス発祥の地だ。
その頃には日本に店舗がなかったので、全く知らずにその地に降り立っていた。3歩歩けばスターパックス、他にも雰囲気のある名店が街の至る所にあった。

 

私は街にも人にもまだ慣れずにいた。皆、足早に街を行き交い、カフェのテラスでは明るい楽しそうな笑顔がこぼれていた。
どうにか、この街に慣れなきゃ・・孤独になり掛けていた自分をふるいたたせるように言い聞かせた。
まずはカフェからだ。相変わらずコーヒーに慣れていない私はオーダーするコーヒーも、細かい頼み方など知る由もなかった。
朝の忙しい時間、次々と大勢の人がカフェにやってきてオーダーし、さっさとテイクアウトをして去っていく。

 
私もこわごわ、他の人の真似をしてオーダーしてみる。
でも、やっぱり牛乳の種類や細かいことが伝わらない・・後ろの長い列に焦る自分。
無理してこんな人気のカフェに来なければよかったとさえ思った。
そこへちょうど飲み物を手渡されて帰ろうとしていた白人の男性が、困っている私を見かねたのか私の好みと合わせながら、彼のおススメをミックスしたコーヒーを私の横へ来てくれて代わりにオーダーしてくれた。

 
数年前のブラックコーヒーではなく、ヘイゼルナッツフレーバーのシロップが入った少し香ばしい甘い優しい味だった。
お礼を言って別れたものの、お互い学生で決まった時間にカフェにくるので、友達になるには時間がかからなかった。
そして、このカフェと少し香ばしい甘いコーヒーを通じてお互いの距離を縮めていった。

 

私はあんなに毎日飲んでいた紅茶を飲むことがなくなり、彼のような甘いコーヒーと彼好みのフレーバーを開拓していった。
彼の優しいまなざしと温かな時間。新しい世界がどんどん広がっていくようで、楽しくて幸せだった。
やっぱりコーヒーはとろけるように甘く、身も心もとろけてしまい、なくってもいいとさえ感じていた。
そんな甘い時間は永遠に続くと思っていた。そして、そう願っていた。

 

しかし、私の学生生活が終わり1度日本に帰国することになった。でも、不思議と遠距離になる事の不安はなかった。
彼がすぐに日本に来てくれると約束をしてくれたからだ。そして、また長く一緒にいられると思っていた。
私は彼が来る日を心待ちにしていた。

 

でも、その願いは叶わなかった。彼の家族の事情で来られなくなったと短めの電話で告げられた。
電話の向こうの声のトーンは優しいけれど、あの甘い雰囲気は感じられなかった。
あの時の私達はもういないと感じ、私は涙で声を詰まらせた。

 

彼が恋しかった。ヘーゼルナッツ入りのコーヒーもフレーバーコーヒーも・・
日本で3歩歩いても手に入らない、毎日通ったカフェもどこにもない、彼の残像すらない・・
私はなかなか現実を直視できないまま、日本での日々が過ぎていった。

 

今では毎日コーヒーを欠かせない、日々の暮らしの無くてはならないものになっていた。
ブラックコーヒーもヘーゼルナッツシロップ入りのコーヒーも両方とも好き。気分に合わせて飲んでいる。
スターバックスも色々な所にあり、気軽に飲むことができるようになった。

コーヒーはビター&スイート。
あの日々は2度と返ってはこないけれど、コーヒーの香りと共に甘い記憶は甦る。

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