ビター&スイート〜コーヒーのある恋愛風景〜

私はコーヒーが好きで、なるべく甘いほうが好きだ。砂糖もミルクも入れる。豆なんかも苦味の少ないのを好んで買っているし、喫茶店で飲むホイップクリームの乗ったカフェラテなんかは最高である。

 

しかし生きていると、時と場合によっては砂糖1つとコーヒーフレッシュしか出てこない場合もある。そうなれば我慢するしかないのだが、基本的には甘いのが一番だと思う。コーヒーをのんでシャキっとするというよりは、私はどちらかというとコーヒーに安らぎを求めているのである。
かつて街には美味しいコーヒーを出す喫茶店(純喫茶)が必ずあった。今こそチェーン店の進出やコンビニコーヒーの台頭、缶コーヒーの多様化でその需要は減り、純喫茶はその数を減らしていると聞く。個人的には実家のある街で高校時代によく飲んだカフェラテは最高に美味しかった。マスターに注文すると、言わなくても甘めに仕上げてくれる。私の青春のコーヒーだ。夏は、コーヒーフロートなんかもよく飲んだ。
しかし私の青春のコーヒーにはもう一つの味があった。それはブレンドのブラックである。
先日、久しぶりに実家に帰ったときのことである。上に書いた駅前の純喫茶が閉店していたことに気づいた。聞けば、1年ほど前に店を閉めたとのことである。跡地はそのまま残されていたが、そのうち再開発の波に飲まれるのではないかという話だった。駅前は見たことのない店やチェーン店が多く出店していた。店を閉める前にあの甘いカフェオレを飲みたかった気がしたと同時に、一度だけ飲んだブレンドのブラックを、もう一度飲んでみたかったと強く思った。
遡ること15年ほど前、私が高校生だった頃の話である。
当時それなりの進学校に進んでいた私は、電車で5駅ぐらい先の学校と家の往復をするような学生だった。遊ぶと言っても学校の有る街で時たま遊ぶぐらいで、あとは同じ街から通っている友人と学校帰りに駅前の純喫茶に寄る程度だった。
高校2年の冬、進路を決めた私は学習塾に通うことになった。家と学校の往復の間に塾が追加された感じである。そこで私は、近くの高校に通っているK(仮名)と出会った。
私はどちらかというと引っ込み思案で、おとなしく、見た目もそれほど冴えない男であったが、Kは明るく溌剌としていて、塾のクラスでも中心的な存在の女の子であった。私は数学だけは人より出来たので、ちょうど近くの席に居たKと数学の話をよくするようになった。最初は数学など勉強に関する話が中心であったが、そのうち進路の話など個人的な話もするようになった。そしてある日、私が何の気なしに「今度遊びに行こう」と誘うと、Kは簡単にOKしてくれた。生涯初めてのデートというやつを、私は取り付けたのである。気がつくと、僕はKに惹かれていた。
最初は学校のある街で遊ぼうと思っていたけれど、人目も気になることもあったので、少し遠出して映画館のある街まで出ようと思っていた。それをKに話すと、Kが「A君(私)の地元でイイじゃない」というので、私は少し困惑した。
聞けば、Kの家は結構厳しい家庭らしく、早めの門限が有るという。Kの家はちょうど私の学校と私の家の間にあったので、電車でも2駅しかかからない。なんならバスでも帰れるし、と言う。確かに映画館のある街までは遠く、夕食を食べると門限までに間に合わない。しかし、私の住んでいる街というのは特に何も遊ぶ場所のない街であった。はっきり言って駅前の純喫茶以外に私が立ち寄っているような場所もなかった。
そのことをKに話すと「その喫茶店、行ってみたい」というので、結局私の地元でデートすることになった。と言っても、その喫茶店に行く以外のプランは私の地元では考えつかなかったのだけれど。
当日の14時頃駅前で待ち合わせて、とりあえずその喫茶店に入った。ここで私はカッコつけて、例のブレンドのブラックを注文したのである。マスターは注文に取り合ってくれたけれど、いつも甘いカフェオレを頼む僕が全く逆タイプのコーヒーを頼んでいたことに違和感はあっただろう。一口飲んでの率直な感想は「苦い」であった。彼女が席を立ったスキに砂糖を入れたけれど、やはりミルクがないと僕の舌には合わなかった。
その後は2時間ぐらい喫茶店で話した後、夕食をとらずに解散する流れとなった。特に酸いも甘いもあったわけでもなく、日頃塾で話している延長みたいな感じで、あんまりデートという感じはなかった。
結果として、その後半年ぐらいして僕はKに告白をしたものの、例のブラックコーヒーの如く、苦い結果に終わってしまったというのが事の顛末である。
結果として私は志望の大学に無事合格することが出来た。最後に塾でKと会った時には他愛もない会話しかできなかったが、Kも志望の大学に合格できたということであった。その当時には、普通に話のできる友人の関係に戻ることが出来ていたのは良かったと思う。
志望の大学は楽しかったし学業に打ち込むことはできたけれども、工業系の大学だったので女性は全くと言っていいほどおらず、恋愛方面については何も甘い思いはできなかった。アルバイト先もガード下にある小さな個人経営の居酒屋だったので、出会いなどは殆ど無かった。
その後、色々と多難だった就職活動を経て都内のメーカーに就職することができた。このメーカーも男だらけで華のない世界であったが、ひょんなことから出会いがあった。
就職してから5年ぐらいたった時のことである。
品質管理から向いていなさそうな営業へ回され、不慣れなルートを回っている途中にランチをやっている喫茶店を見つけた。併設されているパン屋の作るサンドイッチと、コーヒーにサラダ、ゆで卵がついてワンコインというお店である。喫茶店というより、パン屋に併設されている喫茶スペースと言ったほうが適当かもしれない。
この頃になると、私のコーヒーに対する耐性も少しついており、砂糖とコーヒーフレッシュでもなんとか美味しく感じるぐらいにはなっていた。職場で飲む味気ないインスタントに比べると、この喫茶店のコーヒーは苦味が少なく美味しかった。確か品種はコロンビアだった気がする。
この喫茶店のウェイトレスをしていたS(仮名)と、店に通っている内に仲良くなった。Sも私が前に好きになったKと同様に、元気で溌剌とした女性だった。どんな客にも丁寧に対応している姿が魅力的だった。まぁ、月曜日から金曜日までほぼ毎日通っていたのだから、Sも僕の顔を覚えてくれるようになり、話している内に連絡先を交換するに至った。
Sとは大人ということもあり、自然な感じで交際がスタートした。付き合ってみると、Sはとにかく色々な意味で甘い女性であった。甘やかされるといったら何であるが、とにかく寛大な、悪く言えば少し盲目的な愛し方をする女性であった。私自身がしっかりしていれば問題はなかったものの、当時、営業の仕事が上手くいっていなかった私は、彼女に依存するようになっていった。結婚もしていないのに炊事洗濯などの家事をすべて任せた挙句、仕事の八つ当たりまでするようになっていった。彼女も彼女で甘やかしてくれるので、私たちの関係は締まりのない怠惰なものになっていた。砂糖をこれでもかと入れたカプチーノのように。
そんな時、私はKと再開することになる。
嫌気が差していた仕事をついに辞めて、私は地元に帰ることにした。Sもついにそんな私を見限って交際は破綻していた。
駅前で降りて、家に向かう前に例の純喫茶に寄った。およそ8年振りの来訪であったが、マスターは私のことを覚えていてくれたようで、「いつものやつ?」と言われたので、私は甘いカフェラテをいただくことにした。その変わらない味に、安心感を覚えた。
マスターと色々これまでの事を話していると、マスターはKのことも覚えていた。そして、Kが時たまこの店にくることを私に教えてくれたのである。聞けば、大学生活が上手くいかなかったKも、退学してこちらに戻ってきており、近くのディスカウントストアでアルバイトをしているとのことであった。そのアルバイトの帰りに、この店に寄ることが有るのだと言う。Kの連絡先は知らなかったので、マスターに言伝を頼み、私は店を後にした。
数日後、Kからメールが来て、例の純喫茶で落ち合うことにした。
久々にあったKは少し痩せていたが、高校時代の溌剌とした感じは変わらなかった。マスターが注文を取りに来る。僕はかつての苦い見栄をはらずに、いつものカフェラテを頼むことにした。Kが笑って言った。
「やっぱり、ブラックなんて飲めなかったんでしょ」
この一言をきっかけに、当時言えなかったことやこれまでのことを私たちは長い間話し続けた。昼過ぎから夕食時まで店に居た気がするが、マスターは何も言わなかった。コーヒー2杯でこんなに粘っている客も迷惑なものだろうが。
その後、私たちは交際をスタートさせた。当時、見栄を張って飲んだブラックのような苦い結末で終わった恋愛が、10年の時を経て成就した瞬間であった。
都会に出て働き始めた私と、調理の専門学校に通い始めたK。
私はチェーン系のレストランで社員として働いている。専門学校を卒業したKも近くの病院の食堂で働くことになった。
それから今に至る5年はあっという間だった気がする。同棲を始めてから、彼女は毎朝僕に甘いコーヒーを作ってくれる。最近は、健康のことを考えて砂糖は控えめになったけれど。幸せな毎日の延長の中で、私たちは何となくだけど、結婚することになった。そして、結婚の準備などを含め久しぶりに実家に帰ってきたのが、冒頭に書いたタイミングで、僕は例の純喫茶の閉店を知ったのである。
マスターには結婚の報告をしたかったし、もう一度あの美味しいカフェオレを飲みたかったが、今のところは叶っていない。聞けば、ご高齢ということもあり、息子夫婦の家に移り住んだと聞く。機会があればKと一緒に会いに行きたい。マスターが今でも、美味しいコーヒーを家で作っている風景が、ぼんやりと私の頭のなかに浮かんでいるうちに。

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