ブラジルコーヒーと日本人移民の関係

日本からは地球のほぼ反対側に位置するブラジル。現在、ブラジルで暮らす日系人の数は、150万人とも言われています。
日本以外でこれだけ沢山の日本人の血を受け継ぐ人々が住む国は他にありません。
ブラジル・サンパウロ州では、6月18日を「日系人移民の日」としています。
コーヒー大国であるブラジルに、これだけ多くの日系人が暮らしているのは何故でしょうか。それを見ていきたいと思います。

まずは、ブラジルコーヒーの魅力について見ていきましょう。
世界一のコーヒー生産国であるブラジルでは、収穫したコーヒーの実を広い場所に敷き詰めて天日乾燥させた後に、コーヒー豆を取り出します。
天日乾燥させることによって、甘みを増加させ、味の深みと幅を広げます。
コーヒーの果肉に含まれた糖分が増すことで生まれた美味しさが、ブラジルコーヒーならではの深みとコクを演出するのです。
日本に輸入されているブラジルコーヒーは、柔らかな口当たりの良質な豆が中心であり、主にブレンドのベースとして使われます。
最高級のブラジルコーヒーは、「サントスNo.2」と呼ばれ、日本では積出港にちなんで「サントス」の愛称で親しまれています。

次に日本人とブラジルコーヒーが出会った歴史的背景を見ていきたいと思います。
1888年、ブラジルで奴隷制度が廃止となりました。それまで農園で働いていた人々が街へと移り住むことで、極度の労働力不足になり国の経済に深刻な打撃を与えることになりました。
同じ頃サンパウロ州では、コーヒー栽培が盛んになり始めていて、サンパウロ州のコーヒー農園は人手を必要としました。
「コーヒー栽培に従事できる働き手となる定住移民=農民」の移住をヨーロッパ諸国に呼びかけ、最初の頃はコーヒー栽培は、ヨーロッパからの移民によって行われていました。
しかし、労働の過酷さに加え第一次世界大戦が勃発すると、ヨーロッパ各国がブラジルへの移民を停止しました。
その結果、労働力がますます日本に求められるようになり、人々がコーヒー栽培の担い手になる為ブラジルへと旅立って行くことになりました。

移民を募る広告には「舞って楽しくそして留まる=舞楽而留(ブラジル)」と当て字が用いられていました。
1908年(明治41年)4月28日午後5時55分、781名を乗せた笠戸丸(かさとまる)が新天地ブラジルに希望の光を求めて神戸港を出港しました。
52日間の長い船旅の末にたどり着いたのが現在もブラジル最大のコーヒー積出港である「サントス」でした。
東洋から来た小柄な移民たちを見たブラジルの記者は、他国の移民とは違う日本人の清潔さや礼儀正したに大いに驚いたそうです。
いつまでも忘れたくない、日本人らしい公衆での礼節心を感じさせるエピソードです。

「コーヒーは金の成る木」と信じてブラジルへ来た移民たちは、この地へ来て初めて飲んだコーヒーの苦さに驚き、吐き出したそうです。
そして、こんなものを育てる為に遥々海を渡ってきたのかと不安にもなったそうです。
奴隷解放から長い年月が経ってはいましたが、農園の環境にさほど変化は無く、銃を持ち、馬にまたがった監視人の下で行う農作業は、過酷な肉体労働以上に精神的な苦痛を日本人移民の心に植え付けたそうです。

コーヒー栽培の傍ら、借地での稲作を試みた移民たちは、川べりの湿地近辺に住居を構えました。
また、風呂を極楽浄土と重ね合わせた精神志向は変わることなく、好んで川辺に住んだためにマラリアで命を落とし、まるごと全滅した村落もありました。
稲作文化に培われ、身と心を清める事を尊ぶ日本民族の魂が起こした悲劇ともいえることでした。

ブラジルへ渡ってきた日本人のうち、約8割がコーヒー栽培に従事したと言われています。サンパウロ州のほとんどのコーヒーの木は、
幾多の困難を乗り越えた日本人移民の手によって育まれ、ブラジルコーヒーの名産地でも知られるサンパウロ州モジアナ地域での活躍は、ブラジルコーヒーの深い味わいを生み出す礎となりました。

その後、日本からの移民は増え続け、自作のコーヒー農園を営む人、また、土地を離れサンパウロ近郊に移り住んでゆく人々も増え、
ブラジルでの日系人の活躍は、農業だけに留まらず教育や医療、政治へと活躍の場を広げていきました。
日本人がブラジルに伝えた農業技術は多方面に及びます。それまでは、輸入に頼っていたコーヒー生豆を詰める「麻袋」の材料である麻の栽培や胡椒の栽培、更には新鮮な生野菜を食べる食習慣なども日本人の農業技術がもたらしたものです。

このようなブラジルへの貢献が評価され、サンパウロ州では6月18日を「日系人移民の日」と定めました。

ブラジルは日系の人が多いイメージが確かにありましたが、今回その理由を知ることができて良かったと思いました。

移民の方が広めた、農業技術や食習慣のことなどが評価され、「日系人移民の日」という特別な日も創って貰えたというのは、

日本人として嬉しいと同時に誇りに思いました。

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