プロポーズ

コーヒーと私の人生 “ジリリリィ
今日も目覚まし時計の音で起こされる。
いつもと変わらない一日。でも今日は金曜日。明日は彼とのデートが待っている。
きっと夜は泊まりに来るのだろう。

 

私は、都心の格安物件で念願の一人暮らしをしていて、
毎朝7時半に起きて、掃除・洗濯・弁当を作る。
合間に顔も洗って、支度を整える。11時出勤の職場には、10時までに家を出れば十分に間に合う。
親が喫茶店を営んでおり、高校生のころには私もコーヒーの淹れ方を覚えていた。

意識はしていないが、ネット・情報社会と言われるこの時代に、コーヒーの持つ効果が一時期注目されていたようだ。

確か、朝の9時半か11時半が最もベストなタイミング。
専用のコーヒーメーカーで私が淹れるのはアメリカンコーヒー。味が薄く感じるけど朝の飲むのにはちょうどいい薄さ。カフェイン量も多いから目冷めにもいい。

私はブラック派だけど、砂糖はスプーン1杯、ミルクを少量加えるとカフェインの吸収が穏やかになるから、子供やお年寄りにはその飲み方の方がおすすめ。
コーヒーと一緒にコーヒーを飲みほしたら、我ながら感心するほどに家を出る時間になっていて、忘れ物を確認。ちゃんと戸締りもチェックして、会社に向かう。

「おはよう」
「おはようございます!先輩!あいかわらず綺麗ですよね~」
「褒めてもなにもでないよ?」

出社してすぐに声をかけてきたのは、今年入社したばかりの新人さん。要領が良くて明るい私のチームのムードメーカー。

「いやいや、でも先輩シミもないし、白いし肌めっちゃキレイじゃないですかぁ!」
「化粧でごまかしているだけよ」

いつも周りの良いところを褒めてくれるいい後輩で、私よりも可愛くてモテる子だ。
ただ、この性格と同じでアクティブでアウトドア派だから、夏場は特にシミができないように気を使っているみたい。

「今年もシミのできる季節が来ましたよ!」
「日焼け対策してるんでしょ?」

私が教育掛りでもあるから、席も隣。

「してますけど、シミはできるんですよ」
「じゃぁ、コーヒー飲んでみたら?シミ防止効果もあるよ?」
「そういえば、先輩は毎日飲んでますよね?」
「実家が喫茶店開いてて、ついクセでね。他にもダイエット効果とか癌にもいいんだって」

顔はパソコンに。手も動かしながら口も動かす。
私も人のこと言えないけど後輩くんは、本当に慌ただしいなぁと少し関心してしまう。

「そろそろコーヒー淹れてくれる?」
「あ、はい。わかりました」
「うわ~、あいかわらず熱いですね~」

11時半前。私は、この時間も会社でコーヒーを飲む。
昔は一人分だけ淹れていたのだけど、今はもう一人分。
隠すつもりはなかったけど、最近会社公認となった私の彼氏の分も。

部署は違うけど、たまたま休憩室でコーヒーを飲んでいたら、やけに意気投合して、彼も毎日飲むコーヒーにこだわりあるっていう話から、プライベートで喫茶店・カフェ巡りをしてたらいつの間にか惹かれてた。
誰から言うまでもなく、付き合うことになって、今は11時半間にどちらかが迎えに来ることが日課になっている。

休憩室では5~10分ぐらいの会話ですぐに終わっちゃうのだけど。それだけで幸せ。

「今週もやっと今日で終わりだね」
「そうね。明日は前に話したカフェに行くんでしょ?」
「あぁ。仕事が終わったら君の家に行ってもいいかな?」
「もちろん」

あまり饒舌ではないし、愛を囁く性格でもない。
でも、ペースも妙に私にぴったりで、毎週行くカフェとか喫茶店でも、お互い何かを話す訳でもなく、今いるその空間に小さな幸せと口に広がるコーヒーの深みと渋みを感じて過ごす。それが私たちの恋愛。

「先輩たちって変わってますよ!」

間に、後輩にデートのことを話したら、そんなことを言われたっけな。
まぁ、後輩くんは何に対しても熱心そうだからなぁ。きっと恋愛も自分からいくタイプな気がする。
「あーあ、私も早く彼氏がほしいです」

そういえば、もうすぐ仕事が終わるころに、いきなりそんなことを言ってきたこともあった。

「モテるんだから、すぐにできるんじゃない?」
「モテないですよ。周りの男はみんな私のこと友人か妹にしか見えないって」
「わかる気がする」

モテそうなのにって思っていたら、彼氏ができない理由を聞いて妙に納得してしまった。

「じゃぁ、この画像待ち受けにしてみる?」
「うわぁ!ハートですか?おしゃれ」

海外では恋愛が成就すると有名らしい、泡でハートに見えるコーヒーの画像。前にたまたまできて、その時に記念に撮った写真。
そういえば、その後に今の彼に休憩室で話かけられたんだっけ?もしかしたら本当に効果があったのかも。
後輩くんからも朗報がある事を期待したい。
ピンポーン
「はい」
ガチャ
「や。お疲れ」

22時ちょっと過ぎ。
部署のまとめ役である彼はいつもこの時間に仕事が終わる。

生活に困らない程度の私物が置かれているので、私の家には、手ぶらで来ても困らない。

「これ」
「今日は何?」
「シフォンケーキ」

コーヒーが好きな私たちは、一緒に食べる甘いものの趣味も同じ。
こんなのは信じない性格なのだけど、たぶん運命の人なのかもと思う。
彼には口が裂けても言えないけど。

「フフ」
「どうかした?」
「え?」
「今、笑ってたじゃない」
「笑ってた!?」

シフォンケーキを見て私と同じように笑っていた彼もきっと同じことを考えていたんだと思う。たぶん。それか、考えが見透かされちゃった?
だったら恥ずかしい。

「ご飯から先でいいよね?お風呂から入る?」
「うーん、、お風呂から先で」

シフォンケーキを冷蔵庫にしまって、彼はお風呂から先に入ると、風呂場へ向かった。

やっぱ先に風呂に入っててよかった。
シフォンケーキなら、濃いめのコーヒーだから、先に豆から挽いて、夕飯の準備に取り掛かる。
「ん。美味しい」
「口に合って何より」

口数が少ないから、テレビはつけていても、食事の時でさえ、あまりしゃべらない。
お互いにそれで楽しいと思えているから、変に気を遣うこともないのだけど。
「じゃぁ、コーヒー淹れるね」
「今日は濃いめ?」
「シフォンケーキだから」

夕食も終わって、片づけを済ませた私は、コーヒーメーカーを出して、
さっき挽いた豆をいつもうより多めにセットする。
豆を多くしてゆっくり抽出することで味も風味も一層と増す。
なんとなくだけど、この濃いのコーヒーは、恋愛とか人生に似ている気がする。
一人でいると苦味や苦しみを感じるけど、だれかと一緒にいるとなとなく楽になって、苦しさが飽和される。
年を重ねると深みも増す。コーヒーも時間をかけて抽出すれば、味わいが豊かになってくるものだし。

「いい香りだね」
「この待っている時間、嫌いじゃないわ」

少しずつコーヒーの匂いが部屋中に漂いだして、もうすぐだよと教えている。
最後の一滴が落ちたらコーヒーが出来上がったサイン。
湯気と匂いを漂わせて、私たちに飲まれるのを待つこの子にはミルクも砂糖も必要ない。

冷蔵庫から、コーヒーと同じように食べられるのを待ってるケーキをお皿に取り分けて、
私はまた、彼の待つ今にお膳を運ぶ。

「やっぱ、君の淹れたコーヒーが一番だ」
「大袈裟ね」

淹れたばかりのコーヒーを一口飲んでいつものようにそんなことを言う彼に私もいつものように返す。
だって、さすがにプロにはかなわないのだから。
たまに実家に帰って喫茶店を手伝うのだけど、常連さんにも両親にもまだまだだと言われてるし。

「このシフォンケーキ美味しいわね」
「あぁ、最近できたお店らしい。なんとなく君のコーヒーに合いそうな気がして」
「コーヒーは淹れられないのに、こうゆうセンスはぴか一よね」
「どうせ僕にはコーヒーを淹れるセンスはないよ」
「フフ」

コーヒーが好きなのに、不思議なぐらいコーヒーが淹れられない彼だけど、いろんな種類のコーヒーに合ったお菓子を見つけるのはホントに得意で、
私にはそんなセンスがないから、いつも彼が買ってきてくれるお菓子を楽しみにしている。
こうゆうのがお互いに補い合っているっているのだろうか。

「いつか、君の両親が淹れてくれるコーヒーも飲んでみたいな」
「そんなことしたら、私のコーヒーが飲めなくなっちゃうわよ?全然違うから」

口いっぱいに広がるケーキの甘さとコーヒーの苦味がちょうどいい感じ。
大好きな彼と一緒に好きなものを食べるささやかな幸せの時間。

「でも、いつかは飲める日が来るだろうから」
「そうね」
「…君って意外と疎いよな」
「え?」

本当にコーヒーが好きなんだと思う。
自分で言うのもなんだが、私は普通の人より美味しいコーヒーが淹れられる。
そんな私の両親が淹れるコーヒーはプロと同じなのだから、彼も飲んでみたいと思うのは当たり前なのかもしれない。

「…もしかして、プロポーズ?」
「の、つもりだったんだけど」
「わかりづらいわよ」

疎いと言われて、一瞬思考が停止してしまったけど、少し考えたら気付けたのかもしれない。
彼のその言葉が両親に会いたいという意味だったのなんて。

「もう少し大きな部屋に引っ越さなきゃね」
「そうだな」

一瞬戸惑いはしたけれど、それほど驚くこともなく、私はまたコーヒーを口に含む。
きっと、あまり驚くことがなかったのはコーヒーに含まれるリラックス効果の所為かしら?

「今年の夏季休で実家に帰らなきゃ」
「気が早いな」

プロポーズした彼にそんなことを言われたくないけど、
ついでに美味しいコーヒーも飲めるんだのも、悪いことではない。

明日は、カフェに行った帰りに不動産にも寄ってみよう。
これから、さらに忙しくなりそう。

「昼だけじゃなく朝のコーヒーも一杯増えるのね」
「缶コーヒーで済ませずに済むから、楽しみだ」

彼は私にとってのミルク?砂糖になるのだろうか?
結婚して、子供もできて。
また、私の人生に深みが増す。でも苦味じゃなくて、まろやかな深みであってほしい。

そして私は死ぬまで彼とコーヒーと一緒に生きることになりそう。
コーヒーが縁で巡りあった両親のもとに生まれて、コーヒーが縁で知り合った彼と結婚するのだから。

「やっぱりコーヒーはいいわね」

そんなことを思いながら、明日もコーヒーを飲む。

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