ミュージシャンの彼とコーヒー

“私は今大学二年生で、Mという24歳のミュージシャンと付き合っている。Mと初めて話しをして付き合い始めたのは3カ月前だけれど、私は4年前からMの大ファンだった。普通の大学生が、憧れのミュージシャンと付き合うなんてドラマのような話で、自分でもまだ夢心地でいる。

高校2年生になったばかりの頃、私はあるバンドに夢中になった。歌詞とメロディが切なくて、聞いていると涙がポロポロ溢れてくる。恋愛経験もほとんどない私なのに、切ない恋をしているような気持ちになってくる。メンバー全員のルックスも良くて、女子高生に大人気だった。そのバンドのボーカルが、今の私の彼のMだ。

バンドの公式ホームページや、フェイスブックや雑誌は全てチェックしていた。それによるとMは東京生まれの東京育ちで、小学生の頃から将来の夢はミュージシャンで、趣味も好きなものも音楽ひとすじ。ただ1つだけ音楽以外に好きなものはコーヒー。自宅のコーヒーマシンでコーヒーを淹れること。雰囲気の良いカフェに行くこと。お気に入りの缶コーヒーを買うこと。Mはミュージシャンのイメージとは違って、お酒も飲まずタバコも吸わない。その代わりにコーヒーが手放せないそうだ。

Mの大ファンになった私は、CD、DVDを全て買っていた。繰り返し繰り返し切ない恋の歌を聴いた。私も、彼が好きなコーヒーを趣味にしたかった。彼のフェイスブックの写真に写っていたコーヒーマシンを、家族用として母が買ってくれた。私は、家族みんなのコーヒーをこのマシンでいれるのが日課になった。

フェイスブック には、「大好き」とのキャプションが付いて、缶コーヒーにキスをする真似をする写真もあった。とてもカッコよくて可愛くて、速攻で保存した写真だ。あるブランドの缶コーヒーを持っていた。打ち合わせの時、移動の新幹線、いくつかのシーンでその缶コーヒーが写っていた。

私もその缶コーヒーが欲しくなった。母に、勉強の眠気覚ましにするから箱買いして!と頼み買ってもらった。。その言葉に嘘はなく、夜の勉強のお供にその缶コーヒーを飲んでいた。単純なことに、彼と同じものを飲んでいると思うだけで勉強も頑張れた。彼はよく一人でコツコツと詩を書いたり作曲したり、作業をしているそうだ。私も彼を見習い、コツコツ勉強した。彼の行くおしゃれなカフェにも行ってみたかったけど、北関東の田舎に住んでいる高校生には遠すぎた。いずれ行ってみたいなと夢見ていた。

Mたちのバンドが地元の市民会館でコンサートをすることになり、幸運なことに前から5列目で見ることが出来た。その時の感動は今でも忘れられない。ライブで聞くMの声は、CDと同じくらいの上手で、声量があって暖かみがあった。TVや雑誌で見るよりも、ずっとハンサムでオーラがあった。私はますますMが大好きになってしまった。それまで私は女子高生なのに、ファッションとかヘアスタイルにほとんど関心がなかった。それなのに、今後もしライブでMの視界に入った時に少しでも可愛いと思われたいと思って、自分磨きをするようになった。

コンサートの翌日に、SNSで情報がまわってきた。コンサート会場となった市民会館のそばの喫茶店に、メンバーが来店した時の写真とサインが飾ってあるというのだ。私とファン仲間は興奮して、「今度の土曜日にその喫茶店に行こう!必ず行こう!」と約束した。

バスを乗り継いでその喫茶店へたどり着いた。大人の雰囲気の喫茶店だったらどうしよう。高校生だけで入っても大丈夫なのかな?とドキドキしていたけれど、明るくてカジュアルな雰囲気のお店だった。店に入ると店員さんが、「いらっしゃいませ。3名様ですか?」と微笑んだ。「は、はい3名です。あの、すみません。Aというバンドの写真とサインがあるって聞いたんですが」と尋ねた。「こちらですよ。ちょうど写真を飾っているお席が空いています。そのお席にAのみなさんが座られたんですよ」と言って案内してくれた。

壁に掛けられた額縁の中の写真には、Aのメンバーが本当に写っていた。TVやミュージックビデオでのキメキメの顔と違って、ヘアースタイルも服装も普通のままだ。でも間違いなくAのメンバーたちだ。私達は大感激して、その席へついた。写真には、メンバーがオーダーした飲み物や軽食が写っていた。私達は店員さんに「この写真と同じものをお願いします」とオーダーした。

夏だったのでメンバーの飲み物は全てアイスコーヒーだった。食べ物はミックスサンドとツナサンドといった軽食だ。店員さんが運んできてくれたアイスコーヒーを見て私は、「あれ?氷もコーヒーで出来てる。そっかあこれなら溶けても薄くならないんだあ」と言った。すると店員さんが「メンバーさんも、同じこと言ってらっしゃいましたよ。みなさん気さくで明るくて礼儀正しくて」と教えてくれた。

私達は、大好きなバンドがいた場所に今いるんだ。
同じアイスコーヒーとサンドイッチを食べるんだ。
そう考えたら、私達は大興奮して大感激してしまった。
店員さんに許可を頂いて、飾ってある写真やコーヒーとサンドイッチの写真を撮らせて頂いた。

それ以来私は、ますますMのファンになった。高校は共学だったので同じ学校内で付き合っている子たちもいた。でも私は同年代の男子には全く興味が持てなかった。Mのためにと、自分の外見にも気を配るようになっていたせいか、校内の男子から告白されたことが何度かあったのに、一度も誘いに乗らなかった。MとMの音楽に夢中だった。

私はMが好きすぎて、ついにこんな目標を立てた。それは・・
東京の大学へ合格して上京すること。
Mと一緒に仕事ができるよう、音楽業界か、TV局かラジオ局かレコード会社へ就職すること。

この夢両親に話すと、今だけ夢を見ているだけだろうと本気にしてくれなかった。第一東京の国立大学に合格するためには、今よりかなり成績をアップさせなければ無理なのだ。深く考えることもなく子供の時から、進学先は地元の国立大学と思っていた。家族や親戚がほとんどその国立大学卒で、教師や公務員になっている。他の選択肢があると考えたことがなかった。通っている高校は進学校なので、その国立大学へ進学する生徒は大勢いたし、自分も普通に勉強し普通にそこへ進学するだろう思っていた。

そんな私が初めて自分の目標を持ったのだ。家庭の経済状況から私立は無理なので、絶対に国立でなければいけない。Mと仕事が出来るようなマスコミ業界は狭き門なので、学歴も必要だ。目標を設定した私は猛勉強を始めた。本気を出して勉強したら偏差値が大幅にアップしたので、母は私を応援してくれるようになった。

受験生となった私の楽しみは、Mの音楽を聞くこと。月に一度程度、母にあのコンサート会場の市民会館近くの喫茶店へ連れて行って貰い、あのアイスコーヒーを飲むこと。勉強のお供にあの缶コーヒー飲むこと。その他の時間は全て勉強に費やした。

最後の追い込みで偏差値を15以上アップさせ、東京の国立大学へ現役で合格した。家族も学校の先生も驚きの結果だった。Mというミュージシャンが好きという熱い思いで、一流大学へ合格したことに半分あきれ顔だった。

ついに私は憧れの東京での大学生活をスタートさせた。東京だったら、Aのコンサートにもたくさん行ける!と楽しみだった。上京して3か月後にコンサートツアーが始まり、東京でのコンサートに三日間も行けた時は、頑張って勉強して上京した甲斐があった!と思った。

けれど、そのコンサートツアーの頃から、Aの人気は落ちていった。コンサートのチケットも完売にならず、CDの売り上げも落ちやがて解散説が流れ始めた。新しいバンドが続々とデビューし、人気バンドの旬は短かくなった。新しいバンドの台頭で、Mのバンドは活動が減ってゆき、1年後にはバンドは解散してしまった。一部ではメンバー間の不仲説もながれ、解散コンサートもなかった。

解散は悲しかったが、Mのバンドのメンバーは、それぞれの道で音楽活動を始めたので安心した。私が大好きなMも彼も、ソロ活動をしたり新人のプロデュースをしたりと新たな音楽活動をスタートさせていた。ソロになった彼は、バンド時代よりもライブ会場のキャパシティは大幅に減少してしまった。ソロでは小さなライブハウスだった。残念ではあるけれど、ライブをより近くで見られるから、その点は嬉しいのだ。

私は、音楽雑誌の出版社でアルバイトをすることになった。そして編集長がAのライブへ仕事で連れて行ってくれるというのだ。私はライブでマスコミ用の席とパスを与えられた。そして何と、編集長と楽屋訪問をすることになった。高校時代からあれほど憧れたAの楽屋を訪ねるなんて。嬉しすぎて真っ白になって足が震えてしまった。私は高校時代ファンだったことは内緒にしようと思っていたが、編集長がA、私の高校時代からのストーリーを話してしまった。

Aはこんな風に言った。
「有難いことに、出版社とかTV局やラジオ局の人と、一緒に仕事すると、バンド時代に大ファンでしたと言ってくれる人が多いんだ。そして当時気に入ってたコーヒーを差し入れして貰ったりするんだよ。あの頃は、まだハタチそこそこなのに、下積みもなくブレイクしちゃってちやほやされて調子に乗っちゃってたんだ。あっという間にブームは去って、今は細々とやってるのに、今でも、当時からファンだって言ってくれて本当に有難いなって思うよ。今は好きな音楽をマイペースで出来てるよ。あと、実は自分でカフェを始めているんだよ」

私は「私、本当にAさんの大ファンだったんですよ。仕事でお会いしているのにこんな話しちゃってすみません。Aの仕事するため、猛勉強して東京の大学入ったんです。Aさんの影響でコーヒーも大好きになったし。Aさんの好きなものみんな大好きなんです。Aさんが大好きだったから」と言った。これはも完全に愛の告白だった。

「そんなに思ってくれて有難う。でもファンの子の夢を壊しちゃいけないって思ってるんだけど、バンドやっていた頃の僕と現実の僕って全然違うんだよね。こうやって仕事で会うようになったら、僕がいたって普通の人間って分かるよね。ファンの子は、僕のことをすごく美化してくれるから、会って夢を壊したらすごく申し訳ないなって思うんだよね。バンドマンって遊んでるように思われるんだけど、ぼくはどっちかというと、一人でいたい方なんだよね。一日中ギター弾いて曲作ってたり。実はさ、友達の紹介で、僕の大ファンだったという子と付き合ったことがあるんだけど、バンドマンの僕は魅力的でも、現実の僕には退屈だったようでフラれちゃったんだ。今は収入も少ないんだ。当時のヒット局の印税が今でも年間数百万入ってくるから生活していけるけどね。趣味でカフェ もやってるし。良かったら、僕のカフェにコーヒーを飲みに来ない?」

彼のカフェで語り合い、そして私達は付き合うことになった。高校時代に憧れていたミュージシャンと付き合うなんて、まるで夢みたいな話しだ。彼は、本当に音楽が好きで素敵だった。彼を退屈と思うどころか、ミュージシャンの彼も日常の彼も大好きだ。彼のカフェもアルバイトで手伝っている。彼がいて、音楽があって、コーヒーがある。今は最高に幸せな時間だ。

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