一人静かに

「行ってらっしゃい」
「行ってきます」
今日の最初の会話。挨拶なんて大した意味はない、形だけのものだと思っていたが、どうもそうではないらしい。いちごか桃かと思わせる濃厚な果物のような香りを感じながら、ハンドドリップで淹れられたばかりのエチオピアを一口。あの手から生み出されたのかと思うと、喉を落ちる一滴一滴がひたすらに甘く感じられる。
半年ほど前、自宅から最寄駅までの道の途中にコーヒースタンドができた。以前からあったヘアサロンの片隅にオープンしたのだ。片隅というだけあって、道路に向かって開いたごく小さな小窓、その小窓の近くに置かれたスツールが一脚、それだけ。昔からあるタバコ店のようにも見える小窓で、その奥、店内側にはエスプレッソマシーンやグラインダー、コンロが所狭しと並んでいる。そんな店構えなのでのんびり座って一服とはいかず、ほとんどの客がテイクアウト利用、あるいはそのヘアサロンの客がカットやカラーをしている途中に飲むらしい。ヘアサロンの片隅にそのスタンドができていく様子を通勤途中にずっと見てきた。工事業者と話をしているスタンドの店主の姿をある日見かけた。真っ黒なロングヘアーを1つ結びにして、薄化粧、背はすらりと高く、細身のデニムがよく似合っていた。ヘアサロンのオーナーと知り合いか何かなんだろうかと、ぼんやり思った。スタンドがオープンした日も平日でいつもどおりの時間に前を通りがかり、こんな早い時間からもう開けているのかと驚いた。

 

小窓にペイントされている文字をちらりと見ると、どうやら平日の7時オープン、17時クローズらしい。学校の部活みたいだと思う。ここでうまいコーヒーが買えるなら、毎朝自分で淹れる手間がはぶけるな、などと思って、オープンしたその日に初めてそこで一杯頼んだのだ。店主は「おはようございます」と僕を迎え、注文をとった。ハンドドリップを選ぶと、豆が3種類あると言い、ごく簡単にそれぞれの説明をしてくれた。グァテマラを選び、会計を済ませると、「少しお待ちください」と言い店主は静かに動き出した。豆を計る、グラインダーに入れる、ドリッパーに乗せたフィルターにお湯を通す、フィルターに挽いた豆をあける、お湯の温度を確認する、粉状になった豆にお湯を落とし始める…一連の仕草が、すべて静かだった。道路に面した小窓に対して45度の位置に作業用のカウンターがあり、コーヒーを淹れている店主の横顔が見える。スツールに座って、見るともなしにそれを眺める。「お待たせしました」とロゴも何も入っていない白い紙のカップを渡される。蓋を断り、小窓に背を向けると「行ってらっしゃい」の声が追いかけてきた。小さく振り返って「行ってきます」と答える。人から「行ってらっしゃい」と言われるのは、久しぶりだった。
コーヒーは好きなのだが、コーヒーが大好きでそのことについてとにかく人と話したくてたまらないという人が苦手だ。例えば、注文の時にやたらと詳しく豆やメニューの説明を始める人。「おしゃれな」コーヒーショップで、カウンターに陣取り店員とコーヒー談義に花を咲かせる客。コーヒーが好きなのか、写真映えのするラテアートが好きなのかよく分からない人も苦手だ。ラテアートが施されたカプチーノやカフェラテを受け取ると、テーブルの上、カウンターの上、あるいは自分の手で持って、何枚も写真を撮り続ける人。

 

その写真をSNSにアップデートして、「このラテアートのためにこの店に行った」だの「このカフェラテは表情がいい」だの述べる人。そういうのが、僕は苦手だ。そういった人を否定しているのではない、楽しみ方は人それぞれだ、ただ僕は苦手、それだけ。何を頼むか迷った時に懇切丁寧に説明をしてもらえると大いに助かることもあると思う。コーヒー好き同士話し合えば、きっと新しい知識や情報が得られるだろう。出来栄えのいいラテアートの写真を共有すれば、世界中の人から何かアクションをもらえるのかもしれない。ただ、僕にとってのコーヒーは誰かとわいわい楽しむものではなく、一人で静かに楽しむものなのだ。そのルーツは子どもの頃の父との思い出にある。休日、父はたまに一人で出かけて行くことがあったのだが、どこに行っているのか小学校の高学年になるまで知らなかった。小学校高学年になったある日、また出かけていこうとする父に何の気なしに「どこ行くの?」と訊いたのだ。父はにやりと笑って「来るか?」と言い、僕は訳もわからず「行く」と言った。母はそんな僕の様子をなんとなく楽しそうに眺めていた。父の向かった先は家から10分ほど歩いて行った先の喫茶店だった。喫茶店なんて入ったことがなかったので、ひどくびくびくしながらも、大人の秘密を覗くような甘美な背徳感を覚えた。店の中の照明は薄暗く、タバコのにおいが充満していた。どの大人も無言。馴染みのない音楽がかかっていて、今にして思えばあれはジャズだった、食器と食器が触れ合う音もそこに混ざっていた。父はごく慣れた様子でカウンターに座り、隣に僕を座らせた。カウンターの中のベストを着て髭をはやしたおじさん、今にして思えばそれはマスターだった、が何も言わずに父にメニューを渡した。父はメニューの後ろの方を僕に指し示して、「ジュースかココアでいいだろ?」と言う。その静かな店の中で声を出すのが何故か憚られて、僕は黙ってりんごジュースを指差した。父は「りんごジュースといつもの」とマスターに告げて、ただ黙って座っている。僕も黙って座って待ったのだが、とにかく所在がない。大人にとってはごく短い時間でも子どもにとってはそれは永遠にも思える時間なのだ。

 

そのあふれんばかりの時間を持て余し、カウンターの中のマスターを眺めた。後ろの棚からコーヒー豆を取り出し、計り、何かの機械に入れるとゴーッという音が響いた。コンロで沸いている薬缶を取り上げ、これまた後ろの棚から取り出したコーヒーカップと漏斗とフラスコのような容器にお湯を注ぐ。フラスコにせっかくお湯を入れたのにそれを流しに捨てる。それから漏斗のような器具に乗った紙に粉を入れ、空になったフラスコの上に乗せ、真っ赤な細長い注ぎ口をしたお湯さしからお湯を注ぐ。するとどうだろう、驚くぐらいに甘くて香ばしいコーヒーの香りが広がった。思わず隣の父を見やると、父は黙って微笑み返してくれた。フラスコには茶色い雫が溜まっていく。マスターはそのうちお湯を注ぐのをやめると、フラスコの中身を銀色の棒でそっとかき回し、カップに注いだ。それが父の前に出されると、いつの間に用意したのか僕のりんごジュースも目の前に置かれた。カップを受け取った父は黙って静かに飲んでいる。それに倣って静かにりんごジュースをすすり始めたのだが、またここでも時間を持て余す。静かな店内にストローを吸う音がやたらと響く気がして、何だか恥ずかしくなりながら黙々と飲んだ。一杯のコーヒーをたっぷりと時間をかけて飲んだ父は、満足げなため息をつくとしばらくぶりに僕を見やり、「行こうか?」と言った。とうにジュースを飲み干していた僕は黙って頷き、会計を済ませた父に続いて店を出た。店を出てからもあの喫茶店の空気が自分の周りにうっすらと残っている気がして家まで黙って歩いた。あの静けさや所在のなさは重たくもあったけれど、自分の知らない大人の世界を垣間見たような、そんな奇妙な充実感も覚えていた。その後、毎回ではないが父について喫茶店に行くようになった。父と言葉を交わすわけではないのだが、2人で喫茶店で過ごすその時間が男同士のひそやかな楽しみのような、そんな風に感じられるようになった。もちろん年頃になれば親を疎ましく思ったものだが、それでも父とそうしてたまに喫茶店で過ごす時間は変わらず、高校に入る頃には父と同じコーヒーを僕も飲むようになっていた。そんな不思議な時間は、大学に入学して一人暮らしを始めるまで続いた。
1人で静かにコーヒーを楽しみたい、そんな気持ちに、その新しいコーヒースタンドは十二分に応えてくれた。オープン以来、平日はほとんど毎朝通うようになっても、相変わらず店主の口数は少なく、余計なことは話さず、そしていつもさりげなく「行ってらっしゃい」の一言で送り出してくれる。「お近くにお住まいですか?」「昨日はいらっしゃらなかったですね」そんな言葉が、例えば他のコーヒースタンドの常連になれば投げかけられるのだろうが、このスタンドでは全くない。ただただ必要最低限の言葉がだけがやりとりされることが続いている。そのことに居心地の良さと安心感を覚えると共に、コーヒーをドリップする店主の姿に見とれている自分にそのうち気づいた。出張などで店のオープンより早い時刻に出かけざるを得ない日は、何だか物足りない感じがする。例えば新幹線に乗る前に駅内のコーヒースタンドで丁寧に淹れられたコーヒーを買い求めて飲んだとしても、店主のあの姿を見て「行ってらっしゃい」と送り出されなければ、正しい一日が始まらない、そんな気がする。あのコーヒースタンドに通い始めた直後は、エスプレッソベースのドリンクを頼んだこともあった。カフェラテを頼んだ時には、シンプルな美しいハート型が表面に描かれていた。それはそれで美味しく、そして好ましかったのだが、結局ハンドドリップしか頼まなくなった。理由は単純で、エスプレッソマシーンに相対している時よりも、ハンドドリップしている時の店主の所作が自分は好きだと気づいたからだ。人にこの話をすれば、それは恋だ、とか、もっと話しかけろ、とか、連絡先を訊け、とか言われるのだろう。これを恋だと呼ぶのなら、それはそれでかまわない。確かに恋なのかもしれないし、恋に似た別物なのかもしれない。ただ、これ以上踏み込むつもりは僕にはさらさらないのだ。

平日、家を出てあのスタンドに寄る、店主がコーヒーを淹れる姿を見る、「行ってらっしゃい」と送り出される、駅に向かう道、店主が淹れたコーヒーを1人静かに味わう、それだけで自分にとっては十分過ぎるほど十分なのだ。

フルーティーな香りの立った一滴一滴が、ひたひたと僕の中に浸透していき、今日の僕を形作っていく。

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