二人の空間

私と彼はお互い飲酒をしない。


だからどこかに出掛ける場合、お互いの頭に浮かぶのはカフェ。
それは昼でも夜でも、時間を問わず。
恋人と過ごす時間と同じくらい、コーヒーには中毒性があると私は想っている。
ちょっぴりビターでいい香り。
コーヒーがテーブルに運ばれた瞬間、私達は珈琲の甘いアロマに包まれる。
何も会話がなくっても、気まずいという事はない私達。

 

珈琲の香りの中で新聞を読んだり、雑誌を読んだり。そんな時間の過ごし方も悪くないと私は想う。
思えば、私が初めて彼にあった場所もカフェだった。
行きつけのカフェで会計を済ませた私は、その日とても疲れていた。
ぼうっとしていて、財布を落としたことに気づかず、そのまま店を後にした。
その時に彼が私の財布を持って追いかけて来てくれた。
かれもまたそのカフェの常連で顔は見たことはあったが、今まで話したことはなかった。

 

それ以降、カフェで彼と遭遇するたびに会話をする事が増えていき、かなり自然な感じに私達の距離は縮まっていった。私にとって、珈琲が生活の一部な事のように、彼の存在も生活の一部にいつの間にかなっていた。
お互いに空気のような存在感。一緒にいるのが息をするくらい自然のような。
いつになったら付き合っている関係になるの、と心配する友人もあった。
でも一緒にいたいから一緒にいるだけだからそのような『契約』は私達には必要ない。
珈琲のようにナチュラルだけどビターな大人の関係、というところだろうか。
煙草、珈琲は中毒性が高いと人は言うけれど、中毒性がないものなんて世の中にはあまりないのではないだろうか。
そんな時、私の実家から連絡があった。
実家の一階でやっている商店をたたむことにしたから、そこで何か商売をやってみないか、と。
当惑した。私がビジネス。とも思ったが、特にテナント賃も求められていないし、それならこの機会に珈琲店でも開いてみようと思った。
実家は、当時私が一人暮らしをしていた所から車で10分程度。繁華街の中に位置し、お客さんを呼び込むのもそう難しくはないと考えた。
さっそく彼にその話を提案してみると、仕事を辞めるのは勇気がいることだけれど、実は喫茶店を運営するのが彼の夢だったから一緒にお店をやろう、ということになった。
まずは内装を商店の見た目から、すべて温かいトーンの木材を利用した壁材、床材にリノベーションをして、座った時に居心地のいいブラックレザーのローソファー一式をそろえ、テーブルも低めの木目調のものを採り入れ、照明はアンティーク店で見つけた真鍮とクリスタルクリアのシックな雰囲気のシャンデリアを数点取りつける。シャンデリアのクリスタルが壁に反映してアンニュイなイメージに。夜はキャンドルを灯して更に大人なムードを演出。
私はカフェでのバリスタの経験もあり、ケーキ屋でパティシエとして働いていたため、すぐビジネスを始められる自信はあったし、彼は経験はなかったけれど珈琲の淹れ方などプロに近いものがあったので内装が完成し、必要な機材、営業許可、食器など全て揃え、両親や近所の方々、地元の友人達にも宣伝をし、インターネットや紙媒体でも広告をうち、私の両親がテナントをしないかと持ちかけてきてから一年も経たないうちに無事に喫茶店の営業を始めることとなった。最初は近所の顔なじみさんや友人のほうが多かったのが、徐々に女性一人でゆっくりできる癒しの場所として街の人達にも認められるようになっていった。
そうして、気づいた頃には毎日やってくるような常連さんが新しいお客さんを連れてきてくれるようになったり、あまり多くはないけれど二人分の給料と、私の両親に家賃を払えるようにはなってきた。
そんなある日、突然転機が訪れる。
何と、彼に好きな人ができてしまったと。
正直、言葉が見つからなかった。
言葉では縛りはなかったけれど、仕事でも一緒だしプライベートも一緒に過ごしてきたというのに。

 

相手はお店のお客さんの一人だと言う。相手がアドレスを書いた紙をくれて何となくメールをしだした事がきっかけだったよう。
正直、交際、結婚などは性格的にそれほど興味はなかったけれど、ショックだった。心にぽっかり穴が開いたような気持ちになった。
この関係が無限に続いていくと錯覚してさえいたけれど、永遠に続くものなんてないんだ。

 

ごめんね、と彼は言う。仕事はもし気まずかったら辞めるから、と。
好きだと思っているから一緒にいる、というスタンスが、突然彼が去るとわかった瞬間に崩れ去る。本当は珈琲と同じくらい当たり前に存在していた彼が急に遠くなってしまった気がした。結局、気まずいだろうと言うことで彼が仕事を辞める事になった。
一人で何もかもやるのは大変だったので、都合がつくときは、母に手伝ってもらったりもし、何とかギリギリ営業はできるけれど、すごく忙しくなり、大好きな珈琲店巡りもなかなか行けなくなってしまった。
もちろん、彼氏的なひとなどできる時間も余裕もなくなって、そのまま5年の時が過ぎた。
その日は台風で、お客さんは午前には数人いたが、午後に風が勢いを増し店内には私しかいなかった。もうこのままお客さんが来ないならもうお店を閉めよう、まさにそう思っていた時。
カラン、と鐘の音がして男性が入ってきた。
いらっしゃいま・・・といいかけて気づいた。それは5年前から会ってないあの彼だった。
彼女とうまくいかなかったのか、聞いた。
どうやら、彼女が妊娠して結婚したけれど、今日みたいな台風の日に飲酒運転の車が彼女に衝突し、そのまま彼女は亡くなってしまったらしい。
それが2年前。私とそのことを話したかったけれど、自分が勝手に去ったのに、戻っていくのも気まずいと思い、避けていたけどどうしても気になって来たらしい。
正直、彼を受け入れるべきかどうなのか迷ったけど、やはり彼がいる空間は自分にとって居心地がいいのだ。結局、かれはまた私たちの店でまた働くことになり、それから早5年、私たちはついに腹をくくって結婚し、今では2人の子供を育てながら忙しくお店を経営している。
私が一人の時にお店を時々手伝っていた母は、今は育児を時々手伝ってくれている。

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