体を駆け巡る思い出の香り

あれって、いつの事だったかな・・トレーニングジムの椅子に腰掛けながら、ふと僕は記憶をたどり始めた。
きっかけは特に無い、こういう事って多分、誰にでも、大なり小なり、あるんだろうなと思いつつ
今回に限っては、その作業のような物が、僕にとって特に念入りだったのは、確かだった、(すごく気になるけど思い出せない)
と言う奴だ。

ジムでのトレーニングもそこそこに、受付を済ませて、そこを出た、気になり出すと、物事に集中出来なくなるからだ。
のんびりと、リラックスした方が、こういう時は、気になるっている記憶って思い出しやすい。
しばらくすると、僕は事務を出て車を走らせた、かきたての汗がなんとなく清々しい。
タバコを咥えて、暫く車を走らせていると、スーっと記憶が鮮明になっていく、してやったりと、僕は小さな満足感を覚えた。

「ああ、そうか、あれって高校生の時だったか」

当時、交際をしていた・・と言うよりは、馴染みの友達に近かった異性の友達と、ジャズ喫茶に行った時の事をようやく
ハッキリと思い出した。

確か、大人びた雰囲気のあるその喫茶店に僕は、ほぼ週一の周期で通っていた。
行く時は、必ず土曜日の午後だった、その方が読書をしたりと、ゆっくり過ごせるからだ。

それに、まあ、最安値のアメリカンでも、一杯500円はしたし、なんというか、元をとらねばとの思いも働いてはいた。

ジャズの喫茶店の話をすると、例の、異性の馴染み?も一緒に来ることになった、当時彼女は運転免許を取立てだったので、
載せてくれる代わりに、コーヒー代は出せ、 との事だった。
何故だか、通い慣れている、喫茶が、やけに上等なものに見えた、柱に巻き付いているツタまでが、オシャレに見えてくるから、
ビックリだ、異性と入る喫茶店って、こんなにも違って見えるのかと内心感心までしたものだ。
そのままに、男女2人で喫茶に入ることに僕は少し不思議な違和感を覚えたが、彼女はどうだったのか。

「あ、流れてるね、こういうのジャズって言うの?」
「そう、ジャズって言うんだよ」
彼女は、薄く笑っていたずらっぽく言う。

「どの辺がジャズ?」
「さあ?考えたこともないんだよね、そういう事」
僕達は、椅子に座ると、メニューを思い思いに見始めた。

「これね、時価って何?メニューの下に書いてある奴」
「なんだろう僕、それ初めて見たけど?」
「だったら、今日メニューに加えられたのかな?」
「いや、多分、僕が、気がつかなかっただけだろうね、それよりコーヒー頼もう」

微かに彼女の、表情に、不満の色が浮かんでいたが、僕はあえスルーした。
だって時価の意味を聞かれても解らないんだもの、仕方が無かった。

「モカね、モカ飲んでみたい」
「じゃあ僕はアメリカンで」
「それインスタントでも、あるでしょ?ここにしかないコーヒー飲んだ方がお得感ない?」
「モカも多分、インスタントであるよ」
「え、だったら、ここでコーヒー飲む意味ないんじゃない?」
「同じ奴でも、インスタントとは段違いだから、ここでの無意味あるんだって」
「意味って、どんな?」
「注文してみれば、わかると思う、多分」
「多分とか・・」

しばらくすると、注文したコーヒーが運ばれてきた。
正直、味の良し悪しは、当時の僕には解らなかった、ただ、口に含む寸前に口から体中に良い香りが巡って回ったような感覚だけは今でも覚えてる。
彼女も、同じ、感覚を覚えたのかな?何故か、飲み始めてからは押し黙ったままになっている。
同じ感覚を覚えていることを僕は勝手に、想像し、少しだけドキドキしていた。

「どう?インスタントと違うでしょ?なんか香りがね、凄くいいんだよね」
「・・・ん?」
「ここのコーヒー美味しくない?」
「・・・」

僕がどう話しかけても彼女は押し黙ったままだ、押し黙りながら、上の空というか、心の的がこちらに向いていないのは確かだった。
そんなにコーヒーの味に声も出ないくらい感銘を受けているのかな?と、勝手に思い込んでいた僕は、話しかけを続ける。

「・・・そんなに美味い?モカ」

彼女は、突然、はっとしたように、僕の方をじっと見て話し始めた。

「あのさ、これって大人の味かな?こういうの普通に飲むの大人かな?大人になりたくない人は飲んだらダメな奴なのかな?」
「社会人の自覚?社会人の次って何があるのかな?大学進んだとしても、その後は、行き着く所は社会人だよね?」

突然、まくし立てて話してくる彼女に少々戸惑いつつ、僕はそこまで、考えすぎることもないだろうと言って聞かせた。
尚も話は続く。

「免許とか取ってさ、車乗って、このまま社会人になるんだよね。私達、そんな実感なかったんだけどね、なんか、今、いきなりそんな実感、湧いて来た」
「湧いてきたって・・・今更?」
「君は、ちゃんと自覚してた?」
「いや、してないけど、そんなに律儀にならなきゃあいけないことなの?」
「いい加減じゃいけないと思うけど?」
その味の悪い言い分に僕はカチンと来た。
「いい加減とかじゃなくてさ、これ、ただの頭でっかちじゃん?なる前から言っててどうすんの?意味なくないか?」

こう言う風に言われると彼女も、1歩も引かなくなる、正論かどうかなど、相手には問題ではないのだ、
要するに売り言葉に買い言葉が、少々、エスカレートしながら、展開されていたのだ。

「けじめの付けられない人って、大体、道を踏み外すのよね~」
「お・前・からは、生涯独身の匂いしかしないんだけど?」
「・・・口悪いね、最低」
「いや、お前だから」

ここまで来るとお互い意地の張り合いだった、そして、お互い自分が、正しいと思っているのだ。
決着が付くはずもなかった、その手のやりとりは、延々続いたが、決着を付けたのは、結局は、時間の推移だった。
お互い、門限はあったのだ。

その時の事を振り返った時に、僕も、色々と悟ったような事をいったけれども、所詮は理屈に過ぎなかった、そして、それは相手も同じ事だった。
それで当然でもあった、そもそも実践が伴った言葉ではなかったのだ。

この時はまだ、そんなズレた論争を交わしていたと言う自覚は、当人には湧いてはいなかった。

社会人の自覚なんて、後からついてくるものだという場合も多いし、まさに僕が、そうで、事実その手の自覚をしたのは、もっと、ずっと後だった。

ただ、彼女にとってはこの時のこの場がある種の成人儀式の場になってしまった事だけは確かだったみたいだ。
古い一軒家の建物を改造した、ジャズ喫茶は、卒業を控えた女子高生の、卒業敷的な、セレモニーの場とかしたのである。

事実、堰を切ったように、彼女は早口で、まくし立てて話し始める。社会人になってしまったらできない事を、今、全部消化しようとしている様な印象だった。
社会人になったら出来ない事、それは、あくまでも、彼女の中でのルールの話なのだが・・・

「そろそろ、帰る時間?」
「そうだね」

正直、互いの内心に忌々しさが、残っている状態ではある。
僕も、このまま帰るのは嫌だった、どの道、車の中でも2人きりなのだ。帰りの車中を想像しただけで、憂鬱になる。
暫く、沈黙が続いたあと、彼女がある提案をしてきた。

「もう後30分したら、お店出ないとだね、でも、腹が立ってそれ所じゃないよね?」
「そうだけど、でも、帰らないと、お店の人にも、迷惑だし」
「うん、白黒より、勝ち負け、はっきりしょう」
「え?正しい方が、勝ちじゃないの?」
「え?どっちも正しかったら、判定出来ないでしょ?」
「フー、でどうする?」
「もう一回だけ、コーヒー注文しよう、それ、早く飲んだほうの勝ちにしょう、これでスッキリしよう」
「割り勘?だよな」
「勝った方が奢る」
「さっき頼んだ分も?」
「そう」

しばらくして、やれやれという表情で、マスターがコーヒーを2杯入れてきてくれた。
それを合図のままに、素早く飲み干そうとしたのだが、いかんせん熱い。

しかも、勢いよく、口に思いっきり含んだものの、飲み込めずに、思わず上を向いてしまった、その時にコーヒーのいい香りが、口から鼻、頭の芯まで、巡ってくる感覚を覚えた。
結局、この勝負は、彼女の勝ちだった、コーヒーを口に入れる前に、お冷(お代わり済)の氷を、口の中に含んで、上手くコーヒーを飲み干していた。

強かだ・・・

勝ち誇って彼女は言う。

「コーヒーしか飲んだらいけないってルールなかったよね?」

軽く、口内を火傷していた僕は、もう、言い返す気力もなく、負けを認めた。
とにかく、この不毛な戦いを終わらせたかったのである。

ともかく、その場は、それで収まった、お互いその日は眠れなかったので、家に帰ってからも、随分長いあいだ、寝床でメールを交わしたのを覚えている。
それからのお互いの進路は、まあ、平凡なものだったとだけ、書き記しておきます。

その後も、何度か彼女と再会したが、相変わらずの調子だという印象だった。
この辺からが、なにか不思議なのだが、彼女を見る度にあの時のコーヒーの(味)を思い出すのではなく、口に含む寸前の(香り)を思い出すのだ。

あれ以来、例の喫茶には一度しかいっていないのだが、その内、また彼女を誘って行ってみようと思う。
幸い、マスターも、高齢だが、まだ、元気そうだったし、僕達の事も、覚えていてくれた。

僕はそこで、今の彼女と一緒に(あの時)の彼女を思い出すことが出来るだろうか?
コーヒーの香りとともに、思い出すことが出来るのか、実に楽しみである。
また、喧嘩をするかも知れないが、今度は、門限は無い、心ゆくまで話してみるのもいいかも知れない、
互いに、社会人なのに、社会人になるための、自覚がどうとか、あえてズレた会話、論争の続きをするのも悪くないかも知れない。

あれ以来、ゆっくりとした会話はしていないが、内容には、あの時と比べてどれ位の変化が出るのだろう?
それとも、あの時のままなのだろうか?
それもいいかも知れない。
売り言葉に買い言葉もいいだろう
決して崩せない、意地っ張りの我城を、せっつくのもいいだろう

ただ・・・

熱々のコーヒーの一気飲みだけは、もうゴメンだ。

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