先生に渡すスターバックスコーヒー

アメリカに住んでいると日本とは比較にならないくらいのスターバックスに出会う。ショッピングセンターには必ずある、大通りには数百メートルに点在している。フリーウェーを出ると必ずドライブスルーのスターバックスを見つけることができる。
これくらい、スターバックスコーヒーは日常化しているのである。日本の自動販売機のコーヒーと同じくらい手軽に飲めるコーヒー、出勤時には持って歩くコーヒーなのだろう。

 

そんな私も主人もスターバックスのコーヒーが大好きである。「アメリカンコーヒーは薄くて飲めないよ」と渡米前に多数の友人にアドバイスを受けた。実際、アメリカに住んでみるとガソリンスタンド、コンビニで売っているコーヒーは驚くほどに薄い。「この味だから、一日何倍もビッグカップで飲むしかないのか」と思ったほどである。
そんな時にスターバックスコーヒーが家の近くのスーパーの隣にあるのを発見した。日本と違って日常にとけ込みすぎて、人の出入りも多いので気がつかなかったのである。出勤前のオフィスワーカーが次々に吸い込まれてはカップを抱えて出て来る。日本のように、一種のファッションでスターバックスのカップを持つのではなく、もっとサラリと生活にとけ込んだ感じであろうか。

 

私達夫婦も恐る恐る、その流れに入ってコーヒーを頼んでみた。スタッフはテキパキと多量の注文を作っていた。アイスコーヒーを飲んでみたのだが、アメリカらしからぬ濃いカフェインであった。「これなら出勤前には飲みたくなるよね」と主人との意見が一致した。

 

しばらくして、小学校の娘の担任の先生にXmasプレゼントをあげるのが一般的だと知った。担任のプロフィールに好きなものはスターバックスのコーヒーと書いてあったのを思い出した。確かに仕事は重労働であるし、ストレスも溜まるであろう。そんな時に飲みたいのは間違いなく濃いコーヒーであろう。

 

担任の先生はブロンドのスラリとした白人女性である。同じくらいの一人息子さんがおり、片道30分以上かけて息子さんと小学校に通って来る。そして息子を学童に預けてから自分のクラスの準備をする。子育てと仕事を朝から同時進行でおこなっている感じであろうか。私にはマネ出来ないといつも感心していた。

 

アメリカでは朝は親が子供を連れて登校するのが一般的である。特に低学年のうちは子供が教室に担任と入って行くまで見守る。もちろん、我が家も例外ではない。毎朝、子供を担任の先生に預けてGood morningを言うのが慣例である。先生はすでに朝からお母さんの仕事を終えて疲れてあるであろうに満面の笑みで子供達を迎え入れてくれる。

 

そんなある日、一人のお父さんが子供を朝、担任の先生に預けたあとにさりげなく、スターバックスのコーヒーを渡しているのを見かけた。今までも渡していたのかもしれないが、あまりにも自然な渡し方で全く気がつかなかった。
次の日も、そのまた次の日もそのお父さんは先生にコーヒーを渡していた。

 

ママ友に「あのお父さんは誰?」と聞くと、そのお父さんはどうやらシングルファーザーのようであった。一人で育児、仕事をしているので担任の先生の大変さが痛いほどわかるのであろうと想像した。

 

犯罪の多いアメリカでは子供を一人にすることは法律で認められていない。必ず、保護者、シッター等が見守らねばならない。日本のように、一人で登校、下校はありえないのである。そんなことをしようものならばすぐに警察に通報されてしまう。たとえ両親が離婚してしまっても子供達は両方の家を行き来するのが一般的なのである。日本のように必ず母親が引き取る、父親は面会程度とはならない。

 

このコーヒーお父さん(勝手に私は名付けた)も例外ではなく、子供を引き取り育てている。週末や出張の際は別れた妻が育児を分担しているようである。すぐにリストラがおこなわれるアメリカで仕事をしながらの育児は大変だろうなあと思わずにはいられない。コーヒーお父さんは毎朝、コーヒーを持ってきて担任の先生に子供を預ける。その時に渡すコーヒーは先生のためのものであるが、渡すことで自分もホッと安心出来るカフェインをお父さんも摂取しているのではないかと思い始めた。

 

その後、私はお父さんの観察をやめられなかった。暑い日はアイスコーヒー、寒い朝はホットコーヒー、そして子供の行事で先生が疲れそうな日はキャラメルが加えてあった。先生も毎朝、子供を迎えるような優しいまなざしでお父さんのコーヒーを受け取っていた。

 

「なんだかこの風景って運動部のマネージャーが選手にスポーツドリンクを渡すのに似ていない?」と主人に聞いてみた。主人も「そうだなあ、高校生の淡い恋愛のようだね」と同調していた。お父さんが先生に恋しているのは明白であった。

 

それから数ヶ月経った頃、お父さんの表情が硬くなっていることに気がついた。娘に聞くと、お父さんの子供が引越しをすると言っていたそうである。どうやらお父さんが転勤か転職するらしいとのこと。日本以上に転勤、転職はシビアなアメリカ。お父さんの意志での引越しであるか違うのかは分からないが、間違いなく別れの日は近づいているようである。

 

ある朝、お父さんはいつものようにスターバックスのコーヒーを持ってやってきた。やや肌寒い朝であった。いつもと同じように子供を先生に預けてコーヒーを渡していた。そして最後に先生と握手とハグを。うっすらと先生の目に涙が浮かんでいた。後ろ姿のお父さんの顔は見えなかった。

 

次の日の朝、お父さんを見かけることはなかった。家に帰って娘に聞くと、お父さんの子供は昨日が最後の日で転校して行ったとのこと。やはり、昨日の朝がお父さんと先生にとって最後の朝だったのである。なんだか、話したこともない私まで寂しい気持ちになってしまった。

 

その後も先生は変わらない笑顔で子供達を迎え入れてくれている。毎朝、先生の笑顔を見るたびに、「コーヒーお父さんは今頃どうしているんだろう、スターバックスのコーヒーを飲んでいるかなあ」と思わずにはいられない。スターバックスのコーヒーを飲むたびに、コーヒーお父さんの恋心を重い出さずにはいられないのである。

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