古い家にはコーヒーがよく似合う。

古ぼけた家屋には、日本茶やほうじ茶が似合う。そんな風に思っていた私ですが、どうやらそれは正しくなかったようです。築150年と聞くその大きな家には、今はもうにぎやかな声も聴かれることなく、とっくに定年を迎えた老婆が一人暮らしています。隙間風がたくさん吹き込んでくるその家は、夏は大変過ごしやすく快適ですが、冬になると尋常ではない寒さが部屋の中の至るところを凍らせていきます。これは大げさなことではなく、本当のこと。寝る前にテーブルの上に置いておいたミカンが、翌朝には凍っている……。

 

そんな日も本当にあるのです。老婆がなぜこの大きくておんぼろの家に一人で住むことになったかというと、昨年夫を亡くしたから。その前の年には既に姑が天国に召されており、つまり二年間の内に家族が皆亡くなってしまい、結果一人暮らしをすることとなったのです。
老婆には、三人の子供がいましたが、皆既に家を出て遠方で家を建てて家庭を持っている現在、今更近所に引っ越してくれとか同居しようなどと言えるはずもありません。子供たちの方が老婆の暮らしやこれからのことが気になり、都会に来て一緒に暮そうとも誘うのですが、その好意に首を縦に振ることはありませんでした。老婆には、どうしてもこの家から離れたくない事情があるのです。

 

それは、心底惚れぬいた夫との思い出がいっぱいだから。至るところに、夫と暮らした40年間あまりの思い出が溢れていたからです。老婆の夫は、晩年病を患い、右半身が不自由となっていました。それまでこの世の中に怖いものなんか何一つないといった気持ちで生きてきた人でしたから、自分の体が自由にならないと知ったときは、相当落ち込んだと聞きます。彼曰く、何だか負けたような気がしたんだそう。病気になった人を見てそんな風に思う人などいないのに、かっこつけしいで見栄っ張りだった彼は、どうしても自分の体を受け入れることができなかったのでしょう。病気になってからは、大好きだった車も手放し、日中はほとんど自宅から出ないような暮らしだったと聞きます。唯一の心の支えが、二頭の愛犬たちの存在。朝夕の食事は、彼が毎日担当し、犬たちも彼にすっかりなついていたんだそうです。そんな彼が、毎日喜んで口にしていたのが老婆が作るコーヒーで、毎日二回、10時と午後4時には老婆と二人で隙間風が消し去ってしまうまでの時間、香りを楽しんでいたんだそうです。実は老婆はコーヒーよりも緑茶の方が好きだったのですが、夫がコーヒーを美味しそうに飲むものだから、自分も一緒にカップを用意するように。夫がリハビリも兼ねてコーヒー豆をミルで挽く間。老婆は今日あった他愛もない話を夫に聞かせているのでした。

 

「今日ね、散歩していたらフキノトウが出ていたんだよ。もう春なんだね。」
「買い物に出かけていたら、突然雨が降ってきて慌てて走って帰って来たんだよ。」

僅か数分のこの時間が、老婆にとっては幸せな時間。病気をしてから、あまり人と会話をしたがらなくなった夫が唯一聞いてくれる時間が、このコーヒー豆を挽いている時間だけだったからです。粉状になった豆に、夫がゆっくりとお湯を注いで待つ時間。テーブルの上には、夫婦茶碗ならぬ、夫婦コーヒーカップ。二つのカップにコーヒーをそっと注いで、その一つを老婆の前に差し出す夫。すると、まるで二人が若かった頃によく待ち合わせをしていた喫茶店を思い出すのでした。二人っきりのコーヒータイムは、「私の愛した人はこの人だけ」。老婆がそう確信する時間だったのかもしれません。古い家には、コーヒーのほろ苦さと深い香りが良く似合う。熟成された二つの存在が相まって、独特の空気感を作っていたのでしょうか。

 

今年、たった一人になってしまった老婆は、正直まだ心の整理ができていません。夫がいなくなってしまった現実をまだ受け入れられないでいるのです。だから、突然泣き出してしまったり、大声で怒り出したり、言葉汚く放ってしまうこともあります。ですが、そんな自分が本当に大嫌いで苦しいのです。テレビで相撲が始まれば、夫の写真を持ってテレビの前に座る日々。ラーメンを作れば、これはお父ちゃんの好物だったと、その都度仏壇に行って鐘を二回鳴らしお供えする習慣。愛犬に餌を与えに行く度に、自分を残し早く逝ってしまったことをどうしても犬たちに愚痴ってしまう日々。老婆にとって、今まさに戦いの日々なのです。

「母さん、やっぱり一緒に暮そうよ。こっちに来れば、楽しい場所もいっぱいあるし、母さんの部屋だって用意してあげられる。田舎での一人暮らしは年齢的にもう無理だよ。」

今日もまた、息子からかかってきた一本の電話。答えはいつもと同じだ。

「ありがとう。でも私はここがいいの。この家が好きなの。」

先日、老婆は夫が亡くなってから初めて夫の夢を見ました。でも、夫は夢の中で何も言ってはくれません。それに、見せてくれたのは背中だけ。顔を見ることもできなかったのです。でも、確かにあの後ろ姿は夫だった……。朝目が覚めると、寂しくて寂しくて涙が溢れてくる。もう二度と会うことができない夫の顔。もう聞くことができない夫の声。夢でもいいからまた会いたいと思っていたのに、益々淋しさは増すばかりでした。「今日は一日寝ていようか……」そんな風にも思った老婆だったのですが、すぐに気持ちを切り替えました。そして、久々にあのコーヒーメーカーを使ってみようという思いにかられたのです。そうなのです。老婆はあることに気づいたのです。何度も夫の好物を仏壇にお供えしてきたのだが、コーヒーを供えることをすっかり忘れていたということを。こんなに大事なことをどうして忘れてしまっていたのでしょうか。老婆は急いで着替えると、早速やかんでお湯を沸かして用意を始めました。

 

ところが肝心のコーヒー豆が見当たりません。葬儀の際に、どこかにしまい忘れてしまったみたいなのです。引き出しの中も戸棚の中も探してみました。冷蔵庫の中も探しました。それでもありません。仕方がないので、今度は寝室の方にまで足を運び、あちこち探してみました。こんなところにあるはずなんかないのに。ところがです。あったのです。100グラム入りの真空パックになったコーヒー豆がどういうわけか机の上の隅っこに置いてある。几帳面な性格の老婆は、何でもきちんと整理しておくクセがあるのですが、ペンや定規、鉛筆などを差していたペン入れの横に、ちょこんとそれが置いてあったのです。

「あれ?こんなコーヒー買ったっけ?」

不思議に思いながらそっと手に取ってみると、後ろの方にマジックで大きく数字が書いてある。それは、そのコーヒー豆の賞味期限についてでした。更に、何か書いてあります。

「お湯多めに」

ああ、思い出した!このコーヒーはちょっと自分の口には苦すぎて、ずっと飲むのを後回しにしていたやつだ。それで、今度飲むときはお湯を多めにして飲もうって夫と話していたのです。邪道かもしれないけれど、そうしようって二人で話していたんだった。コーヒー入りの袋に記載されているその文字は、まさしく夫の懐かしい手書きの文字。思いがけず、また二人で暮らしていたあの頃の記憶が蘇ってきました。そして、小さなそのコーヒーの袋を握りしめました。が、次の瞬間、老婆はそのコーヒーの袋にはさみを入れました。そして袋の中のコーヒー豆の香りを思いっきり吸い込むと、すぐに台所の方に向かいました。お湯も沸いているよう。二人分のコーヒーを計量すると、ミルで挽き始める。ゆっくりゆっくりと引き続けました。次に、夫婦コーヒーカップをテーブルの上に並べる。コーヒーメーカーの上に、フィルターをセットして挽いたコーヒー豆を入れる。そして静かにお湯を注ぎました。出来上がったコーヒーは二つのコーヒーカップに半分こして、その一つを仏壇へと運ぶ。その時、もう老婆の顔に涙は見られませんでした。老婆の中で、何かが始まった瞬間だったのかもしれません。それとも、何かが終わりを告げた瞬間だったのでしょうか?

私は、老婆に三日に一度は電話をしています。

「お母さん、元気?風邪ひいていない?」

すると老婆は元気な声でこう答えます。

「大丈夫だ。今ね、お父ちゃんのコーヒー飲んでいる。」

「そっかあ。母さんはあのコーヒーがいいんだもんね。もうそろそろ無くなる頃じゃない?またコーヒー送ろうか?」

母は元気に答えます。

「そうだな。ありがとうね。代わりに畑にできている野菜を今度いっぱい送るからね。」

引きこもり気味だった老婆は、少しずつ元気を取り戻し、また畑作りに精を出すようになっています。孫たちに美味しい野菜を食べさせたい、芋ほりさせたいと、丁寧に丁寧に畑づくりをしています。キュウリやナスやトマト。オクラにピーマン……。そして作業に疲れると、床の上にごろんと転がって、大の字になってお昼寝します。目を閉じると、様々な「声」や「音」が思い出されると言います。その中には、かつてこの家で老婆の夫と一緒に暮した日々や、姑の介護をしていた頃の記憶、私たち三人の子育てをしていた頃の思い出もあるとのこと。でも、やっぱり老婆にとって一番大切な記憶は、夫の日々のようです。本当はここで子供たちの思い出が一番と言ってほしいところなのですが、これもまた良しとしましょう。

 

もうすぐ父の一周忌がやってきます。久々に、おんぼろ屋にも足を運ぶことになります。きっとそこでまだ、あの古い家とコーヒーの絶妙な組み合わせを楽しめることでしょう。古い家にはコーヒーがよく似合う。それは、両方とも熟成されたものだから。二つが一つとなったとき、私はなんだか人生を考えさせられるのです。老婆の愛しい人は、きっと仏壇からあの良い香りを感じていることでしょう。そして、彼にとっても大切な存在だった老婆のことを見守っているのだと思います。

古ぼけた家屋には、日本茶やほうじ茶が似合う。そんな風に思っていた私ですが、どうやらそれは正しくなかったようです。築150年と聞くその大きな家には、今はもうにぎやかな声も聴かれることなく、とっくに定年を迎えた老婆が一人暮らしています。隙間風がたくさん吹き込んでくるその家は、夏は大変過ごしやすく快適ですが、冬になると尋常ではない寒さが部屋の中の至るところを凍らせていきます。これは大げさなことではなく、本当のこと。寝る前にテーブルの上に置いておいたミカンが、翌朝には凍っている……。そんな日も本当にあるのです。老婆がなぜこの大きくておんぼろの家に一人で住むことになったかというと、昨年夫を亡くしたから。その前の年には既に姑が天国に召されており、つまり二年間の内に家族が皆亡くなってしまい、結果一人暮らしをすることとなったのです。
老婆には、三人の子供がいましたが、皆既に家を出て遠方で家を建てて家庭を持っている現在、今更近所に引っ越してくれとか同居しようなどと言えるはずもありません。子供たちの方が老婆の暮らしやこれからのことが気になり、都会に来て一緒に暮そうとも誘うのですが、その好意に首を縦に振ることはありませんでした。老婆には、どうしてもこの家から離れたくない事情があるのです。それは、心底惚れぬいた夫との思い出がいっぱいだから。至るところに、夫と暮らした40年間あまりの思い出が溢れていたからです。老婆の夫は、晩年病を患い、右半身が不自由となっていました。それまでこの世の中に怖いものなんか何一つないといった気持ちで生きてきた人でしたから、自分の体が自由にならないと知ったときは、相当落ち込んだと聞きます。彼曰く、何だか負けたような気がしたんだそう。病気になった人を見てそんな風に思う人などいないのに、かっこつけしいで見栄っ張りだった彼は、どうしても自分の体を受け入れることができなかったのでしょう。病気になってからは、大好きだった車も手放し、日中はほとんど自宅から出ないような暮らしだったと聞きます。

 

唯一の心の支えが、二頭の愛犬たちの存在。朝夕の食事は、彼が毎日担当し、犬たちも彼にすっかりなついていたんだそうです。そんな彼が、毎日喜んで口にしていたのが老婆が作るコーヒーで、毎日二回、10時と午後4時には老婆と二人で隙間風が消し去ってしまうまでの時間、香りを楽しんでいたんだそうです。実は老婆はコーヒーよりも緑茶の方が好きだったのですが、夫がコーヒーを美味しそうに飲むものだから、自分も一緒にカップを用意するように。夫がリハビリも兼ねてコーヒー豆をミルで挽く間。老婆は今日あった他愛もない話を夫に聞かせているのでした。

「今日ね、散歩していたらフキノトウが出ていたんだよ。もう春なんだね。」
「買い物に出かけていたら、突然雨が降ってきて慌てて走って帰って来たんだよ。」

僅か数分のこの時間が、老婆にとっては幸せな時間。病気をしてから、あまり人と会話をしたがらなくなった夫が唯一聞いてくれる時間が、このコーヒー豆を挽いている時間だけだったからです。粉状になった豆に、夫がゆっくりとお湯を注いで待つ時間。テーブルの上には、夫婦茶碗ならぬ、夫婦コーヒーカップ。二つのカップにコーヒーをそっと注いで、その一つを老婆の前に差し出す夫。すると、まるで二人が若かった頃によく待ち合わせをしていた喫茶店を思い出すのでした。二人っきりのコーヒータイムは、「私の愛した人はこの人だけ」。老婆がそう確信する時間だったのかもしれません。古い家には、コーヒーのほろ苦さと深い香りが良く似合う。熟成された二つの存在が相まって、独特の空気感を作っていたのでしょうか。

今年、たった一人になってしまった老婆は、正直まだ心の整理ができていません。夫がいなくなってしまった現実をまだ受け入れられないでいるのです。だから、突然泣き出してしまったり、大声で怒り出したり、言葉汚く放ってしまうこともあります。ですが、そんな自分が本当に大嫌いで苦しいのです。テレビで相撲が始まれば、夫の写真を持ってテレビの前に座る日々。ラーメンを作れば、これはお父ちゃんの好物だったと、その都度仏壇に行って鐘を二回鳴らしお供えする習慣。愛犬に餌を与えに行く度に、自分を残し早く逝ってしまったことをどうしても犬たちに愚痴ってしまう日々。老婆にとって、今まさに戦いの日々なのです。

「母さん、やっぱり一緒に暮そうよ。こっちに来れば、楽しい場所もいっぱいあるし、母さんの部屋だって用意してあげられる。田舎での一人暮らしは年齢的にもう無理だよ。」

今日もまた、息子からかかってきた一本の電話。答えはいつもと同じだ。

「ありがとう。でも私はここがいいの。この家が好きなの。」

先日、老婆は夫が亡くなってから初めて夫の夢を見ました。でも、夫は夢の中で何も言ってはくれません。それに、見せてくれたのは背中だけ。顔を見ることもできなかったのです。

 

でも、確かにあの後ろ姿は夫だった……。朝目が覚めると、寂しくて寂しくて涙が溢れてくる。もう二度と会うことができない夫の顔。もう聞くことができない夫の声。夢でもいいからまた会いたいと思っていたのに、益々淋しさは増すばかりでした。「今日は一日寝ていようか……」そんな風にも思った老婆だったのですが、すぐに気持ちを切り替えました。そして、久々にあのコーヒーメーカーを使ってみようという思いにかられたのです。そうなのです。老婆はあることに気づいたのです。何度も夫の好物を仏壇にお供えしてきたのだが、コーヒーを供えることをすっかり忘れていたということを。

 

こんなに大事なことをどうして忘れてしまっていたのでしょうか。老婆は急いで着替えると、早速やかんでお湯を沸かして用意を始めました。ところが肝心のコーヒー豆が見当たりません。葬儀の際に、どこかにしまい忘れてしまったみたいなのです。引き出しの中も戸棚の中も探してみました。冷蔵庫の中も探しました。それでもありません。仕方がないので、今度は寝室の方にまで足を運び、あちこち探してみました。こんなところにあるはずなんかないのに。ところがです。あったのです。100グラム入りの真空パックになったコーヒー豆がどういうわけか机の上の隅っこに置いてある。

 

几帳面な性格の老婆は、何でもきちんと整理しておくクセがあるのですが、ペンや定規、鉛筆などを差していたペン入れの横に、ちょこんとそれが置いてあったのです。

「あれ?こんなコーヒー買ったっけ?」

不思議に思いながらそっと手に取ってみると、後ろの方にマジックで大きく数字が書いてある。それは、そのコーヒー豆の賞味期限についてでした。更に、何か書いてあります。

「お湯多めに」

ああ、思い出した!このコーヒーはちょっと自分の口には苦すぎて、ずっと飲むのを後回しにしていたやつだ。それで、今度飲むときはお湯を多めにして飲もうって夫と話していたのです。邪道かもしれないけれど、そうしようって二人で話していたんだった。コーヒー入りの袋に記載されているその文字は、まさしく夫の懐かしい手書きの文字。思いがけず、また二人で暮らしていたあの頃の記憶が蘇ってきました。そして、小さなそのコーヒーの袋を握りしめました。が、次の瞬間、老婆はそのコーヒーの袋にはさみを入れました。そして袋の中のコーヒー豆の香りを思いっきり吸い込むと、すぐに台所の方に向かいました。

 

お湯も沸いているよう。二人分のコーヒーを計量すると、ミルで挽き始める。ゆっくりゆっくりと引き続けました。次に、夫婦コーヒーカップをテーブルの上に並べる。コーヒーメーカーの上に、フィルターをセットして挽いたコーヒー豆を入れる。そして静かにお湯を注ぎました。出来上がったコーヒーは二つのコーヒーカップに半分こして、その一つを仏壇へと運ぶ。その時、もう老婆の顔に涙は見られませんでした。老婆の中で、何かが始まった瞬間だったのかもしれません。それとも、何かが終わりを告げた瞬間だったのでしょうか?

私は、老婆に三日に一度は電話をしています。

「お母さん、元気?風邪ひいていない?」

すると老婆は元気な声でこう答えます。

「大丈夫だ。今ね、お父ちゃんのコーヒー飲んでいる。」

「そっかあ。母さんはあのコーヒーがいいんだもんね。もうそろそろ無くなる頃じゃない?またコーヒー送ろうか?」

母は元気に答えます。

「そうだな。ありがとうね。代わりに畑にできている野菜を今度いっぱい送るからね。」

引きこもり気味だった老婆は、少しずつ元気を取り戻し、また畑作りに精を出すようになっています。孫たちに美味しい野菜を食べさせたい、芋ほりさせたいと、丁寧に丁寧に畑づくりをしています。キュウリやナスやトマト。オクラにピーマン……。そして作業に疲れると、床の上にごろんと転がって、大の字になってお昼寝します。目を閉じると、様々な「声」や「音」が思い出されると言います。その中には、かつてこの家で老婆の夫と一緒に暮した日々や、姑の介護をしていた頃の記憶、私たち三人の子育てをしていた頃の思い出もあるとのこと。でも、やっぱり老婆にとって一番大切な記憶は、夫の日々のようです。本当はここで子供たちの思い出が一番と言ってほしいところなのですが、これもまた良しとしましょう。もうすぐ父の一周忌がやってきます。久々に、おんぼろ屋にも足を運ぶことになります。きっとそこでまだ、あの古い家とコーヒーの絶妙な組み合わせを楽しめることでしょう。古い家にはコーヒーがよく似合う。それは、両方とも熟成されたものだから。二つが一つとなったとき、私はなんだか人生を考えさせられるのです。老婆の愛しい人は、きっと仏壇からあの良い香りを感じていることでしょう。そして、彼にとっても大切な存在だった老婆のことを見守っているのだと思います。

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