古民家カフェでコーヒーを

僕は生涯独身で間違いない。でも最近よく、一生このまま恋をすることもなく年を取っていくのかと考える。そう考えると切ない。一生一人だと考えながら飲んだコーヒーはとても苦かった。
僕も恋がしたい。

高校を卒業後地元の食品工場へ就職した僕は、来月で30歳になる。僕は独身で、実家で両親と暮らしている。姉は結婚して家を出ているが、車で30分足らずのところに住んでいる。夫不在の時に子供二人を連れてしょっちゅう晩御飯を食べにやって来るから賑やかだ。子供たちは可愛くて、僕も自分の子がいたらなと思ってしまう。

僕の父も母も50代後半で健康だ。父は現役で働いているので、専業主婦の母が、父と僕の分の弁当を毎朝作って持たせてくれる。朝起きれば、朝食が出来ている。残業を終えて帰宅すれば、おかずを温め直してくれる。工場の作業着は真っ白に洗濯されアイロンがかかって畳んでくれる。全て母がしてくれることだ。母が食事の準備や身の回りのことをしてくれるのは、生まれた時から今まで続いていることだから、ありがたいといつも感謝しているが、特に疑問を持ったことはなかった。

ある日、会社の休憩スペースでいつも通り母の弁当を食べていたら、40代後半の先輩社員が隣に座った。最近会わなかったので久しぶりだ。
「お、高須は手作り弁当か。いいなあ」と先輩は声をかけてきた。
「先輩、お久しぶりですね。休んでたって聞きましたけど、どうしたんですか?」と僕は聞いた。
「あぁ、嫁さんが病気で入院中なんだよ。嫁さんのお母さんが手伝いに来てくれていたんだけど、お母さんまで看病疲れで倒れちゃったよ。今まで食事も洗濯も掃除も子供のことも、家のこと全部嫁さんに任せっきりだったから大変だよ」と先輩はため息をついた。

それを横で聞いていた30代のパートさんたちが、
「奥さん大丈夫?退院したらしっかり休ませてあげるのよ。今のうちに家事を練習しておいてね」と会話に加わった。
「いやあ本当に困ってるよ。お昼だってコンビニ弁当だよ。作業着も自分で洗濯機に入れてるだけじゃ汚れが落ちないし。今まで嫁さんに頼りっきりだったんだなと気付いたよ」と先輩は疲れ顔だ。
確かに先輩の作業着は、食品のシミや機械の汚れが残っているしヨレヨレだ。

「今までは嫁さんが、つけ置き洗いや手洗いしてくれてたんだよなあ。自分でやってみると本当に面倒なんだよ。汚れは全然落ちないし。高須は実家暮らしで、お母さんがやってくれてるんだっけ。感謝しろよ。あといつまでも親は元気じゃないからな。結婚しても自分で出来るようにしておけよ。やって貰うにしてもちゃんと感謝の気持ちを持つんだぞ」と真顔で言った。僕が母への感謝の思いを募らせていると、パートさんたちの矛先が、結婚しないのかとか彼女はいるのかとか、僕へ向かってきた。僕は急いで弁当を食べ終わらせて、席を立った。

30歳が近くなり、最近両親や姉からも、結婚しないのかと言われる。そう言われても、結婚どころか彼女さえいないのに、どうやって結婚すればいいんだ。僕は学生時代からおとなしく目立たない男だった。モテ期などというものが訪れたこともなく、彼女が出来たこともなかった。今も、職場での出逢いはない。工場勤務の高卒の社員の採用はずっと男性だけだ。女性は既婚者のパートさんだけで、恋愛対象となる子はいなかった。

そもそも僕が入社した時は、同期の高卒の女子社員がいた。その後も数年は後輩の女子社員がいた時代もあった。彼女たちは、社内結婚で二、三年で退職していった。数少ない若い独身女性は争奪戦で、僕など蚊帳の外だった。昔からおとなしくて目立たないので、争奪戦に加われなくても当然だった。

ここは田舎で結婚が早いので、地元にいる同級生の女の子は、20代前半でみんな結婚していて今は子育てに忙しい。高校の同級生たちからBBQやキャンプに誘われることもあるけれど、みんな家族連れだから一人で行きたいとは思わなかった。

うすうす分かってはいたけれど、このままの生活を続けていたら、僕はきっと生涯独身だ。一生一人だ。職場と実家を車で往復するだけの生活。話し相手は、実家の家族と、職場の既婚者のパートさんだけ。

分かっている。分かってはいたけど・・。
僕も恋がしたい。
結婚したいとかそんなことよりも。僕は恋をしたかった。

僕は、何でもいいから自分の生活を変えたくなった。そこで入社10年以上の社員が取得出来るリフレッシュ休暇を取得してみた。10日連続の有給休暇だ。何をしようか。僕はコーヒーが大好きなのでカフェ巡りでもしようか。僕は、有給休暇の最中にある女性と出会った。最近、僕の住む町は過疎化が進んでいて、役場は移住者の呼び込みに熱心だ。役場で移住希望者対応の部署にいる友人から電話がかかってきて、ある女性にこの町のことを話してあげて欲しいという。

その役場の友人はこう言った。
「彼女の名前は優香さんだ。移住を検討している若い独身女性だ。今日、彼女に話しを聞かせてあげる予定だった人が40代なんだ。高須が今、休暇中と聞いたよ。彼女は高須より10歳くらい年下だけど、少しでも歳が近い方が彼女も話しやすいだろう。高須も知っているだろうけど、高須の家の近くで先日空き家になった古民家があるだろう。あそこを内見してきたところだけど、彼女すごく気に入ったんだって。それで山の上にあるレストランが今がカフェの時間なんだ。あそこで美味しいコーヒーが飲める。彼女、コーヒーが好きで古民家カフェをやりたいんだって。予約してあるから、車で連れて行ってあげてコーヒーを飲みながら話をしてあげてよ」

僕は暇だったのでオーケーした。若い独身女性が田舎に移住したいだなんて変わってるなと思いながら役場へ車を走らせた。紹介された優香さんは、小柄で可愛らしい女性だった。彼女は人懐っこい笑顔でぴょこんと頭を下げて挨拶をしてくれた。
「はじめまして。優香と言います。高須さん、休暇中のところありがとうございます」と笑う彼女の笑顔は眩しすぎた。

いつも既婚者のパートさんとしか接していない僕は、緊張でドキドキしてしまった。大丈夫だろうかちゃんと話せるだろうかと心配したが、彼女は不思議と人をリラックスさせてくれる雰囲気を持った女性だった。車でレストランで、僕と優香さんの会話は途切れることなく続いた。

優香さんは東京生まれの東京育ち。もともと事情があって身内が少なかったが、昨年ついにお母さんが亡くなり天涯孤独になったという。お母さんが残してくれた生命保険と遺産があるので、それを元に、憧れていた田舎での生活を始めたいという。

彼女の夢は色々あった。古民家を買ってカフェをする。有機豆を使った有機コーヒーや、妊婦さんでも飲めるたんぽぽコーヒーを出したい。お菓子作りが好きなので、焼きたてのクッキーやケーキも出したい。保護猫を3匹くらい飼ってあげたい。猫がくつろいでいるところを見られる猫カフェにもなる。畑で苺を作って、手作りの苺ジャムを作る。

僕が少しあっけにとられていると、さっきオーダーしたコーヒーが運ばれてきた。僕はこの山の上のレストランへ来たのは初めてだった。噂どおり美味しいコーヒーだった。僕と優香さんは同じタイミングで「美味しい」と笑顔になった。それから優香さんは真顔で言った。

「私の夢、幼いって思いましたか?自分でもそうかなって思います。幼いし、変わってるとか不思議ちゃんとかよく言われていました。自分が、世間に合わないなって。生きづらいなってずっと思っていました。それが都会の慌ただしさのせいなのかどうか、分かりません。でも東京を出てみたいって思ってたんです。母も亡くなってしまったし、思いきって憧れていた田舎生活をスタートさせてみようって。私は在宅でデザインの仕事をしてるので、パソコンとインターネットさえあれば、全国どこでも仕事ができます。
移住者相談会でも、他の移住希望者は、リタイアしたご夫婦や、小さい子供を抱えた農業希望の若い夫婦だけでした。私のような若い独身女性なんていなくて、どうして?って聞かれます。でももうどこかへ移住することは決めたんです。あとは場所を決めるだけ。数カ所下見に行ったんです」

僕は優香さんの話しをじっくり聞いてから、言葉を選んで少しずつ話しをした。
「僕は君より10歳年上だから少しだけアドバイスさせて下さい。僕は人にアドバイス出来るような立派な人間じゃないんだけどね。優香さんは、今まで生きづらい思いを抱えてきて、ご家族もいなくてつらい思いをして来たんだね。僕は田舎で親戚も多くて両親も健在で、今でも実家暮らしで甘えた生活をしているから偉そうに言えないんだけど、心配になったことを率直に言わせて貰うね。遺産や生命保険があるなんて、知らない他人に言っては駄目だよ。そのお金を狙おうと騙す人がいるかもしれないし、泥棒に合うかもしれない。田舎だから治安はいいけど、若い女性一人だし物騒だよ。若い女性がオーナーの古民家カフェとかネットで発信したりしたら、女一人暮らしだって宣伝しているようなものだからね。

まとまったお金があって、さらにデザインの仕事で生計を立てているんだね。だから古民家カフェは趣味でやってみたいのかもしれないけど、古民家を買っ色々な投資もして赤字続きだったら、あっという間に貯金を使い果たしてしまう可能性もあるよ。亡くなったお母さんの命のお金だよ。君はまだ20歳で今後人生が何十年もある。若い数年で使い果たさないで、遺産は無いものと思って将来に備えて貯金しておいたらどうかな。もし君が今後、一人で病気になったりしたときに手伝ってくれる親も親戚もいないんだよ。お金があればヘルパーさんとか付き添いさんを雇うことが出来るよ。

僕はこの田舎で生まれ育って他の土地では暮らしていないけど、会社の研修で東京や大阪や名古屋の都市、工場のある地方にも研修に行って一ヶ月間くらい過ごしてきたよ。僕もコーヒーが大好きでカフェ巡りをしていたから、古民家カフェなんて素敵だなって思うよ。でもこの土地でやってもね・・残念だけど人がいないんだよ。都会みたいにショッピングしながら街をぶらぶら歩いて、ふらりとカフェに入ったりしないんだよ。みんな車で目的地へ移動していて歩いてないんだからね。都会だったら、アパート住まいで猫を飼えない人や、デートで猫カフェに行ったりするけど、この辺はみんな一軒家でペットを飼っているし、猫もその辺にいるしわざわざ猫カフェに行ったりしないと思うよ。そもそも古民家カフェに行く人って若い人でしょ。ここは若い人がいないんだよ。だからこの町は移住者を呼ぼうとしているんだし。例えていうなら、無人島にどんなに素敵なカフェがあってもお客さんは来ないでしょ。この辺に、街が誘致してチェーン店のコーヒーショップが出来たんだけど、オープン初日以外はほとんどお客さんが入らず、撤退しちゃったんだ。水を差すようなことを言って本当に申し訳無いんだけど、心配になって」

僕の目をじっと見つめて話を聞いていた優香さんが、口を開いた。

「高須さんってオトナですね。それに優しい・・。親身になってくれてありがとうございます。数カ所下見に行って色々な人と話をしましたけれど、そんな風に言ってくれる人っていませんでした。
はい。遺産があるからとか言うのいけないですね。これからは言いません。あと、お母さんの命のお金だから大切にって言ってくれて・・ありがとう。何ていうのか、自分が働いたわけじゃないのにたくさんのお金が入っちゃって、申し訳ないような気がしていたんです。私も楽しくて、地域の人が集ってほっと一息出来るような場所を作ることで、少しだけ世のため人のためになることにお金を使えたらなと思って。多分、私少し変わっていて学校でもずっと浮かないように無理して来たんです。もう無理することに疲れちゃって。でも、甘いですよね。この町に来たら、山があって棚田があって、空気も綺麗。古民家も理想的で舞い上がっちゃったんです。色々ね移住候補地に足を運んだんだけど、ここに来たらほっとしたの。直感を信じてるんです私」

彼女の目が涙で少し潤んだ。そして笑って言った。
「コーヒーおかわりしましょうよ!」

二杯目のコーヒーを飲みながら、僕と優香さんの話は尽きなかった。移住の話以外にも、お互いの生まれ、育ち、家族のこと。仕事、趣味、悩みを話した。先ほど初めて出会ったとは思えないほどお互いのことを語り合った。
僕は、生まれてからこんなに色々なことを女性と語り合ったことはなかった。彼女は僕の話しを真剣に聞いてくれて、相槌をうち、返事をしてくれる。些細な冗談で笑ってくれる。僕がちょっとした愚痴を話せば、一緒になって怒ってくれて慰めてくれる。

僕はこの時間が幸せすぎて、ずっとこの時間が続いてくれたらと願った。ここに来てもう2時間になる。僕は残念だけどこう切り出さなければならなかった。
「優香さん、そろそろ行った方がいいかな。明日別の土地を見に行く予定になっていて移動するんだよね。また明日案内の人と会うんだよね」

優香さんはじっと僕の目を見てからこう言った。
「あの、ちょっと待っていて貰えますか?明日の約束のキャンセルの電話をしてきます」

え?どういうこと?

「もう他の土地を探しに行く必要はなくなりました。直感を大切にしたいんです。私、この土地に決めました。古民家は買わずに、まずは借りてみることにします。カフェもすぐに新装開店!にはしません。色々お金をかけて投資したり宣伝したりせずに、まずは近所の方に美味しいコーヒーをふるまったりしてみたいなって思います。高須さんにも、飲みに来て貰えたら嬉しいです。来て貰えますか?」

僕は「え、も、もちろんだよ。美味しいコーヒーが飲めるカフェがあったらなってずっと思ってたんだ。それに・・それに」と口籠ってしまった。

「それに・・何ですか?」と優香さんは真っ直ぐに僕の目を見つめてくる。

僕はその目に応えるように、「もっともっと優香さんと話がしたいから」ときっぱりと言った。

優香さんは笑顔になって「良かった!やっぱり私の直感は当たっていました!私もです。私、高須さんともっともっと親しくなれるかもってひらめいたんです。だからこの土地に決めたんです」とはしゃいだ声を出した。

何て可愛いんだろう。僕の願いが叶うかもしれない。恋をしたいという僕の願いが。いやもうすでに、叶っているのかもしれない。
古民家カフェをしたいという彼女の夢も一緒に叶えられるかもしれないと思うほど、僕は浮かれていた。

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