夫婦の香り

結婚すれば無条件で幸せになれる。いわゆる「勝ち組」なんだ。

 

かろうじて、30代に入る手前にそんな勝ち組メンバーの仲間入りを果たした私は、これから訪れるであろうあんなことやこんなことに胸を躍らせ、ワクワクしながら彼のもとへと嫁いできました。

 

遠距離恋愛だった私たちは、やっと会えても一緒に過ごせる時間は毎回短くて、こんな寂しい辛い思いをわざわざするくらいなら、会わない方が気が楽だなんてことも思っていたりしたものです。ですから、そんな辛さから脱出できる「結婚」というチャンスは、私にとって救われることだったのです。

 

それは、彼も同じだと言ってくれました。数か月に一度、遥々遠方から車を運転してきてくれる彼。安全運転してほしいので、目覚ましも兼ねてのホットコーヒー。帰り際は、いつも私が濃いめのコーヒーを淹れてあげていました。

 

「これを飲みきったらサヨナラ」それは暗黙の了解。

 

だからこそ、二人のコーヒーの時間はむしろ切ない時間でもあったのです。頑張って、無理して明るくて楽しい話題を提供する私。それをちゃんと分かってくれて、やっぱり同じようにいっぱい笑って美味しいと言ってコーヒーを口にする彼。絶対に「寂しい」と言わないのも、いつの間にか二人の間で出来上がっていたルールだったのかもしれませんね。

 

これからは、時間を気にせずにいっぱい話して二人で本気で生きていきたい。あの頃は、確かにそんな風に誓って一緒に暮らしていたんです。ところが、結婚とは残酷なものですよね。今まで知らなかった色々なものが見えてきて嫌になったり、知らず知らずのうちにいつも一緒にそばにいてくれる相手のことを大切には思えなくなって感情をそのままぶつけ合うようになってしまいました。

 

ここまでの話しは、今までも先輩から聞いてある程度は覚悟していたのです。「結婚したら片目で見るようにするんだよ」なんて、アドバイスを受けたこともありましたから。でも、状況はどんどん悪化するばかり。そこそこ料理には自信があった私ですが、彼は毎食私の作った食事に文句をつけるようになりました。

 

「何これ?」

 

何って聞かれるほど珍しいレシピではありませんでした。
カレーを作ってもこんな感じです。しだいに私は本気で離婚を考えるようになって行きました。そしてついに、家出。家出と言うよりも、この現実から逃げたと言う方が正しい。生きがいだった仕事を泣く泣く辞め、故郷を離れたった一人で彼を信じて結婚したのに。

 

いい奥さん、言い嫁になろうって頑張っていたのに。でも、誰一人それを認めてくれる人はいませんでした。

 

「結婚なんてするんじゃなかった……私だけバカみたいだ……」

 

その時、私は間違いなく「負け組」になったのだと理解していました。一人でいる孤独よりも、好きな人と一緒にいる時に味わう孤独の方がずっと辛く痛いもの。当時の私が一番学んだこととは、恐らくそういったことだったのだと思います。ところが、運命とは本当に不思議なものです。離婚するつもりでいた私でしたが、それが簡単ではなくなったのです。

 

私は、妊娠していました。妊娠なんて全く考えていなかったので、ただただびっくりといった感じ。でも、後からじんわりと温かい気持ちに包まれました。そして、自分のカラダを誇らしく思ったのです。「こんなダメダメ人間の私のところに来てくれた赤ちゃん……」私はまた幸せな人間へと変わることができました。

 

「ねえ、あのさ、話しがあるんだけどさ……」

 

私は義務だと思って彼に妊娠について告げました。ドラマなんかで観るような感動的なシーンではまるでなく、また何の期待もしておらず、ただ淡々と彼にそれについて伝えました。すると彼は、思いがけない行動をとったのです。彼は泣いていました。それは、赤ちゃんの誕生を喜んでと言うよりも、私への謝罪の涙でした。

 

「お前がそんな大変な時に、俺はキツい態度をとってしまった。俺たちの子供ができた時は、絶対に最高のお祝いをしようと思っていたのに、俺は最低の状況でお前を迎えてしまったんだな。ごめん」

 

もしかしたら、彼のこの言葉は未来の父親らしからぬ言葉だったのかもしれません。でも、この時の私にとって何よりも愛されていることを感じられる嬉しい言葉だったのです。そして思い出したのです。遠距離恋愛中だった頃、彼が言っていた言葉を。

 

「あなたは、私ではなくあなたによく似た可愛い子を産んでください。あなたを母親として生まれてくる子は、絶対に幸せだと思います。私は、その時をせいいっぱい歓迎しますから」

 

あれから10年以上経ちますが、ずっと私を大切にしてくれている彼です。結婚当時、仕事が上手くいかずに彼も追い詰められていたことを、だいぶ経ってから知りました。私に心配かけないように、そしてカッコつけたくて?一人で頑張っていたんでしょうね。

 

男の人は大変ですよね。女性なら友達と愚痴を言い合って美味しいケーキでも食べれば案外元気になれるものですが、男性はそれもできないんですから。もちろん良かれと思って、彼にあれこれ聞いたり分かったふりをしてアドバイスすることもできますが、たぶん男性はそれを求めてはいないような気がします。

 

だから私は、毎朝丁寧にコーヒーを淹れて彼に差しだすのです。豆はこだわって選び大切に保管。コーヒー豆をミルで挽いて、すぐに淹れる。そして、朝は絶対に暗いことや難しいことは話題にしない。それはまた、私たちの間にいつの間にかできていたルール。

 

思えば、あの頃からずっと私たちは変わっていないんですよね。でもね、変わったこともあるんです。お互い、もうカッコつけたりはしないということ。弱音上等!しくじり万歳!今はもう、弱いところも醜いところだって何でも許せるし笑えるし。

 

「夫婦はまるで空気のような存在である」

 

それはどうかしら……
私はそれはちょっと違うような気がしています。相手が空気であるなら、気遣いなんてしたりしないでしょう?私は、それを言うなら

 

「夫婦はまるで香りのような存在である」って言いたい。夫婦間の香りを壊さなぬように大切に守ることが、なんだかハッピーになれる条件のような気がするんです。

 

夫婦の数だけ香りがある。その香りを身にまとって、皆この世知辛い世の中を生きて行くんじゃないかなって思うのです。

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