煮詰まったコーヒー

デザイン事務所に勤めた新人デザイナー、朝一番の仕事はコーヒーメーカーの中で昨夜から煮詰まっているコーヒーを流しに捨てて、新しいコーヒーを淹れることでした。

 

徹夜仕事で事務所に泊まっているデザイナーさんやコピーライターさんが、眠気覚ましに飲むコーヒー。
午前中の営業担当やお偉いさんたちが出席する社内会議、代理店やクライアントを招いての企画会議やデザイン会議にも、新人が淹れたコーヒーが提供されます。
薄いとか濃すぎるとか、不味いとか、仕事や会議の流れ次第では、時にはとんでもないお目玉を食らうこともありました。もちろんそれは完全にとばっちり、八つ当たりのケースです。
そんな状況ではありましたが、元来能天気なボクは、
「今日のコーヒー美味しかったぞ、で、キミに特別な仕事をあげよう、これで給料も上がるぞ。」
なんて声がかかるかもと妄想し、日々朝のコーヒー淹れを続けていました。

 

毎日のコーヒー淹れでしたが、年がら年中事務所に先輩デザイナーさんたちが泊まり込んでいたり、来る日も社内会議が続いたりするわけでもありません。
前日に淹れておいたコーヒーが煮詰まりながらコーヒーメーカーにたっぷり残っていることもありました。
能天気ながらも貧乏性でもあるボク。
煮詰まって濃いコーヒーをそのままダバーっと流しに捨ててしまうのは勿体ない。
武士の情け、飲んであげましょう、ひと口でも、と飲むことにしていました。

 

でもさすがに煮詰まったコーヒーです。
そのまま飲むには苦過ぎます。
自分用に事務所の冷蔵庫に買い置きしてある牛乳を
自分専用の大きめのマグカップに半分、給湯室の電子レンジで温め、砂糖をたっぷりと投入、煮詰まったコーヒーを注ぎ、ちょっと苦めの甘いカフェオレを作って飲んでおりました。
今思えば、コーヒーも大量に消費していた砂糖も会社の備品。新人ながら図太い行動です。

 

その日の朝も給湯室で、たっぷりと余ったコーヒーを使ってカフェオレを作っていました。
後ろから
「ふーん、それ美味しいの?」
と声がしました。
悪いことをしているつもりは毛頭無かったのですが、サボっているところを発見されてしまったようで、びくっとなり振り返りました。
「新人くん、私にもそれ作ってくれる。」
そこに立っていたのは、五つ上の先輩社員、女性デザイナーさん。どうやら徹夜明けの様子でした。
「新しいコーヒー、直ぐ淹れますから。」と言ったのですが、
「いいの、いいの、それ飲んでみたいから。出来たらデスクに持って来てね。あっ砂糖もたっぷりでいいからね。」
先輩は自分のマグカップを置くと、さっさと行ってしまいました。

 

急いでカフェオレを作り先輩のデスクへ。
一口すすると「苦ぇ、甘ぁ」と笑う先輩。
「新しいコーヒー直ぐ淹れますから。」
「いいの、いいの。これぐらい脳に刺激があった方が、徹夜明けにはちょうどいいから。」
「先輩、また泊まりだったんですか?」
「そう、三日目。どう、髪とか足とか臭う?」
忘れそうですが、そう笑う先輩は20代の女性です。
「毎朝カフェオレ作ってるの?」
「いえ、コーヒーがたくさん余ったときだけです。そのまま捨てちゃうのなんだか忍びなくて。」
「忍びない?勿体ないじゃなくて?」
「あっ勿体なくて、です。」
「新人くん、キミ、面白いね。またコーヒー余ったらカフェオレよろしくね。私、けっこう泊まってるから。」
そんなやり取りがあり、ボクは先輩が泊まっていると、先輩用のカフェオレも作るようになりました。

何度かカフェオレを作って持って行くうちに、先輩の方から先輩のデザイン途中の作品の感想を聞いてきてくれたり、先輩の抱えている仕事の手伝いをふってくれたりするように。
仕事の流れで晩ご飯を食べに行ったりするようにもなり、会社の中で一番親しい先輩社員となっていました。

 

入社してから半年ぐらいした頃、翌年は新入社員を採用しないことが決まり、
引き続きボクがもう一年、最下級、一番下っ端になることが決まりました。
「新人、おまえまた新人だな。」と上司たちが笑う中、先輩だけは
「新人はないよね、ま、半人前だけど。」
と一応慰めっぽい言葉をかけてくれました。
「私はキミのカフェオレがまた飲めるからラッキーだけどね。」とも。

 

そんな先輩の元にカフェオレを運び一緒に仕事をしていくうち、ボクは当然のように先輩に先輩としてだけでは女性として好意を抱くようになっていました。
仕事上の先輩と言うこともあり、奥手でもあるボクは気持ちを表すことはしませんでした。

 

ただ一度だけ晩ご飯を食べに行った席で、話の流れ、冗談まじりに
「先輩、彼氏とかつき合っている人いないんですか?」と聞いたことがあります。
「こんだけ会社にしょっちゅう泊まっている私に彼氏が出来ると思う?」
と、逆につっこまれ、なんだか安心した気分になり
「そうですよね、先輩しょっちゅう足臭いし。」
と言ってしまい、頭をはたかれてしまいました。

 

何年かしてボクにも後輩が出来、朝のコーヒー淹れもしなくて済むようになり、
先輩ともがっつり仕事をするようになったある日。
先輩から
「久し振りにカフェオレ作ってくれない。」
と言われました。

 

久しく作っていなかったので牛乳をコンビニに買いに行くところから始まりました。
後輩が淹れたばかりの煮詰まっていないコーヒーでカフェオレを作り先輩の元へ。
ボクの作ったカフェオレを飲みながら
「私、今度、寿っちゃうことになってさ。」
とボソっと話しました。

 

「結婚するってことですか?」
相手はウチの会社がよく取引していた広告代理店の方でした。
「仕事は続けるんですよね。」
「仕事は続けるけど、彼が大阪支社へ転勤することになってて、それについて行くんだ、向こうで続けるの。」
先輩が男性とつき合っていたことさえ知らなかったボクはかなりショックでした。
先輩もたぶんボクの気持ちには気づいていたと思います。
ただ一言
「やっぱ、キミの作るカフェオレは朝一番の煮詰まりきったコーヒーじゃないとダメだね。全然苦くない。甘いだけだわ。」
それがボクが先輩に作った最後のカフェオレとなりました。

しばらくして先輩は皆に祝福され退社。
それから一年ぐらいしてハワイの青空のもと笑顔の新郎新婦の写真付きはがきが届きました。

 

今でもたまに、徹夜明けの朝、ボクは煮詰まったコーヒーが残っているとカフェオレ作りをすることがあります。先輩が残していった愛用のマグカップに。苦くて甘くて、なんだか情けないような味のカフェオレをなみなみと。

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