珈琲豆が教えてくれた事

小学生の私にとってコーヒーが飲める事はご褒美だった。
それはコーヒーがとてつもなく美味しと感じていたからだ。

しかし、小学生の私に家でコーヒーが出されるわけはなく、三人兄妹の末っ子の私はもっぱら父の書斎にコーヒーを届けに行く係だった。 一度だけ父は私に『一口だけ飲んでみるか』といたずらな笑顔で聞いてきた。好奇心旺盛な私は二つ返事で『うん』と言って飲んでみた。
『うぇー。にがい、、、』なぜ大人がそんなにコーヒーを好んで飲むのかが全く理解できなかった。

それからしばらくして、母が車のガソリンを入れに行くのに一緒に行かないかと私をお供に夜のガソリンスタンドへいった。そこではコーヒーが自由に飲める。当時のガソリンスタンドはセルフの所が少なくバイトであろう若者がせっせとガソリンを入れ、窓を吹き、灰皿の交換などをしてくれていた。それを母はいつもコーヒーを飲んで待っていた。私はコーヒーには目もくれず自動販売機の色とりどりのジュースにワクワクしていた。しかし、ふと目に入ったのがコーヒー台に置かれている砂糖とミルク、いわゆるフレッシュだ。ここで私の好奇心は再度かきたてられ、紙コップを手に取り、コーヒーを少しだけ入れ、2本の砂糖と3個のフレッシュを入れてかき混ぜた。すると香ばしさの中にとても甘くて濃厚なコーヒーが出来上がり、言うまでもなくこの日から私はコーヒーの虜になった。ほんのり広がるほろ苦さだって好きだった。まだまだ小学校低学年の体には良くないと思いつつも、月に一回か二回の事だったのでこの特別なコーヒーを母も許していた。このコーヒーを飲みながら手際よく作業をする人達を見るのが好きだった。美味しいコーヒーを飲んだ満足感と 清掃後の爽やかな車内で私いつも幸せにひたっていた。

中学生になり部活や勉強で忙しくなってそんな習慣はいつの間にかどこかえ消えていった。
しかし高校生になるとドラマや映画の影響でどこか大人な自分を求めていた。お酒やタバコはダメだけど、コーヒーなら手が届く。朝の通勤ラッシュで学生やビジネスマンが行き交う中、しれっとした顔で缶コーヒーを買う私。ブラック無糖。心の中では大人ぶっている自分に恥ずかしいような、嬉しいような、なんとも言えない歯がゆさがあったが、またしれっとした顔で登校して学校で飲んだ。
にがい。ハードルが高すぎた。その後はせめて微糖のミルク入りにして背伸びをして頑張った。しかしやはり無理をしていただけで美味しいとは思っていなかった。やはりこの苦味が苦手だった。そんな中でスターバックスに出会った。
甘い。美味しい。いける。

 

なぜなら私が選ぶのはキャラメルマキアートやジャバチップフラペチーノとか何とかで、抹茶ラテに至ってはもはやコーヒーではない。でもスタバでは友達と恋愛の話や将来の夢やくだらない話をしながら青春時代を過ごした。初めての彼との初デートもスタバで待ち合わせをした。それなりに楽しい日々ではあったが、今思うと流されてしまった恋愛だったのかもしれない。好きだと言われれば意識もするし、自分も好きになった。受験勉強や進路の違いで彼とはあっさり終わった。でもデートはいつもスタバで待ち合わせから始まった。友達と過ごしたり、彼と過ごしたり、そこのお店で何杯の’コーヒー”を飲んだ事だろうか、、、。だからなんとなく自分はコーヒー好きなのだと思い込んでいた。

高校を卒業してからアメリカへ留学する事を決めた。
場所はアメリカと言えども片田舎の小さな町。当時のその町にはスタバさえなかった。しかしやはりそこは時代の流れ、留学してから1年も経たないうちにその町にもスタバ1号店ができた。学生やビジネスマン、お年寄りや子供連れの主婦などそれぞれのスタイルでコーヒーを楽しんでいた。私もそこで’コーヒー’を片手に友達と会ったり、勉強会をしたりして時間を過ごした。一緒に住んでいたアメリカ人家族の家でも朝はいっつもコーヒーだった。この家ではお父さんが一番早く起きる。そして毎朝お母さんに出来たてのコーヒーをベットに持っていくのが習慣だ。なんて素敵な習慣だ。単純な私はこの日から理想の男性は『毎朝コーヒーを作ってくれる人。』となった。ただ、何かがしっくりこない。でも当時の私には理由はわからなかったし特に気にもしなかった。

そんなある日、大学で仲良くなったスペイン語の教授と話をしていた時、彼はこう言った。『僕はカフェでノートパソコンを開いて仕事してる人や勉強している学生は信じられないな。本当に作業ははかどってるのかな。カフェで作業をしてる自分が好きなだけなんじゃないかい』私は『Well,,,』えーと、と言った後の言葉が出てこない。

 

なぜなら、かたよった意見だなと思いながらも彼の質問を噛み締めながら自分のシチュエーションに置き換えてしまったからだ。私には彼の質問がこう聞こえた。『彼らはコーヒーが好きだからカフェで作業をするのか、それともカフェで作業をする自分が好きだからそうするのか』そしてこの質問から自分の中でしっくりこなかった部分への質問が生まれた。私はコーヒーが好きだから毎朝コーヒーを作ってくれる人が理想なのか。それともただ持ってきてくれる事が嬉しいのか。そもそも私はコーヒーが好きなのだろうか。というか、それってコーヒーじゃないとダメなのだろうか。などといった変なループにはまってしまい特に彼に何の意見も言えないまま帰った。たしかに私はコーヒーが好きだと思い込んでいだが、コーヒーというより甘い飲み物が好きなだけなようなわけで、、、。ただ、時を経るごとにあの苦さも好きになってきたのも事実。カフェに行けばホイップクリームがたっぷり乗ったなんとかチーノを頼んでたりしたものの、家ではコーヒーに多めの牛乳を入れて飲むのが習慣になっていた。コーヒーが好きだからというよりは、苦味にも慣れてきたんだろう。

結局その変な疑問のループに対しての答えは見つからないまま卒業をして帰国して旅行会社に勤めた。オフィスではもっぱらインスタントコーヒーを飲んでいた。その時は正直コーヒーが好きか嫌いかなんてどうでもよかった、とにかく仕事をこなすのに必死でコーヒーが欠かせなかった。そんな日々を送っていると、仕事で3年間の海外転勤の話が舞い込んできた。また海外に行きたい思いがあったので転勤の希望を出してみた。運良く選ばれていざ中欧のオーストリアに住むこととなった。古くからカフェ文化があるこの国で私はやっといろんなコーヒーを試して見る気になった。

 

オーストリアのウィーナーコーヒー、やイタリアのエスプレッソ、またいく先々でラテやらマキャートやメレンジェなどをいろいろ試してみた。確かに美味しい気がした。ヨーロッパのカフェやレストランにはテラスを出している店が多い。天気の良い土曜日の午前にカフェのテラスで飲むコーヒーは格別だった。その理由は何よりもそのコーヒーを飲み、休日に友人と話をしながら有意義な時間を過ごせることに幸せを感じていた。周りのお客さんをみていてもスマホをいじっている人はいない。皆この場所でここに居る人たちと時間を楽しんでいる。実は、登場のさせるタイミングを失っていたが私はこの地に来てからとても素敵な人に出会った。その人はそんな楽しい時間を過ごす友人の一人だった。無邪気に笑い、純粋な眼差しで見つめてくるこの人とずっと一緒に居たいと思った。今までの私には珍しく、この人がいい、この人じゃないと意味がないというこだわりみたいなものがあった。しばらくしてから幸運にもお付き合いすることになって、今まで以上に二人でカフェ巡りをした。私にとってこの時間が何よりも幸せだった。この頃から私はアメリカで抱いていた疑問の答えを見出していた。コーヒーが好きかどうかと聞かれれば好きだと答える。でもそれ以上にコーヒーを通して得られる大切な人との時間が好きだ。喧嘩をしてもコーヒーを入れて仲直りをする。出張でしばらく会えなくなる前日は二人でコーヒーを入れてまったりする。コーヒーは1つのコミュニケーションツールである事にやっと気付いた。コーヒーが好きかどうかよりも、一緒に過ごす相手が大事なんだ、それは恋人だけでなく家族や友人、誰であっても。私はそう考える事で落ち着いていた。ところが、しばらくしてからもっとしっくりする答えを私は発見した。

彼と日本への一時帰国の時期が重なり、休みを利用して彼の地元にある小さなコーヒー屋さんへ行く計画をたてた。以前から彼が一度一緒に行きたいと思っていたお店らしく自家焙煎したコーヒー豆も置いているところだ。店内は木でできたテーブルや椅子が置いてあって自然を感じられるオシャレな作りだ。店員さんも気立ての良い落ち着いた方たちで、とても良い雰囲気を作り出していた。何種類かの豆を試飲できるようになっていた。

 

今までちゃんと飲み比べをした事がなかった私たちは味の違いにびっくりした。そしてそれぞれの好みも違った。私はこれまでコーヒーを飲んできてやっぱりラテで飲むのが一番好きだと分かった。小学生の時のなごりかどうかはわからないが特別な事がない限りはいつもラテを注文する。このお店でもいつものようにラテを注文して飲んだ。衝撃的な美味しさだった。美味しさが忘れられなくて次の日もそのお店に行った。一回目が美味しくても二回目はどうかな、、、はい、おいしい。これはプロが入れてくれるから美味しいわけで、自分で入れたらどうだろうと豆を買って家でのんでみた、、、はい、絶品。
私はこの豆がいい、この豆じゃなきゃ意味がないと思った。

今までコーヒー自体にこだわりがなくてもそれとなく楽しめていた。あの独特の苦さも慣れてくれば好きになる。今までの恋愛もそうだった。好きだと言ってもらえれば嬉しいし、それなりに好きになった。一緒にいる事に慣れてそれが情に変わったり、愛情に変わったり。しかし、私は大好きな豆に出会えた事で大好きな彼に出会えた幸せに確信を得る事ができた。この豆に対するこだわりと彼に対するこだわりは同じ感覚であるからだ。コーヒーそのものが大好きな味で、一緒に飲む人も大好きな場合、一緒に過ごす時間はとてつもない幸せを感じられる事に私は気がついた。
今の私はコーヒーが好きかと聞かれたらこう答える。 この豆で作った、この人と一緒に飲む時のコーヒーが好きなんだと。

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