祖母と私と珈琲と

珈琲との出会いは祖母の家でした。

早くに連れ合いを亡くした祖母は、一人、自分の好きな物たちに囲まれて暮らしていました。写真・蘭・書道・そして珈琲。

それらにまつわる道具が小学生の私には触ってはいけない、とても高価で大切にされている「宝」だったのです。
道具はそれぞれ祖母の手によって働き始めます。常に墨が湛えられている硯は、せっかちな祖母が思いつくとすぐに書けるようにしていたからなのでしょうが「近くに寄ってははいけない」場所に置かれていました。私は「OKライン」ぎりぎりに立ち、踊るような筆先に見入ったものでした。

カメラ・蘭も同様に彼らの「安全地帯」が設けられていて、それぞれの働きを「OKライン」の内側から遠巻きに見るしかありませんでしたが、ともすれば武骨にみえるそれらの道具が、祖母の手によって実に生き生きと動き始めるのがとても不思議で魅力的であったので、近くでそれらに触るより視ることを自分自身選んでいたようにも思えます。
「安全地帯」を越えて唯一私が触ることができたのが珈琲ミルでした。四十個ほどあったミルは軽いものから重いもの、小さなものから大きなもの、祖母が訪れた国で直接手に入れたものから発売されたばかりの電動のものと実に様々でしたが、一つだけ私が触っていいものを用意してくれていたのです。私にとってはそれは「珈琲豆を挽くもの」ではなく「何にでもなる万能道具」でした。祖母の家に着くと私はいつもより念を入れて手を洗い、飾り棚のいつも同じ場所に置かれている「万能道具」を手にし、その日の遊びを始めるのが常でした。ミキサー車や粘土ひねくりマシンや処刑台に役割を変える「万能道具」は「OKライン」の内側から祖母の所作を視ている私の手にいつもありました。
刺激のある動きや劇的な展開はない祖母の家でしたが私は「いつも変わらない」安心感をそこに求めていたのかもしれません。
祖母は小学生の私に珈琲を勧めることはありませんでした。私も珈琲は「大人の飲むものだ」と思っていて異議を唱えることはなく、いつか祖母の許しが出る日が来るのだろうと思っていました。おやつの時間が近づくと祖母はポットを火にかけ、飾り棚から小さな皿を二枚出しクッキーを用意します。祖母は二枚、私は三枚でした。この枚数は私が珈琲を飲むようになっても変わりませんでした。

テーブルに小さなマットを向かい合わせに二つ敷き、その上にクッキーの載った皿を置きます。飾り棚からミルを一つ選び、冷凍庫から取り出した保存瓶の豆を二杯入れゆっくり挽きます。私は「OKライン」の内側で「万能道具」を祖母の動きに合わせゆっくりと回します。挽きあがった豆を祖母がネルで淹れ部屋の中に香りが立つと私は自分の牛乳を用意します。準備が整うと二人で席に着きおやつを楽しみました。
とても静かで濃い祖母の家に流れる時間を、珈琲の香りとともに思い出します。祖母はよく「楽しいことは手間がかかるんやで」と笑っていました。

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