苦い苦いアイスコーヒーの思い出

去年の夏、数年ぶりに大学時代の旧友と再会しました。落ち着いた感じのカフェに入って積もる話をしました。その際に友人はためらわず「アイスコーヒーお願いします!」。一方私は「レギュラーコーヒーをホットで」。

非常に暑い真夏日だったので、友人は首を傾げて私をからかいました。「こんな暑い日にも、ホットコーヒー頼んじゃうの?〇さんらしいね、昔から冷え性で有名だったから…。」
「そうそう、相変わらず冷たいものはダメなんだ。」笑って済ませましたが、私がアイスコーヒーを飲まないのは、冷え性のせいではありません。苦いトラウマが、コーヒーの味にのって蘇ってしまうので避けているのです。

大学を卒業した後、私は小さな会社に勤める平凡なOLとして生活していました。大学時代からの年上の恋人がいたのですが、その人は遠く中南米へと赴任していました。自然環境系の研究者で、文明から離れた所のフィールドワークに携わっていたのです。当時はネットも今ほど普及していなかったので、こちらから頻繁に電話をかけたのですが、いつも電波の届かない場所にいるようでした。うら若かった私はその寂しさをうまく紛らわせることができず、Eメールや手紙、たまに通じる電話の中で、どうしても悲痛に彼を求めたり、果ては自分を一人にしていることをなじったりしてしまったものです。

そのようにして常に気持ちの浮き立たない日々を過ごしていたのですが、ある夏私は休暇を取って、彼のいる中南米の小国へ旅立ちました。直接会って、私との関係を今後一体どうしたいのか問いただしたかったのです。私としては、彼がもう少し日本へ帰国する機会を増やすか、あるいは転職して欲しいと思っていました。それも受け付けられないと言うのなら、私が現地へついていくという切り札の選択肢すら抱えていました。要するに、私と結婚する気があるのかどうか、と真面目に問うてみたかったのです。

ですが、いくつもの乗り換え・そして遅延を経てようやくたどり着いた現地空港に、彼の姿はありませんでした。代わりに彼の同僚であるという欧米女性がプラカードを持って待っており、私は彼女と彼の社宅に向かったのです。驚いたことに、その女性は彼のルームメイトであると告げました。彼の部屋ではなく、また別の予備の部屋に通されて休むよう言われたのです。仕方なく言われた通りにしたものの、私はそのマンションの一室で何と2日を過ごす羽目になりました。

 

到着後3日目、ようやく帰宅した彼に向かって私はまず怒りをぶつけたのです。「ちゃんと連絡しておいたのに、どうして迎えに来なかったの?どうして2日もほったらかしなの?どうして私が軟禁状態にならなきゃいけないの?」と。彼は無精ひげの伸びきった、疲労困憊の顔で「だから、俺は来るなって言ったのに。それも聞かずに勝手に乗りこんできたのはお前だろう。この国の治安の悪さを考えたら、こうやってマンションで待ってもらうしかなかったんだよ。俺は、2日間ぶっ通しのフィールドワークでもう疲れてるから、話はあとで聞くよ…」そう言って私が口を開く前に、自分の寝室へ行ってしまったのです。その去り際、例の欧米女性と英語で親密そうに何か会話を交わしているのを、私は見逃しませんでした。

もう自分たちはとっくに終わっていたのだ、と私は心のどこかでわかっていたのです。ただ、感情面でそれを頑固に認めず、私は依怙地に彼に執着していたのでした。日本から持ってきた大量のお土産をリビングのテーブルに並べ、私は荷造りをして例の女性に頼みました。「すみませんが、もう帰るのでタクシーを呼んでもらえますか?」

休暇の残り数日を私は空港直結のホテルで過ごし、その国を全く見回らないままに往路の便に乗りこみました。帰りは遅延もなく、朝早い成田空港へ重い頭と身体をひきずって、到着したのです。早朝だったので、到着ゲートを出ても人はまばら。何か飲もうとふと思ったのですが、どこもお店は開いていません。ぼんやり立ち尽くしていると、スターバックスコーヒーの店員がガラガラとシャッターを上げるのが見えました。

私はそこで、とにかくそれまでダイエットのために絶対寄せ付けなかった類のものを頼みました。キャラメルマキアートだったと思います。それに追加でガムシロップをいくつも入れてすすりました。何故かはわかりません、そうしなければいけないような気がしていたのです。冷え切った甘い液体は、私の脳髄に沁み込んでいきました…あたかも、それまでに泣いて泣いて枯れ尽してしまった、涙の部分を埋めるかのように。

その夏は、私はとにかくアイスコーヒーばかり飲んでいました。ブラック加糖タイプのものを大量にスーパーで購入してきて、それを水のようにすいすいと飲んでいたのです。普通、こんな風に失恋をしたらお酒におぼれるのが定石だと思うのですが、私の場合は完全にアイスコーヒーにおぼれ切っていました。8月、9月とどんどん季節が過ぎて行き、店頭にアイスコーヒーのストックが薄くなっていきました。10月のある日にいつものスーパーで店員さんに「もう仕入れていないんです」と言われた時、ようやく私からつきものが落ちたような感じがしました。

「馬鹿馬鹿しい」。そう呟けたのです。そう、失恋にいつまでも悩まされるのは馬鹿馬鹿しい、と心から思う事が出来ました。私はコーヒー売り場に足を向け、ドリップコーヒーを買いました。その日から私は、再びコーヒーをホットで飲むようになったのです。

以来10年以上も経つのですが、夏場に店頭やカフェでアイスコーヒーをみかけるたびに、あの時の苦い悲しみがほんの少し首をもたげるのです。アイスコーヒーの苦さと甘さに癒され、そして治って行った古傷の疼き。つまり私にとって冷たいコーヒーは、「薬」のような存在なのでしょう。もうお世話になる必要もないのだけれど、それでも舌先に苦みははっきりと覚えている…そんなかすかな感覚です。

こういった苦みを抱えながら人は生きて行くんだろうな。そんな風にふっと思い、レギュラー・ホットコーヒーのふくよかな湯気を吸いこみながら、私は目の前にある現実に目を戻しました。

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