賢者のコーヒー

私と彼氏は、お互いに好きなものがバラバラだ。

例えば、私は広々とした山や海であるようなフェスに行くのが好きだけど、彼は小さくて暗くてギュウギュウのライブハウスに行くのが好き。
例えば、私は舌も焼けるほど辛いインド料理が好きだけど、彼は繊細な味の和食が好き。
例えば、私は映画を観るなら元気になれるラブコメが好きだけど、彼はどこにあるのかよく分からないような国の、小難しくて不幸な話ばっかり見てる。
例えば、私は恋愛小説や、女性向けの自己啓発本が好きだけど、彼はそれこそなんだかよく分からない難しそうな本ばかり読んでいる。
例えば、私はシアトル系のにがくてあまいコーヒーが好きだけど、彼はサードウェーブの浅煎りコーヒーが好き。

ことごとく違う私達。何で付き合うことになったんだっけ?交際から半年経つころには、フェスには女友達としか行けないし、辛いものでストレス発散する日にも付き合ってくれないし、映画だって本だって、一緒に感動を共有出来ない彼のことが、ちょっとずつ不満になってきている。

 

特に、コーヒー。コーヒーを飲みに行くって行為は、恋人とデートする時にとても便利だ。ちょっとしか時間のない日も、のんびりした休日の朝にも、買い物に疲れた時にも、コーヒーを飲みに行くって選択肢はあらゆる場面での選択肢としてあがる。

なのに、そのコーヒーの好みがお互いに違うんだもん。いつも、どっちかが我慢することになる。こういうのって、本当にウンザリ。

そういう不満が溜まってるせいか、彼と私は最近ちょっとしたケンカが多発している。彼が何かについて語ると、いつの間にか「かっこつけちゃってさ」「偏屈」って頭に浮かんできてしまう。それで、反対に私が何か語ると、彼は「よくそんな下らないこと知ってたね」「お気楽だなー」ってクスクス笑う。彼に悪気はないみたいなんだけど、すごくカチンときて、そのあとはしばらく冷ややかな空気が2人の間を流れる。

 

もうそろそろ、おしまいかもな。そんなことを度々考えるようになったある日、彼が出張で2週間、東北へ行くことになった。それを聞いた時は、へー、行ってらっしゃい。くらいな感じで送り出した私だった。正直、そんなに寂しさも感じなかったし、1人だから好きなことしてのびのびできるかなーって漠然と感じただけだった。

でも、1人になってみると、彼の何もかもが恋しくなった。電車で中吊り広告を見ても、あ、彼ならこのニュースについてなんて言うかな?とか、映画館のまえで、あ、彼の好きな監督の映画。もうすぐやるんだ。とか、彼のことばっかり思い出していた。

2週間の間に、シアトル系のコーヒーショップには1度も行かなかった。なのに、浅煎りコーヒーのショップには、7回も行った。彼が居ると、いやいや行っていたから、わざわざ深煎りのコーヒーを頼んでいたんだけど、思い切って浅煎りコーヒーを飲んでみた。

驚いた。いつものコーヒーと同じだとは思えない不思議な味だった。果物みたいな、不思議な味。クリームも砂糖もいらないと思った。それに、一度飲むと癖になって、また飲みたくなって、それで7回も行ってしまった。豆も買ってきて家でも淹れてのむようになった。ネットで調べたけど、コーヒーは生鮮食品だから、新鮮なうちに飲むのがいいんだって。そんなこと、全然知らなくて、買ってきたコーヒーを何ヶ月もかけて飲んだりしてたし、だから家のコーヒーは牛乳をジャブジャブ入れなきゃ飲めたものじゃなかったんだ。コーヒーを入れても、シアトル系のコーヒーみたいには美味しくならなかったのは、豆が古くなってたのかもなぁ。なんて考えたりした。

彼から1日置きにかかってくるビデオ電話は、そのコーヒーを飲みながら受けた。彼は、出張先で食べた珍しい食べ物の話や、綺麗な景色の話、震災の後頑張っている人たちの話、色んな話をしてくれた。私も彼の好きな監督の映画がもうすぐ始まることなんかを伝えた。もし良かったら、一緒に見に行こう?って誘ったら、ちょっと驚いたみたいだったけれど、すごく嬉しそうに頷いてくれた。

そうやって、話していると、いつもは堅苦しいと思っていた彼の話だけれど、色んなことに真剣に向き合っている証拠なんだなって思えてきた。

電話の向こう側の彼も、コーヒーを飲んでいたようだった。口には出さなかったけれど、離れている土地で、きっと同じ浅煎りのコーヒーを飲んでるんだと考えると、何だか温かい気持ちになった。すごく恋しくて、早く帰ってきて欲しい気持ちになった。

彼が帰った夜、合鍵を使って彼の家に上がり、夕飯を用意して待った。疲れているだろうから、簡単に食べられるように、ネギとイワシを醤油で軽く炒めた丼ぶりにした。お茶漬けにしても大丈夫な丼ぶり。喜んでくれるかな。なんだか、付き合いたての頃みたいにワクワクした気持ちで彼の帰りを待った。さっきテイクアウトした浅煎りコーヒーを飲みながら。もうすぐ彼に会える。すごく嬉しい、温かい気持ちだ。コーヒーみたいに温かい気持ち。

 

大きな荷物を持って、彼が帰って来た。
「お帰りなさい」
玄関に迎えに出ると、彼の手に、シアトル系コーヒーショップのカップが握られていた。
「あれ?コーヒー…」
「うん。それより、腹減ったよー!」
「そうかなと思って。もう出来てるよ」
「ありがとう。真美も仕事で疲れてるだろうに、こんな遅くまで待っててくれてありがとう。」
あれ?なんかいつもより優しいみたい。久しぶりだからかな?私はニコニコしながら丼ぶりを出した。
「もし疲れてたら、お茶漬けにしてもいいよ。」
「すごい心遣い!さすが真美!ありがとう!いただきます!」
ガツガツと丼ぶりをたいらげていく彼を見ていたら、出張前になんであんなにムカついていたのか、分からなくなってきた。沢山お礼も言ってくれるし、すごく優しい彼氏じゃないか。

 

ご飯を食べ終えた彼に、「コーヒーを淹れようか?」と尋ねると、彼はバッグから、コーヒー豆を出して、「これにしない?」と渡してきた。シティローストー深煎りのコーヒーだ。私の好きな深煎りのコーヒー。
「コンビニで牛乳も買ってきてあるんだ。カフェオレにして飲もうよ。真美、深煎り好きだろう?」
「うん、でも…」
私もバッグからコーヒー豆のパックを出しながら言った。
「誠司、浅煎りが好きでしょ?私も浅煎りの豆、買ってきてたんだよ」
2人で顔を見合わせて笑ってしまった。相手の好きなものをお互いに買ってきていたのだ。なんだかこういう話ってあったな。ってからかいあって。

「夜は深煎りのカフェオレでゆったりして、朝は浅煎りのキリッとしたコーヒーで目を覚まさない?泊まって行けるんでしょう?」
という彼の提案で、深煎りのコーヒーを飲むことにした私たちは、彼がコーヒーを淹れ、私が牛乳を温めながら、話をした。
実は離れている期間、彼はシアトル系コーヒーばかりを飲んでいたらしいのだ。それで、私がいつも、クリーム入りのコーヒーを飲んでる気持ちがちょっと分かったって。ホテルで夜、暇だからラブコメの映画を見て、沢山笑ったって。

私も彼がいない間、浅煎りコーヒーばかり飲みに行ったって伝えた。難しい映画や本は読んでないんだけどって言って2人で大笑いした。

「あのさ、深煎りのクリーム入りコーヒーって、すごくほっとするよね。」
彼が照れ臭そうに言う。
「俺、真美の好きなもの、もっと試してみようと思う。」
「浅煎りコーヒーってスッキリするし、なんか果物っぽいよね。」
彼が驚いたように目を見開いて、強く頷く。
「私も誠司の好きなもの、これからどんどん試してみようと思う。」
2人で目を合わせてクスクス笑った。

きっと試しても好きになれないものもあるかもしれないし、慣れるまで時間もかかるかもしれないけれど、せっかく自分とは違う人と一緒に居るんだから、好きになってみるのもいいよねって思えてきた。彼に向かって溜まっていた不満は今やなくなってしまったみたい。

お互いを認めようという気持ちでいれば、きっと大丈夫。私達、上手く行くよね。

あれから一年後、私たちは一緒に暮らし始めた。私達の大切な習慣。夜は深煎りのクリーム入りコーヒー、朝はスッキリした浅煎りコーヒーを淹れて、2人でコーヒータイムを楽しむこと。

この夏は、2人でフェスに行ってきた。彼も高原の爽やかな空気を気に入ってたみたいだった。週末は、彼のお気に入りのバンドのライブを見にライブハウスに行く予定。それから、食事についても、彼が辛いものにだんだん慣れてくれたし、私もお出汁をとったりして和食が好きになってきた。

 

本は、お互いが読んだ本をたまに貸し借りしたり、映画は交代で見たいものを提案する。私の好きな映画で彼も笑うようになったし、私も、映画を見て深く人生について考えてみる愉しみを最近見つけつつある。そうやって広がった世界は、生活の至る所に明るい光を与えてくれている。

 

広く見れば、2人とも音楽が好きで、映画鑑賞や読書が趣味で、食いしん坊で、コーヒーが好きなカップルだし。共通点、案外多いじゃん。そんな風な見方も出来る。これも世界が広がったおかげで、自分たちを遠くから眺められるようになったのかもしれない。

1人では見えなかったものが、2人で居ることで沢山見えるようになってきた。「違う」ことはデメリットだと思っていたけれど、違うからこそ味わえるものが沢山この世界にはあったのだ。コーヒーを前に、知らなかったことについて話し合うのは、至福の時間だ。

昨日のお昼休み、
「彼と私、合わないと思うんです。」
イタリアンローストのコーヒーを飲みながら、愚痴る後輩の女の子に、私はこうアドバイスしてみた。
「合わないところはどんなところ?それ、思い切って試して楽しんじゃえばどうかな?」
ちょっとお節介な先輩かな?でも、合わない人と付き合うことになったってことは、そこについてくるステキなサプライズがあるんじゃないかな?って、つい思っちゃう。あの日の浅煎りのコーヒーみたいに。

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