青い缶コーヒーと指輪

私が高校生だった頃の話だ。
ある時4歳年上の大学生と知り合った。
彼は背が高く、すこし痩せていて端正な顔立ちをしていた。
どれだけ性格が良いのか、いつもにこにこしていて、目を細めて本当に幸せそうに笑う優しい笑顔が印象的な人だった。
そんな性格のなせる業なのか某ショップで売っている女物のバニラのフレグランスを常用していた。
それがまた何とも言えず彼のキャラクターにマッチしいて、思わず吹き出してしまったことを覚えている。
若さにまかせたノリのよさや無駄にハメを外すということがなく、大人びていて落ち着いている彼は他の知り合いの大学生たちとは違っていた。
その何とも言えぬ他とは違う雰囲気は、少しの憧れと結構な信頼感を抱かせるには十分だった。
何とはなしにウマも合って、私たちが仲良くなるのにそれほど時間はかからなかった。
当時、私には好きな人がいて恋愛の悩みや日々の(今考えれば彼にとってはメチャクチャ)どうでもいいことを相手のことなど何も考えずに相談していた。
でも彼は年下だからと馬鹿にもせずに真剣に私の話に耳を傾け、からまった糸を優しくほどくように一つ一つ丁寧に答えを返してくれた。
彼の家に行って相談する時は(甚だ迷惑な話であったと思うが紳士的な人だったので安心して家に行っていた)必ずコーヒーをいれてくれた。
昼は大学に通い(四年生なのでほとんど単位は取り終わっていてヒマだったらしい)、夜は学校近くのダーツバーでバーテンダーのバイトをしていた。
部屋に行くと、いつもテーブルにはお気に入りのマイシェーカーにお酒やリキュールの瓶、決して触ることを許されないピカピカのグラスが綺麗に一列に並べられていて、その傍らには紙袋に入ったコーヒー豆が数種類置いてあった。
「カクテル飲んでみたい」
私が冗談めかして言うと、彼はふっと笑い、飲むかどうか聞きもせずあたたかいコーヒーを淹れてくれる。
ブラックで飲む彼をみて、私は砂糖を2杯入れたいところを1杯で我慢する。
子供にみられたくない年頃だった。
香りが深いのにスッキリしていて、はじめて飲んだ時「今まで飲んだコーヒーのなかで一番おいしい」と素直に思った。
コーヒーがなみなみと注がれたマグカップを熱そうに抱えるすこしゴツゴツした長めの指にシルバーの指輪が鈍く光り、一口飲むと深いため息をつく。

 

懐かしい。
綺麗に青味がかったトルコ石をあしらった無駄に幅の広い指輪。

すぐには口をつけず、最初に目を閉じてカップの淵の香りを嗅いでは満足そうな顔をする彼の仕草に、年齢以上の年の差を感じていた。
「コーヒー中毒なんだ。コーヒーを飲まないと頭がスッキリしない」
照れ笑いなのか苦笑いなのか、彼が言う。
「アルコールや煙草よりいいよ」
偉そうな女子高生はキラキラな笑顔で言う。
「ねえ、コーヒー淹れるの上手だよね。バーテンダーはお酒だけじゃなくコーヒーを淹れるのも上手なの?」
続けて私が言う。
「うーん、テンダーは関係ないけどコーヒーが好きだからね。好きこそ物の上手、かな」
彼らしい答え。
余談だが彼はバーテンダーのことを「テンダー」と呼ぶ。
「そのほうが優しそうだから(笑顔)」とのこと。
それから私たちはとりとめない話をして過ごす。
そこにはなんだか落ち着く不思議な空間があった。
彼と私の空間だ。
彼が持っている色と私が持っている色が混ざり合ってやさしいあたたかな色の空間になり、それが二人を包む。
そしてあたたかくおいしいコーヒーを飲む。理屈ではない。
私たちは確かに素敵な時間を共有していた。

 

知り合って3カ月ほどが過ぎた頃だ。
私の家の前に彼が愛車のバイクで迎えにきた。
「ゼッツー」。
よくわからないけどそんな名前だった様な気がする。
彼は私にヘルメットを被せ「アゴあげて」と言った。元来顔と頭の小さな私にはそのヘルメットはぶかぶかで、顎紐を一杯に締められてもユルユルだった。
バイクのうしろに乗るのは初めてではなかったけど、ジェットコースターとか速い乗り物が苦手な私は少しドキドキしたのを覚えている。
夕暮れの街をバイクで山まで向かう。
黄色い街の景色がスーっ、スーっと心地よい速度で通り過ぎて行くのが女子高生の私にはとても新鮮だった。
山の頂上までにはいくつものカーブがあり第8カーブには首なしライダーがでると地元では評判の場所らしい。
残念ながら当然のごとく首なしライダーが姿を見せることはなく、無事に頂上の駐車場まで辿り着いた。
ちょうど夕日が沈みかけていて、空は黒色と藍色とオレンジ色のグラデーションになっていて一番星が光っていた。
私は、空気を吸うと少し夜の匂いがするこの時間の空が好きだった。
見下ろすと、自分の住んでいる街がかすんで小さくみえる。
「山って気持ちいいねー」
彼が大きな声で言う。
「うん、気持ちいい。山ってやっぱり空気がぜんぜん違うよね、おいしい」
私もテンションが上がって大きな声で言う。
「景色もすごくきれい」
私は街を見下ろしながら言う。
高速道路を流れる車のライトや街に灯ったあかりが夕闇に浮かびあがって幻想的だった。
「俺もこの景色好き。人間が作った物ってあまり綺麗と思わないけど、遠くから見ると綺麗だよね」
彼が言う。
いつも誰に対してもニコニコしている彼からは意外な言葉だった。
「バーテンくんは人間好きな感じなのに意外な言葉だね」
私は言う。
「うーん、俺だって毒もってるよ。毒もってない人間なんていないよ」
笑顔で彼が言う。
でもその笑顔はいたずら好きな子供そのもので、彼の邪心の無さを表していた。
彼は誰にでも優しくて一緒にいて嫌な気分になったことは一度もなく、見た目もとてもよい。
私には疑問があった。
(どうして彼女いないんだろう?)
部屋にも女っ気がまったくなかった。唯一の女っ気と言えば例の「バニラ」のフレグランスだけ(笑)。
(もしかして・・・流行りのボーイズなんとか!?とか(笑))
「こんどツッコんでみよ」ボソッと私は言う。
「なんか言った?」彼。
「毒かぁって」私。
「そうそう。毒どく。」
「どくーっ!」日の暮れた街に向かって大きな声で彼が叫ぶ。
こだまが3回聞こえた。

 

山の頂上の薄暗い駐車場には真赤な自動販売機がぼんやりとあたりを照らしながら寂しそうに立っていた。
青い缶コーヒーのボタンを続け様に二回押した彼は、屈んで取り出し口に手を入れるとそのひとつを私に手渡した。
冷えた手に缶コーヒーの熱いくらいの温もりが心地よい。
思わず頬が緩む。
展望台のベンチに腰掛けながら彼がプルタブを開ける。
私のはまだ私の手を温めている。
「カルーアミルクって知ってる?コーヒーリキュールを牛乳で割ったカクテルなんだけど、カフェオレみたいな味がしておいしいんだ。たぶん好きだと思うよ」
両膝に両肘を立てて前のめりに眼下の街を眺めながら彼が言う。
やはりコーヒーは両手で抱えている。
「えー、そんなカクテルあるんだ。飲んでみたい!」
両足を前後にユラユラしながら私が言う。
私のはまだ手のひらでコロコロされている。
「二十歳まで一緒に居れたら作ってあげるよ」立ち上がって伸びをしながらそう言った彼はいつもの優しい笑顔で振り返った。
「さて、帰るか。」彼。
「うん。」私。
「あれ?飲まないの?」彼。
「うん。家帰ってから飲む。」私。
「そっ。じゃ行くか。」
私は青い缶コーヒーを上着のポケットに入れると再びユルユルのヘルメットの紐を目一杯締めた。
今度は自分で締られた。(えへ。ちょっと大人)
私が後ろ座席にまたがると彼は私を気遣うようにゆっくりとバイクを発進させる。
「二十歳かぁ」
17歳の私はあと二年ちょっと先の二十歳という場所が、なんだか想像すらできないとても遠い未来のように感じていた。
結局、帰りも「噂のライダー」は出現することなく、無事に私たちは家まで辿りついた。

 

しばらくして彼のアドバイスの甲斐もあって、私は当時好きだった人と付き合うことになった。
今考えると私は恋に恋していたのかもしれない。
舞い上がった私は、早速彼に報告をした。
「俺も好きだったんだけどな」
突然の告白。
思いがけない言葉に頭が真っ白。
私は無理に取り繕って「またぁ」と。
「ごめん」彼は謝った。
意味不明。
何事もなかったかのようにふつうに話をしていつものように「バイバイ」と別れた。
(なんで今。なぜこのタイミング?)私の心はなぜだかグラグラ。
(いや、冗談でしょう)自分を納得させるようにそう思った。
彼氏と付き合うようになってから彼とは会わなくなっていた。
電話もしなかった。
彼からも電話がなかったことに私はどこかホッとしていた。
次第に頭の中は彼氏や学校のことで一杯になり、毎日がキラキラの高校生活はあっという間に過ぎていった。
会おうと思えばすぐに会える。
他愛もない話をしながらおいしいコーヒーを飲む、あの居心地のよい空間も手を伸ばせばいつでも届く。
心のどこかでそう思っていた。

冬が終り春のお日様の匂いがしだした頃に突然彼から電話があった。
大手の会社に就職が決まったとのことだった。
私はなんだか納得がいった。
彼の誠実な優しい人柄は誰にでも伝わる。きっと面接官にも。
「じゃ就職祝いしなきゃ。コーヒーで乾杯だね」私。
「ありがとう。でも彼氏平気?」彼。
「うーん、別れちゃった。ケンカして」私。
彼氏と別れた後も私は彼に連絡するのを控えていた。
その時はどうして連絡を控えていたのか自分でわからなかったけど、今の自分にはわかる。
約束をして電話を切る。
なんだか私の心はざわつき、あまりいい予感はしなかった。
なぜだか悪い予感は大体当たる。
春っぽいマ二キュアを塗っても気分は上がらず、私の足取りは重かった。
私が彼の家に行くとあのいつもの笑顔で迎え入れてくれた。かわらない。
久しぶりに彼の笑顔をみた時に気付いた。”幸せそうな笑顔はみている相手も幸せな気持ちにさせるんだ”
彼は「コーヒー淹れるね」とキッチンに立ちオレンジ色のケトルでお湯を沸かす。
きれいな襟足とまっすぐ伸びた背中はいつもみていた光景だ。
彼はブラックで、私は砂糖を一杯だけいれて飲む。
しばらく沈黙が続き、私は彼から何か言うのを待っていた。
フゥと深く一息ついて彼は口を開いた。
「春から神奈川に引っ越すんだ」
(ほらね、やっぱり。悪い予感は必ず当たる・・・)
マグカップに映った自分の顔をぼんやり眺めながら思う。
どこかに予防線を張っていたからだろうか、私は冷静に受け止めた。
「そっかぁ。遠いね。でも一流会社だもんね。就職おめでとう」
たぶん不自然な笑顔で私は言う。
彼と居ると時々自分の感情が自分のキャパを超えるのだ。
よい感情もよくない感情も。
当時の私にはそういう時にどうしていいのかわからなかった。
だから彼に会うのをやめていたのだ。
気持ちがこみ上げてくるのを押さえようと大きく一口コーヒーを飲んだ。
”苦い”
(こんな苦かったっけ?無理せず砂糖2杯入れとけばよかった)
最近の出来事や他愛もない事を話しながら時間は過ぎていった。
帰りの玄関先で別れ際に彼は、いつも大事そうにつけていたあのシルバーの指輪を外し、私に手渡した。
言葉はなかった。
まるで決まっていたかのようにシルバーの指輪は私の掌におさまっている。
なんとなく納得していた。
彼は自分の分身のように指輪を渡し、私はそれを受けとる。
お互いにこの時間を空間を忘れないようにと誓い合うかのようだった。
時は絶え間なく流れていて、そのうねりが容赦なくすべてをのみ込んでいく。
当たり前だったことも当たり前じゃなくなる。そう知った。
もしかしたらあの指輪は彼の分身ではなく、彼の中の思い出だったのかも知れない。

「バイバイ」
誰かとのホントの別れ。
生まれてはじめての感じ。
切なくさみしい気持ちになった。

月日は流れ私は大人になった。
その時には気付かなかった気持ちに後でふり返った時に気付くこともある。
私はきっと彼のことが本当は好きだったのだ。
たぶん、あれがホントの初恋。

気がつけばあのとても遠くに感じた二十歳という未来は、いまや見る影もなく過ぎ去ってしまっている。(笑)
彼は元気だろうか。今でもコーヒーの香りを嗅ぐとあの笑顔を思い出す。
あの時と同じ春の匂いの風が部屋の中を通り過ぎていく。

目の前の本棚からは、あの時飲みそこねた缶コーヒーの上にちょこんと置かれたシルバーの指輪が、その缶と同じ青味がかった春の空の色で、少し大人になった私のことを見つめている。

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