コーヒーのおもひで

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この前初恋の先輩から結婚報告の手紙が来たのでちょっと書きます。
私は惚れっぽい男でちょっと優しくしてくれる女の子は大体好きになっていました。でも、恋だとはっきり認識したのは大学の先輩のことでしよう。好きになることと恋することの違いはいまだはっきりとしませんが、はじめて恋をしたのはやはりあの先輩だと思います。
当時の私は関西ではそこそこ有名な大学の文学部に進学したばかりの一年生でした。男子校に通っていた私は、大学に入ったら彼女を作るぞー、と意気込んでいましたのをよく覚えています。
彼女を作る為にはサークルに入るのが良いということを聞いて、友人と一緒に文学部生の主催する読書サークルに入りました。活動は週に二回。公式に認められているサークルではなく、読書好きの集まりみたいなところで、気軽に参加できるのが魅力的に思えたのです。実際、気軽な集まりで、先輩達も気さくな人たちばかりですぐに打ち解けることが出来ました。そこでは色々な本を読みました。みんなが知っているような文学作品から俗っぽい小説、はたまた評論まで何でもです。今の私の読書好きもそのサークルに入っていたことに起因するところが大きいと思います。
さて、サークルに入ってから数日のこと。次の授業まで一コマ時間があったので、私は時間つぶしに校内にある喫茶店で本を読みながら時間をつぶしていました。するとサークルの先輩が声をかけてくれたのです。その人が初恋の先輩で、仮にKさんとしておきます。Kさんは二つ上の先輩で当時三年生。授業の帰りに私の姿を見かけて声をかけてくれたのです。
Kさんはヤマトナデシコというんでしょうか。色白のおとなしい女性で、当時は綺麗な黒髪を肩まで垂らしていました。サークル内でもあまり発言をせず、他の人の意見をにこにこ聞いているような人でした。私はそのときまでKさんとは話をしたことがなく、また女性に免疫のなかったので声をかけられた時、かなりドキドキしたものです。
Kさんは私の前に座ってコーヒーを注文しました。私はそれを見て、あ、この人は大人だな、と思いました。私もコーヒーを飲んでいたのですが、実はあまり好きではなく、喫茶店というのはコーヒーを飲むのが当然だという思い込みから注文したにすぎませんでした。Kさんからコーヒー好きなの? と聞かれてちょっと恥ずかしい思いをしました。
それからKさんは私に大学のことやサークルのことをたずねてきました。今思えばそれはKさんの優しさだったのでしょう。入学したばかりで一人で喫茶店にいるなんて友達がいないように見えたでしょうから。でもその時の私は気づかず、どもりながらも精一杯話をしていました。そんな私を見てKさんはにこにこ笑っていました。
それからKさんはその日のその時間になると時々喫茶店に来てくれるようになりました。そのことが私には非常に嬉しく感じました。。最初は緊張でそれどころでは無かったのですが、次第に私はKさんに好意を持つようになりました。まるで映画のワンシーンのようではないかと思いました。本当はせっかく出来た後輩が一人でかわいそうというKさんの思いやりだったんでしょうけどね。
打ち解けていくにつれてKさんも色んなことを私に話してくれました。授業の事やサークルに参加したきっかけ、高校時代の思い出とかです。今でもよく覚えているのはKさんは高校時代バレー部に所属していたこと。大人しい先輩だと思っていたのが意外にもスポーツ少女だったようです。なんと部長を務めていたそうです。あまり上手じゃなかったんだけどね、とはにかむその姿は非常にかわいらしく、思い出すと今でも心臓が高鳴るような気がします。
さて、そんな関係が続いたある日のことです。いつもどおり次の授業の為に喫茶店で時間をつぶしていた私の前にKさんが現れて言いました。そんなにコーヒーが好きなら良かったら家でコーヒーをごちそうしてあげようかと。喫茶店にいるときは(見栄を張って)いつもコーヒーを飲んでいたものですからどうやらKさんは私がコーヒーが好きだと勘違いしたようです。確かにコーヒーの味にはようやく慣れてきましたが、好きというわけではありませんでした。というかそもそもコーヒーなどは受験勉強中に眠気を覚ますために飲むのであって、そのコーヒーですら気分が悪くなることもあって敬遠していたのです。でも、私はKさんのお誘いを二つ返事で了承していました。憧れの先輩の、しかも好意を抱いている女性の部屋にお呼ばれしたのです。ここで行かずして何が男か、とまで思ったかどうかは知りませんが、それに近いことを考えていました。それからKさんは私にコーヒーの淹れ方を教えてくれました。そこで私は始めてコーヒー豆というものが存在し、ミルという機械で粉にしてフィルターを通してコーヒーを淹れるということを知りました。もしかしたらKさんには私が見栄を張っていつもコーヒーを飲んでいることはばれていたのかもしれません。だとしたら非常に恥ずかしい話です。
それから約束をとりつけて、別の日にKさんの家に行きました。Kさんの家は大学からちょっと離れたところにあるアパートでした。築10年は経っていないだろうと思われる新しめのアパートです。
Kさんは一人暮らしで、地方からやってきたのだと言っていました。一人暮らしは最初は大変だったが慣れると楽しいというようなことを言っていました。もっとも私は初めてお呼ばれする異性の部屋に緊張しっぱなしであまりちゃんとした反応を返すことは出来ませんでしたが。
Kさんの部屋は10畳くらいのワンルームマンションで、あまり物がない片付いた部屋でした。かわいらしい色の座椅子に座るように言われて待っていると、Kさんはコーヒーを持ってきてくれました。ミルのゴリゴリという音や、コーヒー豆を挽く匂いが妙に香ばしく感じたのを覚えています。
それからコーヒーをご馳走になって、感想を聞かれたのですが、美味しいとしかいえませんでした。当時の私はコーヒーの味なんて分からないものですから(今も分かっているとは言いがたいですが)なんとか気の効いた台詞をひねりだしたのでしょう。そんな私の言葉にKさんはうんうん、とうなずきにこにこと笑っていました。
それから色々な話をして、しばらく経ってからインターフォンが鳴りました。やってきたのは年上の男性で、Kさんに経済学部の同級生だと紹介されました。その人はKさんの彼氏さんでした。その時の私の衝撃といったら。
Kさんは私を傷つけるつもりは無かったのでしょう。それくらい私にも分かります。なんせ私がKさんに恋をしていることはKさんは知らないのですし、そもそも私がKさんに気持ちを伝えたり、そのような会話を交わしたことは一度も無かったのですから。
でもショックでした。
世の小説に書かれている失恋という気持ちを言葉でなく体感で理解した瞬間でした。
Kさんはその彼氏さんを私に紹介したくて家に呼んでくれたみたいでした。
どうやらKさんは私に学校で友達がいないと心配してくれていたみたいです。なので、彼氏さんの後輩や友達が私の友人になってくれればいいと親切で紹介してくれたみたいです。Kさんの彼氏は非常に親切な人でした。ですが話を聞きながらなんだかやるせない気持ちになったものです。Kさんと彼氏さんの話に相槌を打ちながら自分がどうしようもなく惨めな男に思えたものです。いや、実際惨めでした。半分泣きそうでした。私の恋は始まる前にもう終わっていたのです。
それ以来私は時間つぶしに喫茶店に通うのをやめました。急にやめるとKさんが不審がると思って徐々に行く頻度を減らしましていきました。どうして来なかったの? とKさんに尋ねられれば友達に誘われて、と言い訳しました。Kさんは私に友達がいると知って喜んでいたようでした。なんだかなあ、と思うでしょうが、ひとえに私が子供すぎたのです。最初から相手にされていなかったのを子供の私が勘違いしたのです。惚れっぽい性格が災いしたのです。
その後Kさんとは友達としてお付き合いさせていただきました。好きだという気持ちは無論まだ私の中にあったのですが、それと同じくらいKさんは私をそういう対象として見ていないことは分かっていました。
だからKさんが彼氏に振られたときは慰めてあげました。卒業の日には読書サークルからだといって私が代表で花束を渡しました。彼氏に振られたときにはもしかしたら私にもチャンスが、と思わなくも無かったのですが、結局勇気が出せずにそのままの関係をずるずると続けてしまいました。これがKさんでなければ猛アピールしていたのでしょうが・・・・いや、まあどちらにせよ私はKさんにとって可愛い後輩くらいの立場でしたのでアピールしたところで上手くはいかなかったでしょう。そういうことにしておきます。でも惜しかったな、という気持ちは今でも無いではありません。
それから大人になって、大学時代の思い出はだんだんおぼろげになって。
でも不思議とKさんとの思い出ははっきり思い出せます。プルースト効果、というのもあるのでしょう。コーヒーの匂いにつられてふと記憶が蘇ってくることもあります。赤面するような思い出もいくつかあるのですが、まあ悪い気はしません。喫茶店でコーヒーをよく注文するのはその思い出に浸りたいというのもあると思います。今では私はコーヒーが大好きです。
Kさんが結婚されたのは私も知っている大学の読書サークルの先輩でした。就職先で偶然知り合って結婚されたそうです。おめでとうございます。写真の中で幸せそうに微笑むKさんは当時よりも美人になっていました。末永くお幸せに。
今度会ったら当時の私の気持ちを伝えてみたいと思います。横恋慕する気はなく楽しかった大学時代の思い出話として。もちろん喫茶店で待ち合わせてコーヒーでも飲みながら。というのはカッコつけすぎでしょうか。
そんな想像をして私はインスタントコーヒーを飲みながら苦笑いを浮かべるのです。

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