シュガーボイス

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コーヒーと聞くと決まって思い出す日々、人がいる。大学生時代に学習塾でアルバイトしていた頃のこと。

 

大学四年目になり殆ど大学にも行かずバイトで稼ぐことばかり考えていた自分は、毎日のように仕事をしていた。そんなある日、自分より三歳年下のちょっとハスッパで塾の雰囲気とはちょい合わないかな、って感じの女の子が受付女子として入ってきた。今でこそ社会人としてそんなことはしてないが、当時の自分は毎日のように遅刻を繰り返すちょっとした職場の問題児だったのだ。恥ずかしい話だが。

 

そんなノリがあったせいか、自分達はすぐに仲良くなり、休憩時間になると決まって近くのカフェへ行っていた。自分は基本的にダイエットとの格闘を繰り返している人間なので、基本コーヒーはブラックで飲むことにしていた。それに対して彼女はシュガーが大好きで、甘ったるくして飲んでいた。おまけに煙草も吸うので喫煙はしない自分はいつもリセッシュをカバンに入れて喫煙コーナーに彼女と入り、おしゃべりしていた。また、これは煙草と関係があるのかどうかは分からないが、彼女は女性にしては声が低く、良い感じに響くハスキーボイスだったのである。

 

たっぷりシュガーを入れたコーヒーの甘い匂いと、その向こう側から聞こえてくる彼女のハスキーボイス、そしてほんのり臭ってくる彼女のつけている香水のかおり、このマッチングが当時の自分には何とも言えなかったのである。

 

また、自分はシュガーもミルクも全く使わないブラック派だということは前にも書いた通りだ。本当は自分もものすごい甘党なのでシュガーもミルクも味を楽しみたいのだが、いかんせんダイエットと悪戦苦闘の日々なのでそこはひたすら気を遣って苦いブラックコーヒーを飲み続けているのである。最初のうちこそ苦かったが、今では逆にその苦さが心地よい程だ。

 

ただ、仲間とかとコーヒーを飲みに行くといつも何も入れずに飲む自分は少々若年寄っぽく見られていたこともあった。ブラックで飲む人がみんながみんな若年寄とは思わないけれど、あの苦味が好きってあたりが甘いの大好きな若者にはややそう思わせたのかもしれない。ところが彼女はそんな自分を「渋くてかっこいい!」なんて言ってくれたのだ。先にも書いたが、彼女はチャキチャキの現代っ子でいわゆる大人な雰囲気は余り感じられない子である。そんな子が自分のコーヒーのチョイスを思いっきり褒めてくれたことがたまらなく嬉しかったことを今でも良く覚えている。

 

まあ、お互い職場では軽く問題児でたびたび上の人からはしかめっ面を向けられることが多かった者同士、気があったという単純な理由もあるのだろうけれど。そんなこんなで二人で正面に向かい合って座り、真逆の味のコーヒーを味わいながら50分間程度許されていた休憩時間を多いに満喫したのである。

 

それぞれ自分が任されている仕事上の不満や逆に順調に言っていることをコーヒー越しに話した。自分は講師をしていたので当然メインの仕事は指導である。彼女は受付けスタッフとして採用されていたので、主な仕事は我々講師の給料に関する書類チェックや電話対応などである。

 

「もう今日は朝からクレームの電話が三件もあってまじムカついたんだけど!」

うーん、塾のスタッフさんと考えたら必ずしも誉められた口の聞き方とは言えない。

 

ほんのり漂って来るシュガーインコーヒーの向こう側で全力で口を尖らす彼女を見ているのは本当に最高で満たされた気分だった。

一方、自分には苦いコーヒーを猫舌でもあったのでゆっくりゆっくり飲みつつ、

「今度新しく導入された教材、室長さん達はさっそくどんどん使えって言ってくるけど、うーん、自分としてはもう少し出題頻度別に的を絞った教材を期待してたんだよなあ。あの教材だと出るところから出ないところまでごちゃ混ぜになっちゃってて生徒一人一人のレベルに対応出来てない気がする。」

なーんてたかだか大学四年生の若造にしては随分と一丁前な口を彼女に聞いたりしていた。

現在、年を重ねてから振り返っって考えてみるとなんとまあ浅はかに格好つけていたものかと恥ずかしい気分になる。でも当時はそれが超快感でたまらなかったのをよく覚えている。

 

なんせ、苦い大人の味を味わいながら目の前には気の合う女の子がいるのである。その子より二倍、いや三倍くらいは大人ぶってちょっと輝いてみせたいな、なんて背伸びした気持ちにもしょっちゅうなっていた。これもノンシュガー、ノンミルクのブラックコーヒーのなせるわざだったかもしれない。

まあ、自分はかなりいろんなことにルーズな人間だったから受付のスタッフの彼女にはたびたび怒られたりもしてたんだけど。

 

その時ももちろん二人の前には必ずコーヒーがあったんだよ。

「あのさー、もういい加減に査定日報その日のうちに出して帰ってよね!月末にあたし、まとめてチェックすんの大変なんだから!」

ふふ、わかったわかったごめんごめん。まあ、そうエキサイトせずにお砂糖たっぷりのコーヒー飲んでリラックスしたまえ。

 

あれから数年が経った。今では自分も社会人となり、彼女も結構前に受付スタッフの仕事は退職したという話を風の噂で聞いた。社会人になると学生時代とは比べ物にならないくらい疲労の日々が待ち受けているし、一日中殺伐とした気分になることもしょっちゅうだ。多くの経験をしている中、何度も思った。もう一度二人であのカフェに行って語り合いたいと。

 

お誘いのメールを何回か送ってみたが返信が来ることはなく、一番直近で送ったメールは宛先不明で戻ってきた。多分、もう違う相手を見つけてるんだろうな。あるいは結婚願望ももうすごい強い子だったから、本当の幸せを見つけたのかもしれないね。そしてその人とまたあのシュガーたっぷりのコーヒーを楽しんでいるのかも。

 

この間、ふと思い立ってそのカフェへ行ってみた。本当に衝動的な行動だったからもちろんリセッシュなどもたずにだったが、スーツに匂いがつくのも構わずに喫煙コーナーへ席を取った。

むろん彼女の姿はない。迷いに迷った結果、その日はシュガーをたっぷり入れて飲んでみた。殺伐な気分の自分の耳にふとあのハスキーボイスが聞こえてきた気がした。

 

「はあー、なにしょげてるわけ?もっと頑張りなさいよね!」

コーヒー飲んで、これからも毎日頑張ろ!

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