三杯目の行方。

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高速を使い、約2時間程かかる得意先へ打ち合わせに向かう。

社用車のエアコンなんて全く役に立たない猛暑。カーステレオから流れてくるニュースは、熱中症に注意と叫んでいる。

待ち合わせで現場につき、軽く作業をして、打ち合わせが終われば、また地元に帰るだけだ。

夏の暑い盛りに、何気なく打ち合わせの為に寄った、田舎のこじんまりとした、得意先おすすめの珈琲店。

入り口のドアを開けると、「カコン」と、牛飼いのベルが鳴った。

大きなガラス製の道具が目に入り、一滴ずつ珈琲を抽出するガラス製の道具が目の前に現れた。

「いらっしゃいませ」そう声を発したのは、ジーンズにポロシャツ、エプロン姿のいで立ちで、シルバーの整えられた髪が印象の店主であろうか初老の男性。

夏の日照りから解放された、そろそろ中年に入る男二人組は、店の入り口付近のボックス席を選んで座った。

「何になさいますか?」と、喫茶店特有の表紙が付いているメニューと、冷たいお絞り、お冷を持ってきてくれたのは、先ほどの男性。

得意先の担当が、開口一番「マスター」と呼んでいるところを見ると、やはり主人のようだ。

軽食があるのは理解したが、珈琲に対し、色々な説明書きがさえていたが、珈琲に無頓着な私は、メニューを読んでもさっぱりわからない。

このお店のおすすめはと聞くと、水出しの珈琲がおすすめだと、得意先の担当者が、主人より先に割って入ってきた。

余程飲ませたいのだと理解し、今回私は、ご推薦の一品である水出し珈琲をいただく事にした。

空調のきいた店内は、落ち着いた雰囲気で、古い木材がベースで艶のある良い色を出している。

 

静かなボサノバの曲が流れ、天井にはゆったりと、木羽の大きなファンがまわっている。

細かな余計なものは少なく、あちこちに珈琲関連の道具が整然と並び、道具の金属のパーツが差し込む光でが木材を一層明るく照らし調和のある景色を生み出している。

さらに、カウンターの上には、観葉植物に囲まれた小さなガラスのポットに、珈琲豆が何種類か詰まっている。

余りにも静かなので、お客は私達しかいないと思っていたのだが、L字カウンターの丁度こちらから死角になる場所に、女性客がいるのが見えた。

手前には大きな観葉植物があり、こちらからは顔は見えなかったが、時折主人と二、三言会話し、かすかな笑い声が楽しげな声が聞こえている。

地元ではこんな店入ったこともないのに、忙しい時間にこういう店もいいなと思った程である。

 

常連の女性なのだろうか?気さくな主人との会話も弾んでいるようだ。

聞き耳を立てるのは失礼極まりないが、だけど、どこか聞き覚えのある声。

こんなところで、知人に会うわけがないと思いながらも、声の主を見たい私は、どこか落ち着かなかったはずだ。

目の前では打ち合わせが着々と金額提示に変わり、作業工程表を確認したので、ひと段落といったところ。。

目の前の得意先も、見積書を早々に仕舞い、メニューの軽食をぺらぺらとめくっている。

担当としゃべることも少なくなり、私はついつい死角である席から、楽しげに笑っている彼女が気になったので、トイレに行こうと考えた。

主人にトイレを聞くと快く場所を教えてくれる。

私は行きたくもないトイレへと、道具が並ぶ前を歩きながら奥の扉をめがけ一直線に歩いていく。

 

その時初めて、カウンターの最奥にいる彼女の姿を初めて見た。

その瞬間、私は驚くことになった。

大学のゼミで同じだった彼女とまさか、全く見当違いの場所で再開したのだ。

「あ」「え?」とお互いを一瞬で認識するのに、時間は必要なかった。

数年もたてば変わった姿に気が付かないともいうが、二つ年下の彼女はあの頃と殆んど変わらない、今もあの頃のままだ。

服装の落ち着き度合いは増していても、毎日見ていたくて仕方がなかった笑顔が、今は驚きの表情に変わっている。

さらに私を驚かせたのは、見覚えのあるバックを横の席にちょこんと置いていたのだ。

見覚えのあるバッグ。つけていたストラップも当時のまま。学生時代、同じ趣味だった彼女が好きだったキャラクター。意気投合して行った映画。

そのキャラクターはゲームセンター専用品で、当時良いところを見せようと、ゲームセンターで取ったものを後日、彼女の誕生日に渡したものである。

でも、その時はまだ、手すらつなげていない関係。お互いの趣味に笑いあって、雑誌の貸し借りが精一杯だった思い出が、一瞬のうちに頭を駆け巡る。

そんなもじもじした日々に急に「バイバイ」をいわれ、彼女は家の都合で地元に帰る事になり、学生生活に終わりを告げた。私の告白だって聞いて貰えないままに。

 

そこから私は、普通に就職活動、普通に就職、そして退職後、小さいながら、自分の会社を立ち上げ、過去お世話になった会社の紹介で、今の得意先と懇意にさせて貰っているのだ。

彼女もできるような出会いはなく、当然結婚の「けの字」にすら恵まれず、そろそろ人生の半分を通過するカウントダウンが始まる年齢になってしまった。

たまたま寄ったお店で、たまたま出会った彼女。携帯電話もない時代、更に仕事で来ている現場で、仕事そっちのけで会話するわけにはいかない。

お互い「元気?」「うん」「またね。」と簡単に答えただけで、主人からは「お知合いですか?」と聞かれたので「ええ、昔。」とだけ話し、得意先の待つテーブルへ戻った。

「知り合いにでもあった?」と、こちらでも聞かれたので「まぁ。」と軽く流すだけにしておいたが、内心はもっと話したい。話す事が山ほどあるしと思ったぐらいだ。

落ち着いてるように見せかけ、心は、すぐそこにいる彼女と話したい落ち着きのなさが、きっと店主や彼女にはわかっていたのかもしれない。

 

そうこうしているうちに、オーダーした水出し珈琲が運ばれてくる。

水出し珈琲という物を初めて口にするのだが、インスタント珈琲や、缶珈琲ぐらいしか飲んだことのない私でも

深いコクのある珈琲の香り、苦みが抑えられた、まろやかな甘さまで感じる珈琲だとわかった。実際こんな珈琲は初めてだった。

当然、時間がたった珈琲の様に酸味などなく、気が付いたら、主人にもう一杯頂けますかと頼み込んでいた。

苦み走った物を想像していた私は、いろんな意味で想像の範疇を超えての巡り合わせの体験を楽しみにもしている気分だった。

 

得意先の担当も、ニヤニヤしながら、ハマったな?と言わんばかりの微笑を浮かべ、同じくもう一杯をオーダーしていた。

それからはと言うもの、あたかも自分で入れたかのような、珈琲に対してのうんちくを得意先の担当から事細かく教えられるが、全く頭に入ってこない。

店主に聞かれたら恥ずかしくないのかと思えるほど、彼の口は饒舌になっていった。

同じ空間、同じ時間、珈琲のここち良い香りも、相手が違うばかりでこうも違う世界観になるのかと、身をもって知らされたひと時である。

上手いコーヒーを作る主人と、素敵な思い出を持つ女性がすぐ手を伸ばせばつかめる場所にいるのに、仕事という呪縛が、その席に私を縛っているように感じた。

 

彼女と一緒だった学生時代は、珈琲と言えば、砂糖を大量に入れた甘い珈琲しか飲めなかったのに、いつしか苦みのあるブラックでも自然に飲めている。

世知辛い苦みのある生活がそうさせるのかとも想像した。

年を取ると味覚が変わるもんだなと、そんな事を思っていると、得意先の担当はトイレと言いながら席を立った。

私は、この隙にと彼女の元へ行きたかったが、話が長引けば、彼が戻ってくる間、席に戻っている事は出来ないと、珈琲よりもさらに苦い、苦渋の決断を余儀なくされていた。

案の定、トイレからすぐに戻った担当と私は、仕事上の愚痴や、業者の会話などを話していたが、私にとっては一大事な事件が起こる。

「そろそろ遅れるし、仕事にに行きますね。」とかすかに聞こえた声の主は、私の今一番話したい相手の彼女であった。

彼女がお会計を済ませ、店を出ようとしているのだ。二度と会えないかもしれないと、心がざわつく一瞬の間に、

彼女と店主は「ありがとうございました」とお会計を済ませ、一言二言会話し、入り口の私たちに軽く会釈をして、店を後にしていったのである。

目で追いながらも、後を追う事も出来ずに、見送ってしまったと激しく後悔したが、彼女の姿はもうここにはない。

聞きたかった笑い声も、もう聞こえない。楽しい時間はもう来ないかと想像をしていると、今の私にふさわしい、まさしく「二敗目」となる先ほど頼んだ水出し珈琲が再度運ばれてくる。感動を覚えた最初の一口とは違い、余裕をもって味わう二杯目の水出し珈琲。

一口目を飲み込む。やはりうまい。キレのあるコクと、かすかな甘い味が、堪えていたものを流すかのように、癒しの香りをまとい身に染み込んできた。

想い出を柔らかく包つみ、火照った体を冷やしてくれる味わいを、いつしか香りごと飲み干した。

水出しそのものは、温かいコーヒーと違い、色、風合い、苦みを調節することが温かいものと比べ、時間もかかる上に、抽出度合いが、温度で変わるため繊細なんだと、先ほどのうんちくで語った居た担当も、目の前で満足げに二杯目を飲み干し、そろそろお互い帰路に就く時間となった。

 

いつも世話になっている担当の分も合計で支払い、領収書をもらう癖は板についてきたなと笑う担当は、タバコを吸いに、一足早く店を後にしていった。

本日の珈琲の出来はどうでしたか?と店主に聞かれ、素直な感想を述べると「楽しんでもらえて光栄ですと」お礼を言われ、領収書を書いてきますと言い、カウンターから少し離れたところの帳場で領収書を記載して

再度お礼を言われた。

その領収書には、店主には名前など一切伝えていないのに、支払金額と自身の会社名、名前が書かれており驚く私に、店主が小さな付箋を張り付けてくれた。

 

その文字は店主のそれではなく、見覚えのある、あの字だった。遠い昔になった今でも覚えている、昔私が大好きだった笑顔の女性が書く癖のある字。

そこには「おつかれさま。久しぶり。毎週木曜日の午後にはここに居ます。また会えますか?」と。

店主に深々と礼をして、店を後にした私は、外で煙草を吹かす担当に、来週の打ち合わせは木曜午前でとだけ伝えた。

水出し珈琲が温かい珈琲に変わる頃、あの日珈琲のうんちくを語っていた、私の得意先の担当は、主人の隣でカウンターに立っている。

いつしか、カウンターの最奥席は私の定位置となった。夏のあの日、死角だった観葉植物は移動し、真新しい席が用意され、彼女は今そこに座っている。

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