思い出のマグカップ

Pocket

私は子供の頃に北海道の田舎町で暮らしていました。
父はごく普通のサラリーマンで、両親と私の3人暮らしでした。
私が5歳の時に父の転勤で、北海道の東にある釧路市に引っ越しをしてきました。

5時間半汽車に揺られ、釧路の駅に降り立った時の私の第一声は「臭い!」でした。
まだ幼い私でしたが、駅のホームに降りて深呼吸をした時に今まで感じたことのない。海臭いと言うか、独特の潮の臭いがいきなり私の鼻を突いてきたのです。それまで私は北海道の中心にある農村でで暮らしていたので、この何とも言えない臭いは衝撃的でした。

 

そんな未知の土地に、「これから住むんだ」と思ったらとても悲しくなってきて、何も喋らなくなっていました。
父はそんな私の気持ちを知ってか知らぬか、「ここに来たら美味しい魚がいっぱい食べられるぞ」と言って手の平で私の頭を何度も撫でまわしてきました。
潮の臭いに慣れない状態のまま、これから何年間暮らすことになるのか分からない家に到着しました。

 

そして、その家を見て私は言葉を失いました。
両手足に重石を付けられたかのように動けなくなっていました。
見るからに貧相な家で屋根の鉄板は錆びていて、玄関は少し傾いていて、今目の前で起こっている現実を受け入れられない状態でした。

 

それは、今まで住んでいた家は木造モルタルの一軒家で4LDK、広めの浴室もありました。
祖父が父を含めた4人の兄弟1人1人に結婚をした時に与えていた大きな家だったのです。
それにくわえて、これから住もうとしている家は6畳の居間と4畳半の部屋に浴室は無しで、隣の家とは薄い壁1枚で仕切られているだけの、いかにも貧乏くさい家だったのです。

 

私は数日間沈んだままの気持ちでいましたが、幼稚園に通うようになってからは、まわりの友達と会話をするようになって、少しづつ明るさを取り戻して元気になってきました。そんなある日の日曜日、空き家だった隣に新しい住人が引っ越してきました。
ガラス越しに外をみていたら、私よりも年上らしき女の子の姿がありました。

 

「うちの隣に住むんだぁ…」とボソっと呟いていました。
その日の夕方挨拶に来ました。
その女の子は私よりも2つ上で、名前は沓沢由美子さんと言いました。

 

子供の時の2つ違いは、とてもお姉さんに感じました。
由美子お姉さんは、いつも私に声を掛けてくれて、よく遊んでくれました。
私は「お姉ちゃん」と呼ぶようになり、私の名前は正和だったので、お姉ちゃんは「まぁちゃん」と呼んでくれていました。

両家とも決して生活に余裕があったわけではありませんでしたが、実家のある田舎から送ってもらった野菜や作ったおかずなどをお裾分けし合ったりと家族ぐるみで、とても仲の良い付き合いをしていました。
お姉ちゃんも私も1人っ子だったので、姉弟のように仲が良くお互いの家を行き来していました。

 

私が小学校4年生の時にお姉ちゃんが、「まぁちゃん、大人のコーヒー飲んでみたくない?」と声を掛けてくれました。
「大人のコーヒーってなんだろう?」とちょっとドキドキしながらお姉ちゃんの家に行きました。
コーヒーというと、お姉ちゃんも私も、その当時世の中に出始めていたネスカフェのインスタントコーヒーしか飲んだことがありませんでした。

 

お姉ちゃんの叔父さんが遊びに来た時に、「もう中学生になるんだから豆から淹れたコーヒーを飲んでごらん」と言って、コーヒー豆とコーヒーミルの一式を入学祝にプレゼントしてくれたそうなのです。
それで叔父さんに淹れかたを教えてもらったから、「一緒に飲もうよ」と誘ってくれたのです。

 

お姉ちゃんがミルでコーヒー豆を挽いている姿を見ていると、とても大人に思えて「本当のお姉ちゃんだったらいいのになぁ…」と思いました。
「このコーヒー豆はキリマンジャロといって、アフリカで採れたんだって」と説明をしてくれながら淹れてくれました。
「苦いから砂糖とミルクを入れたほうがいいかもよ」と言われましたが、人生初のストレートで飲んでみました。

「どぉ?」お姉ちゃんが私の顔を覗き込むように見ています。
「本当だ!苦いし少し酸っぱい感じ…」、「そうでしょ、でも何回も飲んでいると美味しくなってくるんだって。」
これが私の豆を挽いて飲んだコーヒーの初体験でした。

これだけに留まらずお姉ちゃんには、いろいろな物を食べさせてもらったりして、とても可愛がってもらいました。
そんな楽しい毎日を過ごしていたのですが、突然お別れの日がやってきました。
お姉ちゃんのお父さんが転勤になり、愛知県に行くことになったのです。

そんな日が来るとは思わずに毎日遊んでいたので、父から話を聞いた時にはショックでただ呆然として床に座り込んで動けなくなってしまいました。
翌日お姉ちゃんが「まぁちゃん、お別れすることになちゃった。元気でね」と泣きながら話をしてくれました。
「向こうにいったら手紙を書くから、まぁちゃんもちゃんと返事を頂戴ね」と言って、お姉ちゃんが大切にしていたクマさんの絵の付いたマグカップをくれました。

「このカップでコーヒーを飲んだら私のこと思い出してね」と言って私の頭を何度も何度も掻き回すように両手の平で撫でてくれました。
お姉ちゃんが中学2年生、私が小学6年生の春のことでした。

お姉ちゃんとの手紙のやり取りは3年間ほど続きましたが、時の経過とともにお互い忙しくなるにつれて自然と手紙の間隔が空くようになってきて、いつの日か文通も途絶えていました。
そうして数年が経過して私は札幌の大学に進学をして、アパートを借りて待望の初めての1人暮らしをすることになりました。

これからは自分のペースで生活が出来ることの開放感でとてもわくわくして新生活をスタートしました。
4年間の大学生活の中で、いろいろなアルバイトをしてきましたが、いちばん長く続けていたのが喫茶店でのアルバイトでした。
古めかしい雰囲気のとても静かな店で、夜になるとレコード盤のジャズが流れるお洒落な店でした。

マスターは鼻の下に少し白髪が混じった髭をたくわえて、コーヒー一杯一杯を大切にゆっくりと丁寧に淹れてくれる心優しい人で、まだ学生の私にもとても親切にコーヒーの淹れ方を教えてくれました。
私が喫茶店で働いてみようと思ったのは、子供の頃に「大人のコーヒー」を飲ませてくれたお姉ちゃんとの思い出が強く残っていたからです。

あの日をきっかけに、私はコーヒーというものにとても興味を持つようになりました。
お姉ちゃんがいなくなってから、思い出の品として私にくれたクマさんの絵の付いたマグカップで飲むモーニングコーヒーは、私の生活の一部となって当たり前の習慣になっていました。
それは大学生になっても変わらずに続いていました。

マスターは「体が元気なうちは、いくつになってもずっとこの店をやっていくつもりだから、就職して遠い所へ行ったとしても思い出してくれたら、いつでも寄ってもらいたいんだ。長い人生、何かに悩んだり落ち込んだりした時には、懐かしくなって思い出してくれた時に、帰って来る場所になれればいいなぁと思っているんだ」と何度も軽く頷きながら、眼鏡の奥ににある細い目をさらに細くして、少し恥ずかしそうに話をしてくれました。

そんなマスターを見ていると、人の温もり、優しさを感じさせてもらっている自分は「幸せな男だなぁ」と思いました。
心地よいジャズの雰囲気に包まれながら、そんなほのぼのとしたマスターの話を聞いていたら、何か私も話をしたくなってきました。
気がつくと、私がコーヒーを好きになったきっかけを作ってくれたお姉ちゃんとの出来事をマスターに話をしていました。

私の話を優しい微笑みを浮かべながら最後まで聞いてくれていたマスターは、ドリップにゆっくりとお湯を注ぎながら「そのお姉ちゃんは、今頃どこにいるんだろうねぇ?」とポツリと呟きました。
私はその言葉を聞いて、いつも可愛がってくれた、あの笑顔の素敵なお姉ちゃんに無性に会いたくなっていました。

ある時から音信不通になってしまったお姉ちゃん、「今どうしているんだろう…、私のことをまだ覚えているのかなぁ?」と幼かった頃の思い出をめぐらせながら、じっと天井を見つめていました。
すると突然マスターが「案外近くに居たりしてね」と先ほどまで1本の線にのように細めていた目を大きく見開いて言ってきたのです。

「でも北海道から出てしまっているし、大人になって顔も姿も変わっているから、テレビドラマじゃないしあり得ないよなぁ…」とマスターの淹れてくれたフレンチコーヒーを飲みながら想いに耽っていました。
4年間の学生生活もアッという間に過ぎて、私はこの自然豊かな北海道から離れたくなかったので、札幌の会社に就職をしました。

マスターとも離れることもなくて、時間を見つけてはいつもの美味しいコーヒーを飲みに行っていました。
喫茶”おもひで”はいつでも私の居場所を用意してくれている憩いの店なんです。
40年の歴史がある”おもひで”は、年配のお客さんが多くなってきていて、「愛されている店なんだなぁ~」と店内の空気からも感じとることが出来ます。

そんな他愛もない日々を過ごしていたある夏の暑い夜のことでした。
数か月前からよくコーヒーを飲みに来るようになっていた80歳くらいの老紳士がいて、カウンターで声を掛けられました。
「私は夜にこの店のカウンターでジャズを聴きながら飲むコーヒーがとても好きでねぇ」とコーヒーカップを持っている右手の肘をカウンターに軽く立ててほのかに立ちあがる湯気を顔にあてて香りを楽しんでいるその姿は、店内にあるレトロな家具と重なることでより一層品の良さを感じさせてくれました。

その日の店内には他にお客さんは居なくて、マスターと私と老紳士の3人は、カウンターで語り合っていました
マスターが「ありがとうございます、そんなふうに言ってもらえることが店をやっていて、いちばん嬉しいです。ところでお名前は?」と尋ねると「私は沓沢と申します。」と言われました。

私は「沓沢…?」と聞いて、一瞬お姉ちゃんを思い浮かべました。
沓沢さんという老紳士に「子供の頃に沓沢さんという家族が隣に住んでいたことがあって、めずらしいお名前ですよね?」と言うと、「そうですか?どちらにお住まいだったんですか?」と聞かれたので、「その当時は釧路に住んでいました。」と言うと、「釧路は私の兄の家族が40年くらい前に住んでいたことがあって、私もその頃に1度遊びに行ったことがあります。」と言われたのです。
それを聞いて私は一瞬「もしや!?」と思い、脳裏にお姉ちゃんの顔がよぎりました。

「おそらく違うと思いますが、沓沢さんのお兄さんは3人家族ですか?」、「そうです。兄夫婦と娘が1人います。」、「娘さん…?」、「実は私の隣に住んでいた沓沢さんも娘さんがいて、由美子さんというお名前でしたが親戚とかではないですよね?」と言いました。
すると沓沢さんは驚いた様子で、それまで持っていたコーヒーカップをカウンターに置くと私の方を向いて「由美子は私の姪っ子です」と言ってきたのです。

「まぁちゃん!!」、マスターが私の方を見て、以前にも1度私に見せたことのある大きく開いたまんまるい目をして叫んでいました。
さらにいろいろと話を聞いてみると、お姉ちゃんのお父さんは、目の前にいる沓沢さんのお兄さんで、しかも私がお姉ちゃんに飲ませてもらった「大人のコーヒー」は今隣に座っている沓沢さんがプレゼントに買ってきたコーヒーだったのだそうです。

「本当にこんな偶然ってあるんだ!」、私の心臓の鼓動はここ最近感じたことのないくらいのスピードでリズムを刻んでいました。
しかもお姉ちゃんは現在、この札幌に住んでいるということで、沓沢さんが連絡を取ってくれることになりました。
「マスター!」、「まぁちゃん!本当に近くに居たんだね。」

その晩私は、興奮でなかなか眠りにつくことが出来ませんでした。
数日後、沓沢さんのお陰で”おもひで”で会うことになりました。
ご対面当日、私がカウンターで待っているとカラン!と店の入り口の扉が開く音が背中から聞こえてきました。

ゆっくり振り返ると、沓沢さんとその隣にはあの当時の面影がしっかりと残っている優しい瞳のお姉ちゃんの姿がありました。
「まぁちゃん!」、「お姉ちゃんだぁ!」、40年振りの再会です。
私はお姉ちゃんが来たら一緒に頼もうと、あの時にもらったクマさんの絵の付いたマグカップを持ってきていました。

「お姉ちゃん、懐かしい大人のコーヒーを飲みませんか?」、「アッ!このカップまだ持っていてくれたんだぁ。」
マスターは「分かったよ、キリマンジャロ2つだね!」
それからはお互いに40年間の出来事を話しながら、アッというまに時間が過ぎていきました。

この店をずっと続けてくれていたマスター、この店を気に入って来てくれていた沓沢さんのお陰で、こんな素敵な再会をすることが出来ました。
お姉ちゃんは名古屋に行ってから、地元の高校を卒業して北海道の大学に進学して、卒業後は東京の会社に就職をして、その時に今のご主人と知り合って結婚をして、昨年ご主人の転勤で札幌に来たそうです。

いくつもの偶然が今回の出会いを作ってくれました。
現在私は52歳、お姉ちゃんは54歳、40年振りに飲んだ大人のコーヒーを私の大好きなマスターが気持ちを込めて淹れてくれました。
それをあの思い出のマグカップで飲んでいます。

コメント