母とたしなむコーヒーの時間

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私の家には、どこのご家庭にも置いてあるインスタントのコーヒーが必ずあります。
切らすことは無いほど、無類のコーヒー好きの家族の中で育った私は、結婚後も母と同じように、インスタントのコーヒーはストックし、切らすことはありません。結婚して、母とは二時間ほどの距離のところに家を構えました。

 

そんなにしょっちゅういけるわけではありませんが、父とは死別し、一人で暮らす母が気がかりでもありますので、暇を見つけては、母の所に足を運ぶようにしています。

話し相手に、普段たまった愚痴を聞いてもらうために私も足を運んだりもするのですが、家に着くなり母は私にコーヒーを入れてくれます。

同じメーカーのインスタントコーヒーではありますが、なぜか母が入れてくれるそのコーヒーはとてもまろやかで、どこか安心する味です。

そんな母が60歳を向かえ、仕事を定年退職することになりました。
それまで、忙しくしていた母はぱったりと外に出ることをやめ、家に閉じこもるようになりました。
何をしているかというと、家のかたづけをしているのです。元々、整理整頓が得意ではない母は、プレゼントに貰った包装紙まで捨てることが出来ずたまっていく一方でした。沢山の書類や紙袋を年をとった体で毎日少しずつ整理整頓しているのだといいます。
そして休憩にはちょっとした御菓子と、コーヒーをたしなむのだと。
母はこの年になると、特に食べたいものもなく、食事の買い物に出ることさえ、億劫になるのだと私に話してきました。

そんな母の状態を見て、いつもは家で飲んでいたコーヒーを外の喫茶店で飲んでみないかと誘いました。
少しでも、気晴らしになれば、そして外出するきっかけになればとの思いからでした。

母の家からそう遠くは無いところにとても、おしゃれな喫茶店を見つけました。看板には大きく珈琲との文字も見て取れました。

駐車場には、沢山の車もとめてありました。とても人気の喫茶店の様でした。私は、迷わずその喫茶店に決めました。

レジの隣にはガラス張りのショーケースがあり、中にはとてもきれいなケーキが沢山並んでいました。そして、その横のブースには、出来立てのパンが並んでいて、奥の厨房からはパンのいいにおいが漂ってきました。
私の前には2組ほど並んでおり、少し時間があったので、母とそのパンをお持ち帰りしてみようと選んでいました。すると、奥の厨房から、出来立てのパンを運んできてくれて、ちょうどそれが母の好きなクロワッサンだったこともあり、3つとりおきして貰うことになりました。

厨房から顔を出したその女性はとても柔らかな笑顔で母に笑いかけながら、お勧めのパンの説明をしてくれたり、和やかな時間を過ごせました。

そんなこともあり、あっという間に順番が回ってきました。
この時点で沈んでいた母の表情は明るくなっており、私もその表情を見て本当につれてきてよかったと思いました。
混んでいたこともあり、私たちはカウンターに座ることにしました。
そこで初めて、私は、珈琲店ではカウンターに座るべきだと確信するのです。
母とは横並びになり、顔を見て話すのには、横を向かなければなりませんが、それ以上にカウンターで珈琲をいただくのはとても贅沢に感じました。
注文を聞いてから、その豆をひき、丁寧に一杯ずつ珈琲を入れていってくれるのは、ここのお店のマスターのようです。
寡黙にただ、オーダーが入れば珈琲を入れていくのですが、とても手さばきが鮮やかで、何より、その引き立ての珈琲の香りは落ち着きます。
インスタントコーヒーでは、体験できないとても良い香りでした。
母も、その一連のマスターの動作を見ているだけでどうやら楽しいようで、今日はとても前向きに話をすることが出来ました。

喫茶店には、モーニングというとても魅力的なセットがあります。この珈琲店でも、モーニングというセットが6種類ほど選べるようになっていました。

しかも、2時までモーニングのメニューが出ているということでした。あたりを見回してみると、皆さんモーニングのメニューセットを選んでいるようでした。

これが、混んでいる理由かと納得しました。モーニングのセットは、基本的に卵やサラダやパンが選べてボリューム満点な上に、お得なセットになっているからです。そこに、マスターの入れる珈琲がついてくるとなれば、皆さんそのセットを頼むのでしょう。

6種類のセットの中には、先ほど母が選んだクロワッサンのセットもありましたが、これは、母が家に帰ってたのしむのだというので、レーズンパンのセットを注文しました。私は、ワッフルのセットを注文しました。

ボリューム満点で、とてもおいしく、食べてる間もマスターの入れる珈琲の良い香りが漂って、母の笑顔も見ながら、私はしばし楽しい時間をすごすことができました。

母が入れてくれるインスタントコーヒーもおいしいのは確かですし、その時間も貴重ではありましたが、今となってはこのとき、母を外に連れ出し珈琲店で過ごす時間を持てたことが良いきっかけとなり、母は前に比べて少し外に出るようになりました。

そして、私が母の顔を見に行くと、決まって喫茶店に行こうと私を誘うようになりました。私と過ごす時間が楽しいのは前からだそうですが、その時間がとても貴重な時間にかわったのよとは母私に言いました。その笑顔は、昔も今も変わらずとてもやわらかく温かいものでした。

今年では母67歳になりすが、今でも私を誘って喫茶店に行こうといいます。
母と過ごす時間はこの先限られているかもしれませんが、私は、母が笑ってくれるなら、なるべく頻繁にでも母の元を訪れたいと思いました。

そして、母と飲む珈琲の味とその時間は私にとっても貴重な時間になりました。

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