毎朝入れるコーヒー 〜わたしの幸せの形

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わたしは大学時代に恋をした大好きな彼と結婚した。
付き合ってから結婚するまで7年の月日があった。
楽しいことも悲しいことも沢山ある長い時間だった。
わたしたちは居酒屋でお酒を飲むよりも、カフェでコーヒーを飲みながらおしゃべりをするのが好きだった。
きっと一番沢山の時間を過ごしたのは、コーヒーを飲みながらおしゃべりをすることだった。

 

初めてゆっくりおしゃべりをしたケーキの美味しいカフェ。
可愛い顔の彼がブラックのコーヒーを飲むのはちょっと意外だった。
私は、背が小さくてピンクのものをこよなく愛するキャラクターのせいか、
絶対に飲めなそうと言われるが、コーヒーはブラックと決めている。
なんとなく同じ匂いを感じた。
大きくて食べずらそうなケーキを、几帳面に綺麗に食べる彼を見て、なんとなく好感を持った。
2回目のデートでも私たちはコーヒーを飲んだ。1杯のコーヒーで何時間もおしゃべりをした。今までしゃべった人の中で、一番楽しくおしゃべりができる人だと思った。
そんなデートが2ヶ月ほど続いて、彼と付き合うことになった。それ以来わたしたちは沢山の時間をカフェや大学の学食で過ごした。
大学時代毎日一緒に勉強をしたあのカフェ。
お金がなくて、大きいサイズのラテを買って、パン屋さんでパンを買って公園で紅葉を見ながらおしゃべりをした時間は私たち青春の宝物のような時間だった。
学校が終わってから、それぞれがバイトに行くまでの少しの時間を公園で缶コーヒーを飲みながら過ごしたことも何度もあった。今思うと毎日そんなに話すことがあったのかと不思議だけれど、何時間もおしゃべりをして、沢山笑った。真剣な話もしたし、喧嘩をして泣くことも沢山あった。
2年生の終わり。私たちは別々にヨーロッパを旅行した。
わたしは2週間パリ。彼はロンドンから幾つかの都市を回るという。
私たちはパリのポン=ヌフで再び会う約束をして、それぞれの飛行機に乗った。
ポン=ヌフで再開した彼は、手に大きなカフェラテを持っていた。
私たちは、パリでもコーヒーを飲みながら沢山の散歩をした。
東京とは違うパリの街並みを眺めながら、これから始まる就職活動で、自分たちはどんな道に進んで、どんな大人になって、どんな将来を築いていきたいのかを沢山話した。していることはいつもと同じでも、なんとなくいつもと違う気がした。
相変わらず、1つのカフェラテと、一番安いバケットやクロワッサンばかり食べていたけれど、それでもパリで過ごした時間は幸せでしかなかった。

 

日本に戻ると、就職活動が始まった。時には学食で、時には大学の近くのカフェで、就職活動の履歴書やエントリーシートを書いた。2台のパソコンをそれぞれが眺めながら、時には真剣にダメ出しをしながら沢山の時間を過ごした。
休日、彼がバイトをしているカフェで、何時間もコーヒーを飲んだこともあった。カウンターで働く彼が一番良く見える席に座って、何時間も。
初めて内定の電話をもらったのもそんな時だった。
チェーン店のなんの変哲も無いアメリカンコーヒーがこんなに美味しく感じられることはもう無いかもしれない。

 

それぞれの就職先を決めたあと、卒業旅行で、私たち1ヶ月かけてヨーロッパを周遊する大冒険に出かけた。初めて一緒に旅行に行った。でも、行きたい場所が違う時には数日間別行動をしたりもした。
その度に、一緒にいるだけでただの移動時間がどれだけ楽しいものだったかを痛感した。
沢山の世界遺産を見ながらも、一番楽しい時間はコーヒーを片手におしゃべりをすることだった。
パリのノートルダム大聖堂の前で、マリーアントワネットが愛したカヌレを食べながら、二人で飲んだエスプレッソ。
イタリアで寒い中ジェラートと一緒に飲んだマキアート。
ベルギーで綺麗にデコレーションされたボンボンショコラを食べながら、
一緒に飲んだカフェラテ。
スペインのサグラダファミリアの近くで飲んだコーヒーはなんだか渋くて美味しくなかった。
どれも高価なものでは無いけれど、私の人生の中のとても大切な1ページ。

 

卒業式が終わって就職してからは、お互いに本当に忙しかった。
二人が通勤で通る渋谷駅。
集合はいつも22時を過ぎていて、大抵のレストランはラストオーダーが終わっていた。ぎりぎり空いているカフェに並んで座って、サンドイッチとコーヒーを食べながら仕事や家族のこと、次の週末の予定などを話すのが私たちの平日のデートだった。
喧嘩をしたり、仲直りの話し合いをしたり、仕事の企画を一緒に考えてもらったりした日もあった。
カフェも空いていない終電間際に、ホームの自動販売機で買った缶コーヒーで乾杯をした日もあった。
社会人になって、お給料をもらうようになっても、私たちのデートは別に変わりはなかった。公園で大きなラテを半分ずつ飲みながら、ベンチでおしゃべりをする。これが結局は一番楽しいことなのだ。仕事の話や、次の旅行の話、共通の友達の話。おしゃべりはいつも尽きなかった。結婚したらどんな家庭にしたいか、子供はどんな風に育てたいかを話した日もあったし、お昼寝をすることも、お花見をすることもあった。

 

就職して4年目の秋。彼はバンコクに転勤した。
私はついていくことはできなくて、3ヶ月に1回バンコクに通った。
彼が一人で住んでいた部屋にあったコーヒーメーカーで朝コーヒーを入れた。そのとき、本当の幸せってこういう瞬間のことを言うんだと思った。
バンコクにいる間は来る日も来る日もコーヒーを入れた。
実家では母が入れるコーヒー。なかなか上手に入れられなくて、コーヒーを入れる難しさや、まめによる味の違いを感じた。
日本に戻ったら、朝のそんな習慣はなくなって、私は通勤中に近くのコンビニのコーヒーを飲んでいる。
そんなとき、彼と過ごす朝を思い出して寂しくなっていた。
彼は私がいないときはほとんど家でコーヒーを飲まないらしい。
二人とも一人のときは適当なコーヒーでもいいのだ。
彼は酸味の無いダークでコクのあるコーヒーを好む。ちょっとチョコレートのような香りのするものが好き。私はバンコクに行くたびに気に入りそうなコーヒーを持って行って、二人分のコーヒーを入れた。
そんなことが続いて付き合って6年目のクリスマス。
二人でパリに行った。二人で訪れるパリはこれで3回目。
何度来ても寒さの似合うロマンチックな街だと思う。
クリスマスの夜、コーヒーを飲みながらクレープを片手にパリの街を沢山歩いた。久しぶりに会う時間を埋めるように、私たちは沢山話した。

 

パリのホテルで、彼が指輪を出してプロポーズをしてくれた。
場所も、言葉も、指輪も全てがシンプルで、彼らしさがにじみ出たプロポーズだった。
プロポーズの次の朝、私は初めて指輪をはめてコーヒーを入れた。
彼が選んでくれた指輪は大きくてぶかぶかだったし、そんなに大きなダイヤが付いているわけでは無いけど、わたしには世界で一番輝く石に見えた。
その日入れたコーヒーはなんとなく特別な味がした気がした。
プロポーズの記念にパリでお揃いのマグカップを買った。一緒に住んだらお揃いのマグカップでコーヒーを飲むのがわたしの夢だった。
それから、パリのスーパーで一緒にコーヒー豆も選んだ。他にも沢山時間をかけて、沢山おしゃべりをしながら、私たちの新しいおうちに並べたいものを少しだけ選んだ。

 

結婚が決まって、両家の挨拶や、結婚式場の打ち合わせなど疲れることがあると私たちはカフェでコーヒーを飲みながら、ぼんやり過ごした。
そしてわたしはバンコクに引っ越した。
引っ越しと同時に前のおうちで使っていたコーヒーメーカーが壊れてしまったので、ふたりで新しいものを選んだ。マグカップも、コーヒーメーカーも、ふたりでゆっくり時間をかけて選んだお気に入り。こうやってふたりの思い出のものがどんどん増えて行くと思うと、ちょっとドキドキして、もうしもいつかこの時間が終わってしまったらと思うと、怖くなった。
結婚してから毎朝私が起きて一番最初にすることは二人分のコーヒーをいれること。二人で選んだコーヒーポットに、ペーパーフィルターをセットして、二人の好みの豆を入れて、時間をかけてお湯を注ぐ。
それをお揃いのマグカップに入れてダイニングテーブルに置く。
この時に、わたしは本当に愛する人と結婚したんだなぁと実感する。
結婚とはなんだろうか。
わたしにとって結婚とは、毎朝この人のためにコーヒーを入れること。
朝のちょっとした時間に、優しい香りに包まれながら、二人の空間を確認すること。
毎日ゆっくりお湯を注ぎながら、今日も1日元気で働けるように、無事に帰ってきてくれるように願うような気持ちになって、私は時々泣きそうになる。
そして、何歳になっても1つの大きなコーヒーを公園を散歩しながら分け合う夫婦でいたいと心から願う。
いつか大きなお腹をさすりながら、デカフェのコーヒーを飲む日が来るんだろうか。
小さい子供の手を引きながら歩く日や、彼が子供を肩車したりする日もあるんだろうか。
大きくなった子供ともおしゃべりを楽しみながら歩ける日もあるんだろうか。
もしかしたら沢山も孫に囲まれながら歩く日もあるかもしれない。
どちらかが杖をついたり、車椅子を押しながら歩く日もあるんだろうか。
いつかはどちらか一人になってしまう日が来るんだろうか。

 

きっとこれからの長い結婚生活。
喧嘩をする日も、嫌いになる日もあるだろう。
それでもわたしは、毎朝彼のためにコーヒーを入れたい。
彼の好みを一番把握している私が入れる、彼が世界で一番美味しいと感じるコーヒーをわたしは入れ続けたい。
だって、こんな幸せな時間は必ずいつか終わってしまうのだから。
もしかしたら、一緒にコーヒーを飲むのは今日が最後の日かもしれないのだから。だから今日もわたしはは祈るような気持ちで、今ある幸せをかみしめながら彼とわたしのコーヒーを入れる。

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