祖父母との幸せの記憶をこめる、インスタントコーヒー

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30代後半の女性です。私が学生だった頃でしょうか、世の中にはカフェのブームが沸き起こり、様々なシーンで好みのコーヒーを飲むことができるようになりました。例えば、以前は「本当のコーヒーは、きちんとした老舗の喫茶店でしか飲むことはできないよ」なんて父(60代)は気取っていましたが、彼はある時たまたま入ったスターバックスコーヒーにて、ショックを受けたと言います。

「最近は自動販売機の缶コーヒーもやたらにうまいのがあるし、コンビニだので買える紙コップのコーヒーも実にうまい。世の中どうなっているんだ!」と、嬉しいのか恐れているのかよくわかりません(たぶん両方です)。この世代は畏れながらも、このカフェ界のコーヒーを冒険して楽しんでいる、といった感があります。

ですが一方で、私には思い入れのあるコーヒーがあります。それは実は、AGFのインスタントコーヒー。「インスタントコーヒーなんて、コーヒーじゃないよ!」等と言う本格コーヒー派の夫に何と言われようが、このインスタントコーヒーには、譲れないものがあるのです。

私の母方の祖父は、東北の農家でした。毎年の夏休み、母と一緒に暑い盛りの数週間を、その農家で過ごすのが幼い頃の定番でした。お正月にも帰省してはいたのですが、行って帰ってのあわただしさばかりが思い出され、やはり思い出が深いのは夏休みです。

海に近く爽やかな気候だった実家に比べ、盆地の中にある祖父母宅は蒸し返るような暑さでした。もちろんエアコンもなく、暑さに弱い私はへばり気味でした。そんな私を「やっぱり都会のお嬢ちゃんはもやしだなあ」などと優しくからかいながら、祖父母は私を農地へも連れて行ったのです。祖父母のメインの畑は、少し離れた山の上にあり、軽トラックにがたがた揺られながらそこにたどり着くと、涼しい風が顔をなでていきました。そこは標高が高い分かなり気温が低く、私はとても気に入っていました。早起きするのは辛かったのですが、軽トラックに揺られて山の畑に向かうのは、心が躍る思いでした。

私自身の記憶からは抜け落ちているものの、祖父母はかなり激しく働いていたのです。畑は生産性があり、いくつもの土地を他の農家さんに貸したりもしていたので、厳しい生活に迫られていたわけではないようです。ただ、その状態にのぼりつめるまでにしてきた、祖父母の努力が、それを平常の習慣としてきつい仕事に向かわせていたのだろうと思います。体力的にはとてもきつい労働で、祖父母からはいつもやわらかい土のにおいがたちのぼっていました。

そんな大変な労働を終えて、祖父母は帰宅します。昼食後の短い昼寝のあとは別の畑で働き、4時近くなると帰ってきて、私の母にお茶のしたくをさせました。と言っても、お茶は私と母用で、祖父母が飲むのはインスタントコーヒー。そう、それこそがAGFのコーヒーだったのです。お気に入りの重いマグカップに、祖父はかなり濃い目にコーヒーをつくり、砂糖とクリームをたっぷり入れて飲んでいました。その砂糖の量は、現在の私から見ればちょっとびっくりするくらいの量です。それでも、肉体労働に明け暮れる祖父母には、この甘いコーヒーが必要だったのでしょう。ふたりとも、ちょうど湯飲みを両手で支えるようにマグカップを包みこんで、いかにもおいしそうにコーヒーをすすっていました。

ある時、幼い私に祖父がコーヒーをくれたことがあります。「母ちゃんには内緒だぞ」と言って、母が席を外した瞬間を狙って、スプーンで飲ませてくれたのです。私はその甘さと苦みが絡み合った不思議な味に、目を白黒させました。「濃い!」という印象だけが舌に残り、それが美味しいか不味いのかはよくわかりませんでした。それでも祖父母のいたずらっぽい顔が面白くて、「じいちゃんおいしいよ!」とささやいたのです。

祖父母宅の仏壇前には、いつ見ても大量の箱が積み重なっていました。時期的にもお中元の品々が置いてあったのですが、それらはほとんどがインスタントコーヒーの贈答用詰め合わせでした。親族や親しい人などは、祖父母が農作業の合間にコーヒーをおやつにしていることをよく知っていました。ですから必然、こういった贈り物にもインスタントコーヒーが多かったのです。祖父母は自分たちではコーヒーを買ったことがなく、これらのいただきものを消費するので精一杯のようでした。私たち母子が帰省を終える頃、祖母は「少し持って行きな」と母にそのコーヒーびんを持たせていたのですが、不思議と自宅で両親が飲む際には、祖父母の家のような香りはしませんでした。

数十年たった今、祖父母は亡く、この夏休みの思い出も遠くなりました。ですがAGFのインスタントコーヒーは相変わらず販売されており、私もたまについつい買い求めてしまいます。祖父母をまねて砂糖とクリームを多めに入れ、そしてお茶うけに甘めのお漬物を切って、密かにひとり、濃い一杯を楽しむひと時があります。相変わらず「濃い!」という印象のこのコーヒーは、それでも他のカフェでのコーヒーや、本格ドリップコーヒーとはまた違った味わいがあります。それは私の中に活きている、祖父母の優しい思い出に他ならないのですが、自分が愛されていたことのささやかな実感とともに、幸せを象徴する香りを漂わせているのです。

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