Good Luck Coffee

Pocket

5年ほど前に私がオーストラリアに住んでいた時の話
当時私は、今では日本でも一般化してきた「シェアハウス」という平屋の一軒家に様々な国籍の人と4人で暮らしていた。

 
「シェアハウス」はその名の通り、一軒家やアパート、何部屋かあるマンションの一室を数人でシェア(分配)をして住むことをいう。私はオーストラリア人のオーナーの女性とスコットランド人、ブラジル人の男性と暮らしていた。その時私はシェアハウスに住むことも初めてだったし、もちろん日本人以外の外国人と一緒に住むことも初めてだった。それは最初、英語を話すことも十分でない私にとってカルチャーショックの連続だった。

 

初めは言いたいことも上手く伝わらず、相手の言ったこともよく分からず、自分の無力さに泣いてしまうこともしばしばだった。それでも一緒に暮らしていた人たちは皆優しく、忘れられない時を共に過ごした。特にスコットランド人だったデリックは英語が拙い私にも分かるようなジョークで、たくさん笑わせてくれた。

 

デリックはオーストラリアで働いていて、私たちの住む家から1時間はかかる隣町まで車で通勤していた。そんな彼の朝は家に住む4人の中の誰よりも早く、私が目を覚ましてリビングへ向かう頃には、いつもスーツに着替え朝食をとっていた。デリックは毎日私に「モーニング」と挨拶をしてくれた。そんな時リビングにはいつも美味しそうな朝食のにおいとコーヒーの香りが漂っていた。

 
「今朝は何を食べているの?」と質問すると「ゆで卵」「パン」「フルーツ」とその日の朝食メニューを説明してくれた。たまに海外のよくわからない食べ物を食べてることもあった。「それはなに?」と聞くと「なんだって?これを知らないの?これはグラノーラバーだよ」と教えてくれたりもした。「グラノーラバーなんて日本人は食べないよ」と言うと、大げさに「こんなに朝食に最適なものを日本人が食べないなんて!」と驚いてみせていた。

 

よくわからないものは食べ物だけでなく、彼が所有するいわゆる便利グッズも日本では見たことがないものが多かった。例えば卵型の鉄製の物体を彼が自慢そうに「これは何か分かるか?」と説明してくれたことがあった。はて?そんなものは見たことも聞いたこともない代物だ。彼曰く「これはゆで卵の丁度いい湯で具合を教えてくれるものなんだよ。これを卵と一緒にお湯の中に入れると、球体の上部に赤い線が浮き上がるんだ。それが丁度いいゆで具合のゆで卵が出来たというサインなんだ」彼はさもそれを自分が発明したかのように誇らしげに語っていたが、私には別にゆで時間を計ればいいのではないか?としか思えなかった記憶がある。

 
その「ゆで卵の丁度いいゆで具合を教えてくれるグッズ」と同じぐらい彼の自慢の便利グッズだったのが、コーヒーのフレンチプレスが付いたマグだった。
実際に彼は毎朝そのマグでコーヒーを飲んでいた。今でこそコーヒー豆を買い、ミルマシーンで豆を挽いて飲むほどコーヒーが大好きな私であるが、当時私はコーヒーを飲むなんてことは、ほとんどなかった。だからフレンチプレスの器具も見たこともなかったし、ましてマグと一体化したものがあるなんてことは思いもよらなかった。だから彼が毎朝コーヒーを飲んでいるカップの奇妙な形が不思議でならなかった。なぜ変な棒が飛び出たような蓋がついてるマグで彼が美味しそうにコーヒーを飲んでいるのか、いったいその棒が何なのか気になっていた私はついに「いつもコーヒーを飲んでるそのマグ変わってるよね」とデリックに言ってみたのであった。

 

彼はまたしても、よく聞いてくれた!と言わんばかりの得意げな表情で「このマグはすごい便利なんだよ」と、いかにそのマグが便利であるかを熱心に語ってくれたのだが、いかんせんその頃まったくといっていいほどコーヒーの知識が無かった事に合わせて、英語の理解能力も低かった私には彼の言ってる事がほとんど理解できなかったのである。

 

身振り手振りで必死に伝えようとはしてくれていたものの、そのフレンチプレスの機能と手順がそもそも分かっていなかった私にそのマグの便利さを理解するのは到底無理であっただろうと今でも思う。というわけで、ただぼんやり「なんか分からないけどコーヒーが便利に飲めるマグなんだなあ」としか、悲しいかな思えなかった記憶がある。とりあえず熱心に説明した後にキラキラした瞳で「どうだ、便利だろ?」と私を見つめた彼に「sounds good(それは、いいね)」とだけ答えたが、彼は満足そうに「Yes」と頷いていた。おそらく当時、日本にはまだこのようなフレンチプレス式のマグはそれほど出回っていなかったようにも思う。

 
こんな感じでお互いに違う国の違う文化についてのちょっとした発見を話しては、驚いたり訝しんだり、不思議に思ったり、妙に納得したりしていた。それが私たちの他愛もない日常だったのだ。
その後、私はこの家を出て違う町へ移りデリックも仕事で違う町に行くことになった。私が家を出る日も彼はいつものようにリビングのカウンターに座りコーヒーを啜っていた。そしていつもの通り「モーニング」と挨拶をした。すべてがいつも通りの朝だったけれど私は大きなスーツケースを引きずって「デリック、私は今日でこの家を出ていくの」と静かに言った。彼は「知っているよ」と何を今更というように少しおどけてみせた。私は心の中で「知っているよ」だなんて、今日でお別れなのに寂しくないのか!と少しスネた気持ちになった。私の方は今日でこの家と皆とお別れなんて信じられない気持ちで、胸がいっぱいで何と言ってよいのやら言葉に詰まった。

 

その時、彼は急に立ち上がり私に近づいて言った「そんな顔するんじゃない。君は新しい場所に行くんだろ?君は次のステージへ進むんだ。幸運を祈っているよ。」そんなようなことを言って、最後にしっかり私のことを抱きしめてくれた。

 
実はデリックは私より20も年上の私からしてみればオジサンだったのだが、その時は何てカッコいいことを最後の最後に言ってくれたんだと目がハートになってしまった。

 

こんなカッコいいセリフをさらりと言うなんてさすが外国人。しかも当たり前だけど、英語で言うからなおさらカッコよく聞こえた。デリックがあと10歳も若ければ確実に恋していたであろう。いや、最後のセリフを言ったときもう恋に堕ちてたかもしれない。なにわともあれ、デリックに最後のセリフを言われ最後の抱擁をされた時、恋愛映画の主人公のような気分になったことは間違いない。私は「ありがとう」と言って彼と別れた。

 
それからあっという間に時は過ぎ、そんな外国人4人と楽しく暮らしていたことも思い出になっていた頃、急に私の眼前に現れたのである。デリックではなくて、デリックが持っていた「なんか分からないけどコーヒーが便利に飲めるマグ」が。それはコーヒーが特集されている雑誌に掲載されていた。そう間違いない、この何だかよくわからない棒が付いた蓋のマグ。最初はそれがデリックが自慢していたソレと気づかなかった。「どこかで見たことがあるけど、どこで見たんだっけな?」そう考えて思いついた。そうか、これはあの時デリックが持っていたマグだ!ということに。

 

もうそこからは食い入るように読んだ。そのマグの特性を。そして私は遂にデリックのマグがどれだけ便利な代物であったかということを何年か越しに理解したのであった。
ちょっと大人になってコーヒーの美味しさが分かるようになった今、やっと解けた謎。確かにこんな便利なものだったら私も欲しいなあ、と今なら思う。こんなに便利なものだったら確かにあんなにも熱心に良さを説明してくれたことにも納得がいく。デリックはまだあのマグでコーヒーを飲んでいるのだろうか?「デリックさん、私もやっと大人になってこのマグの素晴らしさに気づきましたよ。コーヒーの美味しさにも気づきましたよ。」心の中で彼に呼びかけてみる。彼はきっと「今頃になって、やっと分かったのか!」と呆れた顔をするに違いない。その通り。まだ私はやっとコーヒーの美味しさに気づいたその程度のステージに立っています。そしてまだあの時のデリックの言葉を超えるような素敵なセリフも、どの男性からもいただいておりません。

 
人生は不思議だ。私はまだ実のところそんなに長く生きていないのだけれど、たまにこれが私の身に現実に起こっていることなのかと疑わしく思う瞬間に何度か出会ってきた。デリックとあのフレンチプレス付きのマグの思い出も今では本当にあったことなのかと思う。でも雑誌でマグを見つけたとき、確かに不思議な興奮があった。なんだか初恋を思い出したようなそんな気分だった。やっぱりあのデリックのマグ買おうかしら?そうしたらそのマグでコーヒーを飲む度に初恋を思い出すようなそんな気分になれるかもしれないな?「どう思いますか?デリックさん?」ちょっと意地悪な彼ならこう言うに違いない「そんなマグを買って、それでコーヒーを飲んで初恋がどうとか言ってる暇があるなら、さっさと新しい恋人か結婚相手でも見つけた方がいいぞ!」全く腹立たしいほどにおっしゃる通りである。いつになったら私の次のステージで一緒に踊ってくれる男性が現れるのやら。一緒に美味しいコーヒーを飲んでくれる方であればなお歓迎したい。

 

そんな私にいらぬもう一声が聞こえてくる「だけどもあのマグを買うなら、ついでにゆで卵の丁度いいゆで具合を教えてくれるアレも買った方がいい。そういうことで、健闘を祈る」

 

おそらく遠い海の向こうのどこかで、朝早く彼は今でも朝食とともに、あのマグで美味しいコーヒーを飲んでいることであろう。同じく彼にとって遠い海の向こうのどこかにいる、20歳程も年の離れた英語が拙い、コーヒーのことがまるで分っていない日本人の女の健闘を今も祈ってくれていればいいのだが。

コメント