コーヒーと恋愛と成長

朝、目覚めると同時に甘いカフェオレを飲みながら主人と「そう言えば初めてコーヒー飲んだのっていつか憶えてる?」というたわいない話をしていた。
ゆっくり考えている間もなくバタバタと小学校五年生の息子が慌ただしく登校する。
「ママ行ってきます」
後から主人が仕事に向かい、家事がひと段落つく頃に私と5歳の次男が幼稚園へ向かう。
これが我が家の日常だ。

 

次男を送り届け、残った洗い物を片付けながら、朝のコーヒー話を思い出した。
(最初にコーヒー飲んだのは…?)
コーヒーと言えるのか微妙なところだが、私の記憶が正しければ、生まれて初めて飲んだコーヒーは父親と行った銭湯にある瓶のコーヒー牛乳だ。
モノクロのドラマに出てきそうな格好で、腰に手を当てながら瓶の牛乳を飲む父親が妙に羨ましかった幼稚園時代。
何故か父親に勝ちたくて、真似するだけなら勝てないと思った私は牛乳ではなく、コーヒー牛乳を選んだ。
あの甘ったるいコーヒー牛乳でさえ、ほんのり苦かったのを憶えている。

 

小学校に入学した日、父親と母親、そして妹の四人で近くのスーパーに行った。
毎度のことながら妹は店に入った瞬間に「お母さん喉乾いた〜」と猫撫で声で甘える。
(さっき自動販売機で買ってもらったくせに!)
ちょっとだけ妹をキッと睨む。
お母さんは妹に甘く、また最後まで飲めない癖に大きな炭酸飲料を買ってもらっていた。
「おねえちゃんはいらないの?」
本当は私も喉がカラカラだったし炭酸飲料が欲しかったけど格好つけて「おねえちゃんはジュース子供っぽいからいらない!」と勢いに任せて某有名メーカーのパックコーヒーを手に取った。
お母さんが「へー。あんたコーヒー飲めるようになったんだね」て褒めてくれて凄く嬉しかったけど、いつものコーヒー牛乳よりも更に苦い気がした。

 

私の中で大人イコール苦いコーヒーが飲めるという思い込みが、いつの間にか根付いていた。
父親と母親は毎朝母親の淹れるインスタントコーヒーを飲んでテレビのニュースを観ていた。
「お母さん、ソレちょっとちょうだい」
母親が飲んでいたインスタントコーヒーを一口。
(苦い…。全然おいしくない…。)
引きつった顔で「結構美味しいね!」て格好つけたのに両親は大爆笑していた。
後ろで一緒に笑う妹がいつも以上に憎たらしく見える。

 

私のコーヒーブームが去りかけた頃、広島に住むおばあちゃんの家に遊びに行く日があった。
親戚が沢山集まっていて、やっぱり大人はコーヒーを飲んでいた。
いとこのお姉ちゃんが「パンをさ、コーヒーに漬けたら美味いんやで」て衝撃的なことを教えてくれた。
正直、汚いって思った。
真っ白なパンがコーヒーで茶色になるし、グジュグジュしていて何だか気持ちが悪い。
「いいから、食べてみてや!」と無理やり口に入れられた…あれ?美味しい!
何これ!凄く美味しい!あんなに苦いコーヒーなのに、その苦さが堪らなく美味しい!
死ぬほどコーヒー浸しパンを食べた小5の冬は忘れられない。

 

中学生になり、教科書通りに反抗期を迎えた私は、あれほど大好きだった父親に意味のわからない嫌悪感を抱くことが増えた。
何故だかわからないけれど、話しかけられることすら嫌だった。
会話もギスギスしていたけれど、父親から香るブラックコーヒーの香りは好きだった。

 

高校生になり、アルバイトや友達との遊びに明け暮れている頃、またもや私のコーヒーブームは再来し、コーヒーラテやカフェラテという少しオシャレなコーヒーを飲んでいた。
対してコーヒーの味もわからない癖に、一丁前に「やっぱり最後はコーヒーだよね〜」なんて格好つけてた。
この頃の私が、焙煎された本当に美味しいコーヒーを出されても、ファストフード店のコーヒーを出されても、取り敢えず美味しい〜!て言ってたに違いない。
だって、甘みが少ないとか言いながら、シロップとミルクを幾つも追加してたのだから。

 

高校三年の進路相談の日、今思えば確立した夢もなく、ただ周りに流されて格好良いと思ったからか「専門学校に行きたい」と両親に打ち明けた。
両親は今まで私の言うことに反対したことがなく「頑張るんよ」と優しく返事をしてくれた。
専門学校説明会の日、説明会が終わって母親が「お昼ごはんがてら喫茶店に入ろう」と昔ながらの味のある喫茶店に行こうとした。
「そんな汚い店嫌だよ。あっちの店に入ろうよ!」と私は喫茶店ではなく、いわゆるカフェに母親の手を引いた。
なんとかラテ、なんとかフラペチーノ。
母親は「美味しいね。オシャレなお店だね」って褒めてくれたけど、何だか寂しそうだった。
コーヒーを飲んでいる時の母親の時間はいつもゆっくりだった。
毎日忙しい母親のコーヒータイムは、唯一ホッと息のつける時間だった。
この日、母親とのコーヒータイムは、凄く短かった。

 

運命の出会い!絶対に運命の出会い!
社会人になった私は、アクセサリー屋の副店長を任されていた。
好きな接客業だったけれど、まだまだ遊び足りない。
刺激の無い毎日に嫌気がさしていた頃、通勤電車の中で一目惚れした男性が居た。
前から好きだった俳優さんにソックリで、背も高くて、本当にイケメンだった。
びっくりしたことに、降りる駅が同じだった。
思わず駆け寄り声をかけた。
「一目惚れしました!」
びっくりした彼は一瞬止まっていたけれど「俺もタイプかも!」と直ぐに意気投合した。
もっと話したくて駅近くのカフェに入る。
「やっぱりコーヒーはブラックですよね〜?」
「ブラックじゃなかったらコーヒーじゃないから!」
息も合うし感性も合う!
本当に運命の出会いだったんだ。
この頃の私、実は仕事が忙しく眠気覚ましの為だけにコーヒーを飲んでいた。
ミルクもシロップも入れないただのブラックコーヒー。
思えば、この頃のコーヒーは一番不味かったかもしれない…。

 

彼との出会いから一年。
私たちは夫婦になった。
周りからはまだ早いんじゃないか?と心配されていたが、お腹には小さな命が既に宿っており、おめでたい話だ!と最後は沢山の人に祝福された。

まだ、私はホッとするためのコーヒーではなく、眠気覚ましだけのブラックコーヒーを飲んでいた。

「たばこ、やめてよ」

たばことコーヒーの混ざった匂いは嫌いだった。
子供に悪影響だし、気分も悪くなる。

見栄と眠気覚ましだけのブラックコーヒーで繋がった二人の生活は長く続く訳もなく、二人目の子を抱えながら別の道を選んだ。

シングルマザーとして久しぶりにホッとしたコーヒーを飲んだ。
子供がくれた飲みかけのコーヒー牛乳。
「これ、ママも子供の頃好きだったんだよー!」って笑いながら、子供の優しさに涙が出る。

久しぶりに仕事が休みになり、母親と古い喫茶店に入った。
「この店、なんか落ち着くね〜。」
母親は笑って「あなたから、その言葉が聞けるとは思わなかった」と少し疲れた笑顔で涙を流した。
「あの時はごめんね…」と言いかけて目の前にあるちょと甘めのコーヒーを飲んだ。

30歳を過ぎた頃、母親がそろそろ次の人を見つけても良いのではないか?と頻繁に口にする様になった。
私は女手一つで頑張るつもりだったけれど、自分のパートナーが欲しいと思うことも今までに沢山あった。
ただ、シングルマザーとして1人で頑張るから!と啖呵を切ったからには、パートナーが欲しいだなんて口が裂けても言えない…と女である部分を封印していたのかもしれない。

ある日、テレビでお見合いパーティーの特集をやっていた。
こんな出会いもあるんだな〜と観ていたら息子が「ママも行ってみたら?」と冗談なのか本気なのかわからないテンションで話してきた。
ちょうど実家で観ていたので、母親も「そうだよ。一回くらい行ってみたら?」と今までにないくらいの勢いで、私の背中を押した。

ま、経験のひとつとして…と軽い気持ちでパーティーに参加した。
急に目一杯オシャレをした自分が恥ずかしくなってきた。
このワンピース、変じゃないかな?
メイクおかしくないかな?
髪型変じゃないかな?
ドキドキ、心臓はバクバク。

私のテーブルに1人の男性がやってきた。
「素敵なワンピースですね」
落ち着いた声の癒し系サラリーマンだった。
歳は私より10も上で、一度結婚に失敗したらしい。
「一緒ですね!」
彼とは最初からスムーズに話せた。
前から知っていたかな?と思うほどに話せた。
一緒に話している空間が心地よくで、まだまだ話していたいと強く思った。

パーティーが終わり、私は彼とカップルになった。
「どこかでゆっくり話しましょう」
少しだけオシャレな喫茶店に入った。

(年上だし、落ち着いたサラリーマンだからブラックコーヒーだよね…)
長い間悩んでいると、彼が「先に注目しても大丈夫?」と聞いてくれた。
「どうぞ!」と言うなり彼は「カフェオレひとつ」
咄嗟に「私も!」

ブラックコーヒーじゃなくて良いんだ!
なんだか拍子抜け。

彼は「仕事上、ブラックコーヒーばかりだけれど、本当は甘めのコーヒーが好きで」と少し恥ずかしそうに笑った。

実は私も…と今までの話をしながら、ちょっと甘いカフェオレを二人で飲んだ。

甘いコーヒーが好きな彼は、今の私の旦那様。

朝は毎日忙しく、今日もバタバタしている。
長男の騒がしい「いってきまーす!」の後、ほんの少しの時間にホッとするちょっと甘いコーヒーを夫婦二人で飲む。

「行ってきます」
主人が笑顔で足早に階段を降りてバス停に向かう。

私は家事を片付け、次男の朝ごはんに付き合いながら、もっと甘いコーヒーにパンを浸して食べる。

コーヒーは眠気覚ましだけの飲み物ではない。
張り詰めた空気、バタバタする毎日にホッとする小さな癒しを与えてくれる飲み物。

その癒しを共有できる夫婦こそ、素敵な夫婦なんだな…としみじみ感じながら、子供の頃に見た父親と母親のコーヒータイムを懐かしむ。
私も少しは成長しただろうか?
まだまだ、ブラックコーヒーを楽しむことはできないけれど、甘いコーヒーで一息つけるようになりました。

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ブラックコーヒーのように苦い恋

営業の仕事で寄った20年ぶりの吉祥寺の駅。ようやく秋めいてきて、通りの木々もだいぶ色づき始めている。そうだ、あの時の喫茶店まだ、やっているだろうか。そう思い、次の訪問予定先までだいぶ時間があったのでちょっと足を伸ばしてみることにした。駅から10分ほど歩いたところに喫茶店はあった。そう、僕が20年前の高校生の頃、学校帰りによく通っていたあの喫茶店だ。少しドキドキして古い木製のドアを開けてみる。カラン、カラン。ドアに取り付けた銅製のベルが鳴り、いらっしゃいませ!と若い20歳くらいの女性の店員がカウンター越しから声をかけてくれた。
やっぱりあの時の髭のマスターはもういないんだ、そりゃそうだ、20年も経つものなと一人で納得してテーブルについて、ブレンドコーヒーを一つ注文した。高校生の頃、コーヒーを頼む時にはミルクや砂糖を入れないのが本当の味のわかる飲み方だということをどこかで聞いて、初めてブラックコーヒーを飲んだのもこの店だ。しばらくしてコーヒーが運ばれてきて、僕はあの頃と同じように砂糖もクリームも入れず、一口すすった。正確にあの頃の味なんて覚えていないけれども、なんだか懐かしく、切ないような味がした。
店の中を見回すとところどころ新しくなっているものの、ほぼあの頃のままで、なんだかタイムスリップしたみたいだ。そして、あの頃付き合っていた彼女のことを思い出した。20年前、僕が高校生の時に通学途中にあるこの喫茶店は当時付き合っていた同級生の女の子とよく学校帰りに寄っては、好きな音楽や映画、小説などの話をしていた店。大学受験前ということもあって、ここはオアシスのような存在だった。僕は彼女のことが大好きで、紙ナプキンを細く切り裂いて何本かの紐にしてそれをおたがいが一本づつ結んで一つになれば二人は結ばれるなんて遊びもしたっけ。今となってはちょっと気恥ずかしい思い出もここに来ると昨日のように思い出される。
今、彼女はどうしているだろうか。

当時僕は高校ではサッカー部に所属していたが、高校2年の時に弱小と言われるサッカー部の主将に指名され、少しでも先輩やOBの期待に応えるべく、ハードな練習に明け暮れていたあの時にグランドの向かいの校舎からいつもサッカー部の練習を見ている女の子がいた。それが彼女だった。その頃、サッカー部には僕の友人で学校でも一番のモテ男がおり、僕はおそらくそいつのことを見ているもんだと思い、部活帰りにそいつをからかったりしていた。そして程なくして学校ではその子と友人が付き合っているという噂を聞いて、確信した。その友人は学校一のイケメンでスタイルも良くおしゃれでバレンタインデーなどはいつも女の子からたくさんチョコレートをもらっているような典型的なモテ男、またその子も学校でも一番の美人で中学校時代から地元の同級生の男子から絶大な人気があり、高校でもミスナンバー1になったような子で美男美女のカップルということで皆納得していた。そんなある日、いつもの部活帰りにその友人が腹が減ったのでラーメンでも食べて帰らないかといってきたので、おお、いいよ。といって僕らが学校帰りに行くいつものお気に入りのラーメン屋に寄ることにした。ここのラーメン屋は塩ラーメンがうまいので有名で、僕らサッカー部員はハードな練習後などは自分へのご褒美にとばかり、よくみんなで食べに行く定番の店となっていた。そしてそこでいつも注文する塩ラーメンを頼んだのだが、ラーメンが運ばれてくるまでの間、特に話題もなかったので、僕の方から何の気なしに、あの子とはうまくいってるのと何気なく聞いてみた。すると友人は急に憂鬱そうな顔をしてしばらく黙っていたが、その後、本当は言いたくなかったのだけれど、実は、彼女、お前のことが好きなんだよ。と思いもよらないことを言った。その後ラーメンが運ばれてきたが、信じられなかった僕は、箸にも手をつけることもできず、嘘だろう、冗談言うなよと言ってみたが、彼は青い顔をして固まったままだった。その後、二人は黙ってラーメンをすすって、店を出た。

その後、改めて友人から説明されたのだが、どうやら彼の話は本当らしかった。彼女は僕に気があったが、当時僕にも付き合っていた子がいた。彼女のことが好きな友人は相談に乗りつつも彼女のいる僕を諦めて自分とつきあうように説得し、彼女と付き合うことができたそうだ。その後付き合いを続けていたもののいつまでたっても心が自分にないと思うと彼は苦しくなり、僕に告白したというわけだ。
ただ僕には付き合っている彼女がいたし、彼も仲の良い友人だったので、その話は聞かなかったことにしていた。それから半年くらいして、僕はある理由でそれまで付き合っていた彼女と別れて、サッカーに没頭していた。そして高校3年生になり、修学旅行に行った時のことだった。その日の見学を終え、宿舎に戻り、食事を終えて各々が各部屋に戻った頃、友人に呼び出され、話を聞くと彼女が高校最後の思い出に一緒に写真を撮ってもらえないかとのこと、ちょっとドキドキしながら呼ばれた場所に行くとその子は恥ずかしそうな顔をして立っていた。そこには今まで高嶺の華であったミス高校の姿はなく、純情で可愛らしい素のままの彼女の姿があった。そしてそこで友人とともに一緒に記念写真を撮ったのだが、僕はそれまで自分でも気づかなかった彼女に対する想いを確信した。友人への義理、そして魅力的な彼女が自分との不釣り合いだと思い、気持ちをごまかしていたのかもしれなかった。
そして程なくして彼女と付き合うことになった。3年生になると大学受験のため部活は引退となり、授業が終わると帰りには自転車で2人で図書館に寄って一緒に勉強したり、気分転換に喫茶店でコーヒーを飲みながら、好きな音楽、映画、小説のことなど話した。そうして大学受験後、志望校を目指すため僕は浪人し、彼女は専門学校に進学することになった。僕は彼女と一緒に浪人したかったが、彼女は始めから浪人するくらいなら専門学校に行くと決めていたようだった。そこから、僕は学費と生活費のためバイトをしながら予備校に通った。予備校の友人には、彼女の話をしていたので、彼女はどうせ、専門学校にもう彼氏ができてるよなんて、からかわれたが、僕は彼女がそんな子ではないと信じていたので、気にも止めなかった。というものの本当は心配だったのかもしれない。ある日予備校からの帰りに電車に乗って家に帰ろうと反対側のホームに目をやった時、たまたま彼女が専門学校生のチャラチャラした男と楽しそうに笑っているところを見てしまった。電車の中からだったので、そのまま黙って家に帰ったが、胸の中がざわついた。その後、受験が近いためしばらく会わなかったが、彼女は時々手紙をくれた。その中には専門学校の友達のこと、外国に旅行したこと、とてもキラキラした内容が羨ましかった。僕も専門学校に行けばよかった。そんな思いだった。とにかくその思いを払いのけるように勉強し、なんとか志望校に合格した。

そして、久しぶりに彼女に会ったのだが、何かがあの頃と違っていた。僕は高校3年生のまま、彼女は就職を控え大人びた感じで、以前より増して魅力的だったが、その分、何か距離ができてしまったように思えた。考えてみれば彼女と僕は全てが違っていた。彼女は高校でも一番の美女。性格は穏やかで、ファッションセンスも良く誰からも愛され、友人も多い。彼女の家は高級住宅地の一軒家で父親は会社の経営者だそうだ。弟が一人いて聞いたところ、家族皆仲が良いそうで、子供の頃から毎年冬になると家族でスキーに行っていたらしい。
比べて僕は、特に目立って人より優れたものはなく、家も裕福ではなかった。僕の家は父親と折り合いが悪かったため僕と兄は中学生の頃から父親と離れたアパートで二人で暮らしていた。たまに母親がご飯を作りに来てくれたこともあったが、共働きで忙しいため、弁当を持ってくれるか、もしくは幾らかの食費を貰って、コンビニ弁当などで毎日済ませていた。風呂なしのアパートのため、風呂はもっぱら銭湯だった。思い出せば小学生の頃からそうだった。共働きで忙しい両親は家に帰ってくるのがいつも深夜になるため、僕ら兄弟は、毎日500円を与えられ、それで学校帰りにスーパーなどで菓子パンやジュースを買ってそれで済ますことが多かった。1歳違いの兄と食事をして、テレビを見て、風呂に入って、歯磨きをして、布団を敷いて寝るのだが、何か不安でなかなか眠りにつけない。夜中12時頃にドアの鍵がガチャガチャして、両親が家に入ってくる音を聞き、安心して眠りについたものだった。育った環境が違いすぎたのだった。彼女が当たり前にしている全てが僕には羨ましかったのだ。
彼女は何も悪くなかった。たまに会う時にはニコニコして嬉しそうに話を聞いてくれ、誕生日には、手作りのパジャマやクッションをくれた。受験前は勉強が忙しくなかなか会えないため、わざわざ手紙を書いてくれた。何一つ欠点がなかった。彼女が素敵であればあるほど自分が惨めに見え、嫉妬心から僕は何かにつけ彼女にあたり、冷たく振る舞い、彼女を傷つけ、そして最後には彼女から別れを告げられた。まるで赤ん坊のように自分で積み上げた積み木を壊すように自分を制御することができなかった自分が恨めしかった。
しばらく焼け酒を喰らい、半年くらい経った頃、友人から、彼女が新しい恋人ができたことを聞いた。それは専門学校のあのチャラい男ではなく、なんと高校時代の僕の友人だった。そしてその後、しばらくしてその友人と結婚したと風の噂で聞いた。その噂を聞いた時、切なく悲しい反面、偽善ではなく、心からよかったと思った。

おかわりはいかがですか。気がつくと目の前に店員の女性が立っていた。気がついたら、1時間も思い出にふけっていたようだ。いえ、結構です。もう出ますからといって会計を済ませ外に出た。夕刻も近くなり、冷たい風を肌に感じ、コートをきつく絞めた。しばらく歩いてふと振り返って見ると本当にこの店はあの頃のままだ。あれからあの子は今も幸せに暮らしているのだろうか。舌に残ったブラックコーヒーの苦味を味わいながら駅に向かった。

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コーヒーがある風景に恋をする

* コーヒーと私 *
コーヒーは気付けば私のすぐそばにいつもあった。
私とコーヒーの間には出会いきっかけなどない。平日、朝目が覚めて二階の自室からリビングへ降りると、母が父が会社に持っていく為にインスタントのコーヒーを水筒に入れていて、その独特の香りは幼い頃から私にとって”朝のにおい”だったように思う。休日には父が自分でペーパードリップのコーヒーを入れて、テレビを見ながらのんびり飲んでいて、流しには出がらしのコーヒーが置いてある。そんな記憶がある。

私自身はというと幼い頃からコーヒーを飲む習慣がなく、むしろどちらかと言えば紅茶の方が好きで、今でもレストランでは食後にコーヒーではなく紅茶を頼んでしまう程、コーヒーを身近に感じながらも遠い存在だった。よくよく考えれば我が家でコーヒーを飲んでいるのは父だけだったように思う。そんな家庭で育った私にとってコーヒーは飲み物というより風景の一部でしかなかったのだ。

 

そんなコーヒーを今では私も飲み物として自宅やカフェで楽しむようになった。
そこには明確なきっかけがある。今思い返せばそう思うのだ。あの時のあの瞬間の彼とコーヒーとの出会いが今の私とコーヒーの関係を作っていると。私にとってコーヒーは恋と隣り合わせだった。

* 缶コーヒーと無口 *
ガタンッ!

私の前に立っていた背の高い彼は腰を折って自動販売機の取り出し口に手を伸ばした。彼が手に持っていたのは黒い小さな無糖の缶コーヒーだった。

私の通っていた高校には校内の数カ所に80円均一の自動販売機があった。昼休みになると教室から溢れ出すように生徒が購買に走り、戦利品を抱えて自動販売機で飲み物を買う。そんな景色が日常だった。
ある秋の日の昼、早々にお弁当を食べきった私は友人と一緒に渡り廊下の近くにある自動販売機に飲み物を買いに行った。外の風は冷たくなり始め自動販売機にはホットのドリンクが並ぶようになる。そんな季節だ。到着して見るとそこには数人の男の子がいて、隣のクラスの野球部の男の子達のグループだとすぐにわかった。クラス数が多い為、接点のない人が多い高校時代は、同学年であっても会話したことのない人はたくさんいて、そこに並んでいる彼らとも、無論、会話したことはなかった。
しかしその瞬間に私は凄くドキドキしていた。何故かって、その中に私が一方的に思いを寄せていた彼がいたから。私のすぐ前に並んでいる彼は遠くで見るより背が高くて細くてでも背中が大きい。一緒にいる仲間達と違って言葉数が少なくクールで、たまにこぼす笑顔がたまらなく格好良くて、ほとんど名前しか知らない彼の後ろ姿に、私は胸を高鳴らせていた。

「ラッキーじゃん!」

私の後ろに並んでいた友人が小声で言う。

「ちょっ!、、う、うるさいよっ。」

私の気持ちを知っている友人は面白がって後ろから私の背中を突っついて茶化してくるが、当の自分は気が気ではない。確かにラッキーな展開。そう思う一方で接点がなさすぎる私と彼の間には会話が生まれるはずもなく、私はただドキドキと高鳴る胸の鼓動が聞こえやしないかと、ソワソワするのに必死だった。
そんな彼が自動販売機の一番上の段の右端のボタンを押す。彼の手には私にはあまり馴染みのない無糖の缶コーヒーがあった。

「お前、なんでコーヒーだよ!おっさんくさっ!!」
「そう?結構うまいよ。」

そんなやりとりを残して彼らは去っていく。なんでコーヒー?私も内心そう思った。しかし、高校生が飲むような炭酸飲料やジュース、スポーツドリンクが並ぶ自動販売機の中から、無糖の缶コーヒーを選ぶ彼は、その瞬間私の中で更に特別になった気がした。「かっこいい!」無口でクールな彼に黒い缶コーヒーの缶は驚く程似合っているように私は思った。

「無糖のコーヒーとか変わってるよねー。」
「、、、うん、でも、かっこいい!!」
「話しかければよかったじゃん!」
「それは無理。」

その日の部活の帰り。私は再びその自動販売機に立ち寄り、生まれて初めて無糖のブラックコーヒーを買った。暗闇にぼんやりと光る自販機の明かりの前でかたいプルタブを開け、一口飲んでみる。「まずっ!」私はつい独り言を漏らしてしまい、誰かに聞こえてはいまいかとあたりを挙動不審にキョロキョロ見渡す。初めて飲んだ無糖の缶コーヒーは、強い苦味と酸味、それにアルミの味がしたように思う。正直その当時の私には良さが全然わからなくて、この苦いだけの飲み物を「結構うまいよ。」と言ってしまう彼はやっぱりそこらへんの男子高校生とは一味違う、落ち着いた大人の魅力があるように思い、私も彼と同じようにコーヒーの良さがわかる人になりたいと思った。コーヒーをちびちびと飲みながら帰る帰り道は、いつもより少し胸が踊ったのを今でも覚えている。

* コーヒーと文庫本 *
高校時代のそんなコーヒーに纏わる恋の思い出は、私とコーヒーの距離を一気に縮めた。無口な彼が好きだったコーヒーをその後も冬の間に何回か飲み、やっぱり好きになれなかったけど、事あるごとにコーヒーに目がいくようになっていた。好きな人の好きなものを好きになりたい。そんな単純な恋心こそが、私がコーヒーを飲むきっかけでだった。

その後、大学生になった私の生活にはやはりコーヒーがあった。立ち寄りやすいチェーンのコーヒー店やカフェの増加も手伝って、友人とランチの後にカフェに立ち寄ったり、一人でカフェで休憩をしたり。恋愛に関係なく私はコーヒーを自ら飲むようになっていた。それでもやはり自宅ではコーヒーを飲む事がなくて、どちらかと言えばカフェは私にとって特別な空間で、その当時はオシャレな空間で飲むコーヒーにハマったいたように思う。

ある日の休日、私は好きなアーティストのライブに参戦する為、東京に来ていた。来る度に目まぐるしく移り変わる東京の景色は、田舎に住む私にとっては、とても刺激的でとびきりオシャレな場所であった為、そこにいる自分もなんだかオシャレになった気分になれる。その感覚はカフェでコーヒーを飲む事とどこか似ているような気がした。
ごった返す昼下がりの表参道を裏道にそれ、私はテラス席のあるオシャレなカフェを見つけた。テラスでは、モデルのようにスタイルのいい外国人の女性が二人、犬を連れて談笑していたり、オシャレなスーツに身を包んだおじいさんがカップを傾けていたりと、田舎にはない表参道ならではのオシャレな空気が漂っていた。
その中で私の目に飛び込んで来たのは、テラス席のはじで一人で読書をしている男性だった。シンプルなグレーのトップスに、タイトな黒いパンツを合わせ、ドクターマーチンの革靴を履きこなす。髪はサラリと切りそろえられた金髪で、ヘアサロンの店員のようなシンプルながらも垢抜けた男性だった。一見派手そうな彼は、右手に持った文庫本に視線を落とし、時折白いカップに入ったコーヒーに口をつける。くたびれたちくま文庫の表紙。そんな彼の独特な存在感に私はあっという間に魅了されてしまい、即座に入店を決意した。

店内は昼過ぎという事もあり、食後のコーヒーを求めた客で賑わい始めていた。愛想の良い店員にカフェラテを注文した私は、数分後にカウンターで受け取り、テラス席の彼が見える店内のカウンター席に腰掛ける。金髪の青年と、コーヒーと文庫本。一見ミスマッチな組み合わせをやりこなす彼の醸し出す雰囲気は、オシャレな都会そのものだった。私はここへ来る前に購入していた文庫本の存在を思い出し、カバンから取り出した。コーヒーを飲みながら読書。なんてオシャレなんだろう。私はイヤフォンを耳に当て、思いつく限りオシャレであろう『マルーン5』を邪魔にならない音量で流しながら、彼のいる景色の中で同じようにコーヒーと読書を楽しんだ。

コーヒーには何かを魅力的にする力がある。その頃私はそう考えていた。コーヒーと音楽。コーヒーと読書。コーヒーと男の人。コーヒーは生活と景色を彩る。私の中でコーヒーをそういうアイテムに位置付けたのは、やはり高校時代の無糖コーヒーの彼だったのかもしれない。
父が飲んでいるだけであったはずのコーヒーは、いつの間にかなくてはならない存在になりつつあった。

* 朝食にコーヒーを *
「コーヒー飲む?」
「うん。」
「牛乳入れる?」
「うん。」

私はカウンターの上に置いてあるコーヒーマシンのボタンを押した。コーヒー文化は時代の流れと共に発達し、自宅に居ながらにして美味しいコーヒーを飲めるようにななった。以前はインスタントやペーパードリップが一般家庭では定番だったが、今ではインスタントコーヒーがそのまま使えるコーヒーマシンの登場により、コーヒー豆を買わなくても美味しいコーヒーを楽しめる。前の職場からの送別の品にこのコーヒーマシンをもらってからというもの、家でも毎朝コーヒーを飲むのが日常になっていた。

マグカップに入った出来立てのエスプレッソに牛乳を注ぐと、茶色の泡と白い牛乳がマーブル模様に混ざり合い、混ぜると渦を巻いてやがて一つの色になる。私はそれをぼーっと眺めながらスプーンを回す休日の朝がとても好きだ。

主人と一緒にいつもより遅く起きて、カーテンを開け、窓越しのぼやけた日差しを浴びながらコーヒーを一杯飲み今日の予定を話す。とりあえず洗濯するかとか、午後から買い物に行くかとか、あの映画を見に行くかとか、そんな朝のなんでもない時間がとても心地よいのだ。

一年前に結婚した今の主人は私よりずっとコーヒーが好きで、幼い頃からコーヒーを飲んで育ったそうだ。彼との出会いのおかげで、今までコーヒーは生活と景色を彩るアイテムでしかなかったが、今では自分の好きなコーヒーの味がわかるようになった。

「この前行ったパン屋のサンドウィッチお昼に買いに行かない?」
「いいね。じゃあ、近くにあるあそこのカフェのコーヒーもテイクアウトしようよ。」
「あ、いいね。それ。」
「あそこの酸味があまりなくて好き。」
「そうだね。」

そんな他愛のない会話で、二人の休日の過ごし方が決まって行く。
コーヒーが香る朝。
あ、これって小学生の時の朝の匂いと一緒。
ふと私はそう思うのである。
あの頃、景色の一部でしかなかったコーヒーが、今、私と彼と一緒に景色になっている。

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レンズの向こう

カシャと音が響いて僕のスマートフォンの画面いっぱいに繊細なラテアートが浮かび上がる。平日の夜8時半。ここは大通り沿いにあるコーヒースタンド。「だいぶ寒くなりましたよね」と小さなカウンターの向こうから声がかかる。この繊細なラテアートを作り出した張本人だ。

 

このスタンドの閉店時間は夜9時。閉店時間に間に合えばほぼいつも仕事帰りにここに寄っている。かれこれ半年ぐらいか。幸い僕は夜にコーヒーを飲んでもすんなりと眠れるたちで仕事帰りのこの一杯を楽しみにしている。バリスタは男女合わせて何人かいるのだが、小さなスタンドなので店頭に立っているのは大体一人ずつだ。今日は僕と同年代のクールな髪型をした彼がスタンドに立つ日だった。彼が出してくれるカフェラテはいつも美しいラテアートで彩られている。ここのカフェラテはスモーキーな中にも甘みがある好みの味で、それだけで十分満足なのだが、綺麗なラテアートがそこに添えられればその美味しさは何倍にも増す。さっき撮った写真は後で僕のSNS上にアップされることになるだろう。

 

世界中にユーザーがいる、写真がメインの、あのSNSだ。僕は写真が特別にうまいというわけでも、コーヒーの写真を撮ることに情熱を燃やしているわけでもなんでもない。ラテアートの写真以外にも、たまに行くバスケットボールチームでの写真、うまかったラーメンの写真、友人とのふざけた写真、そんなものが雑多に並んでいる。ここのラテアートの写真を撮るのは、いつ誰に淹れてもらっても到底自分には作り出せそうにない美しいアートが差し出されて写真を撮らずにはいられないというのが一因だ。もう一つは、この写真を撮って帰り道でアップすると、なんだか平凡だが、今日もよく働いたという気持ちになれるからだ。そんなわけで僕のSNSアカウントにはこの店の繊細なラテアートがいくつも並んでいる。
そのSNSをやり始めたのは特に深い意味はなく、友人と遊んでいるときに勧められたからだ。アカウントを作りその友人をフォローすると、芋づる式に他の友人とも繋がった。こんなにやっている奴がいるのかと驚かされた。写真というのは不思議なもので、しばらく会っていない友人でもその投稿を見ているとなんだか近況をよく知っているようなそんな気持ちになる。最初はそんな風にして友人をフォローしたり、されたりという使い方だったのだが、そのうちに全く知らない誰かを恐る恐るフォローするようになった。別に恐れるものではないと笑われるかもしれないが、僕にとってそれはなんだか少し緊張感をはらんだ不思議な行為だったのだ。どこの誰とも知らない、そんな誰かの写真に惹かれて、その人の投稿を追う。その人のことを何も知らないのに、その人の生活が少し見える、不思議だと思う。いわゆる著名人やタレント等ではなく、一般の人ながらもそのSNSの世界で爆発的な人気を誇る人がいること、フォロワーを増やすのに躍起になる人がいること、プロでなくても美しい写真を多く発信している人がいること、友人以外をフォローするようになって知った。本当に興味深い。誰かの写真を見て気になったコーヒーショップに足を運んだこともある。新しいうまい店に出会うきっかけをもらえるなんて本当にありがたい話だ。
帰り道、先ほどの彼が淹れてくれたラテアートの写真をアップして、タイムラインをぼんやりと眺める。「あ」と一つの写真に目が止まる。同じ店で同じカフェラテを注文し、そのラテアートを撮影したものだった。投稿者は「ビーさん」だ。いや、「ビーさん」というのは正確な名前ではない。僕がその人に勝手につけた僕の中だけでのあだ名である。その人のアイコン写真がいくつかのビー玉がキラキラと光る様を撮った写真だから、だから「ビーさん」。なんとも単純な理由である。ビーさんは都内に住んでいる女性だ。ビーさんは僕と同じくあのコーヒースタンドの常連だ。それ以外のことは何も知らない。ビーさんの写真はいつも綺麗だ。スマートフォンで撮っている僕と違い、デジタル一眼レフで撮影しているらしい。ビーさんは月を撮るのも好きなようで月の写真もたくさん並んでいる。他に多いのは鳥の写真。ビーさんは鳥を飼っているようで、鮮やかな色をした小鳥の写真も多い。ペットを飼ったことがなく、動物にもあまり興味のない僕にとって、鳥がこんなに美しくかわいらしいものだというのは、ビーさんの写真を見て初めて知ったことだ。ビーさんが都内に住んでいる女性だと知っているのは、プロフィールにそう書いてあるから。ビーさんの投稿する写真にビーさん自身が写り込んでいることはないので、ビーさんが一体どんな人物なのか僕は全く知らない。

 

同じコーヒースタンドの写真をよく投稿しているビーさんの存在に気づき、フォローし始めてしばらく経つが、コメントというのをしたことはない。僕はただぼんやりとビーさんの写真を眺めているだけだ。ビーさんの写真は何というか僕の好みだったし、同じ店の常連ということはいつか店でビーさんに会うのではないか、あるいはもう居合わせたことがあるのかもしれないなどと思うのだが、具体的に何か行動を起こそう、ということにはつながらなかったし、そんな発想もなかった。
次の日曜日、休日出勤をせざるを得なくなり、それでも昼過ぎまでに仕事を切り上げて帰り道についた。帰り道、いつものコーヒースタンドに寄る。普段平日の夜にしか行かないので知らなかったが、休日のしかも昼間ということで店はかなり混雑していた。別にはやっていない店などとは思っていなかったが、これだけ賑わっているのを見ると何だかびっくりする。スタッフも二人だ。注文の列が少しできているのでおとなしくそこに並ぶ。ちょうど注文するタイミングの女性にスタッフが言っているのが聞こえる。「いつものでいいですよね?」「うん、お願いします」そう答えた女性の肩にはバッグとカメラがかけられていた。そんな人はいくらでも見かけるので何てことないのだが、何故だか気になった。その女性の「いつもの」というのはホットのカフェラテらしい。レジの並びにあるカウンターに腰掛け、「これも一緒に撮っていいですか?」とスタッフに訊いている。クリスマスが近づいてきたこともあり、店内にはちょっとしたクリスマス飾りがいくつか置かれていたのだが、彼女はカウンターに置かれていた小さなトナカイの置物を指していた。「もちろん!」とスタッフが笑顔で答える。カフェラテを受け取った彼女は、肩にかけていたカメラを下ろし、そのトナカイとコーヒーカップを写真におさめていた。僕はその様子をずっと何となくこっそりと眺めながら自分の注文を済ませ、彼女から離れた位置に腰掛けた。「彼女がビーさんじゃないだろうか?」根拠はないがそんなことを思い始めていた。眺めたところで名前が書いてあるわけではないのだが、僕は彼女を相変わらずチラリチラリと眺めながら、カフェラテを飲んだ。彼女はささっと飲み終えると「ごちそうさまです」とにこやかに告げて出て行った。肩にかかるぐらいの髪、黒いジャケット、黒い細身のパンツに細いヒールの靴。彼女が出て行った後も僕はぼんやりとその姿を思い浮かべていた。
その夜、僕は妙に緊張しながらSNSでビーさんの投稿を見た。最新の投稿はあのコーヒースタンドの繊細なラテアートが施されたカフェラテと、ちょこんと置かれたトナカイの置物。やはりあれがビーさんだったか。何の根拠もなかったのに僕は何故だか納得していた。あれがビーさんでなかったら他の誰がビーさんなものか、と勝手に納得したのだ。「今日、同じ時間に僕お店にいました」とコメントを書きかけて、慌てて消した。だから何だと言うんだと思ったし、ビーさんが困惑するのではないかと思ったから。
次の一週間はまたいつもどおりに過ぎた。僕も何回かあsのコーヒースタンドに行ったしビーさんも何回か行ったようだ。しかし僕が店に行くような時間にビーさんを見かけたことはなかった。そして一週間後、自分でもどうかしていると思ったのだが、日曜日の昼過ぎ、僕は休日出勤でもないのにわざわざその店まで出かけて行った。もちろん、またビーさんも来るのではないかと思って。その日曜日もやはり店は混雑していた。僕に気づいたスタッフは「今週も休日出勤ですか?やっぱり年末近づいて来ると忙しいんですねー」なんて言ってくれる。「まあそんなところで…」と僕は曖昧に返事をして店内を見回す。ビーさんはいない。そりゃそうである。そんなに都合よく遭遇することなどないだろう。さっさと飲んだら家に帰って掃除でもしよう、と思ったことろで、ビーさんが店に入ってきた。彼女は日曜日のこの時間にここに寄るのが習慣なのかもしれない。ビーさんはやはりホットのカフェラテを注文し、やはりカウンターに座って写真を撮っている。本当に気恥ずかしい話だが、どうやら僕はビーさんのことが気になって仕方ないらしい。ビーさんが店から出て行くまで、僕はちびりちびりと自分のカフェラテを飲みながら、ちらりちらりとビーさんを眺めていた。
その夜またも緊張しながらビーさんの投稿を見ると、やはり今日のカフェラテが投稿されていた。コメントを書きかけてまたやめる。何をしているんだろう、僕は。何だか情けなくなりつつ、翌々週の日曜日の昼過ぎ、またそのコーヒーショップに行った。何故翌々週にしたかというと、そんなに毎週日曜日に通いつめたらバリスタ達から不審に思われるだるという僕の勝手な自意識過剰故である。そしてその日もやはりまたビーさんに遭遇した。その日は冷たい雨のせいか店内は少し空いていて、バリスタの一人とビーさんが話していた。よくないと思いつつ耳をそばだてる。どうやらビーさんはこの近くの子ども向けの理科の実験教室でスタッフの仕事をしているらしい。日曜日の午後にクラスがあるので、その前にここでカフェラテを飲んで出勤というのがいつものパターンのようだ。子ども向けの理科実験教室なんて僕が子どもの頃にはなかったが、最近は学校での理科実験の機会が減っていることもあり、わざわざ通う子どもも多いらしい。そんな風に話を盗み聞きしながら、ビーさんの白衣姿を勝手に想像する。ビーさんの「ごちそう様でした」という声で我に帰った。
ビーさんの姿は知ったものの、名前も知らない。ビーさんのことをほとんど何も知らない。それなのに馬鹿げているかもしれないが、僕はビーさんときちんと知り合いになりたいのだということに気づく。そんなことはしたことがないし、うまくいくなどとも思えないけれど、クリスマスにビーさんとまたあの店で遭遇したら、その時こそ声をかけてみよう。今年のクリスマスは日曜日だ。実験教室が休みでなければ、ビーさんはまたきっと昼過ぎにあの店にやって来るだろうから。

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コーヒーのお兄さん

私がコーヒーをよく飲むようになったのは23歳の頃でした。その頃ネイリスト2年目だった私は、講師試験を受けるために毎晩営業終了後のサロンで実技試験の練習をしていました。
営業終了後と練習の間の少しの休憩時間に、近くのチェーンのコーヒーショップに行ってあったかいラテを買って飲むようになりました。それが私の晩御飯代わりであり、ほっと一息つける瞬間でした。
毎晩コーヒーショップに通ううちに自然とスタッフさんとも顔見知りになり、そのスタッフさんの1人が彼でした。
彼は当時28歳で私の5つ上でした。いつもにこにこしていて、ラテを作っている間話しかけてくれました。人見知りな私も少しずつ話せるようになっていきました。
最初はただの「優しいコーヒーのお兄さん」とだけ思っていました。
当時私には4年間付き合っていて、一緒に暮らしている彼氏がいました。ただ、長く付き合っていく中で彼に対する不満や諦めが募っていて、もはや恋愛感情はなく、惰性で付き合っていました。ひどい言い方ですが、家賃を半分払ってくれる同居人という感じです。私はネイリストになってから毎日頭の中はネイルのこと、サロンの仕事のことや試験のことばかり。自分のことで精一杯で、もう彼氏のことが頭の中から消えていました。誰かを好きになったり、ときめいたりなんてもう何年も感じたことのない感情でした。
でも、ある日気付いたのです。ラテを買いに行くとき、「今日はあのお兄さんいるかな」と思っている自分に。そして、お兄さんがいないとがっかりしている自分に。
いつの間にかラテを買いに行くことより、お兄さんに会えることの方が楽しみになっていました。
そしてとある休日の夕方。休みを使ってサロンで練習をした後、なんとなくいつものコーヒーショップへ行きました。するとその日はあのお兄さんがいました。
「今日は私服なんですね。お休みなんですか?」と話しかけてくれました。
「そうなんです。練習帰りです。」
「そうなんですね。僕、今日はもうすぐ上がりなんですよ。」
「あ、そうなんですか!」
「もしよかったら、ご飯でもどうですか?」
「……!え!え、い、行きます!」
「まじですか!じゃあ着替えてくるので少し待っててもらってもいいですか?」
こんな感じのやりとりでした。
こんなことってある?!突然すぎて頭の中が真っ白で、心臓がバクバクしていました。
ラテを飲みながら待っていると、
「お待たせしました!こんなことになると思ってなくて適当な服着ててすみません…。」というお兄さん。
とんでもない。初めて見るお兄さんの私服は私のどストライクで、とてもかっこよかったのです。ますます緊張していく私…。
そして、お兄さんのおすすめのお店に連れて行ってくれました。
そこでお互いの話をしました。私達はきちんとお互いの名前も知らず、まずは自己紹介から。職場のみんなにはこう呼ばれてるとか、住んでる場所はどこか、この仕事に就く前は何をしていたか、家族構成や血液型…。そして、アドレスと番号を交換しました。
夢のようでした。
彼にはお付き合いしている彼女はいないようでした。
私は正直に言いました。一緒に暮らしている彼氏がいること。
お兄さんと一緒にご飯に行けるなんて最初で最期だと思ったし、嘘をつくのも変だと思ったので…。でも、「でも、本当はもう恋愛感情はない」とは言いませんでした。
お兄さんは実家暮らしで、私の住む駅より5つほど先の駅に住んでいるといいました。途中まで同じ電車だねと。
ご飯を食べて駅に向かっていると、
「俺の家まで行けば車があるから、それでもよかったらちょっとドライブでもする?」というお兄さん。
「ドライブしたいです!」
「よし!じゃあ一緒に車取りに行ってドライブしよう!」
まだ一緒にいれる!嬉しい!私はそんな気持ちでいっぱいでした。
一緒にお兄さんの最寄り駅まで電車に乗って車を取りに行き、ドライブをしました。
とても楽しい時間でした。でも、時間が経つにつれ、この楽しい時間が終わりに近づいていっているんだと思いました。私はもう完全にお兄さんのことが好きになっていました。
私達はその夜、1度だけキスをしました。

 

でも、私には彼氏がいる。中途半端は嫌だ。
お兄さんに送ってもらい家に帰ると彼氏が漫画を読んでいました。
「おかえりー。」
「…ただいま。….あのさ、別れたい。」
「………………….は?」きょとんとする彼。
「もう別れたい。これ以上付き合っていくのは無理やと思う…。私、好きな人ができた。」
「…….まじで言ってんの?」
「……うん。」
「…ちょっと1人で考えてくるわ。」そう言って彼は朝まで帰ってきませんでした。

彼氏の立場になって考えてみると、私のこの突然の別れたい宣言は寝耳に水で、とにかく驚いたと思います。
私は思い立ったらすぐ行動、というタイプで、こうと思ったらアクションを起こさないと気が済まないのです。
私はお兄さんを好きになってしまった。だから彼氏と別れたい。お兄さんと今後付き合えるのかは分からなかったけど、彼氏と別れて、お兄さんを好きだと堂々と言える自分になりたかったのです。自分勝手な考えですね。
結局次の日からは毎日別れ話が続きました。私は別れたい、彼氏は別れたくない。
それでも毎日仕事に行き、仕事の後は練習をして終電で帰る。そして家に帰ると別れ話。

 

お兄さんには、彼氏に別れたいと言った。とだけ言っていました。
何度かラテを買いに行きましたが、いつものようにたわいもないスタッフと客としての会話。
あとでこっそり、「彼氏とのことがスッキリしたら、またドライブに行こう」とメールが来ました。

そして結局1ヶ月ほどたった頃、彼氏が部屋を見つけて出ていきました。
寂しさはありませんでした。

そしてお兄さんに彼氏と別れたことを伝え、ドライブに行き、私達は正式に付き合うことになりました。

 

コーヒーショップのスタッフには付き合っていることは内緒だったので、ラテを買いに行ってもいつもの客のふり。
それが新鮮でとても楽しい。
同じ電車で帰って私の家でご飯を食べたり、休日にはドライブしたり。
私にコーヒー豆の種類やおいしいコーヒーの淹れ方を教えてくれたのも彼でした。
コーヒーショップではいつもラテを飲む私ですが、家では彼の教えてくれたようにコーヒーを淹れる練習をして飲むようになりました。

私はその間も試験の練習に励み、3か月後に無事試験に合格しました。その時も彼がお祝いしてくれたのです。

でも私達の付き合いは長くは続かなかったのです。
1年ほどたった頃から連絡が減り出し、たまに会ったとき、彼の車の中で女性のヘアピンを見つけたこともありました。
彼に他に好きな人が出来たようでした。

でも私は何も言えませんでした。
私は1年前に元彼に同じことをしたのだから。
お兄さんのことが大好きだったけど、もう私のことを見ていないお兄さんを見ているのも辛かった。

私達は別れました。
「でも、ラテはいつでも買いに来て。」
「うん。そうするね。」

それから3年間、たまにでしたが、私はいつもどおりラテを買いに行きました。
お兄さんもいつも通りラテを作って、たわいもない会話をして。
ただのスタッフと客として。

そして私はサロンを辞めて独立することになりました。
辞める最後の日にコーヒーショップへ行くと、お兄さんがいました。
「今日で辞めるので、もうここには来れなくなると思います。」
「そうなんですか。僕も異動になって、もうすぐ別の店舗へ行くんです。」
「そうなんですね。最後にお兄さんのラテが飲めてよかったです。がんばってください。」
「はい。お互いがんばりましょう!」

それから1度もお兄さんには会っていません。
今でもそのチェーンのコーヒーショップでラテを飲むことがありますが、あのコーヒーのいい香りを嗅ぐたびに、何か甘酸っぱいような、ほろ苦いような、でもふっと微笑むような、そんな気持ちが私の中にふわっとよぎるのです。

私にとって彼は元彼というくくりではありません。

私にコーヒーを教えてくれたお兄さん。

今でも私の中で彼はコーヒーのお兄さんとして思い出に残っているのです。

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炭焼きコーヒーはほろ苦い大人の香り

最近の若い人の中には、ブラックコーヒーを飲めない人が増えていると聞きます。
かくいう私は自慢ではありませんが、子供のころからコーヒー派でした。
父がお酒を飲めずにコーヒーが好きだった影響があったのかもしれません。
でも、子供でしたから飲んでいたのはインスタント、しかも砂糖とミルクをたっぷり入れないと飲めませんでした。全然自慢になりません。
子供ながらに、ブラックコーヒーは大人の飲むものだという認識がずっとあった記憶があります。
そんな私も大人になり、「ブラックデビュー」を果たす日が来ました。

 

あれは20代初めで社会人になりたてのころ、当時付き合っていた人にこっぴどく振られてものすごく落ち込んでいた時でした。
あまりの落ち込みっぷりに私の失恋は会社中に知れ渡ることになり、会社の2つ上の男性が誰かを紹介してくれることになりました。
とにかく失恋のショックを紛らわしたかった私は、どんな人を紹介してくれるのか全く分からないのに2つ返事でお願いしていました。

 

その男性に連れられて行ったのが、昔ながらのちょっとレトロな喫茶店。
少し気難しそうなマスターと、底抜けににこやかで人のよさそうなママさんが2人で経営しているお店でした。
男性はこのお店の常連だそうで、緊張している私をカウンターに座らせてブレンドコーヒーを2つ注文しました。
注文を聞いたマスターが、私の目の前でコーヒー豆を挽いてサイフォンでゆっくりとコーヒーを点てます。
あたりにコーヒーのやわらかくて深い香りがふわっと広がります。
家で母が紙フィルターで適当に入れてるコーヒーとは全然違う香りでした。
これが本当のコーヒーの香りなんだ・・・
その香りをかいでいるだけで、なんだか大人になった気分でした。
そして目の前に、素焼きの渋めなカップに注がれたブレンドコーヒーが出てきました。
家では迷わず砂糖とミルクをたくさん入れる私ですが、さすがにこの場はそんなことができないという空気を読んだ私は
生まれて初めてブラックのコーヒーを味わったのでした。
・・・に、苦い・・・
香りだけでは大人になれなかったようで、その後こっそり砂糖とミルクを入れさせてもらいました。

 

そうしているうちにお店のドアチャイムがカラコロと鳴り、一人の男性が入ってきました。
ママさんが「あらこんばんは」とその男性に声をかけました。
その男性は慣れた感じでカウンターの真ん中にどっかり座り、私を連れてきてくれた男性と何やら親しげに話しています。
誰だろう・・・と思っていた私に、連れの男性が「ツトムさんだよ」と紹介してくれました。
へっ?
そう、ブラックコーヒーデビューですっかり忘れていましたが、私は男性を紹介してもらいにこのお店に連れてこられたのでした。
そして男性曰く「ツトムさん」が、その相手だったのです。

 

ツトムさんは、連れの男性のさらに2つ上の先輩でした。
その人の名前は、私も会社内で聞いたことがありました。
なんでもずいぶんな変わり者だ、ということで・・・
聞けばツトムさんも、最近長年付き合っていた彼女と別れたばかりだとのことでした。
それで失恋したばかりの者同士をくっつけようとしたんです。
経緯は分かったけれど、変わり者なんだよね・・・大丈夫なのかな、と少し不安になりました。
その「変わり者」のツトムさんがマスターに「俺もコーヒー」と注文しました。
マスターがまた慣れた手つきでコーヒー豆を挽き始めましたが、さっきとは少し違う香りが。
彼もまたこのお店の常連で、ツトムさんがいつも注文するのはどうやら炭焼きコーヒーでした。
ブラックデビューしたての私でも分かる香りの違いでした。
・・・さっ、さらに苦そう・・・
香りからして苦そうな炭焼きコーヒーを当たり前のようにブラックで飲むツトムさんに、思わず「苦くないんですか?」と聞いてしまいました。
ツトムさんはにっと笑いながら「飲んでみる?」と尋ねてきます。
ぶるぶると大きく頭を振る私に、クスクス笑いながら「まだ早いかもね」とツトムさんは言いました。
その笑顔がなんだか妙に優しくて、炭焼きコーヒーの香りも相まってずいぶん大人に見えて、
ちょっとドキドキしながら私は砂糖とミルクの入ったブレンドコーヒーを飲んでいました。

 

ツトムさんとはその後何度か連れの男性と一緒に喫茶店で会ったのですが、
一向にそのあとの進展がありませんでした。
なぜ進展がなかったのか・・・
それは、ツトムさんを紹介してくれたはずの連れの男性が私に告白してきたからでした。
何度か一緒に喫茶店でコーヒーを飲んでいる間に、私のことを気に入ってくれたそうです。
そして、ツトムさんは実は別れた彼女のことをまだ引きずっているからやめておいたほうがいいと。
しばらく考えましたが、そういうことならツトムさんとはこれ以上の進展がないだろうし、
連れの男性は同じ営業所に勤めていたので断ると仕事が気まずくなるかなと思うと簡単に断ることも出来ず、
私は連れの男性とお付き合いすることになりました。
ツトムさんは彼の先輩だということもあり、付き合うことになったと報告をすると素直に喜んでくれました。
なんだか複雑な気分でした。
彼と付き合うようになってからも、喫茶店によくコーヒーを飲みに行っていました。
ツトムさんともよくお店で会いました。
相変わらず私は砂糖とミルクを入れたブレンド、ツトムさんはブラックの炭焼きを飲んでいました。

 

付き合い始めて2年ほどたったころ、
私は彼と待ち合わせるために一人で喫茶店に行きました。
すると、ツトムさんがカウンターでコーヒーを飲んでいました。
「珍しいね。一人?彼は?」ツトムさんは屈託のない笑顔で私に問いかけてきます。
「うん・・・」と返事をする私に「どうしたの?なんか元気ないね」とツトムさんに聞かれました。
ちょっとドキッとしました。
実はそのころ、成り行きで付き合いだしてしまった彼とは(当然)あまりうまくいっておらず、
今日喫茶店で待ち合わせたのもそんな流れで、少し憂鬱なデートのためでした。
どうしてわかったのかな?
尋ねようとしたその時、ツトムさんの飲んでいる炭焼きコーヒーの香りがしてきました。
最初に感じた時と同じ、苦み走ってるけどやわらかくてとても大人びた香り。
ツトムさんの人と成りが、そのまま香りに表れているようでした。
思わず私はマスターに「炭焼き」と言ってしまっていました。
自分でもびっくりでマスターもびっくりしていましたが、ツトムさんも驚いていました。
そんな私を見て、何かあったんだろうなと察したようでした。
私はなるべく平静を装って、出てきた炭焼きコーヒーを、砂糖とミルクを入れずにブラックで一口。
・・・やっぱり苦い。
ちょっと顔をしかめて「うえ~」という顔をした私をツトムさんはクスクス笑いながら見ていました。
あ、初めて会った時と同じ笑顔だ・・・
ちょっと曇っていた私の心もその笑顔で少し晴れたような気がして、私もつられて笑っていました。
その時お店の電話が鳴り、マスターが持ち場を離れてカウンターは私とツトムさんだけになりました。
するとツトムさんが私のほうに顔を近づけて、耳元でそっと「この後2人でどこかドライブでも行くかい?」と聞いてきたのです。
えっ?!
ツトムさんとも知り合って2年ほど経ちますが、そんなことを言われたのは初めてでした。
ツトムさんのほうを見ると、さっきの笑顔は少しなりを潜めて、ツトムさんの顔は真顔になっていました。
そんな真顔を見るのも初めてだったので、私は一気に気持ちがざわつき始めました。
これって、どういうことだろう・・・?
もしかして私、ツトムさんのこと・・・?そしてツトムさんも私のこと・・・?
???が、頭の中をぐるぐる回ります。

 

その時マスターが電話口から
「〇〇くん(彼)、仕事が遅くなってお店に来られないから迎えに来てくれって」
と私に言いました。
そうだ。
私これから彼とデートだったんだ。
それを聞いたであろうツトムくんも我に返ったのか
「〇〇くん忙しそうだね。早く行ってあげなよ」といつもの笑顔で私に言いました。
私はあわてて、炭焼きコーヒーをカップに半分残したままお店をあとにしました。
迎えに行く車の中で、口の中に残った炭焼きコーヒーの香りを感じながら
ツトムさんの真顔が頭からずっと離れませんでした。

 

それからしばらくして、
私と彼は結局ギクシャクしたまま、どちらからともなく別れてしまいました。
うまくいくはずもない間柄だったのでさほどショックはなかったのですが、
別れた時に「あ、もうあの喫茶店にはしばらく行けないな・・・」と思い、なぜか少し寂しくなりました。
ツトムさんのことが時々頭をよぎりましたが、
私たちが別れる少し前に、ツトムさんは以前付き合っていた彼女とよりを戻し、近々結婚すると聞いていました。
よかったね・・・と思う反面、ちょっと寂しかったのを今でも覚えています。

 

あれから30年近くが経ち、私も恋愛や仕事も含めていろいろな経験を積んできました。
コーヒーもブラックで飲めるようになり、あちこちにコーヒーショップが出来たのを機にさらに飲むようになりました。
でも同時に、昔ながらの喫茶店のようなお店にはあまり行かなくなりました。
なぜかコーヒーショップと違って、敷居が高い感覚があるのです。
それは20代初めの、あのほろ苦い恋の記憶がそうさせているのかもしれません。
もしあの時、電話がもっと後にかかってきていたら・・・
もしあの時、ツトムさんの誘いに迷わずのっていたら・・・
もしかしたら、ツトムさんは私のことを好きだったんだろうか・・・
・・・もちろん、全部私の考え過ぎだったのかもしれません。
ツトムさんがその日暇すぎて、気まぐれに私を誘っただけなのかもしれません。
あのツトムさんが、子供っぽい私なんかを相手にするなんて幻想だったのかもしれません。
でも私はあの時確かに、少し背伸びをしてツトムさんと同じ炭焼きコーヒーを飲んでいたのです。
あの大人びた味と香りを、ツトムさんと一緒に感じていたかったのです。

 

数年前に地元に帰った時にあの喫茶店の前を通りましたが、
お店は跡形もなくなくなっていました。
いつ閉店したんだろう?
今となっては知る術もありません。
当時の彼も、マスターも、そしてツトムさんもみんな音信不通ですから・・・
もうすぐ50歳になろうとしているのに、相変わらず炭焼きコーヒーは苦くてブラックでは飲めません。
ほろ苦い大人の味のままです。

ツトムさん、元気にしているのかな。相変わらず炭焼きコーヒーが好きなのかな・・・

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私と彼の絆を深めてくれたコーヒー

私がコーヒーを本格的に飲み始めたのは大学2年の頃です。私の両親はコーヒーを普段から飲むので、子どもの頃から飲ませてもらえる機会はあったのですが、おいしいと思ったことはありませんでした。口にするとしたらコーヒーゼリーくらいでしたがこれも何がおいしいのかよくわからなかったように思います。自ら進んで飲みたいと思うことはなく、大学生になりました。
同時に一人暮らしもスタートし、学校の無い時間はとにかく友人の家へ行って遊んだり飲み会をしたりしました。ある日、飲み会をしてそのままその子の家で寝てしまったことがあり、朝目覚めると尋常でないくらい喉が渇いていました。とにかく何か飲みたくて、テーブルに用意されていたコーヒーを飲みました。ブラックコーヒーだったのですが、それが本当においしくて驚きました。大人になって味覚と好みが変わったこと、私はコーヒーが飲めることに気付き、とてもうれしかったです。
それからは好んでブラックコーヒーを飲むようになりました。背伸びをしているわけではなく本当においしく飲んでいました。私にとって甘くされたコーヒーが口に合わず、ミルクももともと好きではないので飲むならどうしてもブラックなのです。私がブラックを飲んでいると「似合わない」とか「よくそんなまずいもの飲めるな」と言われることもありました。でも、私は少し大人な気分だったので鼻が高い心地しかしませんでした。少し偉そうにしていた部分もあるかもしれません。恥ずかしいですが、当時ブラックが飲める自分が好きな所があったのを認めます。
大学3年の時、彼氏ができました。彼もコーヒーを好んで飲む人でした。実家ではコーヒーが出てくるのが普通で、よくお母さんが入れてくれたそうです。砂糖やミルクは入れたり入れなかったりでその日の気分で決めるタイプでした。でも当時はそこまでブラックが好きなタイプではないようで、甘くして飲むことの方が多かったように思います。缶コーヒーも「微糖」をよく選んでいました。彼は「甘いものはあまり好きじゃない」と言いながら甘いコーヒーをよく飲んでいたので私は少し馬鹿にしたこともありました。それでも彼は、私の友達のようにブラックコーヒーを飲む私を小ばかにすることはなく、デートをすれば一緒にコーヒーを楽しんでくれました。デートはカフェ巡りをすることが多く、そこで二人一緒にゆっくり時間を過ごすのが本当に幸せでした。コーヒーはゆったりした気分を楽しませてくれるのがまた魅力です。
ある時、彼と東京へ旅行へ行った時の事です。渋谷で行きたかった展覧会を楽しんだ後、少し時間ができたのでカフェへ行くことにしました。しかし、スターバックスなどの知名度の高いカフェは若者が多くにぎやかでもあるので、彼はそういう所を好まない傾向があります。「せっかくコーヒーを飲むなら落ち着いた所で飲みたい」「ここでしか楽しめない所に行きたい」というのです。都会に住んでいない私たちにとってはどこにそういう所があるのかさっぱりわかりませんでした。地元ならたくさんカフェ巡りをしているので、「今の状況ならあそこがいいな」と思うところはあったのですが、そういう所が果たしてこんな大都会にあるのが疑問でした。それでも彼は意見を曲げません。

 

私はネットで調べてみましたが、出てくる情報が膨大すぎてここから見つけるのは無理だと私はすぐ諦めてしまいました。立ちっぱなしで疲れも出てきてしまったので「もうその辺で空いてるところ探して入ろう」と少し苛立ちながら言い始める始末です。それでも彼は「何が何でも見つける」と言い張り、ネットと格闘しながら一生懸命探していました。
15分ほどして「こっちによさそうな所があるから行こう」と私の手を引いて歩き出しました。疲れていた私は不機嫌に無言でついていくだけでした。それが顔にも出ていたはずなのですが彼は何も文句を言わずひっぱって行ってくれました。
着いた所は、普通であれば気付かず通り過ぎてしまうような店構えをした喫茶店でした。昭和の匂いを漂わせる深い茶色の扉を開けると、扉についたベルが鳴ります。中は薄暗くてたばこの匂いもありました。しかし、とても落ち着いた雰囲気で、二人か一人のお客さんで席をほとんど占めていました。お客さんの年齢層も高めのような感じだったので騒がしい様子も全くありませんでした。コーヒーを飲みながらたばこを吸っている方が多くいましたが、全く嫌な気分にならず、むしろとても似合っていてすてきだなと思ったくらいです。カウンターではダンディーなおじさま三~四人いて、コーヒーを挽いていたり、お湯を沸騰する前のちょうどいい温度に沸かしていたり、手早く生クリームを作ってシフォンケーキにきれいに塗っていたり、映画の世界の喫茶店にいるようでした。
私たちはカウンター席に通されました。「渋谷にこんなお店があるんだね」と私はテンションが上がっています。彼もとてもうれしそうにしていて、一緒にコーヒーを選びました。この時の彼はブラック、私ももちろんブラックです。1杯700円程しましたが、お店の雰囲気と目の前で丁寧にコーヒーを作っているおじさまに期待がいっぱいで出来上がるのがとても楽しみでした。
私たちの所にコーヒーが来たのは注文から30分以上は経過していたと思います。それでも私たちは自然と笑顔になりました。本当に丁寧に作ってくれたのを見ていたからです。それに、運ばれてきたコーヒーカップがお客さん一人一人違っていて、これもおじさまが私たちのイメージに合わせて選んでくれたコーヒーカップというのがとてもすてきでした。彼のコーヒーカップは四角い形の白地にブルーが入ったもの、私は浅目の丸い白いカップにピンクの花柄が入ったものでした。実は私は第一印象でよくかわいらしいイメージを持たれるらしいのですが、実はそんなことなく、女の子らしい所が他の子に比べて少ないです。なので彼はこのカップを見て少し笑っていました。
ドキドキしながら2人でコーヒーを口にして、その香り、味全てにおいてパーフェクトでした。こんなにおいしいコーヒーを渋谷で落ち着いて飲めるなんて幸せな心地しかしなかったです。私が喜ぶ様子を見て彼は本当に満足そうにしていました。二人でゆっくりコーヒーを楽しむことができ、さっきまでの疲れやイライラもすっかり落ち着きました。コーヒーを人を落ち着かせる効果もあるので本当にすごいと思います。

 

母親からは「香りが右脳を活性化させる」と聞いたこともあります。
お店を出てからも興奮が冷めず、彼は「そんなに喜んでもらえて諦めずにお店を探してよかった」と言っていました。こんな大都会で年の良いおじさまがこれを本業にして働いている人がいるんだ、ということにも感激でした。私は彼のおかげで1ランクアップしたコーヒーの楽しみ方を経験することができたのです。それに、好きな人と一緒に雰囲気のいいお店でコーヒーを飲むひと時がこんなにも幸せだとは思いもしませんでした。もし彼がいなければ私は一生この貴重な経験はできなかったと確信できます。「よくあんな膨大な情報量からこんないいお店見つけたね」と私は繰り返し言っていました。
この日以来、私はますますコーヒーが好きになりました。コンビニで「1杯100円」のおいしいコーヒーも流行りだし、どんどんのめりこんでいきました。そして彼ともコーヒーを楽しむ機会が増えました。暇なときはカフェに行ったり、彼の住むアパートにいれば「コーヒー入れようか?」と声をかけあったり…その度に絆が深まっていくような気持ちでした。
その後、彼と私は結婚をしました。外より家でコーヒーを楽しむことの方が増えました。主人も今ではほとんどブラック。主人が入れてくれたコーヒーを二人で映画を見ながら飲んでゆったりできる休日はとても幸せです。主人は「家でコーヒーを挽いて飲みたい」と言います。「いろんなコーヒー豆を知って、自分たちでブレンドしながら好きな味を見つけていく、それを二人の趣味にしたい」そうです。とてもいい提案だと思いました。ただ、新婚の私たちにとってはそれには少しお金がかかるのでもう少し落ち着いてからにしてからにしようと言いながらその日を楽しみにしていました。
しかし、残念なことにある時から私は体調を崩し、コーヒーが飲めなくなりました。主人から「コーヒー飲む?」と言ってもらえることが減り、少し寂しい日々を過ごしています。それでも私はコーヒーが大好きなのは変わらないので隣で主人がコーヒーを飲んでいると、その香りが私を落ち着かせてくれます。それに、私が好きなのはコーヒーだけでなく、コーヒーを飲む主人の姿も好きなのです。特にパソコンを見つめながらコーヒーを飲んでいる姿はキュンとします。そう考えると、コーヒーを飲んでいる人を見ると「すてきだな」と思うことも多いような気がします。私にとってコーヒーは飲んでいる人を見ていても楽しめるものなのです。たばこを吸う人は煙たがられがちですが、渋谷の喫茶店へ行ったときは、たばこを吸っていてもコーヒーを飲みながらだととてもかっこよく素敵に見えました。なので、私は「コーヒーが好きな主人」も好きなのでコーヒーのおかげで私の主人への想いも形成されている部分もあると思います。もちろんその他多くの点で主人に惚れた部分もありますのでご安心を。とにかく私にとってはコーヒーを飲む主人の姿は大きいのです。(主人には内緒です)
これから私は早く自分の体調を治し、またコーヒーを飲めるようになりたいです。コーヒーがあったから、私は主人との幸せな時間の過ごし方を知れたのです。主人のおかげでコーヒーの魅力をいっぱい知れたのです。絶対主人とあの渋谷の喫茶店へ行って幸せな気分を味わいたい、家で自分たちでブレンドしたコーヒー挽いて飲みたい、と強く思っています。

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ジャワコーヒーに媚薬効果⁇

を救ってくれたもの “媚薬のような効果がある食べ物って聞いたことはありますか?お酒、チョコレート、卵、蜂蜜、牡蠣、イチジク、きゅうり、バナナ、コーヒー、松の実、アボガド、唐辛子など色々とあります。普段から口にするものが多いのでなんだか不思議ですよね。
もちろん媚薬効果があると言われる理由がそれぞれにあるのですが、毎日のように口にしても実感できるものではありません。

 

実は私は恋人と夜を共にしてもあまり感じることができず、長い間不感症ではないかと悩んでいました。
高校時代に初めての彼氏ができて体の関係になってから2人目3人目と恋人が変わってもどうしても感じることができずにいました。それどころか経験を重ねる内にそういう事をしている時間が苦痛に感じるようになり、3人目の恋人には私が行為に乗り気でない事を責められてお別れしたくらいです。
一度たりとも満たされることもないのでこれはもう相性というよりも自分のせいだと思い至り、思い切って女性向けのヘルスを利用してプロに依頼してみたのですがやはりだめでした。

 

そんな私でもいいと言ってくれたのが今の彼です。体の関係はなくてもいいから付き合って欲しいと言ってくれてお付き合いがスタートしました。
触れ合うこと自体は好きなので手を繋いだりキスをしたり体をくっつけたりはします。付き合い始めたばかりの時はそれで幸せでしたが3ヶ月を過ぎた頃には彼がその先を求めたいのを我慢しているのがわかってしまいました。
女として求められれば嬉しい。でもまた感じることができなければ前の恋人のように責められてしまうのかもしれないと悩んで彼に相談した結果、試してみることに。
行為自体はできましたがやはり私の体は反応してくれません。どうしてもだめなんです。
そんな中で私は媚薬効果があるという食べ物を知り、彼とのデート中には出来るだけ最初に書いたようなものを口にするように心がけました。
大好きな彼の求めに応えたいし私も女としての喜びを感じてみたかったんです。でも残念ながら何も変わることはありませんでした。

 

そんな事をしているうちに彼から近くの温泉への一泊旅行に誘われました。場所が変われば気分も変わるかもしれないからと。
実は旅行先で観光した内容をあまり覚えていません。とにかく彼に嫌われたくない今夜こそ彼の求めに応じなければと思いすぎてプレッシャーに押しつぶされそうになっていたんです。
夜に温泉で温まったあとムードを盛り上げる為にバラのアロマキャンドルを付けて一緒にお酒を飲みました。甘い時間が流れていても私は不安でいっぱい。ここまでしてもらったのにだめだったらどうしよう?今度こそ呆れられるのではないか?体が自然と強張り何かのテストを受けているかのような心境だったんです。その緊張は彼にもばれてしまい行為はせずに手を繋いで眠るだけとなりました。
2日目は申し訳なさでいっぱいでした。普通の恋人同士なら甘い一夜を過ごせていたはずなのに私のせいでまた我慢させてしまったんですから。
あっと言う間に夕方近くなりもうそろそろ帰ろうかと移動していると、コーヒーフェスというイベントを見つけました。それはさほど広くない広場にいくつものテントが張られ、世界中の色々なコーヒーの試飲や購入ができるというものでした。私は媚薬効果のある飲み物の中にコーヒーがあった事を思い出し、色々なコーヒーを飲めば少しは効果が出るかもしれないと飛びつきました。
入り口で10杯分の試飲券をもらいいざ会場内へ。まるで渦巻くように濃厚なコーヒーの香りと賑わう人でその会場だけまるで別世界のよう。私と彼はゆっくりとテントを覗き、そこに書かれている説明に目を通しながら試飲するコーヒーを探しました。
親しみのあるブラジル産のコーヒーやジャマイカのブルーマウンテン。産地の説明を見てこの時初めてモカの産地を知りました。精製や焙煎方法についての説明や器具の展示もあり知らない事だらけでびっくりしました。
コーヒーに媚薬効果があるというのはカフェインが交感神経を刺激するからだそうです。それならと一番濃いコーヒーを飲むつもりでいたのですが色々な説明を見ていると一言に“濃い”と言ってもどれを選べばいいのかわからなくなってしまいました。
結局飲んだことの無い珍しいコーヒーを中心に味見して帰路につきました。

 

家へ向かっている途中で彼の家へ寄ることになりました。部屋に誘われてから、もしかしたら旅館での出来事に呆れ果てて振られてしまうのではないかと怖くて仕方ありませんでした。
部屋に入ると少し待っているように言われ彼はキッチンに。お茶なら私が入れるよと声をかけてもいいから座っててと言うだけ。なんだか様子がおかしい。やっぱりこの後別れ話をされるんだと泣きそうです。
少しするとなんだかいい香りが。コーヒーを入れてくれているみたいだけどなかなか戻ってきません。何してるのかな?と覗きにいくと慌てて部屋に押し戻されてしまいました。まさかお別れの一杯?と、私の頭の中はこの後される(と思っている)別れ話の事でいっぱいに。
少しして彼が2つのカップを手に静かにゆっくりと部屋に入ってきました。揺らさないようにすり足をするかのように歩き、両手のカップをそっとテーブルに置きます。それと同時に大きなため息を一つ。
あぁやっぱり私に疲れ果ててしまったんだ。どんな風に別れを切り出されるのだろうかと身構える私に、彼は明るくコーヒーを勧めます。ゆっくりと上の方を啜ってみてと。
そのコーヒーを口に含むと濃厚な苦味が舌を刺激しました。苦いのに後味がよく美味しい。少し香ばしさと独特の甘さも感じます。
私が二口、三口と飲み進めるのを満足そうに眺めた彼は嬉しそうにコーヒーの粉が入った袋を差し出してきました。それは旅先で行ったコーヒーフェスで購入したもの。私へのお土産だと言うのです。
飲んでいるのはジャワコーヒー。インドネシアのジャワ島で栽培されたコーヒーだそうです。ものすごく細かく挽かれたもので、インスタントコーヒーのようにカップに粉を入れお湯を注いだ後粉が底に沈むまで待ってから飲むんだと教えてくれました。
コーヒーフェスの会場で私が媚薬効果を求めて濃いコーヒーを探しているのに気付いた彼が私に勧めるのにいいコーヒーはないか探したところ、コーヒーの中でもジャワコーヒーに媚薬効果があるというのを見つけたそうです。そこで私の為にこっそり購入してくれたというのです。
これはエスプレッソなどに使われる粉だけど、沈殿させる飲み方なら家でも楽しめるとフェスの会場で教えられたから試してみた。美味しく飲めるならよかったと。
別れ話をされるとばかり思っていた私は驚きました。彼が私の為に調べてくれたこともコーヒーを購入していたこともまったく気付きませんでした。
言葉を失っている私に彼が続けました。
自分の為に色々と努力してくれて嬉しい。けど、それが目的で一緒に居るのではないから頑張りすぎなくてもいい。コーヒーは眠気を覚ましたり元気になる飲み物かもしれないけど、それと同時に一緒に楽しんだりほっと一息つける飲み物でもある。だから一人で思いつめないで一緒の時間を楽しもう。俺はそうやって楽しく過ごせる時間が何よりも大切だ。
せっかくの旅行だったのに私は楽しめていませんでした。夜の事を心配して後悔してばかりで彼との思い出をちゃんと作れていません。彼の気持ちを考える余裕も無かった事が恥ずかしく申し訳ありませんでした。
そもそも今回の旅行は気分が変わるかもしれないと誘われたのですが、それは気分が変われば夜の行為がうまく出来るようになるかもしれないという意味ではなく、最近悩み込んでいる私の気分転換になって気楽に楽しめるのではないかというのが目的だったと言われました。

目の前のカップを両手で包むと暖かな熱が伝わってきます。口に含めば深みのある風味が口の中に広がり、苦いのに飲みやすくついもう一口と飲みたくなる。彼に見つめられながらジャワコーヒーを飲む度に張り詰めていた気持ちが緩んでいくのを感じます。
コーヒーはほっと一息つける飲み物でもある。その通りでした。苦味があっても心地よくもっと飲みたくなる不思議な飲み物。
彼は今の私をそのままで受け入れてくれる素敵な人です。私の悪いところもわかった上で傍にいてくれる人。

その日、私は彼に身を任せました。彼は緊張して強張っている私の体を優しく抱きしめ長い時間をかけて撫でていました。口や頬やおでこや手など色々なところにキスをして、私の体温が心地いいと笑います。今はこうしているだけでもいいんだとそれ以上は何もしませんでした。
無理に行為をしなくてもいいんだ。気持ちよくならなければいけないと身構えないでいいんだ。私は多分初めて素直に彼の腕の中で甘えることができました。
前の恋人と今の彼を同一視して怖がっていたのはどれほど失礼な事だったのでしょうか。彼に向き合わず目を閉じていただけでした。
彼が入れてくれたジャワコーヒー。カップの底に沈んだコーヒーは飲み込む必要がないものです。でも、その粉が静かに沈むのを待つからこそあの味を楽しむことが出来ます。いらないものだと切り捨てようとせず上手く楽しむのも大切なんだと思います。

そんな事があってから二週間後。私は始めて女の喜びを知りました。
また彼が入れてくれたジャワコーヒーを飲んだ後、何も意識せず本当に自然とそういう行為を行い始めての感覚を覚えたのです。
これはジャワコーヒーにあるという媚薬効果のおかげでしょうか?それとも、私が彼を信頼しリラックスした状態だったからでしょうか?今はまだわかりませんが、このジャワコーヒーに出会わなければあの日コーヒーフェスに行かなければ私は今もずっと身構えたままで彼の気持ちにも気付かず一人悩んだままだったのかもしれません。
あ、もちろん私が感じる事ができるようになったのは彼の愛情が一番の理由なんですけどね♪

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私と彼とハワイとコーヒー

私は今ハワイのホノルル空港にいます。ここは私の好きだった人が大好きだった場所です。ここに住むのが私たちの夢でした。そのために頑張って働いていた彼は仕事中の事故でなくなり、もうこの世にはいません。今日は散骨のためにハワイを訪れました。彼が大好きだったハワイの海に骨をまくということは彼の希望でした。だから私はそれを実行すべくここにきました。しかしすぐに巻いてしまっては文句を言われそうなのでその前に少し観光をしようと思います。

 

私たちが何度も訪れたハワイの中でも特に好きだった場所へ足を運びました。そこはハワイの北側にあります。一本道をずーと北へと進むとハレイワという町並みが見えてきます。そこから少し奥に入ったところによくテレビで紹介されるハワイアンソープというお店があるのですが、そこの奥にお店はあります。そこは何屋さんという分類にするならばお土産やさんだと思います。倉庫のような出で立ちで一般の人が入っていいのか少し躊躇してしまうようなお店です。中に入るとそこはコーヒーの香りがお店中に広がっています。試飲用のコーヒーが自分でボタンを押して飲めるようになっています。いろいろな種類がありますが彼が好きだったコナコーヒーを私は飲みました。コナコーヒーは少しいい値段がするのですが、苦味が少なくしかし濃厚で飲みやすい味になっています。ハワイは暑いですがホットの試飲しかなので皆ホットコーヒーを汗をかきながら飲むという不思議な光景が広がっています。しばらくすると一人の中年でとても体格のいいおじさんが英語で話しかけてきました。私は一人でしたがそれほど焦りませんでした。なぜならそのおじさんは私たちが訪れると必ず声をかけてくれるからです。

 

私たちは一年に一度くらいしかハワイを訪れていないので私たちのことを覚えているとは言い難いです。おそらく観光客の方を見つけては声をかけているのだと思います。私はいつもと同じように声をかけられて裏庭に呼ばれました。ドアを開けるとそこにはコーヒー豆がたくさん干してあります。そして奥にはコーヒー豆の木がなっています。私はコーヒー豆を一粒もらい匂いをかいではとても優しい気持ちにさせられます。いつも食べてもいいよと言われるのですが、ノーセンキューと言って断ります。だってコーヒー豆ですから絶対に苦いに決まっています。私はそういう冒険はしないので絶対食べません。そうするとそのおじさんは残念そうな顔をします。

 

頑固だなとも思っているのかもしれません。そして私はそこのコーヒー豆を購入しました。そして何となく自分の話をしました。毎年私はここに彼と二人で日本から来ていたんだけど、その彼が亡くなったことと、これから散骨するのでその前にこのお店に立ち寄ったということを話しました。こんな個人的な話をされたらおじさんは困るだろうと思ったのですが、彼はここのお店が大好きだったので話したほうがいいのかなと本能的に思いました。そうするとおじさんも自分のことを話し始めました。おじさんも最近奥さんを亡くして寂しい思いをしていると言っていました。悲しい偶然ではありますが、同じような境遇の人がこんなところにもいるんだと嬉しいというよりも自分だけでないんだなと少し勇気付けられました。そしておじさんは私にコーヒー豆を小さな袋に入れてくれました。これも一緒にハワイの海にまくといいよとくれたのでした。私は感謝の気持ちを伝えてそのお店を後にしました。そして私はまた海に向かう前にもう一軒行きたいお店を思いついたのでそこに行くことにしました。

 

私が行きたったお店はハレイワの中心地にあるスパゲッティーニというピザ屋さんです。なぜスパゲッティーニなのにピザ屋さんなのかと思われるかもしれません。実際はスパゲッティーも置いてあります。しかし私たちはいつもここで食べるときは必ずピザを食べていました。なんでかというとピザの方が美味しそうだからです。ハワイは食べ物や飲み物がとても大きいです。Lサイズの飲み物なんて頼んでしまったら大変です。1リットルはあるであろう入れ物にたっぷりと飲み物が入っています。1日分くらいありそうなくらい大きいです。同じようにピザも半端ない大きさです。それを二人で半分こして食べるのが私たちの楽しみでした。私はいつも食べていたものを注文して席に着きました。一人で食べきれる量ではありません。しかし私は何分もかけてそれを完食しました。さすがに飲み物は残しましたが。お腹もいっぱいになりそろそろ散骨に向かおうと思いましたが、私は考えがまとまらないので少し道端のベンチに座り考えることにしました。それは散骨する場所です。彼は海大好きでした。たくさんの海が好きだったのでどこが一番とは決められませんでした。一体どこの海に散骨すればいのか悩みました。こんなことになるのならどこの海がいいのか聞いておけばよかったと思いました。ハワイの海と言ってもワイキキの海、カイルアの海、ノースショアの海、ワイマナロの海、他にもたくさんの海があります。そしてその海それぞれに特徴が違います。穏やかな海もあれば、いつも荒れている海もあります。亀がいる海もあれば、夕日が綺麗な海もあります。天国の海と呼ばれている海もあります。骨はたくさんあるのでバラバラにまいてもいいのですが、次ハワイに来た時に全部の海を回らなければならないと思うと大変なことになるのでやめました。どうしようどうしよう、悩んでも悩んでも結論が出ません。私は諦めてその日はホテルに戻りました。そして明日また考えようと思いました。ハワイの夜は長いです。夜というよりも日の出が遅いので長く感じます。そのたっぷりの時間を使って考えることにしました。しかし私はぐっすり寝てしまい何も決めることもなく朝になりました。その日も天気はとてもよく気持ちのいい朝でした。悩んでいても仕方ないと思い、また私は出かけることにしました。今日はカイルアに行ってみようと思いました。ここも彼との思い出はたくさんあります。カイルアへはいつもザバスという公共交通機関で移動します。ザバスはあまり観光客が乗っていないので日本人に会うことはほとんどありません。私たちはまだ日が出ていない暗いうちに出発します。一度アラモアナセンターで乗り換えをしてそこから一本でカイルアまで行きます。カイルアにつく途中から明るくなってきます。カイルアにつくことにはもう早朝のような美しい太陽が昇っています。

 

私たちはまずここで有名なブーツアンドキモズのパンケーキを食べるために開店前から並びます。ここではパンケーキを一枚ずつと1杯ずつのコーヒーを飲みます。彼はコナコーヒーを飲みます。私はお店オリジナルのコーヒーを飲みます。どちらも味の違いはわかりませんが、彼に言わせるとコナコーヒーは最高に美味しいらしいです。そしてパンケーキでお腹を満たすと今度は海に向かって歩き始めます。歩いて30分くらいかかります。結構遠いし暑いので疲れます。しかしここはバスがあまり出ていないので時間を潰して待っているなら歩いた方が早いと思うのでいつも歩いています。ハワイは海もきれいですが民家もとてもオシャレなので私たちはこんな家に住みたいねとか、いろいろな話をして歩きます。そして着いた先はカイルアビーチです。ここに私たちはお腹が空くまで滞在します。海に入って泳いだり砂浜で横になったり好きな音楽を聴いたり思い思いにそれぞれが別々に過ごします。ハワイに来ているのに観光もしないで買い物もしないで、ただただ海で時間を潰す、一見もったいないような気もしますが、私たちにとってはこれこそがハワイでしたいことなのです。こんなこと日本ではできませんし、日本の海では風景が全然違うのでハワイでしかできないことなのです。何もしないことがこの上ない贅沢だと私たちはいつも思っていました。何にもしなくても退屈しない場所それがハワイの魅力です。私は彼がいないので一人で何時間も砂浜に寝転び音楽を聴いたり写真を撮ったりして過ごしました。しかし一人ほどつまらないものはないなと彼がいなくなってすごく感じます。彼と出会う前は一人でも平気だったのにたくさんの面白いことを教えてくれる彼と出会ってからは一人でいる時間がとても退屈に思えました。彼に会いたいな。ふとそんなことを思いました。

 

もう一度一緒にしたいことがたくさんあるのにと考えていたら涙が出てきました。空は青くてとても綺麗なのにそんなものを見ても私の心は全く晴れませんでした。この先私は誰とハワイに来ればいいの、誰と生涯生きていけばいいの、いろいろな思いが交錯して頭が混乱しました。もう本当になんで死んじゃったんだよ。本当の思いが心の中を巡りました。私は散骨をしに来たのですが、気付いたら彼との思い出の場所を巡って散骨を後回しにしてしまいました。散骨は初めからしたくなかったのだということに気づきました。彼は散骨して欲しいというけれど散骨して私だけ日本に帰ったら広い海で彼はひとりぼっちになってしまいます。そんな寂しい思いをさせたくありません。私は骨は持ち帰ることにしました。ごめんねと彼に語りかけて私は散骨をやめました。やはりそんなことしてはいけないのです。ハワイの海に散骨したところでそのままずっとそこに滞在して入れるわけではありません。東日本大震災の船がハワイに行き着いたようにハワイに散骨しても日本の海に到着するかもしれません。それなら散骨しないで私がずっと持っていた方がいいと思ったからです。ずっと持っていればいつでも一緒にハワイに行けるそんな気がしました。私は粉になった彼の骨を空高くかざしました。太陽の光が当たってとても輝いています。これでいいんだよと彼が語りかけているような気がしました。

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甘党の彼とブラックの私

①私とコーヒー
私は、祖父が大のコーヒー好きということもあり、小さい頃からコーヒーには慣れ親しんできました。祖父は毎朝、朝食後に自分でミルで挽いたコーヒーを入れて、コーヒータイムを楽しんでいます。私が初めて小学生の時に飲んだコーヒーは、その祖父が入れてくれたブラジルのコーヒー。ブラックで飲んだそれは、とても苦く、どうして祖父がそんな物が好きなのか不思議に思ったのを覚えています。
そんな私も高校生になってからは、朝のコーヒータイムに付き合うようになりました。アメリカンからブラジルからコロンビアまで、様々な種類のコーヒーを飲みました。その中でもお気に入りは、やっぱりブラジルコーヒーでした。酸味と苦味がちょうど良いバランスで、飲みやすくて大好きでした。そんな美味しい祖父の入れたコーヒーだったので、私は気づけば、砂糖もミルクも入れないブラックが好きになっていました。
家を出て、1人暮らしを始めてからもそれは変わらず、カフェに行ってもブラックコーヒーを頼む私でした。そんなある日のことです。私が彼と出会ったのは。

②彼との出会い
仕事が休みの週末、私は神戸の街を1人でぶらぶらしていました。何着か服を買い、いつものお気に入りのカフェで休憩をしていました。もちろん、その時もブラックコーヒーを飲みながらです。あと、大好きなチーズケーキも一緒にほっと一息をついていました。
そうしているうちに、店内が混み合ってきました。すると、私の席からちょうどよく見える席に1人の男の人が座りました。特に気になった訳でもありませんが、なんとなくぼーっと見ていました。しばらくすると、彼が注文した品が運ばれてきました。それを見てびっくり!私と同じ「ホットコーヒーとチーズケーキ」だったのです。このカフェはメニューが豊富だったので、全く同じものを選んだということに驚きました。もちろん、ただの偶然なのですが。
同じものを頼んだ彼に少し興味思った私は、得意の人間観察を始めました。そして、いきなり「全然同じじゃなかった」ということに気づきました。それは、彼がホットコーヒーにたっぷりのミルクと角砂糖を3つも入れていたのです。思わず「うげっ」と声が出てしまいそうでした。こんなに甘いチーズケーキを、あんなに甘そうなコーヒーと合わせて、一体どういうつもりだろうと思いました。
そこで、一気に興味がなくなり、私は読みかけの本をまた読み始めました。

③初めての会話
それからも、お気に入りのカフェだったので、私は週末によくそこに行っていました。そのうち何度か彼を見かけました。そのたびに、彼は甘そうなホットコーヒーを飲んでいました。あんなに砂糖を入れるくらいなら、もういっそカフェオレを頼んだらいいのに…と私はいつも不思議に思いながら見ていました。
そんなある日、私がいつものようにぶらぶらしていると、突然雨が降ってきました。傘を持っていない私は、ちょうど近くにあったお気に入りのカフェに避難しました。すると、突然の雨で同じように考えた人が多かったのか、店内は満席でした。なじみの店員さんも、「すみません。突然の雨でいっぱいになっちゃって、ちょっといつ空くかわからないんです。」と申し訳なさそうに声をかけてくれました。仕方なく、他のカフェを探そうと出ようとした時です。

「ここで良ければ!」

と、突然声が降ってきました。私がぽかんとしていると、その人がこう続けました。
「俺も1人なんで、前空いてますよ。」と。
店員さんが、遠慮がちに「どうします?」と聞いてきましたが、とりあえず雨もひどいので、お言葉に甘えて相席させていただきました。座って、びっくり。その人は、いつもの甘党のホットコーヒーの彼でした。
目の前に座って何も喋らないのも変かと思い、喋りかけようとすると、向こうも同じように考えていたのか、同時に「あの!」といい様に勢いの良い声が出てしまいました。でも、これで2人の緊張が解けいろんな話ができました。「どんな仕事をしているのか」とか「カフェになんでよく来るのか」とか「近くに住んでいるのか」とか、本当にざっくばらんに色々と話しました。
その中でも最も印象に残った会話が次のものです。それは彼が言い出しました。
「毎回、コーヒーはブラックで飲むんですか。」と。
そこで、私は祖父の話や小さい頃からブラックで飲んでいたことを話しました。そうすると、彼は感心したように
「すごいなあ、俺、ブラックで飲むとお腹壊すんですよね。」
と言いました。ずっと気になってた甘党の訳がわかり、「ああ!それで!」と私の口から、思わず大きな声が出ていました。
彼は「やっぱり、こんなに甘そうなの飲むのかっこ悪いですかね。」と、照れ笑いをしていましたが、「好みだから良いじゃないですか」と言うと、安心したように笑顔を見せてくれました。

④いつもの席
それから、週末は、ほとんど毎週そのカフェに行くようになりました。お気に入りと言うのももちろんありますが、その時は、彼に会えるかもしれないという思いが強かったように思います。その予想通り、彼も毎週末のように、そのカフェにやってきました。でも、以前と変わったことが1つあります。それは、混んでいなくても同じ席に一緒に座るようになったことです。
気づけば、なじみの店員さんも「あ、今日はもう来られてますよ」と、彼のいる席に案内してくれるようになっていました。なんだか私の居場所ができたような気がして、くすぐったいような温かい気持ちになりました。気づけば、彼の前の席が私にとっての「いつもの席」になっていました。
何度も顔を合わせているうちに、ますます仲良くなり、3度目に会ったときに連絡先を交換しました。すると、週末以外にも連絡をとるようになり、いつの間にか好きになっていました。

⑤初デート
そこから1ヶ月もしない内に、彼から映画に誘われました。話題の映画で、私が見たいと言っていたのを覚えていてくれたようです。
お互い、何か言うわけではなかったけれど、意識しているのがわかりました。いつものカフェ以外で会うと、変に緊張してしまい上手に喋れません。少しぎくしゃくしたままデートが終わろうとしていた時です。彼が「いつものカフェに行こう」と言い出しました。
いつものカフェで、同じホットコーヒーを頼み、彼は砂糖とミルクを、私はブラックで飲み始めました。そうこうしていると、いつものペースに戻り、リラックスして話すことができました。
結局、そのデート帰り道に、私のことを送りながら、彼が告白してくれました。もちろん、返事はイエスと言いました。

⑥出会いと別れ
そこから、彼とは2年間、楽しい時間を一緒に過ごしました。温厚な彼なので、大きな喧嘩をすることもなく、毎日穏やかに過ぎていきました。付き合ってからも、何度もお気に入りのカフェを訪れ、甘いコーヒーとブラックコーヒーを飲みました。そのたびに、新しく知ることのできる彼の一面が愛しくてたまりませんでした。そして、彼もそう思ってくれていると思い込んでいました。
ある週末の日、私は突然彼に呼び出されました。場所は、いつものカフェです。特に遊ぶ約束をしていなかったので、何かあったのだろうかと少し心配しながら、私はそこに向かいました。
カフェにつくと、彼の方が先に到着していて、なじみの店員さんがいつものように案内してくれました。
座っている彼の顔を見て、私は話の内容がわかったような気がしました。優しい彼の顔は、辛いような悲しいような、どうしたらいいのかわからないという顔をしていました。
「コーヒー頼んだ?」
と私が言うと、「あ!まだ!」と焦ったような答えが返ってきました。いつも頼むコーヒーを忘れるくらいに考え込んでしまっていたんだなと感じました。優しい彼だから、きっと彼の方から切りだすことは無いだろうと思い、私から切り出しました。

「別れたい?」

と。彼は焦ったようにあたふたし、コーヒーに入れるはずの角砂糖を冷水に入れてしまいました。
甘いコーヒーを飲んで、やっと落ちついた彼に話を聞くと、どうやら他に気になる人ができてしまったようです。もちろん、悔しかったし、とても辛かったです。公共のカフェという場所でなければ、反論したかもしれません。すんなりと受け入れることができたわけではありません。でも、彼に幸せになってほしいと言う思いがあったのも本当です。ずっと私のことを考えてくれていた彼に1番に幸せになってほしいと思いました。別れる時にこんなに相手のことを大切に思えたのは初めてでした。
それでも、簡単に整理がつくものではありませんでしたが、このお気に入りのカフェで、泣きわめいたり喧嘩したりしたくないと思い、私は静かに
「そっか…わかった。ありがとう。」
とだけ伝えました。それ以上話すと、泣いてしまいそうだったからです。彼は申し訳なさそうな顔をしましたが、ほっとしたような顔に見えました。
そして、カフェから始まり、カフェで終わった私たちの恋は幕を閉じました。彼の中でもこの場所とコーヒーが思い出として残っていてくれたら嬉しいと思います。

⑦思い出のコーヒー
あれからもうすぐ3年が経とうとしていますが、いまだにコーヒーに砂糖とミルクをたっぷり入れる人を見ると、彼のことを思い出します。あのお気に入りのカフェには、あれ以来1度も行っていませんが、今度久しぶりに行ってみようかなと思っています。その時は、ブラックコーヒーとチーズケーキを注文して。きっと馴染みの店員さんも、彼も、もういないだろうけど…一度くらい、彼のようにたっぷりのミルクと3つの角砂糖を入れてみるのも悪くないかもしれません。
ずっと思い出と一緒にそこに立ち止まっていたようですが、そろそろ前を向いて歩き出そうと思います。甘いコーヒーの事は、頭の片隅に大切にしまっておきます。だって、やっぱり、私が1番好きなのは、ブラックコーヒーですから。

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