3色のコーヒー

ピピピ…
朝4時。いつも通りアラームが鳴り、目を覚ます。でもすぐには布団から出ない。というか出られない。再び意識だけは飛ばないように、目をつむる。ダメだ、寝そうだ…
ピピピ…
スヌーズ機能とはおぞましい…大変便利な機能を搭載してくれている目覚まし時計を、愛でるようにたたく。
しかたなく起きる覚悟をして、バスタオルをつかみ、風呂場に向かう。朝シャンというやつだ。さわやかな一日には欠かせない毎朝の行事だが、単に昨日風呂に入らず寝てしまっただけだ。
昨日寝たのは午前1時。ん?すでに今日じゃないか。
まぁいつもこんな感じだ。睡眠時間3、4時間の日々が続いている。シャワーで目を覚まし、準備をして、5時前のバスに乗り、電車を2回乗り換え、最寄駅から10分ほど歩いてやっと着く。

 

それが以前働いていた職場だ。コンビニエンスストアとは便利なものだが、24時間365日休みなく動き続ける。自分はそこで店長をしていた。いわゆる雇われ店長というやつで、オーナーは他にもたくさん店舗を運営している。しかしながら、このご時世コンビニの仕事は慢性的な人員不足で、アルバイトの人手が全く足りない。おかげでここのところは毎朝4時起きの生活が続いている。かといって終わりが早いわけでもなく、寝るころには翌日になっていることも多い。

 

まぁ慣れてきていたので、週に1回しっかり寝られれば平気な身体になっていた。とはいえ眠いのは否めない。そんな時に欠かせないのが、コーヒーだ。このコーヒーを通して、ちょっとした出会いがあった。多忙な仕事の中にあったささやかな憩いの時間だった。

 

その出会いは、お店に向かう電車の中。正確には電車を待つホーム。
朝食を食べる時間などはなく、10分ほどバスに揺られ、駅に向かう。そのホームの自動販売機で必ず缶コーヒーを買うのがいつものパターンだった。まだ5時過ぎで、空も薄暗さが残っている。ホームにいるのはいつも決まった人が数人。顔も覚えてしまっている。たぶん自分も覚えられているのだろうなと思いながら、缶コーヒーを買う。いつも買うのは少し小さなサイズの青い缶のコーヒーだ。微糖で少し苦みの残る味わいが、朝起きってから何も摂取していない身体と脳に染み渡る。ゆっくりとその缶コーヒーを飲みながら、始発電車を待つ。上り電車からの折り返しになるので、降りる人はたくさんいる。皆さん朝からご苦労様です。自分もその一人だが、下りになるその電車に乗り込むので、ほとんど乗る人はいない。毎朝同じ車両に乗るのは自分とどこにでもいるようなおじさんだけだ。

 

缶コーヒーを片手に、いつもの席に座り缶コーヒーをチビチビ飲みながら3駅先に向かう。ほんの5,6分の時間だが、寝不足から充血した目をつむり少しでも回復をはかる。こんな生活いつまで続くのだろうか。そんなことを考えながら乗り換え駅に近づくと、残っていたコーヒーを一気に飲み干す。ホームで空になった缶を捨て、反対ホームに向かい乗り換え電車を待つ。朝のシフトが足りなくなってこんな通勤が2か月ほど続いていた。

 

気が付くと朝5時にはすでに日が昇り始める季節になっていた。いつものように駅に着きホームに向かう。いつもとは見慣れない光景が目に付いた。ホームで待つ人の中に、ジーパンに白いノースリーブのシャツを着て、茶色い髪をポニーテールに結んだ後姿があった。見たことのない人だった。細身で肩から伸びる色白の腕が印象的だった。いつものように自分は缶コーヒーを買いながら、その後姿を目で追っていた。スマートフォンを見ながら必死に手を動かしているのだけはわかる。ゲームをしているらしい。女子大生かな?と後ろで缶コーヒーを飲みながら電車を待った。その顔を拝めたかったが、まさか正面に回り込むわけにもいかず、電車が来るまでいつもの定位置で待った。

 

いつもはこのまま来ないでほしいと思うくらいだったが、その時は早く電車が来ないかと少しお願いしていたような気がする。やっと電車が来ると、ドアが開き一斉に乗客が降りる。空っぽになった電車にその女性が乗り込み、自分もあくまでいつも通りその後ろから電車に乗り込む。その女性はいつも自分が座る斜め前の席に座った。ラッキーと思いつついつもの席に座った。あれ、おじさんいつもそこ座ってましたっけ?自分と同じ側の席に座るおじさんに心の中で突っ込みながら、おじさんも男なのだ、とたぶん自分と同じことを考えていたおじさんに理解を示す。

 

念願だったお顔拝見…斜め前に座る女性の顔に目をやった。腕同様色白のきれいな頬が目に入る。やや細めの目と高い鼻、小さめの口、それぞれのパーツが整然と並び、端整な顔立ちをしていた。女子大生かと思ったが、もう少し年上そうだ。もしかしたら自分と同じくらいだろうか。妙な期待が生まれてしまった。比較的ラフな身なりとは裏腹に、整った顔立ちから、スーツでも着れば凄腕のキャリアウーマンにも見えそうだ。そんなことを考えていたら、その女性は一駅で降りていってしまった。思わず目で追ってしまった。見られただろうか…。少し残念に思いながら、たまたま今日だけ乗った人かな?など答えの出ない考えを巡らせていたら、乗り換え駅についてしまった。缶コーヒーの中身はまだ半分以上残っていた。

 

翌日、なんとなくいつもより目覚めがよかった気がする。スヌーズ機能も作動する前に解除し、風呂に向かう理由も眠気を覚ますためだけだったかは定かではない。いつもより余裕をもってバスに乗り込み、駅に向かう。

今日はいるだろうか

そんな期待がどこかにあったのは事実だ。駅に着き、いつもより少し足早にホームに向かった気がする。自分の視力はそんなによかっただろうか。まだ遠く離れているのに、昨日一度見ただけの人を確認できた。徐々にその姿が大きくなり、はっきりと視界にとらえ、心の中でガッツポーズ。別に誰に見られているでもないだろうに、平然を装っていつも通り缶コーヒーを買った…つもりが、間違えて隣の赤い缶のコーヒーを押してしまった。我ながら馬鹿だと思いながら、今日はクリーム色のシャツを着た女性に目をやる。ポニーテールは昨日と同じだった。間違えて買った赤い缶のコーヒーを飲む。少し甘味は強いが、朝の身体を起こすにはこれくらいの糖分があってもいいかもしれないと思いながら、女性の後姿を見ながら電車を待った。その女性はまたスマホでゲームをしている。やっているのはパズルゲームだろうが、朝から頭を使うゲームができるのがうらやましい。自分は極力目を休めていたいが、今日も目の保養が目の前にいる。そんなことを思っていたら、女性は今日も一駅で降りていった。

 

それからというものその女性は毎朝そのホームにいた。土曜日も日曜日も変わりなく、同じ時間にいた。毎朝名前も知らない女性に癒されながら、眠い朝が少し楽しくなっていた。それにしても何をしている人なんだろう。仕事に行くのかな。気になることはたくさんあったが、特に声をかけることもなく、見ているだけの日々が続いていた。

 

好きなのだろうか?
自分の中にふと疑問が浮かんだ。今の職場は女性といっても主婦の人が多く、これといった出会いもない。だからといってこの女性に声をかけてもし避けられでもしたら、毎朝の癒しの時間がなくなってしまう。多忙な仕事の中、唯一とも言える癒しを無くす方が嫌だし、何より勇気がなくそのまま過ごしていた。女性に見とれて押し間違えた缶コーヒーは、その日の気分で青と赤が変わっていた。

 

夏の日も本格的になり、早朝と言ってもすでに暑くなり始めていた。暑いのは苦手なのだ。日中の地獄を考えるだけで萎えるものだったが、今は目の前に癒しがある。たった一駅の時間に心と目を癒す。今日もいつも通り女性が降りていく…ん?ふとさっきまで女性が座っていた席に目をやると、何か四角いものがある。スマホだ。そう言えばいつも電車に乗ってもゲームをやっていたのに最近していなかった気がする。ポケットに入れていたスマホが落ちてしまったのだろう。

「待ってください!」

自分でも驚くぐらい大きな声が出た気がする。俊敏な動きでスマホを取りに行き、自分の声で立ち止まっていた女性はすでに電車から降りていた。急いで「スマホ!」と言ってドアから手渡した。もうドアが閉まろうとしていた。ドアに挟まれそうになり、急いで身を引いた。女性も一瞬のことに驚いていたが「ありがとうござ…」まで聞こえた女性の声はドアが閉まって最後まで聞こえなかった。ドア越しに深くお辞儀をする女性に、こちらも会釈をして返す。電車は発車して女性の姿は段々遠ざかっていった。最後まで聞こえなかった感謝の言葉は、イメージ通りの澄んだきれいな声だった。その日はなんだか仕事が手につかなかった。

翌日、なんだかドキドキしている自分がいた。昨日のことがあったのだ。ホームにいれば確実に話ができるだろう。見るだけで満足していたはずの自分がいなくなっていた。ドキドキしつつホームに向かう。視力悪くなったかな…。女性の姿が見当たらない。たまたま今日いないだけだ。自分を納得させつついつもの自動販売機に向かう。青…赤…

「今日は黒にしませんか?」

今日はどちらにしようか落胆しながら考えていたら、後ろから突然声がした。驚いて振り返るといつもの女性だった。その手には小さなタンブラーを持っている。驚いて「えっ…」という反応しかできなかった。
「昨日はスマホ拾っていただいてありがとうございました。本当に助かりました。」
女性は丁寧にお辞儀をしながら昨日のお礼を伝えてきた。
「…全然平気ですよ!間に合ってよかったです!!」
話をする期待はしていたはずなのに、いざとなるとテンパってどうしていいかわからなかった。情けないものだ。

「…黒って?」
そうだ。謎の問いかけを急にされたからテンパったのだ。決して女性を目の前にして焦ったわけではない。うん、間違えない。自分を納得させていると、
「ブラックも飲めますか?コーヒー。いつもこの青か赤の缶のコーヒー飲んでいますよね。」
見られていたのか…目などあったことがなかったのに、飲んでいる缶コーヒーまで把握していたことに驚いた。黒とはブラックコーヒーのことで、女性が持っているタンブラーにはブラックコーヒーが入っていて、それを自分に勧めてくれようとしている。優秀な寝ぼけた脳はそこまでは理解してくれた。

「飲めます!ブラックも好きです!」

焦って答えると、女性は笑顔になって昨日のお礼ですと、タンブラーを自分に渡してきた。その笑顔に吸い込まれそうになりながら、タンブラーを受け取った。固まっていると電車がやってきて「乗らないんですか?」と女性に聞かれ我に返った。
一緒に電車に乗り、隣同士に座る。まさかこんな日が来るとは。受け取ったタンブラーを開け、緊張で乾いた口に流し込む。冷たいアイスコーヒーは苦みが少なく飲みやすい味だった。聴きたいことはたくさんあったはずなのに、おいしいですとしか言葉がでなかった。

そうこうしているうちにあっという間に隣の駅に着いてしまった。女性は立ち上がり「明日もいますか?」と問いかけてきた。「はい、います!」と答えると、「よかったです。コーヒーゆっくり飲んでください。また明日!」とまた吸い込まれそうな笑顔で降りていった。

まだ夢でも見ているのかと思ったが、ブラックコーヒーが確かに夢ではないことを教えてくれた。いつも以上に目が冴えている。ブラックコーヒーの効果か女性の効果か。「また明日」の言葉に胸が躍った。
コーヒーの微かな香りとともに確かな恋心がそこにあることをしめしていた。

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