初めてコーヒーの存在を知ったのは、小学校高学年の頃だったと思います。
田舎で暮らす我が家に東京の企業で働く叔父が、帰省するたびに都会の香りのするものをお土産に持ってきてくれたのは、昭和50年代のことでした。
何事にも凝り性で、本格的なものを求める叔父でした。父とは17歳も離れていたので私たちにとっては兄のような存在でもありました。
朝は、食事のあとにコーヒーを飲むとスッキリと目が覚めて、仕事に行くことが頑張れるんだよと、教えてくれました。
叔父が我が家に持ってきたコーヒーセットはアルコールランプを使うサイフォンのセットでした。お湯を沸かして上にポコポコと湧き上がる様が科学の実験みたいで、不思議で見ているだけでも楽しくて、コーヒーを作っているところから離れずにいました。
凝り性の叔父でしたから、豆も木製にハンドルが付いたクラッシクなタイプのミルで豆を挽いてくれました。
麦チョコみたいな、コーヒー豆がミルで細かくなっている時の香りももちろん良かったのですが、手作業で固い豆が細かくなっている様子も小学生の私には、未知のものでしたので、ワクワクしました。
そしていよいよ、細かくなって粉になった豆が、アルコールランプで湧き上がった水がなぜか上に登って、上にある豆まで届いてお湯をコーヒーに変えていくという目の前でく広げられる魔法のような出来事に夢中でした。
不思議な香りに部屋が包まれて、大人たちはいい香りだねと言っていました。小学生だった私には、これが大人の香りなんだと思いました。もう少しでコーヒーが出来上がるかなと思ったとき、叔父が
『コーヒーは、大人が飲む飲み物なんだ、○○(私の名前)は中学生にならないと、飲めないんだよ』
と言われてしまい、それを一緒に飲めないことで泣き出してしまいました。すると母が、『今飲めない理由はね。ちょっとだけ舐めてごらん』と小皿にスプーン1杯分のコーヒーをくれました。
すると、苦くてなんだか煙臭い美味しくないものでした。なんで、こんなに美味しくないものを飲んで、大人は仕事に頑張っていけるの?
そんなふうに、大人たちに聞いた覚えがあります。
『大人になると、嫌いだったものも好きになることがあるんだよ。』
と、叔父が言ってもわからなかったのですが。もっと小さかった頃、夏みかんが食べられなかった私に母が、お砂糖をかけて食べさせてくれたことがありました。甘くなって美味しいと感じそれからしばらくして、砂糖なしでも夏みかんが食べられるようになった
話を母がしてくれて、そうか、そうだったと思いました。だからきっと、中学生になったら美味しいって思えるようになるんだとその時を待つことにしました。
少し年が経って、中学の入学を迎える年のお彼岸にお墓参りに帰ってきた叔父が、入学祝をくれました。そして、その時に
『これはいい豆なんだよ』と言って買ってきてくれた豆の名前は
忘れてしまったけれど、今思い起こすとブルーマウンテンだったのではないかと思います。そしていつものようにゆっくりとミルのハンドルを回して豆を粉にして行きました。ポコポコと湧き上がるコーヒーを見ながらいよいよ飲めるんだと見ていました。
その時に、母が温めた牛乳と砂糖を持ってきました。夏みかんと同じように最初は苦いと思うから、これを入れると飲みやすいよと用意してくれました。
最初の一口は、叔父が入れてくれたコーヒーをブラックでのみました。でもやっぱり、大人の味で飲めません。母が用意してくれた温めた牛乳と砂糖を混ぜてのんだら柔らかで飲みやすい苦味にかわりました。これが大人の味なんだと思いながら飲みました。
この頃は、母も私もカフェオレなんて言葉はしりません。飲みやすくするためにおじと相談して用意してくれたのだそうです。それから中学に入学してからは日曜日の朝には、コーヒーを両親と姉と一緒に飲むひと時を楽しんでいました。でもまだ、お砂糖もミルクも欠かせません。
高校受験の頃になって、姉がコーヒーは眠気覚ましになるからブラックで飲んでごらん、でも飲み過ぎたらダメだよと教えてくれて受験勉強中に沸かしてくれました。勉強を頑張るために飲むコーヒーは、初めて我が家にサイフォンのコーヒーセットが来た時に叔父が、
『朝、これを飲んで仕事を頑張れる』
といった言葉の意味を年月を超えて分からせてくれた瞬間でもありました。高校に入学後、少女漫画好きな友達と出会い、漫画家の誰々先生がどの豆を飲んでいるとか、そんな話をするようになりました。コーヒーの豆の種類を覚えたのは、その友達のおかげです。漫画家の先生たちは、漫画の仕事を頑張るためにコーヒーを飲んでいるんだなとそんなことを、大学受験の頃は思いながら頑張りました。叔父のいる東京の大学に入学が決まり、アパートも決めてから母と叔父の家に泊めてもらいました。
その日は、叔父が大学合格のお祝いに美味しい夕飯を食べさせてくれました。そして、喫茶店という未知の扉を開いたのもこの時でした。
大人への一歩一歩にコーヒーの存在があったなあと、今懐かしく思います。
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