最近スターバックスがクリスマスシーズンのカップの色を以前のようにクリスマスのデコレーションを施したものではなく赤一色のシンプルなものにし、それが物議をかましています。
これには現在世界中でキーワードになりつつある「多様性」が深く関係しています。
そもそもこの赤のクリスマスカップとはキリスト教のイベントであるクリスマスを祝うことを目的として作られていました。しかしスターバックスは世界を相手にするグローバル企業で会って、多国籍、多民族のお客様がいます。そして彼らが全員キリスト教徒というわけではありません。
多くの日本人は多神教であるため、自分の信仰は違っても他人の信仰する神を排除しようとはしません。我々だって神社によって勉強の神様、戦いの神様、健康の神様などを使い分けるように複数の神を信仰しています。しかしキリスト教やイスラム教といった一神教になりますと、互いにキリスト、イスラムの神以外は認めないという発想を持ってしまいます。
そういったことを考慮してスターバックスはカップの色を赤だけとシンプルなものに買えたそうですが、それが欧米を中心とするキリスト教信者から批判されています。
またそれほど信仰は強くなくても風物詩であるスターバックスのクリスマスカップからクリスマスらしさがなくなったと不満な意思を表明する人もいます。逆にこの多様性を意識したスターバックスの意思決定を賞賛する声も多いです。
話がキリスト教に戻りますが、最近次期アメリカ大統領候補として立候補している不動産王ドナルド・トランプが「もし私が大統領になったら、みんながまた『メリー・クリスマス』と祝うようになるだろう。これは断言できる」と言ったのが話題になっています。
トランプ氏はわざと批判されるような強気なコメントを言って逆にそれを利用して支持者を獲得するという手法を使うことで有名です。彼の政策はWASP(White Anglo-Saxons Protestant)=白人系アングロサクソンのプロテスタントというアメリカのエリート層を中心とした人たちを優遇し、逆に移民や低所得者を軽視していると批判する声が多いです。
それでも彼の人気が高いのはいまだにアメリカの権力がWASPに握られているということの証拠です。もちろんトランプ氏が優秀なビジネスマンであって彼自身アメリカの国力の向上のために努めようとしているのは事実ですが、今の時代スターバックスという世界のトップ企業が多様性に取り組み始めた中、キリスト教を中心とする社会を実現しようとするのは難しいのではないかと思います。
コーヒーという身近なものが政治につながるというのはとても興味深い話ですね。
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