父のコーヒー

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私の幼い頃の記憶。
狭いダイニングキッチンでブラックコーヒーを飲む父が大好きだった。
格好いいし大人に見えていたから。

 

私の思春期の頃の記憶。
狭いダイニングキッチンでブラックコーヒーを飲む父が大嫌いだった。
会話をするとコーヒーと口臭が混じった嫌なにおい。話したくない、顔を合わせたくない。
本当に大嫌い、コーヒーも父も。

 

実家は、2DKの古い団地でダイニングは4畳ほどしかない。そこに、でかい冷蔵庫と母が嫁入り道具に持ってきた昭和を思わせるような風貌の食器棚、四人掛けのダイニングテーブルが所狭しと並べられている。昔から父の居場所は決まってダイニングテーブルで、座って煙草をふかしながらブラックコーヒーをよく飲んでいた。幼いころは、そんな父をかっこよく思っていたのだが、思春期になると嫌で嫌で仕方なくなっていた。
思春期特有の反抗期もあったが、ダイニングを通らないとトイレにもお風呂にも行けなかったことがもっと嫌だった。顔を合わせばやれ勉強はちゃんとしているのかとか、もっと早く帰ってこいだのうるさかったからだ。それに加えて、会話する時に鼻につくコーヒーのにおいがする口臭が本当に嫌だった。
そんなこともあり、コーヒーが大嫌いな思春期を過ごしたのだった。
大人になってから一度母に言ったことがある、父のあの口臭はどうにかならないかと、コーヒーのにおいがキツイと。中学生の頃は、本当に嫌で仕方なかったんだよと。すると、母はクスクスと笑いながら父と知り合った頃のことを話してくれた。

 

元々父は、母の高校の先生だった。当時新任教師として、母の在学する高校に現代文の教師として赴任してきたそうだ。そして、高校三年生の時に母のクラスの担任になった父は、絶対にダメなことだが生徒である母のことをとても可愛いと思っていたらしい。そして、恋心も抱いていたそうだ。もちろん教師と生徒の恋愛なんてご法度、一教師として、母と接していたそうだ。
その母も、父のことを好きだったそうだ。昔はなかなか男前だった父は、23歳と若かったこともあり女子生徒にはかなりモテていたそうで、そんな父のことを密かに想っていた母は、分からないことを教えてもらうとかプリントを失くしたとか、何か理由を探しては父のいる職員室へと足を運んでいた。職員室に行くと父は必ずブラックコーヒーを飲んでいたらしい。

 

それも湯気が立っているわけでもなく、かと言って氷が入っていて冷えているものでもなかったそうだ。とてもコーヒー好きな先生なんだとその時母は思っていたらしいが、これにはちゃんとして理由があった。

 

母が友人に「ブラックコーヒーを飲んでいる大人な男性が好み」と友人に話すのを聞いたそうで、父はそれから苦手なブラックコーヒーを無理して飲んでいたらしい。しかも、いつ母が職員室に来てもいいように朝から下校時まで同じコーヒーを机の上に置いていたから、コーヒーが常温だったそうだ。まだ若かった父は、少しでも自分を大人に見せたい一心で無理してコーヒーを飲んでいたのだろう。

 

卒業するまで2人はお互いを想っていたが、何の進展もないままだった。だが、相変わらず父のデスクにはブラックコーヒーが置いてあった。
母は、卒業式で父に告白すると決めていたが女子生徒が群がっている父を見て、告白するのをやめてしまったそうだ。あまりに人気がありすぎて、自分じゃ相手にされないと思ったからだ。一方の父も、母が高校を卒業したら告白しようと思っていたらしいが、やはり自分の立場を気にして踏み切れずにいた。

 

母は、そんな純粋な父の気持ちに気づかぬまま高校を卒業した。それから半年後、大学に進学した母は偶然父と喫茶店で再会したそうだ。久しぶりだから一緒にお茶でもしようとなったのだが、その時もやはり父はブラックコーヒーを頼んだそうだ。母は父に「先生はブラックコーヒーがお好きなんですね。職員室に行くといつも飲んでましたよね。」と言うと、父は照れながら「それはお前がブラックコーヒーを飲んでいる男が好きだって言ってたからだよ。」と。
鈍感な母でもそれが父からの告白だと分かり、とても驚いたそうだ。そして改めて父から告白され付き合うことになった。
そして、付き合っている時に職員室のデスクの常温のコーヒーのこと、本当はコーヒーが大の苦手だということを教えてもらったそうだ。

 

私はその話を聞いて、あの頑固おやじがね~と少々可笑しくなった。だって、いくらコーヒーを飲んでいる人が好みと聞いたからって無理して飲むことないのにと思ったからだ。でも、父にもそんな純粋な頃があったと思うとなぜだか可愛いとも思った。母は話を続けた。
それから、2人はよく近所の喫茶店でデートをしたそうで、もう無理してブラックコーヒーを飲むことないのに父は一貫してブラックコーヒーを頼んでいた。母が無理しないでと言っても聞かなかったそうだ。でも、母は嬉しかったらしい。

 

自分のことを好きだからそうしてくれていると分かっていたからだ。2人にとってブラックコーヒーは想い出であり、私たちを結び付けてくれたものだと。

 

それを聞いて、父のコーヒーくさい口臭は母への愛だったんだなと思った。母のことが大好きが故だったのだと気付かされた。大嫌いから大好きに変わりはしないが、少し許してあげようと思った。
それから、母が大学卒業と同時に結婚し2年後に私が生まれた。父は今年で60歳になる。今でも現代文の教師をしていて、もうすぐで定年だ。
父と母はいまだに2人で喫茶店に行くことがある。それも昔デートした古い喫茶店で、父はブラックコーヒー、母はホットコーヒーに砂糖とミルクをたっぷり入れて。いい年してと思うが、行ってきますと出かけて行く2人はまるで青春まっただ中の恋人同士みたいだ。

 

父が昔からブラックコーヒーを飲んでいた理由を知ってからは、ちょっと見る目が変わった。また、出かけて行く2人を恥ずかしく思っていたが、いつまでもこうやって喫茶店に出かけて欲しいと思うようになった。2人にとってコーヒーは大切なものだと知ったから。

 

幼いことは大好きだったコーヒーを飲む父。
思春期の頃は大嫌いだったコーヒーを飲む父。
現在は可愛いと思うコーヒーを飲む父。

、2人はよく近所の喫茶店でデートをしたそうで、もう無理してブラックコーヒーを飲むことないのに父は一貫してブラックコーヒーを頼んでいた。母が無理しないでと言っても聞かなかったそうだ。でも、母は嬉しかったらしい。自分のことを好きだからそうしてくれていると分かっていたからだ。2人にとってブラックコーヒーは想い出であり、私たちを結び付けてくれたものだと。

それを聞いて、父のコーヒーくさい口臭は母への愛だったんだなと思った。母のことが大好きが故だったのだと気付かされた。大嫌いから大好きに変わりはしないが、少し許してあげようと思った。
それから、母が大学卒業と同時に結婚し2年後に私が生まれた。父は今年で60歳になる。今でも現代文の教師をしていて、もうすぐで定年だ。
父と母はいまだに2人で喫茶店に行くことがある。それも昔デートした古い喫茶店で、父はブラックコーヒー、母はホットコーヒーに砂糖とミルクをたっぷり入れて。いい年してと思うが、行ってきますと出かけて行く2人はまるで青春まっただ中の恋人同士みたいだ。

父が昔からブラックコーヒーを飲んでいた理由を知ってからは、ちょっと見る目が変わった。また、出かけて行く2人を恥ずかしく思っていたが、いつまでもこうやって喫茶店に出かけて欲しいと思うようになった。2人にとってコーヒーは大切なものだと知ったから。

幼いことは大好きだったコーヒーを飲む父。
思春期の頃は大嫌いだったコーヒーを飲む父。
現在は可愛いと思うコーヒーを飲む父。

いつまでも二人仲良くね。

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