シンクロするコーヒーと恋愛感

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コーヒー。一言にコーヒーと言っても人それぞれ味の好みもあれば温度の好みもある。
それは恋愛だって同じもので、もしくはそのときの恋愛とコーヒーの味は同じようなものかもしれない。
学生時代、付き合っていた人は自分より年上で大人だった。自分が知らないことを知っていたり、社会人だったので自分に持っていない価値観、圧倒的な存在感があったのを覚えている。学生の私に社会人の彼。環境が違うからこそ学べるものもあった。違う世界を覗いてみたいという好奇心が一番だったのかもしれない。その当時の私は社会人というものに憧れを持っていた。
毎日大学に通い授業を受けて帰る。もちろん大学にも出会いがないとは言わないが、社会人と付き合っている私には周りの人が子供に見えて仕方がなかった。大学時代、学生生活は退屈で仕方なかった。ほとんど異性との交流もなくバイトに明け暮れた毎日だった。
彼の仕事は世界を飛び回る仕事。海外の人を相手に何カ国語を操り仕事をする。仕事時間もサラリーマンのような朝9時から17時までとは限らない。一緒にいても5分だけだからと電話をかけたり出たりすることもしばしばあった。仕事も派手だが私生活も派手であった。学生じゃ手が届かないような高級なお店にも連れて行ってもらったし、自分で入ったこともないブランド店で買い物をするのも当たり前。ゴールドカードを片手に豪遊というのもあった。絶対に知り合うことができない人とも知り合えたし人脈も作ってもらえた。そんな彼だから私は少しでも背伸びして大人になりたかった。
彼との交際で背伸びした一つ。
それがエスプレッソコーヒー。
彼に少しでも近づきたくて理解したくて一人入った喫茶店で初めてエスプレッソコーヒーを頼んだことを思い出す。
一人で喫茶店に入ること自体が初めてで緊張したのを覚えてる。
なぜ一人で喫茶店に入ったのか。それは自体彼の前でいきなりエスプレッソを飲む勇気は私にはなかったから。子供だと思われたくなかったから。
彼がいつも飲んでいるエスプレッソを飲んでみたかった。
ある日、そんなにエスプレッソコーヒーはおいしいの?と聞いてみたことがある。
これを仕事前に飲むと仕事のスイッチが入るし、仕事が終わったあと飲むとリラックスできるんだよね。とよく言っていた。
働き始めたら飲みたくなると思うよ。と。彼のスイッチはエスプレッソコーヒーなのではと思うくらいだったし、そんなにエスプレッソコーヒーを飲んで胃は大丈夫なの?と心配したくらいだった。

 

運ばれてきた初めてのエスプレッソコーヒー。
これまで私は積極的にコーヒーを飲むということはなかった。地方の小さい街で育ち、もちろん一人で喫茶店に入るということもなかった。
友達とお茶をするときはファストフード。遊びに行くのも近所の映画館やショッピングセンター。もちろんそんなところにエスプレッソコーヒーなんてあるわけもなく、周りにコーヒーが好きな人もいなかったのでコーヒーとは無縁な生活をしてきた。何度か親に連れられ街のタバコとコーヒーの匂い古い建物の匂いが混じり合う喫茶店に行ってもらったことがある。初老の夫婦が趣味でやっているような喫茶店。客はいつも常連さんでいっぱいのお店だ。一杯一杯時間をかけてコーヒーを淹れるマスターの顔が優しかった。その中で私が頼むのはスカッシュ。この喫茶店のスカッシュは手作りということもあり、他の店では絶対飲むことができないオリジナルのスカッシュだった。少し酸っぱく苦いが口の中に最終的に広がる甘さ。私の大のお気に入りだったのでコーヒーを頼むということはなかった。ときどき優しい顔でマスターがいれているコーヒーはどんな味がするんだろうと思うこともあったが周りが当たり前に飲んでいるコーヒーを注文することはなかった。
一人で心細く喫茶店に入りオーダーが完了したときには少し大人になれた気がして嬉しかったことを思い出す。ウェイターを呼ぶ時が一番緊張した。
頼んだエスプレッソコーヒーが運ばれてきた。ドキドキしながら飲んでみたが私はこれのどこが美味しいのかわからなかった。簡単に言えばただ苦いだけ。苦いだけで何がいいのか、どこがおいしいのかさっぱりわからなかった。逆にすべてのやる気がなくなった。これなら私は大人になんてならなくてもいいやとまで思ったほどだ。
自分に背伸びして続けていた彼との交際は最後にはエスプレッソコーヒーと同じくらい苦い思い出しか残らなかった。
交際を続けていく中で自分に無理をしている自分が嫌になってしまったのかもしれない。虚しくなってしまった自分がいた。目が覚めたのだと思う。
今でもエスプレッソを飲んでいる人、注文している人を見ると彼との背伸びした大人の交際を思い出す。
彼との交際で私は無理に合わせる交際はうまくいかないことを学んだ。
ただ一つ彼に感謝していること。それは彼が結んでくれた人脈。この人脈に何度も私は助けてもらった。今もこちらから助けを求めれば応じてくれる人たちがいる。

その後何人かコーヒーを飲む人と交際をした。
甘いコーヒーが好きな人もいれば、薄いコーヒーが好きな人と人それぞれだったが一緒にいるうちにあまり得意ではないコーヒーが飲めるようになり、そのうち自分からコーヒーをオーダーするようになっていった。
ただあれ以降、私はエスプレッソを飲んでない。
無理してた自分を思い出すのが恥ずかしく、そして嫌な気分になるのが怖く手を出すことができなかった。

 

あれから私には結婚した。毎日隣で一緒にコーヒーを飲んでくれる人がいる。コーヒーが飲みたいなと言えば淹れてくれる彼がいる。
相変わらずエスプレッソには手を出さないが少し大人になったのか様々なコーヒーを嗜むようになった。
今、彼の前で私は大人になろうと無理して背伸びすることもなくなった。無理に大人ぶる必要もないし、真正面から受け止めてくれるので素直な自分を見せることができる。好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと自己主張ができるようになったし、自分の意見を言ってもいいと教えてくれた人だ。
食後にコーヒーを飲みながら今日あった一日の出来事について会話をするのが習慣となってる。
学生時代感じることのなかった苦労やストレスを社会人になったことで感じながら生活している中で、今日一日どんなことをしたのか、何かいいことはあったのか。なかなかお互いの仕事上の悩みを解決してあげることはできないが聞いてあげることはできる。また聞いてもらうことで安らぐ自分もいる。私にとってもなくてはならない存在である。私が結婚した彼は忙しい人だ。休みが合わないし不規則なので普通の夫婦に比べたら一緒に過ごす時間は圧倒的に少ない。毎月一回休みが合えばいい方だし、なかなか旅行に行ったりすることが難しい。だからこそ一日の終わりにコーヒーと共に夫婦の会話を楽しむことを決めている。これが我が家の習慣となっている。私が落ち込んでいる時必ずと言っていいほどコーヒーを淹れてくれる。そのときのコーヒーは少し甘いコーヒーだ。私の様子を見て何も言わなくても味を変えてくれる彼の優しさが伝わる。
朝必ず淹れてくれるコーヒーはブラックコーヒー。少し濃いめの時もあればアメリカンコーヒー?と思う時もある。そのコーヒーの濃さは私の気分といつも一致する。
仕事で重要な案件を抱えてるときには濃いめのブラックコーヒーの方がいいし、何歳になっても仕事に行きたくないと思う日があるがそのときには薄めのコーヒーの方が嬉しい。
「いつも濃さが違うのはなぜ?」
「気のせいだよ」
とあくまでも平然を装う彼に感動する。
「あなたは私のマスターね」と心の中で思いながら仕事に行く。やる気のない日でもこのコーヒー一つで気分が変わるのである。
もちろん一緒に生活していれば良い時もあれば悪い時もある。何がもともとの原因かわからなくなるくらい喧嘩する。小さなことが発端でも黙ってられないときだってある。お互いに我慢することは必要と思っていても我慢できず爆発してしまうことがある。私が我慢できず爆発してしまうことが多い。それに対して彼は黙って聞いている。それにまた私が爆発するという負のスパイラル。これは終わりが見えないのではないかと。そんなときでも二人でコーヒーを飲む。ある程度のところでコーヒーを淹れ始める彼。コーヒーを飲んだらそこで終了というのが二人のルールになっている。特にそうしようと決めたわけでもないが、いつの間にかそうなった。そのときのコーヒーは濃いめ。彼の不満をコーヒーにぶつけたのか?と思いたくなるくらいの濃さだ。思わず顔をしかめるくらい濃い。これが彼からの抵抗なのではないかと毎回思う。
「ごめんね」
「ごめんな」
この言葉が出たあとの二杯目のコーヒーは心地よい濃さに変わる。離婚という言葉が出るまで喧嘩にならないのは彼が淹れるこのコーヒーのおかげかもしれない。
毎日部屋中に広がるコーヒーの香り。これが我が家の匂いなのではないかと思うし、この香りを嗅ぐことで落ち着く自分がいる。日常の何気ないこの空間がとても好きだ。
コーヒーメーカーの隣に並んでる二つのお揃いのコーヒーカップを5年ぶりに新調した。前のコーヒーカップより大きめのコーヒーカップ。
「大きくなったからもっと会話を楽しめるね」と言った彼の笑顔が優しかった。と同時に私も同じことを思っていたので驚いた。
また二人で喫茶店に入ってコーヒーを飲むこともある。お互い好きなものを頼む。必ずちょっとちょうだいと味をチェック。彼のその日のオーダーで彼の気持ちの状態が少しだがわかってきた。私も成長してるんだなと一人満足している。
喫茶店に入ると思うこと。10年前初めて一人で入った喫茶店は窮屈な感じがして今でも思い出したくない一つだが、あの日がなければ私は自分の愚かさに気づくこともなかっただろうなぁと思う。
ときどき今の私がそのときの彼と交際していたらうまくいったのだろうかと考えたこともあったが、それはあくまでも可能性の話。
背伸びしていたからこそ今無理をしなくてもコーヒーと共に生活できている自分が好きだ。
明日毎日彼の淹れるコーヒーを楽しみにしている。明日の朝のコーヒーはどんなコーヒーなのかしら。

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