カプチーノの想い出

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大学時代に初めて入ったテニスサークルの溜まり場は国道沿いの大きなコーヒーチェーン店だった。
女子大に通う私は友人と2人で、同じ駅にある有名大学のテニスサークルに入った。もちろん自分たちの通う女子大にも部活やサークルはあったのだけど、大部分の学生がその同じ駅にある有名大学のサークルに属していたと思う。みんな入りたいサークルが自分の大学には無いからなどと色々な理由をつけていたけれど、わざわざ有名大のサークルに入るのはそこで彼氏を見つけると言う淡い期待を抱いていたからに間違いないと思う。

 

もちろん私と友人も自分たちでそう意識していたかどうかは別として、そんな女子達の中の1人だったし、その有名大にも私たちの女子大をターゲットとしたサークルがたくさん存在していた。
私の入ったそのテニスサークルは、学生であるにもかかわらず車の所有率が非常に高く、男子はほぼ100%の人が車で練習に来ていた。そして練習後にそのすべての車が駐車できるスペースがあると言うことで国道沿いにある大きなコーヒーチェーン店での語らいタイムと言う流れになっていたのだ。
私の通う大学はかなりオシャレな街中にあった。サークルでの練習や語らいタイムにお茶をするお店も全て同じ街の中だ。
まあまあの田舎者の私は、大学まで2時間近くかけて通っており、その街には全く詳しく無かった。
そのコーヒーチェーン店に入ったのも、サークルで連れて行って貰った時が初めて。友人と2人、サークルの世話係も兼ねている会長のテーブルに座って、飲んだことの無いカフェメニューばかりの中からどれを選ぶべきか決めかねていた。
単なるカタカナの羅列に見えるメニューの意味を聞くのもなんだか恥ずかしくて、適当に1番上に書かれたブレンドコーヒーでも指さそうとしたその時、
「カプチーノが美味しいよ。」
と隣のテーブルから声がした。そちらを振り向いた私の目に入ったのは、テニス焼けした浅黒い肌に白いポロシャツ、優しげな一重の瞳と、柔らかそうなストレートの髪をもった絵に描いたようなスポーツ青年の彼だった。
彼はにっこり笑いながら
「初めて来たのなら、一応それが先輩の僕からのオススメー。」ふざけた風にそう言うと、彼は又自分のテーブル仲間との会話に戻っていった。
突然話した事もない先輩が隣のテーブルから提案してくると言う出来事にちょっと驚き気味の私に、同じテーブルにいる会長さんが、
「確かにここのカプチーノ美味しいよ。」と言ってくれたので、私はそれを注文してみることにした。
ウェイトレスさんに運ばれてきたそれは、現在のように可愛らしいラテアートなどは施されていなかったけれど、コクと苦味のあるエスプレッソにフワフワに泡立ったミルクが乗っかった本当に美味しいカプチーノだった。
美味しいカプチーノを飲みながら、今日のテニスの練習の話、これからのサークルの活動、次回の練習の日時、それから大学の新入生としての色々な悩みなどを話した。
上手にリードして会話を引き出してくれる4回生の会長との話は楽しく、あっと言う間に解散の時間となった。
そのコーヒー店からは、もちろん電車で帰宅する者も居たが、近くの者同士車で乗り合わせて帰るというのが慣例の様子で、私も自宅の方向を聞かれたので言うと
「あ、俺近くまで行くから乗っていきなよ。」
そう言ってくれたのは、カプチーノを勧めてくれた彼だった。
私の家は電車で2時間近くもかかる結構な距離なので、すぐ近くまで帰る人はおらず、彼も私の家から30分くらいの距離にある駅の近くを通るので、そこまで送ると言ってくれたのだ。
練習で疲れたあと、車で近くまで送って貰えるのは有り難く、言葉に甘えて彼の車の後部シートに乗りこんだ私は助手席に先客がいる事に気づいた。その女の人に
「遠回りになっちゃうんじゃないでしょうか。すみません。」
と挨拶をした。
彼女は彼の直ぐ近所に住む同じ有名大の2回生だと笑顔で紹介してくれた。
帰宅中の車の中では、同じサークルではあるけれどほぼ初対面である私に気を遣ってか、2人ともサークルの今までの出来事を面白ろおかしく話してくれたり、私の事を色々聞いてきてくれたりした。
2回生の彼女は、たった一つ年上なだけとは思えないほど私には大人の女性に見えた。テニスサークルに属しているとは思えない程の白い肌と華奢な腕。話をする時手を動かす度に、細い腕の小さなブレスレットのチャームが揺れて、キラキラ輝いていたのを私はぼんやりと見ていた。
私も2人にだいぶ馴染んできた頃、ふっとした隙に2人だけの会話が交わされることがあった。
それは、明日の大学の講義の話だったり、共通の大学の友人の話だったりした。
今日もいつものロイヤルミルクティーを飲んだと言う話を彼女が始めた時、彼はふと思い出した様子で、
「そうそう、あそこのカプチーノ美味しかったでしょ。」と私に話しかけてきた。
彼女の話を無視したかたちで私へ話しかけてきた事に、一瞬彼女の顔が曇った様な気がした。それを申し訳無く感じた私は
「はい。」と一言だけ答えて、あんなに美味しいカプチーノっていう飲み物があったなんて知りませんでした。今までに飲んだどのカフェメニューより好きです!という言葉は出せないままとなった。
それからは、だいだい週に2回のサークルの活動日が私は楽しみで仕方なくなった。テニスの練習中はレベル毎に分かれるので、初心者の私はもちろん1番下のクラスのコートで、カプチーノの彼とは遠く離れていたが、練習後のカフェタイムには彼と同席になる事が多くなった。店に到着した者から順に空いているテーブルに振り分けられるのだが、彼が自分の席に呼んでくれる事も多く、なんとなく公認のカップル的な扱いとなっていたのだ。
ロイヤルミルクティーの彼女とは、あれから直ぐ後の練習後シャワー室で一緒になった。彼女は私と2人きりであっても変わらず親切だった。綺麗なストレートのロングヘアを梳かしながら私の自宅が遠い事を心配してくれ、毎回ずっと送って貰えばいいよ〜と言ってくれた。その後、彼との仲がどんどん親密になって行くにつれ、彼女の視線を時々感じる事もあったが、彼女はとてもステキな女性で周りにはいつも何人もの男の人がいたので、彼に対しては単なる幼なじみ的な感情なんだろうと私は思う様になった。それにその頃には私は彼を大好きになっていたので、彼女の事まで気にしている余裕など無かった。
その年の夏合宿の日、彼は私に告白してくれ私たちは正式に付き合い出した。それまで3人で帰っていた帰宅時の車も、ロイヤルミルクティーの彼女が気を利かせてくれ別の人の車に乗ってくれる様になった。
私は大学時代を彼と幸せに過ごした。休日には彼の車で遠出する事も多く、どこのコーヒーが美味しいかとあちこちのカフェをめぐるのが定番のデートコースとなった。
サークル後に行くコーヒーチェーン店の様なお店も良いが、彼とカフェ巡りをする様になってからは、レトロな雰囲気の老舗コーヒー店を探しては遠くまで行っていた。お気に入りの美味しいコーヒー店を見つけた時は嬉しくて、遠くまでドライブを兼ねて何度も通ったりした。
全テーブルがソファ席で、いくらのんびり過ごしていても、全く気にされる様子も無いその老舗コーヒー店を見つけたのは、付き合い出して半年ほど経った冬だったと思う。そのコーヒー店にはこだわりのマスターが居て、カウンターの奥でサイフォンの火加減を調節しながら、ヘラでコーヒーを攪拌している。その様子を見ているだけでも、今から運ばれて来るであろうそのコーヒーが美味しいと確信がもてるのだ。そんなコーヒーの香りに包まれた時間を彼と過ごすのが大好きだった。
その頃から私はミルクを入れるカプチーノなどではなく、ストレートコーヒーを好んで飲む様になって居た。彼は珍しいメニューを見つける度挑戦していたが、結局はカプチーノに落ち着くという事を繰り返して居たと思う。
もう十数年も前の話だ。
私より1年早く社会人になった彼とは、自然消滅の様なかたちで終わった。その頃の私はなかなか決まらない就職活動で忙しく、新入社員で帰宅の遅い彼の話をゆっくりと聞く時間もなかった。電話で話していても、共通の話題で盛り上がる事が少なくなり、お互いの悩み事を相談し合ったりしていたが、社会人と学生と言う立場の違いに少しずつ戸惑いを覚え始めていたのは、私だけでは無かったと思う。
彼からの連絡は週に1度から月に1度となっていき、私から連絡を取る事も無かった。ただその時はそういうつもりでは無かったが結果的に最後の電話となったあの日、
「君と出会えて本当に良かったな。」
と彼が言ったのを覚えている。普段そういう話をしてくれる事など無かったので少し変に感じたけれど、その時はさらりと流してしまった様に覚えている。彼は多分その時もう別れるつもりだったのだと思う。わざわざ別れ話をする事も無いくらいの関係に私達はなっていたのだ。今となっては自分でも何と答えたのか思い出す事は出来ないが、きちんとお礼の言葉を述べていたらいいなと願うばかりだ。
数年後、共通の友人から彼がロイヤルミルクティーの彼女と結婚したと聞いた。
あぁやっぱりと思った後、良かったなぁと心から思えた。当時手の届かないくらいに大人の女性に感じた彼女は、私と彼が付き合い出した後も変わらず私達と接してくれる本当にステキな人だったから。
その後私は職場で出会った今の主人と結婚した。
サークル後に仲間と語らったあのコーヒーチェーン店のある街に新居を構え住んでいる。近くにあるとなかなか利用する事も無かったけれど、先日気が向いて主人と2人で入ってみた。
改装もされず、あの時のままの店内は当時の明るく輝いたイメージは無く、こんなにくすんだ雰囲気だったかなとちょっと思った。ブレントコーヒーをストレートで注文した私は、甘党の主人にここのカプチーノ美味しいよと勧めてみた。
主人の前に運ばれてきたカプチーノには当時とは違って可愛らしいラテアートが施されて居た。

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