コーヒーと恋愛の相関性

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私がコーヒーに出会ったのは小学生の頃である。
両親がコーヒー派ではなく緑茶派だったため、家ではコーヒーを飲む事がなかった。
子供がコーヒーを飲むと夜寝られなくなるので、
おいそれとは買ってもらえなかったのである。
クラスの友人たちがコーヒーを飲んでいるのを
見た事がなかったし、どちらかというと給食に出て来る瓶入りの牛乳やジュース、麦茶の方が馴染み深かった。時々ミルメークというコーヒー風味の粉砂糖が給食に出てきたが、牛乳に入れてかき混ぜると甘くて美味しいコーヒー牛乳になった。
普段コーヒーを飲む習慣のない者にはコーヒー牛乳の味は新鮮だったのだ。

そんな私がコーヒーという名前を知ったのは、小学一年生の時に初めて小説を読むようになってからだ。
当時は海外の小説を読む事が多かったが、特にその中に出て来る食べ物に興味をそそられ、自分の家で食べた事がない料理やお菓子の名前を文中に見つけると、どんな食べ物なのか色々と
想像して憧れていた。
ある小説を読んでいたらコーヒーが登場する場面があったが、その時もいつものようにかいだ事のない
香りや味を想像して胸をときめかせた思い出がある。
その小説の時代ではコーヒーは贅沢品で、家で飲むのは来客が訪問した時や特別な日に飲ませてもらうのが常となっていた。
主人公に倣い、いつしか私も「コーヒーは贅沢品だ」と認識するようになった。テレビのCMで宣伝されていてもコーヒーを買う事はなかったし、飲んで本当に寝られなくなったら大変だからである。

自分でコーヒーを淹れて飲むようになったのは高校時代である。
家は和食中心だったが、その頃にはコーヒーは解禁になった。
親からの許しを得て、自由に飲んでも良い事になったのである。
学校に行く日の朝食は
カフェオレとトーストと決まっていたが、特に不満はなかった。
トーストは食パンをトースターに入れておけば
ひとりでに出来るお手軽メニューだし、きつね色に焼けたパンにマーガリンとジャムを塗ればおしまいである。
コーヒーは専らインスタントコーヒーだが、牛乳を温めてから投入すると美味しいカフェオレが出来る。三年間同じメニューで飽きなかったのが不思議だが、
これがトーストとホットミルクだったら続いたかどうかわからない。
インスタントと言えどもコーヒーの効果が大きかった証拠である。

学生時代は実らない恋を繰り返すのと並行して、
牛乳と砂糖がたっぷり入ったインスタントカフェオレを好むようになっていた。
本格的なコーヒーを飲む事はなかったが、社会人になると自分のお小遣いを捻出出来るようになり、その中に喫茶代も含まれるようになった。
一番衝撃的だったのはそれまで飲んでいたコーヒーより味が苦い事だ。喫茶店で飲んだコーヒーは今まで飲んだコーヒーが一体何だったのかと疑問に思う程の違いがあった。
家のインスタントコーヒーを飲む時は苦いのでアメリカンとカフェオレの二種類にしていたが、流石に喫茶店で出すコーヒーは濃い目で深い味がした。

社会人になると男性と交際する機会が増えたが、喫茶店やレストランでコーヒーを飲む事が多かった。
学生時代のコーヒーと違うのは、一緒に飲んでその味を共に楽しむ相手がいる事である。インスタントコーヒーを常用していた私が
お店で豆の風味を生かしたコーヒーを飲むのは貴重な体験だが、会話をしながら飲むコーヒーは家で一人で飲むインスタントコーヒーとは違うものである事が分かった。
当時は男性が喫茶代や食事代を出してくれたので、
デートの時はお店ではアメリカンかその日のお勧めコーヒーを頼む事が多かった。アメリカンコーヒーは喫茶店で一番安いメニュー
で、その方が相手の負担にならないと思ったからである。
それでも私には特別なコーヒーに思えたが、とても良い香りがしたのを覚えている。

家ではコーヒーに温めた牛乳と砂糖をたっぷり入れたカフェオレを飲む事もあったが、相手の目の前で砂糖を入れて飲む事はなかった。
何故か他の物を入れて飲む気がしなかったのだ。
相手がくつろいだ様子でコーヒーを飲んでいるのに、
私はいつも緊張していた。
お店で飲むコーヒーは家で飲むコーヒーと味や香りが違うので砂糖を入れるとせっかくの風味が殺されるという考えもあったが、彼の前ではちょっと背伸びをしてみたかったのかもしれない。

学生時代の恋を自分で淹れたカフェオレだとすると、社会人になってからの恋は本格ブレンドのコーヒーだと思う。
学生時代は相手に片思いする事が多く、バレンタインの日にチョコレートを渡すのが精いっぱい。
遠くから彼の姿を見かけたり、ほんの少し目が合うだけでその日一日は幸せだった。今考えてみると恋に恋していた時期だったのかもしれない。社会人になったら男性と話をする事に
慣れ、初対面で話がはずむ事もあった。
そんな相手と一緒にいる時のコーヒーは本日のお勧めコーヒーだった。
ブレンドしてある豆は良く分からないが、添えてあるミルクを入れても香りが高くて美味しかった。
学生時代にあれだけ相手に近寄れなかった私が、
会話が出来るようになった事は収穫である。
知り合って間もない相手といる時は元気でしっかりとした自分でいられるのだが、一人になると甘い味のコーヒーが恋しくなる。
相手に振られた後に一人でお店に入って頼むのは、温かいカフェオレやキャラメルマキアートだった。

 

そんな恋愛エピソードには欠かせないコーヒーがヨーロッパに伝わったのは
大航海時代だが、人々の間で「コーヒーはイスラム教徒が好んで飲んでいる
悪魔の飲み物だ」という噂が広まったそうだ。今では考えられない噂だが、
当時は本気で信じられていたらしい。ローマ教皇である法王クレメンス8世が
試飲した際、「異教徒だけに飲ませるよりこれを洗礼してキリスト教徒の物にしよう」
と言ったのがきっかけで広く飲まれるようになったというが、そう言わせるだけの
魅力がコーヒーにはあったのだろう。ドイツの医師ラフォルトやイギリス人の医師ウィリアム・ハーヴィーはコーヒーを優秀な健康食品として普及活動をしていたそうだが、私が好きなカフェオレはフランスが発祥である。
1685年にシュール・モナンという医師がコーヒーと牛乳を混ぜたカフェオレを作り、
医療現場で使った事がきっかけでフランスじゅうに広まったそうだ。
そう考えると私が元気が出ない時にカフェオレを飲みたくなったのも、
偶然ではあるが理にかなっているのかもしれない。

 

私が家でコーヒーを飲む時はマグカップを使う。
10年以上前にロフトで購入したもので、黒い顔の羊のキャラクターが
描いてあるお気に入りのカップだ。マグカップのデザインは何でも良いと
いうわけではない。私のカップは全体がモノトーンで
統一されているが、コーヒー専用にするなら白でも良いし、からし色や赤、淡い緑色でも良い。
購入時は一人暮らしの身の上であったため、どんな飲み物にも合う配色でなおかつ心が和む物を選びたかったので、今のデザインに落ち着いたわけである。飲み物はその日の気分で変える事が出来るが、飲み物の数だけカップの色を揃えるときりがなくなる。一つお気に入りのカップを用意して、気分良く飲むのが良いのである。このコーヒーを飲みながら飲み物に合う映画を見るのが、私の至福のひと時である。

そんな時に良く見るのがジャン=ピエール・ジュネ監督の映画だ。
彼が製作した恋愛映画の中にフランスの「アメリ」という作品があるが、
この映画が特にお気に入りである。
主人公のアメリという若い女性はカフェ勤めをしているが、そのカフェで出されるコーヒーがまわりのインテリアと良く調和していて、洒落た小道具の役割を
果たしている。いつもは数人の常連客の他多くのお客がカフェを利用している。
店内でコーヒーを飲む場面を見るととても居心地が良さそうなので、こちらも行ってみたくなる。アメリにはいくつか自分の「好きな事」があって、そのどれかをしている時は幸せを感じるそうだ。内気なため気になる彼にはなかなか
近寄れないが、独自のアプローチで気持ちが通じて幸せをつかむ。
彼女のお気に入りの一つが「クレームブリュレの表面の焦げ目をスプーンで割る事」
だが、映画でこの場面が放映されてからクレームブリュレが注目を浴びるようになったそうだ。クレームブリュレは生クリームと卵黄を使ったお菓子だが、コーヒーに合うので一緒に食べると美味しい。コストがそれほどかからず家で手軽に出来るので、すぐに作れるお菓子である。

一時期美容のために紅茶派にしてみた事があったが、すぐに飽きてコーヒーを常用している。10代の頃から飲んでいるが、やはりコーヒーは魅力的だ。飲まないようにしようと思ってもその風味に勝つ事が容易ではなく、悪魔の飲み物と言われた意味がようやく理解出来る。最近コーヒーについて調べた結果、飲み過ぎに注意すれば美容と健康に良い飲み物だという事が分かり、悪魔よりは小悪魔と言った方が合っていると思った。
そんなコーヒーと生クリーム系のお菓子の組み合わせは理想の恋人同士のようだが、ブラックコーヒーとチョコレートのペアも捨てがたい。人気イラストレーターや芸術家の方々がこの組み合わせを好んでいるのをご本人の著書で読んで真似するようになったが、コーヒーの香りとチョコレートのカカオの香りが両方口の中で混ざると、絶妙という言葉が頭に浮かぶのでいい加減なものだ。

 

大人になるにつれてコーヒーと恋愛の相関性を考えるようになる。
相手の状態に応じてコーヒーをそのまま飲んだり砂糖や牛乳を入れてみたり
するのだが、心が通じる相手は無理に合わせなくても自然と自分の好きなものを頼めるものだ。好きな相手と一緒なら、温かいコーヒーを幸せな気持ちで味わう事が出来るだろう。そんなかけがえのないひと時を大切にしたいものである。

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