コーヒーの記憶

Pocket

おそらく小学生くらいだったと思います。私が最初に口にしたコーヒーはコーヒー牛乳でした。苦味とは少し遠く、甘いので味わうことなど知らず、くびくび飲んでいました。

うちの家庭ではコーヒーを飲む習慣がなかったので、ブラックコーヒーを飲んだのはバイトを始めた時です。そのバイト先では、開店時間の10分前になるとスタッフ全員でコーヒーを飲むことになっていました。仕込みや店内の掃除を終え、「さぁ、これから一日しっかり働くぞ」と気合を入れる一杯でもあり、またスタッフ同士での会話をはずませる一杯でもありました。
「お砂糖とミルクは?」と聞かれても「ブラックでお願いします」と言い苦いのを我慢しながら、さも、「全然苦くないですよ。コーヒーはブラックが一番おいしいでしょ」風を装って飲んでいました。今思えば、なんてバカバカしい、つまらない見栄を張っていたんだろうと不思議に思います。
そのときの自分は周りの大人たちに子どもだと思われたくないという、意識が妙に強く、背伸びをする必要の無いところでも強がって、かかとが地面につくのを恐れ、いつも爪先立ちをしていました。しかし私が今までに口にしたコーヒーはコーヒー牛乳なので、「コーヒー=コーヒー牛乳」とう具合に頭の中で結びついています。なかなかその絡まりがとれずにバイト以外ではコーヒーは口にしませんでした。

高校の卒業の前にバイトを変え、カフェで働くようになりました。そこではもちろんお客様にコーヒーを淹れないといけません。そこで初めてコーヒーの淹れ方を教わりました。一杯を淹れるのに、豆はこの分量でとか、蒸らす時間など、片手にメモを取りながら、覚えました。
そして注文が入ります。他のスタッフが作っているのは何度か見ていますが、自分で淹れるのは初めてです。豆をミルで挽き、ドリッパーにフィルターをセットして、ポットを右手に持ったところで、ふと視線が気になりました。教えてくれた先輩がじっと見ています。教えた通りにできるか様子を伺っています。
注目されると、とたんに緊張し、手が震えるとまではなりませんが、不安で少し手が止まってしまいました。一旦、ポットと置き、ひと呼吸します。再びポットを右手に取り、傾けます。粉がじんわりと山を作ります。「これで合っているよね」と思いながら、先輩をちらっと見ると、「うん、うん合っているよ」と首を上下に動かし、少し微笑みをくれました。安心し次の段階へ。数回に分け、時計回りにお湯を注いでいきます。
お湯がコーヒーの粉を通り抜けていく間に、温めていたカップを用意し、出来上がったコーヒーを注いでソーサーにのせます。
ホールのスタッフに声をかけ、お客様の下へ。緊張していたため、ふぅっと肩の力が抜けました。すると先輩が「自分で淹れた残りのコーヒーを味見してみたら」と言ってきます。
そして私はというか、私の舌がコーヒーは苦いとう記憶を呼び起こします。もちろん「お砂糖とミルクは?」なんて聞いてはくれません。ちびりちびり飲むと私の記憶とは違う味がしました。なぜだか美味しく感じます。
苦味を感じながらも、その苦味がクセになるとう感覚でした。それは初めてビールが美味しいと感じたときと似ていました。
大人の仲間入りしたのを嬉しく思いました。

学生だった頃、興味深い先生がいました。その先生は進路指導とう名目で先生だけが使える部屋があり、そこを訪れるたびに先生はコーヒーを飲んでいました。

なので先生の姿が見えなくても匂いだけでその先生だと判断できるほどでした。
コーヒーメーカーを持ち込み、お気に入りのカップを持ち込んで、コーヒーを片手に仕事をしていました。もしくはコーヒーを飲むために仕事をしていたのかもしれません。私はよくそんな苦いもの飲めるものだな。いつも疑問に思っていました。
そのことを先生に伝えると「大人になれば、分かる」とにやっと笑っていました。

そして何年後かにその先生と会う機会があり、どこに行こうか悩んでいると先生が「コーヒー飲みにいこうか。」と言い、喫茶店に
行くことになりました。先生はエスプレッソを注文することを決めており、私はどれにしようか悩んでいました。すると先生が勝手にエスプレッソを2つ注文しました。えっ?と驚いた顔をすると、にやっと笑っています。
エスプレッソって結構苦いやつではないか。と不安に思っていると「大丈夫、美味しい飲み方がある」と先生が言います。
エスプレッソが運ばれると、「エスプレッソは3回で飲むんだよ」と言いながら、スプーン一杯分の砂糖を入れるとかき混ぜることなく、口に含みます。
同じようにすると、先生がにやっとしています。苦いと感じているのを分かっていたのでしょう。二口目を飲むと、少し砂糖の甘みが増し、3口目を飲むと
もう甘みしか残っていません。
苦味の後に甘さがある。
とうことを教えたかったのでしょう。コーヒーで人生の教訓を教えるなんて、先生らしいな。と、にやっと笑い返しました。

コメント