フレンチプレス

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僕は20歳の大学生。実家住まい。ひどく内向的な性格で、友達はほとんどいない。友達がいないんだから、彼女なんてもちろん居たこともない。目下、「年齢イコール彼女いない歴の人」って肩書きで暮らしている。

 

本やネットで自分がモテない理由を研究して見た結果、おそらく、自意識過剰すぎて女の子に声を掛けられないのが原因なんじゃないかと思ってる。もしくは、服がダサいからか。気付いてないだけで口が臭いって理由じゃないといいな。よくガラスコップに息を吐きかけて、口臭チェックしてるから、たぶん大丈夫だとは思ってるんだけど、確認出来るような友達がいないから分からない。

 

僕は最近、コーヒーに凝っている。と言っても、チェーンの輸入食材店のコーヒー豆を買って来て、グラインダーで挽いて、ドリッパーで淹れるだけなんだけれど。

この間、コーヒー豆を買いに行ったとき、可愛い店員さんが僕に声を掛けてきた。
「こちらの銘柄をいつも買われてますね。お気に召されましたか?」
僕は、え?誰に話しかけてるの?って感じでちょっと後ろや横を確認して(僕にだってことは分かってたんだけど、自意識過剰だって思われるのは嫌だったから少し小芝居をした。でも、よく考えたらわざとらしかったかもと後悔してる)「はあ」とか「まあ」とか、とにかく下らない返事をして、目を少し逸らした。

 

そして、もう一度、チラッと彼女が豆を袋に詰めている姿を確認して、心の中で叫んだ。「うおおおお!めっちゃ可愛い!可愛い子と喋っちゃったよー!」

その後すぐに、僕は自分に言い聞かせた。彼女は仕事で、誰とでも気さくに話すことを求められているし、なんなら、僕以外の男はみな、可愛い店員さんに話しかけられることがたまにあって、それは何の意味もない、当たり前の、ちょっとした出来事なんだ。だから舞い上がるな。舞い上がるな!舞い上がるな。キモいと思われるぞ。

 

何とか平常心を取り戻し、レジでコーヒーを受け取って家に帰った僕は、コーヒー豆を測ってグラインダーに入れながら考えた。毎日4杯のコーヒーを飲むとして、買ってきた200gの豆がなくなるのが5日後。てことはだ、次に彼女に会って不自然でないのは5日後だ。

 

舞い上がるな!と言い聞かせたのに、僕の心は完全に舞い上がっていた。カレンダーのコーヒーを買いに行く予定の日に丸を付けた。1ヶ月先まで全部。それから、コーヒーの知識を付けようと、ネットを検索したり、本を読んだりして研究した。「あのお店にあるフレンチプレスの道具を買うとカッコいいんじゃないか?」とか、「いや、まだそんなものも持っていないのかとバカにされるんじゃないか?」とか、「そうだ!今持ってるものを割ってしまって買いに来たことにしたらいい!」とか、とにかく彼女にいかに、コーヒー通のカッコいい男と見られるかについてばかり考えて5日間は過ぎた。

 

いよいよ5日目のコーヒーを買いに行く朝、僕は鏡の前で何度もカッコ悪くないか、カッコつけすぎてないか、コーヒーを買いに来るだけに相応しいか、自分の姿を眺めて自問自答したが、全くわからなかった。学校の同級生たちの格好は、正直カッコつけすぎてて取り入れるには勇気が要る。でも、カッコ悪すぎても相手にされないだろうし、でも、良い加減が分からない。

結局、Tシャツとジーンズとスニーカーという、何のへんてつもない格好になった。無難が1番だ。そう自分に言い聞かせて、輸入食材店へ向かう。今日は、フレンチプレスを遠目に眺めることに決めた。眺めてるのに気付かれたら、今度、フレンチプレスでコーヒーを淹れてみたいけど、どんな豆がオススメかたずねよう。そして、その豆とフレンチプレスを買って帰る。気付かれなかったら、いつもの豆を買う。

レジにはいつものように小さな列が出来ていて、僕はそこに並び、心持ち目を細めつつフレンチプレスを眺めてみた。
「いつもありがとうございます。いつもの銘柄でよろしいですか?」
ぼ、僕を覚えてる!可愛い店員さん(名前は玉田さんというらしい。さっきいやらしいと勘違いされないよう、細心の注意を払ってチラチラ名札を見てチェックした。)僕は、心の中で小躍りしつつ、
「そうだなー、まあ、はい。じゃあいつものを」
とカッコつけて答えた。
「何か他のものも気になられますか?」
しまった!確かに他の豆と迷ってるみたいな口ぶりになってしまった!カッコつけたかっただけなのに!あ!そうだ!
「今度、フレンチプレスで淹れてみたいんですが、何かオススメの豆とかありますか?」
「そうですねー。どれでもお好みでいいですが、酸味は薄くなって苦味が強くなると思って頂ければ…」
むむむむ!じゃあ、その豆をください。という答えしか用意していなかった!どうする?!どうする俺?!
「じゃ、じゃあー、いつもの豆も違う味わい方が出来るってことかな」
「ああ、そうですね!そうかもしれません。」
「じゃあ、いつもの豆とあの器具をもらいます。」
よし!乗り切った!乗り切ったぞ俺!
「コーヒー、お好きなんですね。」
「そうですね。色々な文化とも共鳴しているし、知れば知るほど惹かれて行く魅力がありますよね。玉田さんもやはりお好きですか?こういうお店で働かれているということは。」
とか何とか言いたかったけど、結局僕は、また「はあ」とか「まあ」とかいう下らない返事しか出来なかった。

「フレンチプレスもそうですけど、色んな楽しみ方ができますものね。」
玉田さんは話しながら豆を詰め、フレンチプレスが割れないよう包んで行く。
「感想、ぜひお聞かせ下さいね」
買ったものを手渡してくれながら、微笑んだ玉田さんは、神そのものだった。ご想像の通り、僕はまた、「はあ」とか「まあ」とか答えて足早に店を出た。

それからの5日間は大変だった。フレンチプレスの感想をノートに書き出し、短くまとめるために推敲し、また書き直したりして、過ごした。オシャレに見えるように、格好良いモデルさんの写真を持って床屋に行ったりしたけど、僕が小学生の頃から髪を切ってくれているおじさんは、結局僕のいつものヘアスタイルを全体に3ミリほど短めに刈り込んだだけみたいな髪型に仕上げたのだった。

 

次のコーヒーの日は、大進歩だった。フレンチプレスの感想を簡潔に述べようと意気込んでいる僕に、玉田さんは、
「あれ?髪の毛、さっぱりされましたね」
と微笑みかけ、
「フレンチプレス、どうでしたか?」
とたずねてくれ、僕は準備していた感想をサラサラと淀みなく答え、玉田さんは、微笑みつつ、その答えに関心したように頷いてくれ、
「実は私はまだフレンチプレス持っていないんですが、今日、買って帰って自分で淹れてみようと思います」
と言ってくれた。

僕は高揚した。彼女いない歴イコール年齢の僕が、友達もほとんど居ない僕が、玉田さんに影響を与えたのだ。ほんのちょっぴりの、なんでもないような影響だけれど。

僕は、次のコーヒーの日、僕の電話番号を渡してみようと考えた。彼女の番号を聞くのは迷惑かもしれないけれど、番号なら、渡しても嫌なら捨てればいいし、(捨てて欲しくはないけれど)迷惑度が低いかなと考えたからだ。

僕は、単なる電話番号を10回くらい書き直した小さな紙をポケットに入れて、輸入食材店へ行った。

玉田さんは今日もすごく可愛い。可愛すぎて後光さえ見える。僕は緊張しすぎて、すぐに列に並べず、なんとなくスープの缶詰とか、マシュマロとかを眺めて徐々にレジへ近付いて行った。勇気を高めるために、用もない食品たちを手に取っては棚に戻し、手に取っては棚に戻し、あと1メートルくらいでレジだというところで、1人の男が玉田さんに声をかけた。
「隣のビルの本屋にいるね」
早口だったし、ボリュームも抑えめだったけれど、玉田さんに注目していた僕にはハッキリと聞こえた。そして、玉田さんは、あの神そのものの笑顔になにかちょっと違うニュアンスの混じった笑顔で頷いた。

 

彼氏が居たのだ。そりゃそうだよな。玉田さんは、どうかしたら、その辺のアイドルよりずっと可愛い。仕事熱心だし、こんなダサい僕にも優しい。彼女がいるのは当然だ。そして、この僕。僕なんかが電話番号なんて渡したら、大恥だったんじゃないかな。だってよく考えたら、ただのコーヒー買ってる客だし、名前も年もしらないし、玉田さんから見たら、もしかしたら、変態とか凶悪犯かもしれない、素性のわからない男なんだもん。電話番号だけでも迷惑だったかもな。

 

こうやって、自意識過剰な僕の恋は、最高に恥ずかしい場面は回避できた。回避できたけれど、ちょっと切なかった。10日くらいのことだけれど、僕はすごくすごく舞い上がってしまっていたから。

帰って、キッチンであのフレンチプレスを見たときは、ちょっと胸が苦しくなったけど、それで淹れたコーヒーは、玉田さんの言ってた通り苦味が強くなったように感じた。

僕は、1人でコーヒー飲んで、1人で悶々と色んなこと考えて、1人で浮いたり沈んだりするだけの人間のままかもな…そんなことを考えて居たら、真島からLINEが来た。前にゼミが一緒で、なんとなく3度くらいお茶した数少ない知り合いだ。
「今日合コンあるんだけど、1人ドタキャンしたから、お前来ねえ?」
僕はため息をつき、
「オレ、そーゆーの苦手。パス。」
と打ち込んで、ふと指を止めた。そして、今打った文章を消す。

コーヒーを口に含む。
「フレンチプレス、酸味は薄くなるけど、奥の方にちゃんとあるんですよね。それが新鮮でした。」
玉田さんに話したフレンチプレスの感想。それは僕の本当に感じた感想だった。少なくとも、僕は思ったことをすごく可愛い女の子に話すことができた。今日の合コンへ行っても、きっと何も話せないだろうし、緊張するだけだろうし、彼女やましてや友達すら増えないだろうとは思うけど、参加してみなきゃ、なにも始まらないもんな。

「どこで何時?オレ、行ってもいいの?」
僕はLINEにそう打ち込んで真島に送信した。

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