一生分のコーヒー

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はじめての恋人だった人から言われた、プロポーズまがいの言葉が「ずっと俺のコーヒー入れてくれる?」でした。一人暮らしのワンルームのアパートで、ポコポコとフィルターでコーヒーを落としていたわたしの背中に向かって、ふっと思いついたように言われた言葉でした。

付き合っていた数年間で、一体いっしょに何杯のコーヒーを飲んだのでしょうか。あるときは職場近くの公園で、テイクアウトしたカフェモカを飲んだり、あるときは待ち合わせた駅のショッピングモールの階段近くのベンチで飲んだりしました。

お互いの誕生日には、予約したフレンチレストランで食事の後に一杯ずつ、彼はいつもエスプレッソで、わたしは大体もう少し軽めのコーヒーにしていました。

一緒に住んでいたころは、次に買うコーヒーはどんなのにしようか、と話したり、または一緒に買いに行って「これはこの前買って美味しかったから、また買おうか」「でもやっぱり違うのも味わってみたいよね」などと会話がと切れることはありませんでした。

よくコーヒー豆を買っていたお店のスタンプカードがいっぱいになるのが、二人一緒だとやけに早かったのを思い出します。カフェオレにするときはこれ、ストレートで飲みたいときはやっぱりこっち、一人じゃないと楽しくて、一緒にコーヒー豆を選びに行くのがいつもたのしみでした。

でも、時間の経過とともに、すれ違いがだんだん大きくなって、一緒に飲むコーヒーの量も少しずつ減っていき、コーヒーを買いに行く頻度も気が付けば以前のようではありませんでした。スタンプカードが途中になって「最近進まなくなったなあ」ってふと思った頃に、別れがやってきました。

唐突、だと思ったけれど、本当はちょっとずつちょっとずつ、フィルターからこぼれるコーヒーのように、わたしたちの間にあった小さなほころびのような穴は増えていて、とうとう二人のカップから溢れていたのかもしれません。

彼が「ずっとコーヒー入れて」って言ってくれた日のようには、もう戻れなくなっていました。

最後のお別れの意味も含めて一緒に食事をしたのは、よく一緒に行ったフレンチレストランでした。やっぱり、同じように彼はエスプレッソを頼み、わたしは普通のコーヒーを頼みました。最後に一緒に飲んだコーヒー、泣きそうで、でも泣かないって決めていたから我慢して、別れ際に「またね」って声をかけてきた彼に「さようなら」ってかえしました。

不思議なことに、それから何年かして知り合った次の恋人は、コーヒーが飲めません。わたしは一人で飲んでいます。結果的にわたしがコーヒーをずっと入れてあげたのは、その彼だけでした。

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