忘れられない、思い出とコーヒーの香り

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当時22歳の頃です。
職場はオープンしたばかりの家電品やゲームソフトなど扱うお店で、私は事務員として働いていました。

1年くらい経った頃、お店も忙しくなってきて新規スタッフを募集することになりました。
その時に採用されたのが彼でした。

彼は人当たりがよく、穏やかで優しい雰囲気で、私より2歳年下でしたがとても落ち着いていて大人っぽい男性でした。
元々、皆オープニングスタッフで同期なのでスタッフ内で仲が良かったんですが、彼はすぐに溶け込みました。
仕事帰りに皆で飲みに行ったり、カラオケやボウリングに行ったりと
楽しく遊んでいました。
休みの日も海やスキーに行ったり、テーマパークに行ったり、誰かの家に集まったりすることもあり、皆が仲良かったんです。

 

当時、私は学生時代にアルバイトしていたお店の社員の方とお付き合いしていました。
しかし、私がアルバイトを辞めて都心で働き始めたので段々会う時間も少なくなり、職場の皆と遊ぶほうが
楽しくなってしまった為、お別れしました。

彼のことは、他の人とはなにか違うなという気持ちはずっとありました。
でも私はそれが何かが分からなかったんです。
今まで、お付き合いした方は3人いました。
3人とも、私が全く意識していなかった男性で、告白されてから
意識するようになり、付き合うことになったんです。
初恋の人も、向こうからアプローチしてきたから、好きになったという感じでした。
私は、自分から男性を好きになったことが無かったんです。

 

3年後、彼が退職するということを聞きました。
今の職は彼が本当にやりたい仕事ではなく、難関の専門学校の入学試験を
毎年受けていて、やっと受かったんだと嬉しそうに話してくれました。
私は、おめでとうと言いつつも、とても寂しい気持ちになり、彼が退職した後
彼の都合の良い日を聞いて、仕事帰りに「皆でカラオケに行こう」と声を掛けました。
ところがその日、偶然にも皆予定があり、行ける人が一人もいませんでした。
仕方なく私は1人で彼に会いに行き、2人でカラオケに行ってもなあってなり、
軽く食事をして、その後に彼のおすすめの喫茶店に行きました。

 

そこはコーヒーが有名な喫茶店で、店内は落ち着いたジャズと、年代物のコーヒーミルなどが展示してあり、ふんわりコーヒーの香りが漂い彼の雰囲気にピッタリな店だな、と思いました。
彼は、
「仕事帰りや勉強の気分転換によく来るんだ、でも女の子と来たのは
初めてなんだ。」
と微笑み、私はなんだかドキリとしてしまいました。
彼は本日のおすすめコーヒーを、私はカフェオレを注文しました。

 

いつも皆と一緒だったので、彼と二人きりでじっくり話すのは初めてでした。
なのに二人の波長はピッタリと合い、次から次へと話題が飛び出し、尽きることなくおしゃべりしました。
楽しくて、楽しくて私は時計が見れませんでした。
時間を知ってしまったら帰らなくてはいけなくなる、ずっとお話していたいという気持ちでいっぱいでした。

しかし随分と遅い時間になり、時計を見た彼は「送っていくよ」
と言いました。
電車で私の家の最寄り駅まで行き、危ないからと家の近くまで送ってくれることになりました。
暗い夜道を二人で歩いていると、さっきまであんなに盛り上がって話していたのにお互いに無言になってしまいました。
鼓動だけがドキドキと煩く聞こえます。
その日は3月で、夜はまだまだ寒い日でした。
「寒いね」と言うと、彼が少し寄り添ってきました。
そして少し擦れた声で絞りだすようこう言ったんです。
「ごめん、本当はもう仕事も辞めたし言うつもりも無かったんだ。
これから学校で、勉強に集中しなきゃいけないし、
もう諦めようと思ってたんだ。
でも、今日二人で過ごして、気持ちが抑えられなくなってきた。
俺、ずっと前から君のこと好きだったんだ」
私はとてもビックリしました。
今までそんなふうに思われていたことに全く気付いていませんでした。
そして、その時初めて自分の気持ちに気付きました。
「私も…ずっと特別に思ってた。ずっと好きだったんだと思う」

 

彼は微笑んで、優しく抱きしめてくれました。
あの時のドキドキした気持ちは今でも忘れません。
きっと、誰か一人でもカラオケに参加出来ていれば、こんな展開にはならなかった
でしょう。私もずっと自分の気持ちに気付くことがなかったかもしれません。

 

それから、彼との交際が始まりました。
恋人として付き合いたてでも、今まで約4年間の友達関係があります。
彼とは恋人でもあり、親友でもありました。
なんでも相談できたし、彼の前ではとても素直で優しい気持ちになれました。

 

彼は4年生の専門学校生です。
当時、私は26歳、彼は24歳。
丁度私は結婚適齢期。でも大好きな彼が卒業して就職したらきっと
プロポーズしてくれるだろうと信じていました。
彼自身も、「俺が卒業するまで待ってね」と言ってくれていました。
彼は勉強が大変でアルバイトでする余裕がなく、あまりお金を持っていなかったのでデートはいつも私の家でした。
そして、夕食代が無いと夕方になると帰ろうとしますが、私は少しでも一緒に
居たかったので、手料理を振舞ったり外食代を出したりしていました。
彼はそれが申し訳なく思っていたのか、外食するとその後「ここは奢るから」と
あのお気に入りの喫茶店によく連れていってくれました。
彼は基本的に本日のおすすめコーヒーを注文するけど、エスプレッソやブラックなど日によって変えていました。
私は甘いものしか飲めず、いつもカフェオレかカプチーノを頼んでいましたが
段々コーヒーを飲むことに慣れてきて、たまにブラックで飲んでみたりもしました。
ブラックはケーキによく合うなあと感動したのを覚えています。

 

しかし、食事代を出すのは、彼は学生、私は社会人なんだから当然だと思っていました。
たぶん、私と会う時間を削ればアルバイトも出来たんじゃないかと思います。
でも彼は、勉強と私との交際を両立させてくれていました。

 

彼は2年生になると、サークル活動をするようになりました。
先輩、後輩と学年が違う人たちと交流するのはとても刺激になると楽しそうでした。
私と会う時間がそれで減ってしまうので、不満でしたが仕方ないと我慢していました。
サークルには女子も沢山いると聞いていましたが、自分の見えないところの話だし考えても仕方がないと、気にしないようにしていました。

 

4年生になった頃、彼は実習や勉強が大変になってきたから、しばらく会えないと言ってきました。凄く寂しかったけど、我慢していました。
そして久々に彼に会った時、一見いつもと変わらない様子だったんですが
なにか違和感を感じましたが、お互い普通に接していました。
いつもイチィチャゴロゴロしているうちに、二人とも寝てしまうことがよく
ありました。その日も寝てしまっていたんです。

 

私が先に目が覚め、いつも彼が携帯を置いてるチェストに目が行きました。
私は流れるように彼の携帯をチェックしました。
今まで私は他人の携帯を盗み見たことなど、1度もありませんでした。
見たいと思ったこともありませんでした。
その時も、見たいと思って見た訳ではないんです。何故か気付けば見ていました。
後で考えれば、「女のカン」だったのかなと思います。
そこには、私の知らない女性と頻繁にメールのやり取りをしていた履歴が残っていました。
そこから二人がデートしていること、深い関係になっていることが読み取れました。
心臓を鷲掴みにされたように苦しくなり、サーっと血の気が引いていき、徐々に怒りが込み上げてきました。私は寝ている彼を乱暴に揺さぶり起こしました。
「ねえ、この○○って誰よ?どういう関係よ?」
「……サークルの子……付き合ってる……」
聞いた瞬間平手打ちしました。
「なによ、私とも付き合ってんでしょ?どっちか選びなさいよ!」
「……じゃあ○○と付き合う……」
もう脳みそがひっくり返るじゃないかと思うくらい動揺し、驚きました。
浮気じゃないんだ、向こうに本気なんだ、私を捨てるんだ。と。
私の家に置いていた私物も全部袋に詰めて、彼と一緒に追い出しました。
息が出来ないくらい泣きました。
夜通し泣きました。

 

翌日、腫れた目をなんとか誤魔化し、私は仕事に出勤。
誰にも言うことができず、長い勤務時間をようやく終えて真っすぐに家に
帰りました。すると、家の前に彼が立っているんです。
涙目になっていました。
「一晩考えたんだ。ごめん、俺にはやっぱり君が必要なんだ。
自分の家に帰っても、君の私物が目に入る度に思い出す。
あの子とはもう会わない。もう一度やりなおそう」
嘘であってほしいと、まだ別れを受け入れられなかった私は、
喜んで復縁を受けました。
その日は、朝まで今までのことを語り合いました。
その子といつから付き合って、どういう関係だったのか。
彼はすべて正直に話してくれました。
付き合いが始まったのは最近で、体の関係は無いようでした。
彼を信じようと思いました。

 

しかし、一度疑心暗鬼になってしまったら、それを無かったことにするのは
無理でした。
彼がデート中なかなかトイレから出てこないと、こっそりあの子にメール
してるんじゃないかと疑い。
学校の用事だと聞いても、会っているんじゃないかと疑い。
自分の中のドロドロとした感情に押しつぶされそうでした。
一度彼は、私よりあの子を選ぼうとしたんですもの。
毎日、毎日不安でどうにかなりそうでした。

 

そして彼は卒業し、企業に就職しました。
私はもう少ししたら結婚出来るのかな、と思っていました。
しかし1年経っても彼は何も言ってくれませんでした。
その時、私31歳です。適齢期の大事な時期を、精神的にも金銭的にも
すべて彼に尽くしてきたんです。
思い切って、自分からどう思っているのか彼に聞きました。
すると、「結婚する自信がない」と言われました。
なにかが自分の中でガラガラと崩れていくのを感じました。
それでも、彼がその気になるまで待とうと思いました。
でも、彼が選んだのは別れでした。
これ以上、私の時間を無駄に奪えないと…。

 

数年後、あの後出会った方とお付き合いし私は結婚しました。
あの喫茶店は私と彼の家の間にあり、今でもよく前を通ります。
ふんわりと漂ってくるコーヒーの香りに、まだあの頃の傷が痛みます。
本当に、本当に大好きな彼でした。
今は旦那が一番大事ですが、あんなにフィーリングの合う人は
二度といないと思います。
付き合っていなければ、ずっと親友でいられたのかな、とも思います。
また、あの喫茶店で笑顔でコーヒーを飲める日が来ればいいな、と。
彼も結婚したいと思える人に出会えたらいいな、と願っています。

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