飲めなかったのに、コーヒー

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仕事で取引先を訪問すると、先方の秘書さんはいつも美しい花柄のコーヒーカップとソーサーにスティックシュガーとミルクを添えてわたしに出してくれました。でもわたしはコーヒーが飲めません。

 

飲むとお腹がくだってしまうのです。しかしそこで手を付けないのも申し訳ない。香ばしい香り、苦みとコクは子供には理解出来ない大人の味。でも飲むとお腹がくだってしまう・・しかしせっかく出してもらったコーヒーに手を付けないわけにもいきません。取引先の厚意を無にするなんて!幸い味も香りも大好きです。わたしは帰り道寄れるトイレに目星を付けながらコーヒーを飲み、取引先の方と談笑することになるのです。

 
そんなわたしの兄は、数年前からコーヒーを売っています。以前はケーキ屋だったのですが、コーヒーも扱うようになったのです。妹のわたしはコーヒーで腹を下すのに兄はそれを生業に。実家の1Fで生豆を焙煎、ひいて袋詰めし、小売りしています。

 

焙煎したてのコーヒーを少量から買えると、繁盛しているようです。コーヒーを焙煎するときの香りをご存知でしょうか。コーヒーをいれる時の香りとはまたちがった香ばしさ。実家は焙煎の香りが染み付いていて少しほこりくさいような香ばしい匂いがするのです。母はほこりくさい!と少し嫌がっていましたがわたしはそれが嫌いではありませんでした。

 
兄の焙煎したコーヒーはなぜかわたしのお腹に優しいように思いました。兄がコーヒーを焙煎するようになってから朝の食卓に毎朝いれたてのコーヒーが並ぶようになりました。取引先の応接室とは違い、分厚いマグカップにタップリはいったコーヒー。ご飯に納豆とお味噌汁の朝ご飯にもコーヒーはつきました。

 

和と洋の融合、なんて仰々しい事をいわなくともコーヒーはもう日本の食卓に当たり前にとけ込んでいるのですね。忙しい朝でも、食後のタイミングに母がいれてくれたコーヒーは飲んでいました。そしてある日気がつきました。取引先のコーヒーを飲んでもお腹がくだらなくなっていたことに。

 
それからわたしはコーヒーに凝り始めました。兄に頼んでエスプレッソ用にひいてもらい、デロンギの初心者用エスプレッソマシーンを買い試行錯誤してエスプレッソをいれてみたり。細かい泡を上手にたてるため工夫するのも楽しい。バスケットを取り付け忘れてエスプレッソマシーンからお湯が噴き出したりもしたがそんな失敗もすごく楽しい。ミルクを泡立ててカフェ気分になってみたり、ラテアートに凝ってSNSに画像を投稿したりもしました。ハマると深い世界で全自動のエスプレッソマシーンも買いたくなります。

 

高級すぎて買えませんでしたが。兄に頼んでいろんな豆をひいてもらい飲み比べてみたり、両親にふるまってみたり、コーヒーに合うお菓子をチョイスして友達を呼んでお茶会をしたりも。オシャレな街のカフェにでかけけたり、日本初上陸のバールに並んでみたり。コーヒーは1つの「趣味」になっていました。

 
その後仕事をやめ専業主婦になり実家を出ました。「趣味」に時間をかける余裕がなくなりました。カフェめぐりもできなくなり、エスプレッソマシーンも寿命が来て電源が入らなくなりました。お茶会を開く友達とも遠く離れ、取引先にお邪魔する事もなくなりました。家事に育児に追われゆっくりする時間もない。乳児を抱きながら熱いものを食べたり飲んだりする事ができないのでコーヒーから遠ざかってしまいました。

 
子供も数年で乳児から幼児になりました。幼稚園に行くようになり、久しぶりに自分一人の時間が出来ました。これは乳幼児を抱えた主婦にとってご褒美のような時間。24時間子供に密着し、自分の時間なんて数年1時間もなかったのだから。
その貴重な自分の時間を何に使おうか?ゆっくりショッピング?それとも久しぶりに友達に会いに行く?
わたしは紙フィルターでコーヒーをいれました。専用の器具はなかったのでスーパーで買えるフィルターと、普通のやかんを使って細く細くお湯をゆっくりゆっくり注いで。30秒むらし、もこもこを膨らむコーヒー豆を眺めました。

 

また細く細くお湯を注ぎ、久しぶりに自分のために時間をかけました。マグカップにたっぷりとコーヒーを注いで、リビングで一人の時間を満喫。平日の昼間、一人のリビングでコーヒーを飲みながらぼんやり。一人でなにもしない時間というのがなんて贅沢なことか。そういう時間の傍らには、コーヒーが似合うと思ったのです。

 
子供もきっとこの先もっと手が離れ、いつか一緒にコーヒーをのむ日もくるでしょう。うちには今2代目のエスプレッソマシーンがあります。今度はサエコの前のよりちょっぴり高機能のもの。大きな音を立てて良い香りを家中に香らせながら毎日コーヒーを抽出しています。「お母さんコーヒー好きだね」と子供は苦い味を好んで飲む大人なんて理解出来ないという顔で言います。いつかこの苦みが美味しいと思う日がくるとも知らずに。そう遠くない日、子供にコーヒーをいれてやるんだろうな、かつてのわたしの母のように。

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