コーヒーの発見にはいくつかの逸話があります。
もっとも有名なのは、”オマール説”と”カルディ説”でしょうか。
■オマール説
13世紀の始め、僧侶であるシェーク・オマールは、罪に問われてイエメンのモカから追放されてしまいます。空腹のなか山道を歩いていると、一羽の鳥が赤い実をついばんで元気に鳴いているのを見つけます。あまりにもお腹がすいていたオマールは、その実を摘んで煮出してみることにしました。
すると、今まで味わったことがないような不思議な香りが漂いました。
飲んでみると、たちまち疲れが取れて元気になった彼は、この赤い実を病気で弱っている人に与えて、多くの人を救いました。
このことからオマールは罪を解かれて聖者として崇められたということです。
■カルディ説
エチオピアの高原に住む山羊飼いのカルディは、ある日、飼っている山羊たちが赤い実を食べて異様に興奮しているのを見ました。
ためしに彼もひとつ食べてみると、気持ちがすっきりとして、なんだか幸せな気分に。
カルディがこの話を修行僧にしたところ、寺院でも僧侶たちが赤い実を持ち込んで食べるようになりました。
頭が冴えて、眠気もすっかり吹き飛んでしまうこの赤い実は、しばらくの間、修行僧たちにとって欠かせないものになりました。
こんなふうに偶然にも発見されたコーヒーですが、時代とともにいろんな歴史を重ねてきたようです。
15世紀中頃までは、コーヒーは薬の役割として用いられることが多かったようですよ。
コーヒー果実の覚醒効果がだんだん知られるようになって、僧侶たちは好んで飲むようになりました。
徹夜して行われる儀式中に居眠りせずにすんだからなのでしょうか。
この頃は、コーヒーの種を砕いたものを煮出して飲む「バンガム」という飲み方が多かったようです。
あまりにもこの秘薬の効果がすごかったので、僧侶たちが寺院の中だけで独占するくらいの貴重なものとなりました。
15世紀になってようやく民衆にも知られるようになり、徐々にコーヒーは広まったそうです。
そのあとコーヒーの焙煎という方法が、またもや偶然にも発見されることになります。
何かのはずみで火の中に落ちた豆を飲んでみたら美味しかったという説や、寺院内で、種子の発芽を止めるために火を通したと言われる説もあります。
それからは、焙煎されたコーヒーがいろんな飲み方で飲まれるようになり、いろんな器具も出てきて、国によるコーヒースタイルの違いにつながっていったんですね。
今ではマナー違反になりそうですが、コーヒーを飲むとき熱いので、カップからいったんお皿に移して飲んでいた時代もあったそうですよ。
コーヒーが知られるようになって好んで飲まれるなか、コーヒーによって引き起こされたいくつかの事件もあったようです。
1511年、イスラム教の聖地メッカでは、コーヒーの飲用がコーランの教えに反するという理由で、知事によって「コーヒー禁止令」が出されました。
でも、大のコーヒー好きだったカイロの国王が、市民の敵としてこの知事を処罰したそうです。
17世紀のアメリカでは、実はコーヒーよりも紅茶が好んで飲まれていました。
ところがイギリスは、紅茶の価格を上げて重い税金をかけるようになり、このことに怒ったアメリカ人は、ボストンに停泊していた船に積まれた紅茶を海に投げ込んでしまったのです。
これが有名な「ボストン茶会事件」。
この事件がきっかけとなって、アメリカでは紅茶よりもコーヒーがよく飲まれるようになったようです。
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