「オール・ユー・ニード・イズ・キル」のなかのコーヒー

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平凡な30代後半の女性です。

私はコーヒーと同様、映画が好きです。たまに一人でふらりと映画館へ行くのが好きなのですが、その時は友人に「ぜひ一緒に!」とせがまれて、同行することになりました。そして観たのが普段あまり見ないジャンル…「オール・ユー・ニード・イズ・キル」、もう2年前の作品です。

ほとんど予習も先入観もなしに、ぶっつけで観たのですが、「何だかいいなあ」と思いがけなく気に入りました。謎のエイリアン「ギタイ」に全土を侵攻されかけている近未来の地球。人類は筋肉を増強する装甲機械化スーツを着て戦っているのですが、敵は無尽蔵にわくばかりでほとんど敗色が濃くなっています。主人公のケイジ氏(トム・クルーズ)は実戦経験のない軍人なのですが、ある失態からフランスの最前線で無理やり戦わされる羽目に陥るのです。経験のない彼は、あえなくあっさり戦死…してしまうのですが、気づくと出撃前の時間に戻っている。一度経験したことが起こり、再び戦地へ送りだされて戦死、また目覚めて…と、やがて彼は自分が『ループ』の中にはまりこんでしまったことを知るのです。何をどうあがいてもこのループから脱出することはできず、また戦線から逃れて別の人生を開拓することもままなりません。

 

「戦死→ループして戦線」という、悪夢のような繰り返しが起こるのです。ですが彼は、この繰り返しの中で自分の記憶は次のループに持っていける、ということを発見し、その後自分の経験を糧に、凄腕の兵士として活躍するようになるのです。

と、大まかなあらすじだけ追うと、何だか悲壮なSFストーリーなのですが、そこには「繰り返しを糧に前に進む」という、スポ根というか職人気質と言うか、とてもまじめな人生の真理みたいなものも感じられないではいられません。私たちはうだつの上がらない毎日を繰り返し、それに倦むこともあるのですが、結局自分の実力を培っているのはそういった「毎日のルーティンの繰り返し」なのです。こつこつとした努力の積み重ねが明日をつかむ決め手になる、未来への糧になる…ということでしょうか。

さて、映画版が気に入った私は原作を読んでみることにしました。同行の友人に、鑑賞後「あれ、日本のライトノベルが原作なんだよ」と聞いて仰天してしまったのです。さっそく通販サイトで取り寄せた文庫本を開き、一挙に読んで再び驚愕しました。

こんなに変わるもんなんだ!!と。

確かに、この小説があの映画の原作、というのはよくわかります。ですが製作に携わった人の、お国柄がこれだけ影響するんだな…とちょっとびっくりしたのでした。映画版でエミリー・ブラントが演じた筋骨たくましい「戦場の英雄」ヒロイン、リタ・ヴラタスキは、小説の中ではミステリアスではかなげな雰囲気すら漂う、『少女』として描かれていたのです。

彼女が最終決戦の前、ケイジにコーヒーを淹れるシーンがあります。ずいぶんとコーヒーに思い入れのあるような言動が興味をひき、再読しました。実は私たち読者は、リタの本名を知りません。遥かな昔、ギタイの攻撃がまだ遠い場所での話であった頃、彼女はコーヒーを愛する父親とともに、静かで平和な暮らしを営んでいたのです。

この近未来世界において、コーヒーは貴重品です。それと言うのも謎の敵たちはまず初めに、熱帯地域の各国を襲っていったからで、コーヒー生産国は窮地に陥りました。敵は土地を砂漠化させていくため、もはや生産そのものがなくなってしまったのです。家族を殺され、自分の名すら変えて軍に志願したリタは、その天才的な戦闘の才能を生かして大量のギタイを屠る「戦場の牝犬」と呼ばれるまでにのし上がりますが、それでも各地の戦線にコーヒーを淹れるための道具一式を持ち歩いているのです。

彼女は誰にも言いませんが、読者には彼女にとってコーヒーとは父親の思い出であり、もう戻ることのない安穏とした子ども時代の象徴である、ということがわかるのです。自分の身長以上もある戦斧をばんばん振り回す彼女が、いとおしげにいつくしむようにコーヒーを淹れているのは美しい風景です。恐らくはこれが、彼女の一番素の部分であるのだろう、そんな風に私は感じました。

そしてふと思い出すのです。映画の中でも、ケイジとリタが廃屋で見つけ出したコーヒーセットで、束の間の休息を分かち合っているシーンがありました。恐らくはこのシーンは、原作のリタへのオマージュであると考えられます。それ以来、原作においても映画においても、私にとって「オール・ユー・ニード・イズ・キル」というと、このコーヒーのシーンが一番に思い浮かぶようになったのです。

 

殺伐とした世界に身を置いていても、必ずコーヒー一杯の休息は存在するのだ…と。彼らが飲んでいるシンプルなブラックコーヒーのふくよかな香りは、まさに人類の見つけ出した至福の一瞬であり、そのために闘うべき価値のある瞬間であると言えるでしょう。

そして、コーヒーと言う嗜好品ゆえのはかなさ…危機の迫る近未来の人類社会において、一番に姿を消してしまったコーヒー農産業の存在は、そのまま現実世界にもあてはめていう事ができるのです。異常気象の影響で、各国のコーヒー豆生産量が落ちている。数年後にはクライシス的な価格変動が起きる可能性がある…。そんなニュースコラムを読んで震え上がったのも、ごく最近のことです。

ギタイの攻撃が無くても、コーヒーの飲めない日が現実にやってくる?そんな未来を避けるために、今から私たちが何かできること…それこそ、こつこつできる毎日のルーティンはないのでしょうか。様々なメッセージを何度も反復し発展させながら鑑賞できる、「オール・ユー・ニード・イズ・キル」は、私にとってそんな不思議な作品です。

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